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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

自殺未遂で全身不随の勇者を介護して、私は絶対成り上がる!! 味方は病弱なサキュバスが一人ッ!!

作者: 元カノ

またあのときの夢だ。

タネは既に明けている、誰も責めていないのに抱えたままの後悔だ。


あの時の再現、あの時の感情。

過ぎ去った今だからこそ、それは私に噛み締めさせていく。


当時は恐怖すらも味わわ無かった癖に。


冷静に自虐を評していることから、夢は既に幕引きで目は覚めている事がわかった。


薄いシーツのような毛布を放ると私は上半身を起こした。


乾いた清廉さだけが長所の、まだまだ冷える冬の朝が頬を撫でる。


「勇者様、おはようございます。」


投げ掛ける挨拶にそいつは言葉を返すことはない。

せいぜい二日に一回呻くだけだ。


非力な私が居なくては動くことすらままならないそいつは、じっと木製の椅子に腰かけていた。


「朝ごはん...用意しますね。」


素足に床冷えの寒さが鮮烈に襲う。

これで目が覚める、と思えば苦痛でも何でもない。


開けた冷蔵庫は、部屋の雰囲気に沿わないほど最新式で、内容量ほどの労働に向いていない。


「ロールパンは二切れか。ま、一人分を半分とちょっとにすれば行けるわね。」


市場に買い出しに行かなくては、と危惧しつつもその思考は霧散する。




朝食を用意して食卓に並べる。

勿論、同室者は座ったままだ。


無造作にちぎられたロールパンをヒビの入った皿に並べ、薄い紅茶を横に置いた。


「頂きます。」


こういうのをなんて言うんだったかな、と思案してすぐに清貧という言葉が浮かんだ。


二、三日程度なら悪くない、修行僧がこのような環境に身を置くのもわかる気がする。


最も、貧しさをいつでも棄却出来るという前提があっての話だが。


自分の朝食を済ませた後、未だに座ったままの人形に近寄る。


「はあ...こんなん一人でやる仕事じゃないでしょ。」


全体重をかけて、ベッドの隅に追いやった椅子を食卓の方に進める。


時計の中針が明確に移動したとわかる時間をかけて、行動の第一段階を終えた。


「はあ...はあ...。」


荒い呼吸を整える。

運動のお陰で私の身体はポカポカと暖まっていた。


「勇者様、口をお開け下さい。」


誰のための礼節かもわからないまま、少女はロールパンを運ぶ。


表情筋が動かないのか寒いのか、一向に”勇者様”は口を開けない。


軋む天井を仰ぎ、目を閉じる。


「主よ、どうかお許し下さい。」


少女は椅子に座った木偶の坊の鼻腔と口をナプキンで塞ぐ。


一切もがく苦しむこと無く人形はその状況を受け入れる。

少しの時間が経った後、少女はナプキンを外した。


「ふあっ。」


かつて勇者様、などと持て囃された青年とは思えないほどの情けない声を出すと、そいつは口を開いた。


少女はその隙を逃がさず指をかけて顎を開かせ、さらに細かくちぎったロールパンを突っ込む。


今度は逆に、顎に手のひらを置き口を閉じさせる。


開閉を何度か繰り返した後、勇者の首を上に向かせて舌先を引っ張る。


唾液の混じった咀嚼物を舌根に押し込み、冷めた紅茶を少量流し込んで一回目の動作が終わった。


後はこれを五セット程行わなくてはならない。


指で押し込む際は毎回の様に、死んだらどうしよう、という恐れに包まれるが、勇者は毎回その死の淵を渡り切るのだ。


「まあ...この程度で死んでたら、こんな事にはなって無かったものね。」


もはや身体が覚え込んでしまった動作を指先に委ね、少女は過去に思いを馳せる。




目の前の木偶の坊は、こうみえて昔は”世界を救う勇者”と担ぎ上げ垂れたのだ。


ちょうど雪解けが始まり、春の到来を予感させる日だったとおもう。


若干16歳の青年が、様々な危機に瀕した王国の資源を以て別の世界から召喚された。


神話上の逸話通り、その青年は驚くべき力と私達が至っていない知識を持ち合わせていた。


王国もそれはそれは歓迎したし、民衆は彼の旅路を祈りながらも成功の確信があった様に思う。


城で働く女性は、彼からの寵愛を少しでも受けようと真夜中に部屋を訪れていた。


私もその一人だった。

当然だ、こいつに好意を寄せられれば城での地位が上がるし、そこから先の展望だってあり得るのだから。


そいつが召喚されて二週間は祭りのようだった。

