第三章 04 女神の愛し子
(――またここなの?)
領内の国境にあるケルシュ村の森――因縁の場所に、ラティエルは浮かんでいた。目下に見えるのは手をつないだ黒髪の女性と女の子。
「ラティ! 走って!!」
女の子は言われるままに走り出す。以前と同じように、魔人に追い詰められ、女性は女の子に青い石――星の石のペンダントを首にかけた。
「石を離さないでね。きっとうまくいくわ」
(だめよ!! うまくいかなかったの! ――お母様!!)
上から叫んだが届かない。
母が魔力を消耗して猫になんかならなければ、父も必死に探して体を壊したりしなかった。兄だって、もう少しは優しかったかもしれない。
妹なんていらなかった。鍛錬の時間を奪われるだけだ。継母だっていらない。マナー講師を兼ねていたはずなのに、ラティエルには何も教えてくれない。
空から見下ろすだけのラティエルは何もできない。ゆっくりと傾いていく女性を見て、女の子は星の石を握りしめた。
「お願い! わたしに力を! お母様を、みんなを守れる力をちょうだい!!」
――あれ? とラティエルは首をかしげる。
「お願い! わたしの願いを叶えて!!」
その叫びに応えるかのように、星の石がまばゆい光を放つ。青白く強烈なその光は、空に浮かんでいたラティエルをも飲み込んだ。
ふと目に飛び込んできたのは、白い衣をまといローズピンク色の髪をした少女。年は十五・六だろうか。その少女が、大きな手にデコピンを食らうところだった。
『痛いのじゃっ!』
大きな手をたどって見上げると、巨大な女性が身をかがめて少女を叱っている。
立てば身長四メートルはあるだろう。瑠璃色の髪と瞳を持つ中性的な風貌の女性で、背中には白い翼がある。
『ロマ、これで何度目だ⁉ あれほど注意を払うよう言っただろう!』
(なんだなんだ? ここはどこなの?)
状況を飲み込めず、辺りを見まわす。白い大理石のドームを白い柱が支えた東屋のような場所で、壁はない。柱からのぞく向こう側には星空が広がっている。灯りはないのに東屋の中は明るかった。
一カ所だけ、柱と柱のあいだに天井まで届く棚があり、天秤がポツンと置かれている。巨人に合わせた造りなのですべてが大きい。
少し目線を落とすと、自分の隣に黒髪の女の子――ラティエルがいる。騒がしいやり取りを見つめていた。
(目の前にラティエルがいる……?)
ハッとして自分自身に目を落とす。血色の悪い不健康そうな手や足、シワになった高校の制服が目に入る。肩を滑り落ちる黒髪はまっすぐで、自分が日本人の星乃であることを思い出した。
棚の前で、やいのやいのと言い合っているふたりに、横やりを入れる。
「あのぉ……スミマセン、ここは? 私、死んだんですかね?」
『コホン。それについては、このロマから説明させよう』
大きな女性は少女ロマをずいっと押し出す。ふくれっ面でそっぽを向きつつも、ロマはやらかした経緯を白状した。
『目分量でいけると思ったのじゃ』
人生経験を積んで成長した魂は、ふたつに分けられ、それぞれ別人として人生を送る。なのに、ロマが『まだ十分な大きさに達していない』魂を分割してしまった。二〇〇%に達してから分けるところを、一八〇%ほどでやらかしたのだ。
『いちいち計るなど、面倒じゃろう?』
その結果、九十%の未熟な魂がふたつできあがり、体の弱い星乃と、魔力不足のラティエルが生まれた。ちなみに年齢が違うのは、降りる世界によって時間の流れが違うらしい。
小さく唸った星乃は、なぞるように考えを整理していく。
「えーと、つまり? 私とラティエルは元々ひとつの魂で、まだ分割する時期ではなかったと?」
『そうなのじゃ! てへっ』
これは、まったく悪いと思ってない。こいつはまたやる。直感でそう思った。ロマじゃ話にならないと、星乃は女性を見上げた。
「それで、今はどういう状況なんですか?」
『他者の悪意が混ざり、融合が不完全な状態だ。お主が先ほど同意したように、すべてをラティエルに継承させる』
「――は? 私がいつ同意したって……、あっ」
あれか! と星乃は思い返す。アイリスに読まされた呪文で、たしかに『ラティエルが全権を継承する』と宣言した。途端に星乃はおそろしくなり、ゆっくりと後ずさる。
(私は消されてしまうの?)
そんな心を見透かしたように、女性は首を横に振った。
『魂の融合はほぼ終わっている。これから行う儀式は記憶の融合だ。どちらの記憶も保たれる。それについては、この女神アストローダが保証しよう』
「女神? でもアストローダって聞いたことないわ」
こちらの世界にはたくさんの女神がいると、レジーナから教わった。けれど、 アストローダは記憶にない。隣で大人しく聞いているラティエルを見ても、目を白黒させて首をかしげている。
アストローダは雑に髪を掻き上げ、長椅子にどっかりと腰を下ろした。
『我はかつて、掟の女神ユスティアとして崇められていた。しかし、愛の女神ロマティカと戦って神器を失い、神格が落ちたのだ』
掟の女神ユスティアなら記憶にある。右手に剣を、左手に天秤を持った厳格な女神だ。実際に見たことがあるのは石像だけど。
「愛の女神はどうなったの?」
『神器を取り上げられて下級女神に落ちた。そこにいるロマだ』
「えっ⁉ ロマが魂の分割に失敗したのって、腹いせなんじゃ……」
『いや、間違いはときどき起こる。ロマは輪をかけてずさんなだけだ』
そう言ってアストローダが睨むと、ロマはむくれて顔を背けた。プリプリしていても可愛らしいのは、元・愛の女神だからか。
「女神も争うのね……」
『争いのない世界など、もっと上層界の話だ』
それなら下層に位置する人間界など、争いがなくなるわけがない。なんとも気が重くなる話だ。
「あれ? じゃあ愛と、掟の女神はいないの?」
『今は空座だ。選抜が難航している』
「ふ~ん」
話がそれたとばかりにアストローダが咳払いをする。
『さて、お主たちは融合して、このアストローダと契約する』
「ふゅ、ふゅーじょん⁉ ってあの、人差し指合わせて叫ぶヤツ⁉」
怪訝な表情でアストローダは首をひねる。こんな娯楽もなさそうな世界の住人に聞く質問ではなかったと、星乃は反省した。
「なんでもないです。続けてください」
『……。契約が成立すれば、お主は我の愛し子として、お主にとってはよき友として、寿命をまっとうするまで共に歩もう』
それでいいのだろうか。チラリとラティエルのほうを見る。星乃の視線に気づいてにこりと笑った。
(かわいい……!)
客観的にラティエルを見るのはこれが最後になるだろう。そういえば、星乃はラティエルに聞いておきたいことがあった。
「ラティエル、あなたの願いは復讐することじゃなかったの?」
「ふくしゅう? わたしの願いはみんなを守ることよ。あなたとひとつになれば、願いは叶うの」
「そう……、ラティエルは石のことを正しく知っていたのね」
「うん、お母様から聞いたもの。強く願えば、魂の片割れを引き寄せられるって」
ラティエルの記憶があると思っていたが、星乃にも知らないことがあった。女神の言うように、融合は不完全だということか。
(それなら、復讐を叫んだあの声は誰だったの?)
考える暇もなく、アストローダはふたりに手をつながせた。
『では参る。――フュージョン!!』
(フュージョンきたあぁぁぁ――――――!!)
それが星乃としての最後の思考だった。




