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薬師ヨヨと四つの試練  作者: 等々力天海
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竜の国4

 ヨヨは何事かを思い出している様子の、バンクルをただ見つめていた。遠い昔、母がこの竜と一緒に大空を飛んだのだろう。大気を切り裂く風の音。巨大な漆黒の翼が巻き起こす風の対流。大空に躊躇なく身をゆだねる母。

ヨヨは自然と目を瞑り大気の香りを胸いっぱいに吸い込みそして吐き出す。数多くの病気と対峙しその治療法を確立してきた偉大な薬師マゼル。その膨大な知識と技術の全てを受け継いだヨヨには見えていた。かつて母と若き竜の王が天空を駆けたその日の出来事が。

今ヨヨは確信した。マゼルの仮説の正しさと、その方法を百八十年も前に母が気付いていたことを。ダーク・クラビティヌスの最終宿主は、黒き竜の王、人間の世界ではヒュプノス・ドラゴンとして知られている、重力を操る恐るべき竜である事を。もし全ての課題を解き明かし、キンクスレイの師匠の元へ帰ることが出来たなら、ヒデヨの村のあの谷へ行こう。カピルが岩塩を舐めに来るあの地層。おそらくそこには、遥か太古にあの谷で死んだ、巨大な竜王の化石が残っているはずである。その日ダーク・クラビティヌスの生態は完全に解明され、卵から竜の体内での完全体までの壮大な生態環が完成するはずなのだ。

 バンクルは天空に向かって一声、大きな雄叫びを上げた。すると、ヨヨがここで目覚めた、あの夜のように、全ての竜が天空に向かって、透き通った声で調和の取れた咆哮を上げた。その声の中、バルラは緊張した面持ちで、聖なる守護の樹へと歩み寄った。聖樹ペルロディアンテは、そよぐ風に葉を揺らし、バルラを迎えている。バルラは大きく聖樹を仰ぎ見、そしてその木肌を滴り落ちる甘い香りの樹液に唇を寄せた。全ての竜は沈黙してそれを見守った。ヨヨもまた、胸の鼓動が激しく波打つのを感じながら、バルラを見ていた。バンクルは我が子の姿を見ながら、自らもこの儀式を経た遠い日の夜の事を思い出していた。やがてバルラは、樹から唇を離す。ふらふらと聖樹から後ずさりしたバルラは、うつろな目をゆっくりと閉じ、長い首を夜空に向け伸ばしてゆく。しばらくそのままの姿勢で、動きを止めていたバルラは、突然その目を大きく見開き、甲高い雄叫びを発した。

一瞬、ヨヨはバルラの身体から、光が発したように感じた。その光はバルラの身体全体から、稲妻の閃光のようにほとばしったかと思うと、次の瞬間には消えていた。

しかしそれは次に起る事態への、前触れに過ぎなかった。バルラは大きく天を仰ぎ見る姿勢のまま、身体全体を小さく震わせ始めた。するとバルラの身体のいたるところに大きなこぶが隆起し始め、身体を蓋う震えは次第に大きくなってゆく。


「バルちゃん……」


 思わずヨヨは小さくバルラに呼びかける。突然バルラは凄まじいまでの咆哮を上げる。それは森を蓋う空気を共鳴させ、広大なシェンティの森に響き渡ってゆく。バルラの背中が異様に隆起したかと思うと、バルラの幼かった翼が、急激に大きくなってゆく。あらゆる筋肉が太さを増してゆき、手足も見る見るうちに太さを増し伸びてゆく。指の先の爪は鋭く尖り始め、手の平は大きく押し広げられ、見るからに恐ろしげな、ドラゴンのそれに変貌してゆく。そこには既に、幼く丸っこい幼体としてのバルラの姿はなく、天空に吼え声を上げ続けている、巨大な黒いドラゴンがいるだけだった。

 バルラは全身を汗のような液体で濡らしていて、そこかしこから水蒸気が白く立ち上っていた。バルラは上空を見上げたまま動きを止めていたが、やがてゆっくりと首を下ろし、疲れ果てた様子でその場に寝そべってしまった。


