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緩衝材

作者: 嘉多野光

 例えば、好きだった人に振られたとき。いくらその前に覚悟をしていたとしても、そのときが来たら少なからずョックを受けることは間違いないないだろう。そういった予期しているか否かに拘らず、ショックを緩和できたらと思うことが私にはよくあった。多分私はHSPなんだと思う。

 過去をくよくよと気にしない、楽観的な性格になれないものかと思っていた二月の上旬、近所の大手百円ショップでうってつけのものを見つけた。心の緩衝材だ。

 見たところでは、ただの白くて細長い布のようだ。パッケージの裏面によれば、使用方法はさらしのように胸にぐるぐるとその布を巻く。布自体には勿論物理的な衝撃を受け止める機能はないが、布の中にショックとなる出来事や言葉の力を吸収する成分が練り込まれている糸を使用しているらしい。その糸が、ショックを受けてもその布がある程度心理的ショックを吸収してくれるのだそうだ。使い捨ての商品で、売られているものは白いが、吸収するとだんだん黒くなり、最終的には炭素化して粉状になるらしい。

 この布は、医用品コーナーでもなく、衣類コーナーでもなく、店の入口の季節性商品として、バレンタインデー向けのスイーツ製作用品と一緒に置かれていた。何でも、一世一代の愛の告白を心置きなくできるようにするために、百円ショップが独自に開発したらしい。恐らく、百円ショップが開発したのだから甚大なショックには耐えられないかも知れないが、私は買うことにした。


 私にはずっと好きな人がいた。塾の先生の増田先生だ。

 私は高校二年生で、先生は大学四年生。先生は、塾の先生を大学生になってからしていて、私は中学二年生からずっと先生のお世話になっていた。高校受験も先生のおかげで第一志望に合格できた。

 でも、先生はこの春でアルバイトを辞める。三月には卒業旅行に行くらしいから、このバレンタインが最後のチャンスだ。

 前回の授業の終わり、次回の授業の終わりに話したいことがあるから十時に駅前で待っていると伝えた。あとは気持ちを伝えて渡すだけだ。


 授業もそこそこに、私は塾を出て駅に向かった。暗い中でも見えるような濃いめのリップを付けて、手をさすりながら駅前で待っていると、十時過ぎに先生が走って来た。

「ごめん、遅れて」

「大丈夫です」

「それで、どうした?」

 一瞬を逃すと一生渡せそうになかったから、先生に質問されてからすぐに持っていた紙袋を差し出した。

「先生! 中学生の頃からずっと好きでした!」

 先生の顔をしばらく見れなくて、俯いたまま手を差し出していた。しかし、手に持っていた紙袋を先生が受け取ることはなかった。しびれを切らして顔を上げると、先生が「ごめんね」と言った。

「どうして? 私がまだ子どもだから? 二年経てばいいの?」

「いや、それもあるけど……」

「じゃあ何? もう春になったら、先生と生徒の関係じゃなくなるんだからいいじゃん」

「俺、結婚するんだ」

 時が止まった。心が割れる音が私の中で響いた。

「大学に入ってからすぐ付き合っている人がいて。年上なんだけど。去年から同棲してる。その人と結婚する。だからそれは受け取れない。ごめん」

 それ以上、先生の口から何も聞きたくなくて、私は改札の方へ走り出した。後方で先生が何か言っていたけど、私は止まらなかった。でも、とても電車に乗れるような顔ではなかったから、そのまま反対口に降りて、そのままさらに走った。

 すぐ息が持たなくなって、交差点で立ち止まった。

 先生にそんな前から恋人がいたなんて知らなかった。大学に入ってすぐなんて、私がまだ先生のことを好きじゃなかったときだ。

 先生はどちらかと言うと、ひょろっとなよなよしていて、恋愛など無縁だと勝手に思い込んでいた。舐めてた。先生を舐めてた自分を恥じた。それなら断られたって仕方ない。自業自得だ。

 だんだん自分が悪かったと言うことに気付いて冷静になってきた。我に返ると胸の辺りがざらざらして気持ち悪いことに気付いた。あまりにも気持ち悪かったので、角にあるコンビニのトイレに駆け込んでブラウスのボタンをいくつか外すと、胸の辺りが真っ黒になっていた。ショック回避のために巻いていた緩衝材が一気に炭化したのだ。

 シャワーを浴びたかったけど無理だし、コンビニのトイレでこれ以上脱ぐのは万が一を考えると怖かったし、できるだけ粉状になった炭を手で払った上でもう一回制服を着込んで店を出た。ブラウスも炭でかなり汚れていたけど、冬で沢山着込んでいるから汚れが外から見えないのがせめてもの救いだった。


 バレンタインデーが過ぎると、心の緩衝材はすぐに百均の棚から消えた。メーカー側は今後も売れ筋商品として売り出したかったらしいけど、クレームが多すぎて廃盤としたとのことだ。何でも、私と同じように緩衝材が一気に炭化する事故が続出したらしい。メーカー側の言い訳では、勿論色んな実験をしてあらゆるショックに耐えられる商品を作ったつもりだったらしいが、それが不十分だったとのことだ。

 それはそうだと思う。いくらテストをしたって、所詮はテストで作られる衝撃は人間が想定する域を出ないし、テストを受ける側もテストだと思っている以上、大した衝撃を受けることはないのだろう。実際の衝撃に勝るものはないのだ。

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