第一章 01 出会いには痛みが伴う
「ラティエル。今日からウチで学ぶ子どもたちだよ」
剣の音が合わさる修練場で、父から紹介を受けたのは四人の男の子たち。みんなラティエルより四つ年上の十歳。我がレグルス領には剣術を習いに来たという。うちに来るのは男の子ばかりでつまらない。
(あ……でも、女の子もいる!)
やわらかそうな茶髪を無造作に束ね、男の子のように振る舞っているが、線が細くて背も低い。ラティエルよりもドレスが似合うだろう美しい子だ。名前を「ジル」とぶっきらぼうに答えた。
ずっとそっぽを向いていたジルだったが、目が合うなりおどろいた顔で近寄り、ラティエルの両手を掬い上げた。
「見つけた……、黒椿姫」
「くろつばき?」
首をかしげて聞き返すと、ジルは「あっ」と手を離して頬を掻く。
「いや……その、仲よくしてほしい」
ラティエルは歓喜した。はじめて女の子の友達ができたのだ。しかも優しそうな年上の女の子。
「はいっ、ジルおねえさま!」
ドレスの裾をつまみ、お行儀よく腰を落とす。六歳にしては精一杯の礼儀で迎えたつもりだった。なのに、みんなの顔が青ざめていく。
ジルはわなわなと震えだし、ヒンヤリとした空気が立ちこめる。これが魔力だと気づいたときには、空から大粒の雹が、どっかんどっかん降ってきた。
「おれは、男だ――っ!!」
「いっ⁉ いたっ! ごめんなさいっ」
やめて――と叫びながら飛び起きると、保健室の先生が目をまん丸くしてこちらを見ていた。すっかり保健室の常連になっており、下の名前で呼ばれている。
「星乃さん……大丈夫?」
「…………あ、はい。寝ぼけて、すみません」
「少し出てくるけど、いい?」
「はい、大丈夫ですっ」
恥ずかしさのあまり、横になって薄い掛け布団を引き上げる。
また授業をさぼってしまった。今日は特にめまいがひどくて……、だから夢見も悪かったのだろう。
(あんなにきれいな子なのに、男の子だったのか。天使みたいだったなぁ)
最近よく見る夢だ。どこか知らない国の、知らない人たちに囲まれている夢。覚めてしまえば、雹を食らうよりもつらい現実が待っている。
星乃と名づけられて十六年。子どものころから虚弱体質で、海外を飛びまわる両親には置いて行かれた。もう忘れられているかもしれない。
クラスメイトには仮病だと思われている。仕方のないことだ。ここぞというときに都合よく倒れるのだから。
(健康な体が欲しい。ちゃんと友達を作って、恋もするの……なーんてね)
こんなこと、恥ずかしくて神様にもお願いできない。
『――その願い、叶えてあげるわ』
「えっ⁉ だ……だれ⁉」
『だから、わたしの願いを叶えて!!』
空耳にしてはやけにはっきりしている。それに、聞き覚えのある少女の声だった。
まさかと思いつつも聞き返す。
「あなた、ラティエル? あなたの願いは、なに?」
『――……よ』
「え?」
『――復讐よ!!』
今度ははっきりと聞こえた。魔女のような声音に心臓を掴まれ、渦の中へ引きずり込まれていった。
暗い渦の底にあらわれた光に「助けて!」と手を伸ばす。光に引き上げられた手をよく見れば、子どものように小さくて、ふっくらとしていた。まわりの景色も一変している。
天井にはきれいな刺繍が施された布がかかっている。天蓋ベッドというやつだろうか。
「――あれ? ここどこ?」
なんだか喉もおかしい。えらく高い声。起き上がると、大きなふかふかのベッドの中にいた。
洋風の素敵なお部屋。白とピンクを基調としながらも、上品でおしゃれな調度品が並んでいる。あきらかに保健室ではないし、ホテルでもここまでの部屋はないだろう。
ほけーっと眺めていると前方斜めのドアがあき、悲鳴にも似た女性の声が響く。
「お嬢様っ⁉ 目を覚まされたのですね! ご気分はいかがですか?」
「――お、おじょうさま?」
ベッドに走り寄ってきた女性は三十歳くらいだろうか。紺色のワンピースにフリルのついたエプロンをまとい、栗色の髪をキッチリと結っている。
「お嬢様、わかりますか⁉ 乳母のアンナでございますよ⁉」
「うば? あ、うっ……」
「頭が痛むのですか⁉ すぐにお医者様を呼んで参ります!!」
部屋から飛び出していく乳母を見送りながら、自分が誰であったかを思い出した。
(私は星乃……だけど、レグルス辺境伯の娘、ラティエルだわ。記憶が……ふたり分ある)
前世を思い出したというには違和感がある。いや、『少し前にいた世界』という意味では『前世』で合っているけれど。
ラティエルの八年分の記憶もあるにはあるが、星乃としての自分が、他人の体に入り込んだような気まずさでいっぱいだ。
ベッドから下りてのぞき込んだ鏡台には小さな女の子が映り、見慣れた長い黒髪が揺れる。
(……って、ぜんっぜん違うわ。前はこんなツヤツヤじゃなかった)
ストレートだった星乃の髪と違って、ふんわりとカールがかかっているし、何より瞳の色が金色だ。
