第四章 03 父が体調を崩した理由
(うわぁ……魔力をごっそりと持っていかれたわ。聖女の呪文を使わなかったのに、体が重い)
ラティエルも父レオネルと一緒に倒れているのだろう。地面が近い。なぜか毛布まで一緒についてきた。女神の力は大雑把なものらしい。
黒猫のセレはレオネルから飛び降り、村長の家のドアに飛びつく。すぐに中から恰幅のよい中年男性が顔をのぞかせた。村長のデポンだ。
「奥様? ハッ、お館様⁉ ――おい、誰か手を貸してくれ!!」
まずレオネルが中に運ばれていった。そのあいだずっと、セレは怒ったようにラティエルを見下ろす。耳はご機嫌ななめだし、尻尾もタシタシと地面を叩きつけている。
何かやらかしてしまったのかと、ラティエルは身をすくめた。――途端に視界が暗くなる。机の下にでも潜り込んだ気分だ。
(なんだか落ち着く……)
村長デポンの困惑した声が聞こえる。
「奥様、それは……?」
『……、一緒に中へ運んでちょうだい』
「かしこまりました」
(それってなんのこと?)
聞きたいけれど、声が出ない。そうこうしているうちに浮遊感に包まれ、顔の前にある歪な楕円の窓からは室内が見えた。
『そこの、鏡の前にある椅子の上に置いてちょうだい』
セレの声が聞こえ、ラティエルの目前に姿見鏡が迫る。ところが、鏡の中で椅子に下ろされたのは亀だった。甲羅の中からニュッと顔を出す。
(あら、亀だわ……亀がいるわ! さっき言ってたのはこのことだったのね)
亀ならこの世界にもいる。しかも神の使いとして尊ばれているのは前世と同じだ。
よく見ればこの亀、ラティエルと同じペンダントを首にぶら下げているではないか。しかも亀の首にピッタリ合うよう長さが調節されている。
(あれって、わたしのペンダントじゃない! いつの間に……)
と考えて、いろいろ符号する点に気づく。魔力を消費したら動物になると言われたこと、母が持つ月の石にアルマジロが設定されていたこと。
(ま……、まさかこの亀、……わたし⁉)
鏡の中――ラティエルの意のままに体を動かす亀を見て、確信を得る。ついでに落胆も得た。どこかで期待していたのだ。ウサギとかヒツジとか、かわいい動物になれることを。
うなだれたラティエルをヒョイと持ち上げたのは、人間の姿に戻った母セレーネだった。
「ラティエル、亀の姿は気に入った?」
声が出ないラティエルは全力で首を横に振る。すると、ホッとしたような表情でセレーネが頷いた。
「そうよね。気に入ったらどうしようかと思ったわ。大丈夫、術式の“亀”の設定をほかの動物に書き換えてあげる。かわいい娘を爬虫類にされてたまるものですか!」
(――お母様が神様に見えるっ!!)
「さて、まずは人間の姿に戻りましょう」
人間に戻るには、石の部分に体のどこかで触ればいいという簡単なものだった。ラティエルの場合は、ペンダントトップの上に顎を乗せてじっと待つ。そうすれば石に溜めておいた魔力が体に染み渡る。わずか数秒でラティエルは人間の姿に戻った。ネックレスの伸び縮みも自動で行われるようだ。
「アイリス様が作った魔道具のすごいところはね、魔力切れでなくても自由に変身できるところなの」
「それでお母様は猫の姿に?」
「そうよ。魔力に余裕のある状態で変身すれば、人間の言葉を話せるわ」
村長の家にいることを知られたくなかったセレーネは、できるだけ猫の姿で行動しているという。
話に聞き入っていると、ドアがノックされた。
「治療が終わったようね、行きましょう」
「治療……あっ、お父様の?」
ノックされたドアの向こう側には、カーテンで仕切られた四つのベッドが並ぶ救護室。右手奥のカーテンは引かれており、その手前のベッドにレオネルが寝かされていた。
「お父様!!」
「お静かに願います。隣に患者様がいらっしゃいますので」
そう言って奥のカーテンから顔をのぞかせたのは、治癒師のイーサンだった。
「イーサン先生! どうしてここに……? ずっと、ずっと探してたのに!!」
レオネルの体調がおかしくなってからすぐ、この治癒師は姿を消した。辺境伯領の専属治癒師として従事していたのに、あんなタイミングでいなくなるなんて。
ラティエルは睨みつけるように治癒師を見上げた。そんなラティエルの背中を、セレーネが優しくなでる。
「ラティエル、イーサンは追い出されたの」
「――え?」
レオネルが眠るベッド脇の丸椅子にそれぞれ腰かけ、セレーネは気まずげに瞳を伏せた。
「指輪を見つけたあと、すぐ人間に戻ったのだけど……、レオネルに会いたくなかったから、村長の家でご厄介になっていたの。そこへイーサンがやって来たのよ」
治癒師イーサンはレグルス家から突然解雇され、レオネルに挨拶する暇もなく追い出されたという。一抹の不安を感じたイーサンは、辺境伯領を去るフリをして、このケルシュ村へ身をひそめた。
再会したセレーネとイーサンは、魔人襲撃の一件からして偶然ではないと考えた。そんなとき、血眼でセレーネを探すレオネルを見かけたのだ。
「会ってなどやるものかと思っていたけれど、必死にわたくしの名を呼ぶ姿を見ていたら……、思わず話しかけていたのよ」
そのときのレオネルは、ひどく青白い顔をしており、問診したイーサンとセレーネは、ひとつの結論に達した。
「レオネルは毒に侵されていたわ。エピス毒という、香辛料と変わらない味の毒だから、食事中に気づくのは無理ね。しかも遅効性でゆっくりと蝕んでいくの」
毒という言葉に息を飲む。ラティエルは、すぐ隣に眠るレオネルの手を強く握った。今は顔色もよくなって、安らかに寝息を立てている。
「エピス毒は、隣の帝国でしか手に入らない特殊な毒でね、わたくしは解毒薬を求めて駆けずりまわっていたの。手に入れるのがあと少し遅れていたらと思うと、ゾッとするわ」
父を失いかけていた事実に体がこわばっていく。
「その解毒薬で、お父様はもう大丈夫なのですか?」
「ええ。でも屋敷に戻れば、また盛られるでしょうね」
「そ、そんな……」
色をなくしたラティエルの頬を、セレーネは温めるように包んだ。
「だからね、ラティ。レオネルにはこのまま、谷底へ落ちてもらおうと思うの」
「たっ……谷底へ⁉ おお、お母様、何を言ってるの⁉」
ラティエルは飛び上がり、セレーネはくすくすと笑う。向かいで静かに聞いていたイーサンがため息をついた。
「奥様……、言い方ってものがあるでしょう。お嬢様、お館様には失踪していただくということです。本当に落とすわけではありませんよ」
「……あっ、そうなのね」
この母ならやりかねないと思ったラティエルは悪くない。『浮気者』とつぶやいたときのセレーネは、本当におそろしかったのだ。




