とある国の、我ら陽気な番人たち
人生は舞台だ。
男も女もその役者にすぎない。
「お気に召すまま」より
1、或る女
風の夜だった。
ヒースの葉ずれの音はまるで海鳴りのよう。
噂には聞いていたが、ここまでとは。
女はフードの前を掻き合わせた。
頭を巡らせば、ロズの町のある丘が黒々とした陰影になってヒース野にのしかかっていた。
ロズの町は領主の館を中心に町が広がっていて、これが高い塀に囲まれている。
出入りできるのは四方の城門だけという昔ながらの典型的な造りだ。
もっとも、今は街の灯は一つ残らず落ち、海を照らす灯台のように燦然と街のありかを照らしているのは領主の館だ。
灯台か。
己の思考に苦笑した。
ここは内陸で湖はおろか海など存在しない。
ヒース野に囲まれたこの丘はまるで陸の孤島だ。
守りの固い城壁は断崖絶壁のようだ。
低い、犬の鳴き声。
女がゆっくりと方向を変えて声の方に向かう。
駆け寄ってきた犬は女の衣に甘えるかのように体を寄せて、ちらりと一点を振りかえる。
「さて、何を見つけた」
おとなしく数歩下がって控える犬の頭をするりと撫でその場にしゃがみこむ。
ヒースの草の合間に見えたのは足だ。
それも男の足。
泥に汚れた腹、血のしみ込んだ胸のレース飾りをたどり、悔しそうな表情を浮かべた顔まで来ると、女は舌打ちした。
見覚えのある顔だった。
「かわいそうに」
右腕が前腕より切り落されている。
月が雲間からのぞいて、ヒース野を照らす。
女は身をかがめた。
そうして煌々と輝く月明かりの下、男の瞼を下してやる。
視界が揺れているのは走っているせいだ。
振り返れば、いずれも立派な体格の男たちが背後に迫っている。
ついに追いつかれて、地面に引きずり倒される。
右のこぶしをかばって腹の下にするが、数人がかりではかなわない。
意識が遠のく中、男たちが右のこぶしを無理に開こうとする。
無理だと悟った男の一人が剣を抜いた。
白刃がひらめく、そして―
厚い雲間に月が隠れて再びヒース野に闇が訪れた。
女はうずくまったままだった。
犬が小さく鼻を鳴らす。
そっと手を伸ばしてそのすべらかな頭に触れた。
思慮に耽っていた女は思いついて、皮靴を脱がせる。
右の皮靴を調べ終わり、左の皮靴に取りかかった。
その折り返しに固いものが触れる。
小さな布袋に指輪とコイン。
冷たい二つの金属をしっかりと握りしめる。
固さを柔らかい掌に刻みつけるように。
その意思を忘れぬように。
男の足元を整え女が立ち上がる。
「行こうか」
主人の視線をたどった犬がまっすぐにロズの丘をにらむ。
低い野生の遠吠えはヒース野を渡る風にかき消された。
2 ある夫婦≪めおと≫
ロズは今まさに満開とばかりに咲き誇る花のようだった。
街中にはいくつもの大きな市が立ち、人で露地がごった返している。
余所からやってきた商人達が広げた店は、珍しい品物が手に入るとあってさらに盛況だ。
中でも華やかな界隈では、一人の若者が美しい小瓶に入ったいわくありげな水を並べて張りのある声を上げていた。
さあさ、お立会い。
さあさお立ち会い。ご用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいで。
ロズの街の娘さん、蝶よ花よと育てられ、そろいもそろって器量よし。
ここロズの花園は、王都の花もかなわない。
しかし、娘やよくお聞き。
花の命は短くて、咲いてしまえばしぼむだけ。
さて、ここに取り出しましたのは、王都はやりの水晶水・・・
向かいの酒場で殺到する娘たちを見ていた二人連れがどちらからともなく鼻で笑った。
「いい声だね。あたしまで食いつきそうになっちまったよ。ねえ、あんた」
黒い髪をさらり揺らして、不適に女がほほ笑んだ。
胡散臭い水など傍目から見る限りでは必要なさそうに映る美人である。