くりっとした大きな瞳に、白い肌はほんのりピンク色で、見るからに健康そう。
(うらやましい……)
でもずっと見ていれば、最初からこの顔だったようにも思えるから不思議だ。
鏡台に置かれた小物入れ。窓辺に置いてある長椅子。部屋にあるものを目に入れるたびに、記憶がよみがえっていく。
(わたし、どうして寝てたのかな? まだ日も高いのに)
窓辺から外をうかがう。裸木がたくさんの新芽をつけていた。その向こう側に見えるグラウンドのような場所――修練場では、たくさんの領兵たちが剣を交えて訓練している。
(そうよね。これがいつもの日常よ)
レグルス家は代々剣術に力を注いでおり、他領からも騎士や貴族の令息が研修に訪れる。ラティエルも八歳になってからは、年の近い令息たちに混じって木剣を振っていた。
(わたしに走りまわってた記憶があるなんて、不思議……)
窓に貼りついてぼんやり眺めていると、隣の居室から数人の足音が聞こえ、荒々しくドアがひらかれた。
血相を変えて距離を詰めてくる長身の男性は、眉根を寄せていてもずいぶん整った顔立ちをしている。それにこのミルクティ色の髪は、夢で見たことがある。記憶とすり合わせているうちにギュッと抱きしめられ、何度も頭をなでられた。
「ラティエル!! 良かった! 心配したんだぞ!」
誰かに抱きしめてもらうなんて久しぶりだ。知らない美丈夫に悲鳴をあげる自分と、すなおに甘えたい自分がせめぎあう。混乱するなか、男性の瞳を見て気づく。
(この人の瞳……緑がかっているけど金色。そうだ、わたしの)
「……お父様?」
「ん? ラティエル、どこが痛い? お父様が退治してあげるよ」
領主だから忙しいはずなのに、ラティエルは愛されている。星乃の父親なんて、倒れても会いになど来なかった。
(あら……でも、おかしいわ)
レグルス家は四人家族で、父と母、そして兄がいる。一歳年上の兄は怒りんぼで、兄妹仲はあまりよろしくない。ラティエルが寝込んで、真っ先に飛んでくるのは母であるはずだ。
記憶にある母セレーネはラティエルが自慢に思うほど美しく、魔法の訓練以外はとても優しい人で……。思い出すほどに会いたくなった。
ぎゅうぎゅうに抱きしめてくる父の頬を、両手で押し返す。
「お父様痛いです! ……あの、お母様は?」
「ラティ……。覚えて、いないのか……」
愕然とする父に首をかしげていると、一緒に入って来たローブの男が父の肩に手を置いた。
「お館様。ショックな出来事があれば、人は記憶に蓋をしてしまうことがあります。ゆっくりとお話なさるのがいいでしょう」
「……そうだな。ラティエル、君は三日間も寝込んでいたんだ。何か食べて、まだ休んだほうがいい」
――三日間も?
どうしてと聞くより先に頭をわしゃわしゃとなでられ、そのまま父は部屋を出て行く。
残ったローブの男がラティエルを椅子に座らせる。彼のこともうっすらと思い出した。父より少し年上で、名前はイーサン。我が領の専属治癒師だ。いくつか問診をして、彼も帰って行った。
イーサンもアンナも、三日前のことを教えてくれない。ごねてひとつだけわかったのは、母がこの屋敷を留守にしているということだけ。
(そうだ。お兄様なら教えてくれるはず……)
なんといっても、この体は健康体なのだ。ベッドでじっとしているなんてもったいない。食後、アンナに着替えを手伝ってもらい、大人しく本を読んでいるからと言って追い出す。しばらくして、こっそりと部屋を抜け出した。
記憶を頼りに目的地へ向かう。目指すは兄――アデルの私室だ。
アデルは母譲りの潤沢な魔力と、父譲りの運動神経を兼ね備え、なんでもできてしまう。
ラティエルといえば、魔力が圧倒的に少なく、魔法を使うどころか生命を維持するのがやっと。子煩悩な両親がラティエルに構うのは必然だった。
しかし、アデルはおもしろくない。何かにつけてラティエルに突っかかる。そんな兄だからこそ、もったいぶらずに教えてくれるだろう。
私室に向かう途中、廊下の窓からアデルの姿が見えた。修練場の隅でひとり木剣を振っている。
(いたいた!)
兄は父より明るいミルクティ色の金髪に、母と同じスミレ色の瞳。ラティエルの黒髪は母譲りだ。
一階に下りて外に出る。吹きさらしの修練場は少し肌寒い。ラティエルとそんなに変わらない背中に「お兄様」と声をかければ、わずかに肩を揺らした。木剣は下ろされたが、こちらを向いてはくれない。邪魔をしたから機嫌を損ねただろうか。けど、そんなのはいつものことだ。
「ねぇ……、お母様はどうしたの? 誰も教えてくれなくて」
「……お前の、せいだ」
「え?」
こちらへ振り向いたアデルは、怒りを堪えるように拳を握り、射殺さんばかりの鋭い視線をラティエルに向けた。記憶にある兄の顔の中でも、ここまであからさまに憎悪を向けられたことはない。
「お前が足手まといだったから、母上は! お前が……、お前が殺したも同然だ!!」