誰もが自分にだらしなくなって、誰もが夢見心地で日常を過ごしていた。


元普通の青年の勇者も例外じゃない。


食事に住居、装備に欲望。

人が一生に得るそれを遥かに上回る量をたった一瞬で与えられたのだ。


王国にとっては当然の行いだった、が最大の過ちでもあった。


王国全体が召喚成功に落ち着き始め、いざ旅の始まりだ、という早朝にそれは起きた。


そしてこの日の昨晩、私が偶然にも彼と一夜を共にするという機会を得た事が運命を決する出来事となった。


情愛の残滓と甘い疲れで目を覚ますと隣に勇者は居なかった。


驚いて身体を起こしあげると、机に残された一枚の薄っぺらい紙と、ドアノブで首を括った人形が視界に写った。




城が混乱に包まれるのは一時間もかからなかった。


冷静さを欠いた私は彼の安否を最優先事項に置いて行動してしまった。

シーツだけを纏った私の通報によって、この事態は明るみとなる。


勇者の死亡という未聞の事態。


当初は外部の者による殺害だと見られていた、何せ彼が自殺に飛び込む動機が見当たらなかったからだ。


だが、すぐにそれは断定された。

机の上の紙は遺書だとわかり、彼の筆跡と一致したのだ。


そして、王国が起こしてしまった罪の深さが明らかとなる。


何でも、彼は実は元の世界で死のうとしていたようだ。

だが何の偶然か、意識を失ったと思えば見たことの無い世界に来ていた。


最後に見せる夢景色だ、と考えた彼は周りが為すままにそう快楽を享受することに決めた。


自分の一挙主一投足に反応する私達を、随分と面白がっていたようだ。


だが、現実であるのだからそんな物が続くはずもなく。


夢だと思っていたがどうやらこの世界は現実で、なぜか自分は世界を救う旅に出なくてはならない。


周りは絶対成功する、などと無責任な祈りを押し付けるが自分ではそう思わない。


本当はそんな旅をしたくない、でも歓楽に溺れてはいたい。


そんな二律背反の事象に狭まれた彼は、旅路の前日にもう一度死ぬことを決めた。


最後に私との夢を見た後、彼はついに決行したようだった。


王国の罪とは、こんな情けない一人の男の正体を誰一人見破る事なく持ち上げてしまった事だ。


そして、そいつは最後まで情けないままだった。


城の救護班が必死にこいつの命を繋ぎ止めたという功績がすぐに広まった。


誰もが淡い期待を寄せるなか、事実は簡単に裏切っていく。

勿論悪い意味で。


救護班によれば数時間も首を吊っていたが、彼の胆力によって息を吹き替えしたというのだ。


しかし王様の元に出された勇者は生存に全ての力を費やしたのか、もはや勇者では無かった。


動かず話さず、車椅子にのせられた勇者は誰への反応も示さない。


救護班の代表は、彼の奇跡を語る一方でこうも続けた。


『長時間、それも並みの人間であれば絶対に耐えられぬ時間を極度の酸素不足で過ごした事で』


『脳をはじめとしてあらゆる機関で酸素欠乏症が起きた。』


『救護班の尽力と彼の能力で、一先ず生存における身体機能は取り戻せたが。』


『低酸素脳症によって不可逆的なダメージを追った脳機能には手を尽くせず。』


『彼は言語機能の障害を始めとして、首より下が動かない...全身不随に陥ってしまった。』


王国の落胆は誰にとっても明瞭だった。


極楽への蜘蛛の糸を切られた城は、民衆が納得するための責任者を作りだす方針に転換する。


残念ながら、すぐにそれは明らかとなってしまう。


馬鹿だと言うかなんと言うか、よせば良いのに元勇者は遺書の最後に夜半を伴にした人物を、彼を殺害した嫌疑から外すために書いていた。


結局、私の通報と彼の遺言が相乗し、私は事の顛末をつける役目を負った。


その贖罪の方法は、彼の寄り添い人として召喚した本来の目的を達成する事だ。


内心この件に負い目を感じていた私にとって、最良の落とし処だったとも言えなくもない。


彼の心を読み解ける力があれば彼をこんな姿にする事は無かったのに、と悔やみ続けてしまうのは致し方無い事柄だ。




最後の一切れを飲み込ませ、残った紅茶を続けて流し込む。

食事が始まってから時間はかなり経っていた。


もう一人分の紅茶の湯気は既に無い。


自身と勇者の食器を下げると同時に、決して客人が訪ねることの無い扉が開く。


「ケホッケホッ...ただいま、今日も収穫があるわよ。」


食料が入った籠を引っ提げた淫魔の姿がそこにあった。


「今日も冷え込むわ。こんなに寒いと客が逃げるちゃうわ。」


「あ、じゃあ、紅茶淹れ直すね。」


「うん、お願い。」