つまらなさそうにとなりで昼酒をあおっているたくましい男は、旅の連れらしい。
鼻筋の通った横顔は精悍でしなやか動きに隙はない。
「やめとけ、すでにある物はちっと手を加えたところで、そうそうかわりゃしねえよ」
男は容赦ない。
「お前にあんなもの必要ないって、素直に言えばいいじゃないか。あんた」
「いや、思ってないから。かけらも、そんなこと思ってないから」
流し目をくれた女を一蹴。
男は水晶水売りを眺めながら再び杯を傾けた。
水晶水は飛ぶように売れていく。
あんなにいきなり飛ばした売り方をして、あとでネタがなくなるなんてこたぁねえだろうな。
水晶売り。
一瞬、離れている両者の視線が交わる。
「いててててててて。耳ひっぱんなよ」
「聞いてないでしょ?あんたったら」
女が執念深く指に力をいれたので、ついに男が椅子を倒して立ち上がった。
「『あんた、あんた』うるせえんだよ。俺は、あんたって名前じゃねえ。ズッカだ。ルシーダ!!いい加減にしろよ」
ルシーダは動じず顎をついたまま上目使いに見上げる。
「するから、あれ買ってきていい?」
「勝手にしろ」
喜々として露店にかけていく女を見送って、ズッカは大きなため息をひとつ落とした。
これじゃ、先が思いやられる。
ルシーダと組むんじゃなかった。
酒場の亭主が近づいてくるのに気がついて残りの酒を飲み干す。
さあ、仕事だ。
「表の傭兵募集を見て、来てくれたのはあんたか。二人連れのパーティをさがしているんだ。一人ではだめだ」
「あそこにいるのが、相棒でね」
亭主が水晶水売りと、値引き交渉に入っているルシーダを見て、口笛を鳴らした。
「あれでつとまんのかい?」
すらりとした上背に細腕、細腰。
分かるぜ、おやじ。無理もない。
にやりと笑う。
「請け負いますよ。うちのかみさんは顔も腕も一流でね」
二人が通されたのは酒場の2階…おおよそよからぬ密談や密会に使われているだろう怪しげな小部屋だった。すでに、交渉相手は来ていて、指で机の表面を叩いているさまはずいぶんと待った様子だ。
背は高いようだが不健康なほど痩せていて、黒いフードをかぶっているために、一層不気味な様子を醸し出していた。
「さて、諸君らに頼みたいのは、積荷の護衛だ。積荷はロズから出て、国境で別の旅団に渡される。その数日の行程を護衛してもらいたい。帰りもまた、別の積荷を預かることになるので護衛して戻ってきてくれ。報酬は片道で金貨2枚。往復で金貨5枚だ」
「相場よりかなり出すんだな」
ズッカが口笛混じりに言うと、男が含み笑った。
「その意味をよく考えてもらいたい」
狡猾そうなまなざしをじろりと向けた男のさまを見て、ふと爬虫類が獲物を狙うさまを思い出した。そっと、音もなく忍び寄り、舌を出しながらゆっくり目線をそらさず距離を測るあのしぐさを。
「ロズと国境の区間じゃ、山賊が出るなんて聞かないけど」
「そう…だが、君たちに言ってもらうのは裏の道だ」
二人とも沈黙する。
裏の道というのは山沿いの道で、山賊や追い剥ぎが息を殺して往来を見つめている道である。そもそもが後ろ暗いところのある積み荷や人の通り道なので、訴えが出ることもないためにさらに温床と化していた。
おいおい。
ズッカはため息をついた。
「おれたちが運ぶのはそんなにやばいものなのか」
男が笑う。
「さあ、どうかな。積荷の詮索はよした方がよいと思うがな」
さて…
ズッカは隣のルシーダを見た。
ルシーダは少し笑ってうなづいた。要は、受けろということだ。
そこで、交渉役としての腕を示すべく、ズッカは陽気に言った。
「よし、分かった。その代わり、金貨は6枚もらう。他に受ける相手がいるなら別だが、こんな仕事受けるのはおれたちぐらいなもんだろうからな」
男は黙って机の上に袋を置いた。
「6枚だ」
持ち上げて音と重みを確かめる。
「たしかに」
3.