第五章 03 もうすぐ死ぬ人
ショックを受けている場合ではない。
グレアムはジェームスの息子だ。さぞや心配だろう。
「ごめんなさい、ジェームス。グレアムを巻き込んでしまって」
「何をおっしゃいますか。レグルス家の使用人として、当然のことでございます。それに、我が息子は簡単に死ぬようには育てておりません」
「ふふ。それもそうね」
グレアムもハロルドも強い。きっと生きている。いつもどおりのジェームスを見ていると、気持ちが落ち着いてきた。
「それからお嬢様、新年のパーティーですが」
「パーティーはひらかないのね?」
「はい。お嬢様の体調を理由に」
「わかったわ。今は大人しくしていましょう」
「ええ、然るべき時が来るまでは」
お互いニッコリと微笑み合う。ジェームスからは見えてないけれど、きっと伝わっているだろう。
夕暮れ時、ラティエルのいる小屋のドアがノックされた。食事はお昼にしか届かないはず。怪しみつつも窓から窺うと、レジーナが立っていた。
「先生⁉ どうぞ、入ってください」
「おじゃまいたします」
「ここへ来ること、よく許されましたね?」
「うふふ。そこは賄賂で切り抜けましたわ」
含み笑いをしたレジーナが手を向けたほう――窓の外を見れば、ベンチにいるいつもの見張りが真っ赤な顔で寝そべっている。相当強いお酒をあおったようだ。
レジーナの手には大きなバスケットが、その中には温かな食事が入っていた。久しぶりに誰かと食べる食事のおいしいこと。
「先生、ありがとうございます」
「毎日はむずかしいですが、できるだけ夕食をともにしましょう。これもお作法の勉強です」
「……先生って、まじめですよね」
「恩をお返しする方法が、これしかないのです」
申し訳なさそうに微笑んだレジーナだったが、食事マナーへの指摘は忘れなかった。おかげで途中から、何を食べたか覚えていない。
食事が終わると、刺繍の指導に入る。レジーナが見本としてひろげた転移用魔法陣の図案は、とても大きくて複雑なものだった。
「あのぉ……、もっと簡易版でも……」
「いいえ、お嬢様。簡易版は使用者の魔力を多く消費します。このように持ち運びができる魔法陣は事細かく設定を縫い止め、魔力の消費を抑えるために作るのです」
「うぅ……」
「ちなみに、お嬢様の場合は中央のシンボルが汎用型ではなく、女神アストローダのシンボルになりますので、下絵を描くところからはじめましょう」
心底楽しそうに言われてしまい、反論の余地もない。途方もなく思える作業を前に、吐きかけた弱音をなんとか飲み込んだ。
◆
刺繍が完成したのは、一年の終わりを迎える夜だった。青息吐息でラティエルは気絶寸前だ。
「お見事です、お嬢様。こちらは村長様へ送っておきますね」
「よ、よろしく……」
レジーナは満足げに頷いて、屋敷へと戻って行った。
「やり切ったわ! けどもう、ダメ……。だるい、重い、眠い……死んじゃう」
なんとかベッドに這い上がり、重だるい体を横たえる。やるべきことはやった。しばらくは誰にも起こされることなく、ゆっくり眠れるだろう。
たちまち眠りについたラティエルは、翌朝、けたたましいノックで起こされた。体はまだだるい。それでも夜着からワンピースに着替え、這いずるように一階へ下りる。ドアの外では、レジーナとミニスの争うような声がした。
おっかなびっくりドアをあける。
「……どうしたの?」
「あっ、お姉様! 見てこれ! ミニスにピッタリでしょう?」
ミニスの手にはスミレ色のリボンがはためいていた。よく見れば金の刺繍とアメジストのような石まで縫いつけてある。ずいぶんと豪華なリボンだった。
(あの色合いはまさか……)
嫌な予感とともにレジーナを見やる。そのレジーナは必死にリボンを取り戻そうともがいていた。
「いけません! それはラティエルお嬢様に贈られたものです!」
「だからぁ、こうして見せに来たんじゃない! ねぇ、お姉様。ミニスに譲ってくださるわよね?」
「……そんなわけないでしょ。わたしに贈られたものは、わたしのものよ」
ミニスからリボンを奪い返そうと手を伸ばしたが、パチンと手をはたき落とされた。貴族の令嬢としては、ひどく乱暴な行為だ。
「痛っ、何をするの。返して!」
「あら、だって、もうすぐ死ぬ人には必要ないでしょう? だからミニスがもらってあげるの」
「……勝手に殺さないでくれる? 返して……、返しなさい!!」
揉み合ったふたりの手からリボンがこぼれ落ちる。それは風に乗って石畳を滑り、杖をついた女性の前で止まった。
さっそくミニスの目に涙が浮かぶ。相変わらずの早業だ。
「お母様!! 聞いてっ! お姉様がリボンを譲ってくれないの!」
「かわいそうなミニス。性根の悪さはあの女と一緒ね」
あの女とは母のことだろうか。ラティエルは顔をしかめた。まるでセレーネを恨んでいるかのような言い草だ。
「ドロリスお義母様、リボンを返してください。それはわたしに贈られたものです」
「そう、贈り主は誰なの?」
あの色合いを贈ってくれるのは、おそらくジルだ。それを教えてやるほどラティエルは初心じゃない。
「贈り主を確認する前に、ミニスが奪ったのです」
「まぁ、奪うだなんて。あなたには教育が必要ね。従順であれば、痛い目に遭わずにすんだものを……」
忌々しそうに口もとを歪めたドロリスは、もう義母として取り繕おうともしない。最後まで疑いたくなかった。でも、ミニスが言ったのだ。ラティエルは『もうすぐ死ぬ』と。それは『殺してやる』としか聞こえなかった。
ラティエルは威勢よく、ケンカ腰で言い返す。
「従順であろうと、どうせ――」
「――何をしている!!」
割って入った怒声に身をすくめる。息を切らせてやって来たアデルが、そのままラティエルの腕をつかんで、小屋の中へと押し込んだ。
「一歩も出るなと言っただろ!! お前は、俺の言うことを聞いていればいいんだ!!」
大きな音を立ててドアが閉められた。あまりの剣幕に言葉も出ない。怒っているはずのアデルはとても必死で――今にも泣きそうな顔をしていた。
「お兄様……、どうして?」
ラティエルの問いかけは答えを得ることなく、むなしく空気に溶けていった。




