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聞こえぬ耳に響く風鈴の音

作者: 山目 広介
掲載日:2020/03/07

――リンリーン

――チリリーン


「突発性難聴ですね」


 そう医者は答えた。


 耳鳴りが酷く、病院へ訪れたときのことだ。

 それから治療としてステロイド剤の点滴を一週間したが効果は出ず、さらに週二回、計八回の鼓室――鼓膜の内側――にホッチキスという名の器具にて不慣れな痛みのある、直接薬剤を注入もしたのだが、やはり結果は芳しいものではなかった。

 検査では現在、左の耳の聴力は全くない。しかし他の人はどうかは分からないが右耳からの音なのか顎や頭蓋骨へ響いた骨伝導なのか不明だが大きな声などが遅れて聞こえたりする。ただし酷いノイズ混じりで聞けたものではないのだが。あと大きな音が消えた瞬間に弦を弾いたようなビンという音が左の耳の中で聞こえたりもする。治療中に耳鳴りが弱くなって普段はホワイトノイズのような小さい物で気にはならなくなったが、静かな場所だと耳鳴りの音がちょっと煩くもある。

 実は言われるまで左が全く聞こえていないということに気付いていなかった。上記のように耳鳴りとかで左に音が聞こえたからだ。だが、そう言われてから左耳を手で押さえると音の聞こえ方に変化がない。左が全く聞こえてないために、外からの音を右耳でだけで聞いているということだ。


 この難聴で困ったことは4つほどだろうか。

 まずは方向不明。まあ位置を知っているならどこからの音か想像はできるのだが片耳でしか聞き取れないからなのか実際にはどこからの音か分からないのだ。

 次いで死角。私の場合は左から話し掛けて来られても聞き取り難くて――右で聞いているから――突然人が近づいていてびっくりしてしまうことがある。足音とかを聞き逃しているのだ。また聞こえる右耳を下にして寝ると目覚ましが聞こえなかったりした。その後は気を付けてはいるけど寝ている間のことはなかなか制御できない。

 さらには聴きたい音が聞こえない。これはどう言えば良いのだろうか。ノイズをシャットアウトできない、とでも言えば分かるのだろうか。人と話していても周りの雑音が大きくて聞き逃すことが多くなったのだ。「もう一度言って」と何度言ったことか。音自体が聞こえないわけではないのに言葉などの必要な音をうまく抽出できないのだ。両耳だからこそ音の周波数をそれぞれ区別して抽出していたのかもしれない。

 最後は耳鳴り。耳を塞いでも煩いときに防ぐことができないのだ。耳の中で音が鳴っているのだから。だからそれに反応すると傍から見ると挙動不審に見えなくもないだろう。他の人には聞こえないので仕方がない。

 どれもこれも一見して問題があるようには見えないために普通に扱われるのだが、その所為で苦労する。





――リリリーン


 そして聞こえない耳の中で、鈴、いや、風鈴のような音が聞こえるようになったのだ。耳鳴りの一種だろう。

 ある夜、気晴らしに散歩していると、またその風鈴の()が聞こえた。しかも歩いていると段々とその音が大きくなっているように聞こえる。それがちょっとした好奇心になって音が大きくなる、音源へ辿り着いてみたくなった。片耳が聞こえなくなって少し鬱になっていたのかもしれない。後になってから考えてみると、そのことから視線を逸らそうと思っていたらしい。


――リーンリーン


 耳鳴りならば頭の中だけで聞こえているのだから、その立ち位置には関係がないはずだった。

 しかし、戻ったりしながら歩いていると確かに大きく聞こえる方角があるのだ。

 音源を探して彷徨していると、ふと白い影が横切るのを目撃した。

 そこは近所の墓場への入り口のような細い道だった。切れかけの街灯が点滅している。そこから聞こえてくる気がした。

 そこへと足を踏み入れようとしたとき、ぶるりと身体が震えた。寒気を覚えたのだ。

 今の季節は冬だ。肝試しで涼を得る必要はない、気温。

 また後日しっかりと防寒対策をしてからにしようと、その日は帰ることにした。




――チリリーン


 ネットにも近所に怪談のような物は見つからなかった。

 あの後、雨や雪など天候が崩れていて外出が面倒臭いために探索を取りやめて、その代わりに情報を探していたのだ。

 そして延び延びになった風鈴の音の探索にまた今日出かける。防寒は対策済みだ。

 外に出ると天高くに満月が輝いている。オリオン座も見えていた。しかし赤い星が見えない。記憶違いだったのだろうか。星座に詳しくないし、どうでも良いのだが。

 とりあえず以前の墓場まで行くことにする。

 墓場の周囲を歩き、確かに墓場の方角が音源になっていると判断し、その入り口へと足を向けた。

 明るかった足場が闇に染まる。上を見上げるといつの間にか雲が月にかかっていた。この前、点滅していた街灯も切れている。明りとなる物を持ってこなかったことに後悔するも、足場が見えなくても問題ないだろうとそのまま墓地へと足を踏み入れた。