「バルちゃん!」


 ヨヨは倒れ込んだバルラの側に走りより、急いで全身を調べ始めた。同時にヨヨは心の中で考えていた。この樹の樹液にはいったい何が含まれているのだろうか。

 ドラゴンの身体をここまで急激に成長させてしまうものとは、いったいどんな成分なのだろう。だいいち、ドラゴンを成長させる事によって、いったいどんなメリットがこの樹にあるというのだろう。おそらくこの世界にはもう、ほとんど残っていないこの二種類の生き物は、太古より繰り返してきた共生の営みを、種の終わりが来るその日まで繰り返してゆくのだろう。ヨヨはそう思うと、大自然の定めた理の中で、まるで荒れ狂う大海原に取り残された小さな木の枝のような自分の存在が、さらにちっぽけに感じられてくるのであった。そうしてバルラの身体を、念入りに点検していたヨヨは、ある異変に気が付き、顔色を変えた。


「バ、バンクル王、来て下さいのし!」


ヨヨの声が慌てている事を見て取ると、バンクルは低くうなり声を上げながら、我が子バルラのもとへと歩み寄った。急激な成長のための疲労で横たわるバルラを、ヨヨとバンクルは驚きの顔で見下ろしていた。


『こ、これはいったいどういうことだ、バルラの背中が……』


バンクルのうめくような声が、ヨヨの頭の中に響く。ヨヨはバルラの背中に手をやって、隆起した背筋を確かめていく。


「右の翼を支える筋肉が……、明らかに細いずら………」


バルラの背中の筋肉は、ひと目見て分かるほど、左右がアンバランスになっていた。身体全体は幼態の時より何倍もの大きさに成長を果たしていた。全ての筋肉は隆起し、鱗は厚さを増し、翼は強大になりその巨体を天空へと運ぶに充分な強さを備えているように見える。しかし、背中の筋肉は、右側の翼の付け根から右背面を蓋うはずの筋肉が、左のそれに比べ明らかに貧弱なままであった。


『な、なんということだ、これではバルラは羽ばたく事が出来ないではないか』


バンクルはうめき声を上げた。


「なにかがバルちゃんの成長を阻害したずら、今までにこんな事は多かったのしか?」


 ヨヨがバルラの身体を触りながら、他に異常な箇所がないか調べながら言った。


『確かに今までもたびたび異常な変態をした固体はいた。ただしそれらはみな、五大精霊との契約をしたドラゴンたちばかりで、やがてそれぞれの生息域へと去った後で回復してはいる。だが、我が王の血族に連なるエンペラリウス・グラビテでは、初めての症例だ』


 バンクルは意識を失い倒れたままの我が子を、悲しみに細めた目で見下ろしていた。

 周りを囲んだ様々なドラゴンも、何か重大なことが起きた事を察したのか、ざわつき出した。聖なる樹ペルロディアンテ囲んだ竜たちのざわつく声が、月夜の聖地を包んでいった。


「おそらくはなにかの疾病が、気付かぬうちにバルちゃんを侵していたのし。それはほんの些細なものなので、普段は気付かないようなものずら。しかし、急激な成長を促す、ペルロディアンテの樹液成分を、身体の隅々に行き渡らせるのを阻害したのし」


 ヨヨの説明を聞きながら、バンクルは一言ヨヨに尋ねた。


『空を飛べるようになるか』

「今までも、沢山の竜が、同じ症状から回復してきているのなら、バルちゃんもきっと大丈夫ずら。リハビリをすればきっと飛べるようになるのし」

『……………』


 バンクル王は、その先の言葉を喉の奥に飲み込んだ。バルラが回復せず、大空を飛ぶことが出来なくなれば、それはすなわちこの少女の命がなくなる事を意味することを。


「本当にしょうがない子ずら、まったく……………」

 

 真実を知ればたちまちバンクル王は怒り狂い、この子を踏み潰してしまうだろうと、ヨヨは判断し、ただ数度右肩に担いだ鞄を軽く叩くだけにとどめた。その言葉はバルラにではなく、バルラの全身を麻痺させていた、ガラス瓶の中のあの真っ赤なダニに向けたものだった。

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