『――――』


――バリッ


 左耳が聞こえないことを忘れていた。小動物が襲ってることなど日常ではほとんどない。咄嗟に顔を左手で庇うも手の甲を引っかかれてしまう。雲の切れ間から覗いた月影によりそれが黒猫だと分かった。ある程度離れてからこちらを振り返って緑色に光る二つの双眸が暫くはこちらを睨んでいたが、そのまま去っていく。


「いたたた」


 指を曲げると傷が開くのか痛みが走る。思ったよりも傷が深いのか、血が垂れてきた。ティッシュがあれば良かったのに持ち合わせがなく、仕方なしにハンカチで手を押さえながら目的の墓場へと足を向ける。

 怪我をしたからと言って、戻る気がなかったのだ。


 そこには白い影が佇立していた。墓石に月光が届いているのかと思ったのだが、空を見上げるともう月は隠れていて見えない。南の空は地上にある都会の光が照り返されているのか、妙に明るい。しかしここは北には山がある山麓近くの住宅街だ。田舎だからか夜に出歩く人もなく、夜遅くまで起きているようなもの好きもいない闇に閉ざされているような土地。月明かりがなく、街灯も切れているので暗く、何かを照らすようなものもない。なのに白い影が見えるのだ。それはいったい何なのか。知的好奇心が刺激される。その白い影へと歩を踏み出す。


――コツ、カッ


 自身の足音が響く。耳鳴りの音がもはや風鈴とは思えないほどにリンリンと鳴り、あの白い影が音源、またはその近くだと訴えてくる。


――ゴクリッ


 いつの間にか咽喉が渇き、唾を飲み込む音が嫌に大きく聞こえる。


――リンリンリンリンリン


 けたたましく鳴り響く耳鳴りに困惑しながらも、あと一歩と言うところまで辿り着く。

 しかし脚から急に力が抜け、片膝を衝く。

 思っていたより出血が酷く、身体が寒い。

 左手が腫れあがり、そこだけが唯一熱を持っているように思えた。

 寒くて心細くて、怖い。左手の怪我が灯のように温かく、拠り所に感じる。

 左手を抱え込んで、蹲るように意識が暗転した。






「おい、あんた大丈夫かね」


 揺さぶられて気付く。右側を下にしていたのでその声が聞こえていなかったのだ。

 それは朝の散歩をしていた老夫婦だった。

 墓参りを兼ねているために発見してくれたようだ。

 手を怪我して痛くて蹲っていたことにした。

 そしてお礼を言い、そそくさと家へと帰る。

 あんなところで夜を明かしたのを見られたために恥ずかしかったのだ。


 途中、振り返って墓場の墓石を見たのだが、そもそも蹲っていた場所の前には何もなかった。

 あの白い影がなんだったのか。思い出すと背筋に虫唾が走る。気味の悪さだけが付き纏う。夜が明けたからか、あれほど脅えていたのに怖くはない。でも震える。これは心ではなく身体が恐怖を覚えているという感覚なのだろうか。




 それから玄関に猫の餌を置くようにしている。

 外に置くと野良猫が来るから止めてと苦情が来たからだ。

 黒猫がやって来て餌を食べる。そのとき撫でるも引っかいたりはしない。

 その黒猫があのときの黒猫なのかは不明だ。しかしなんとなく同じではないかと思っている。

 首輪をしているため、どこかの飼い猫なのだろう。

 これはお礼だ。怪我させられたのにお礼はおかしいだろうか。でもあれが良くないもので止めようとしてくれていたのだとしたら……


――リンリーン


 街中でも風鈴の音が聞こえる。明確な方角を示して。

 しかし今は耳鳴りが響いてもそこへと目を向けたりはしない。窓ガラスや鏡などに白い影が映っても無視している。

 身体が震えるから。たぶん恐怖しているのだ。

 耳鳴りが聞こえた場所に事故が発生し、死者が出てたりする。

 しかしあの墓場にはそういう話は聞かない。

 だからこそ、あのまま足をあと一歩出していたらと思うと自分がその死者になった可能性も……

 考えても仕方がないこともあるのだろう。

 黒猫は、かわいいなぁ。




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