生地の薄いコートを、勇者の座る椅子にかけて彼女は結いだ紙を下ろした。


「ケホッ...ただいま、勇者様。今日も元気そうね。」


ずっと前から風邪気味の彼女が、私達の稼ぎ頭だ。

彼女が居なければ私達二人はとっくに心中でも遂げているだろう。


彼女は肌面積の多い仕事着からベットに無造作に置かれた身のこなしが軽そうな服装に替えていく。


「そういえば...ケホッ、聞いた?」


「何を?」


紅茶葉をお湯に浸けて薫りを濾す。

労働を終えた彼女には薄い方を出すわけにはいかない。


「西の方の勇者様、とうとう魔王のお膝元まで行ったそうよ。」


「じゃあ、これでウチ...南以外は到達したんだ。」


「世界平和もそろそろかもね~。」


私達が使い物にならないと知った王国は、再び別世界の力に頼る事にした。


そして、今度は地雷を踏まぬように三人召喚することに決めた。


当たり馬券が欲しいのならもっと召喚すれば良いのに、と思うが城の資源では三人が限界だった。


ただ、その全員が当たりだったのだから結果的にはよかったのだろう。


王国は便宜上四方の勇者として召喚した人間を持ち上げた。

前回の反省もあって、民衆もそれほど喜ぶことはなかった。


そしてつい先日、西と東と北からそれぞれ旅を始めたそうだ。


別々に旅を始めさせた理由は、勇者同士を結びつけさせて反旗を翻させない為などと言った陰謀論が飛び交ったが定かではない。


「私達も...」


「何か言った?」


「いや、何でもない。」


南の方面を担う私達が戦力として見られて居ないことは確かだった。


そんな風評は癪だが、甘んじて受け入れるしか無い。

そして、その境遇に焦っていないと言えば嘘になる。


「じゃあ、行って見ちゃう?魔王様の所...ケホッ。」


「聞こえてたんじゃん。」


しかし一歩踏み出す事は出来なかった。


自分の想像は、自分が思っているよりも強い力を持っていると最近気付いた。


「紅茶置いとくね。」


「ありがとう...ゴホッ。」


同室するサキュバスの症状は悪化の一途を辿る。

せめて、彼女の負担を少しでも減らせれば良いのだが。


「ちょっと市場に行ってくる。何か欲しい物ある?」


「ううん。大丈夫、昨日お客さんに食べさせてゴホッ...もらったから。」


「わかった。あ、薬はその棚の引き出しに入ってるから。」


「ありがとう、それ飲んだらちょっと休むわね。」


勇者を抱き抱えて車椅子に乗せ、私は顔色の悪いサキュバスを置いて外に出た。






出て数十分。

人がまばらな時間帯を狙ったにも関わらず、私達は矢面に立たされた。


「この怠け者!!私達の税金で召喚したってのに!この死に損ない!」


よくもまあ常備しているものだと関心する。

翌朝産まれた物だろうか、幾つかの鶏卵が私の装飾を黄色く染めた。


「な、なんだいその顔は!!睨み付けるんじゃないよ!言いたい事があるなら言いな!」


食料を無駄撃ちする癖に税金がなんだ、と言う程の元気があって羨ましいと思ったのだ。


負の感情など一切無かったのに、それを向けられたの錯誤すると言う事は自分の心に幾分かの罪の意識があるのだろう。


それを私にではなく、卵を産んだ鶏に向けてくれれば多少私の境遇はよくなるのだが。


「いえ、何も。」


少しの合間を以て会話を終えた。





「パンが安い。...この量なら一週間は過ごせる。」


「これ一つください。」


「毎度あり。」


いくつかの露店の商人から食料を買い込み、私は薬屋の方に足を向ける。


治す為ではなく鎮める為の薬を買いに。


使用者は私じゃないし無論、勇者様でもない...と言うかあいつは病気を患うリスクなど一切ないし、痛覚すら感じない。


残ったのはサキュバス、彼女は魔物でありながらも実に人間くさい病に臥している。


その名もエイズ。

最初に聞いた時は馬鹿にしているのかと思ったが、寝食を共にするうちにどうやら嘘ではないと知った。


そもそも体構造の違うサキュバスが、なぜそのウイルスに身を啄まれているのかを考えたものの、専門家でもない私には哲学に近しい難問だった。


彼女曰く、『家系が元々人間に近いし、私はほぼ人間と暮らしているから...あと毎晩...ね?』


サキュバスが挙げた三つの原因の内、私は三番目が最も有力だと思うが、結論は定かではない。


確かなのは、エイズ症状に似た病などの甘い物ではなく生粋のエイズを彼女は身に宿していると言うことだ。


「すみません、風邪薬を一つ。あと、頭痛薬を。」


財産と身分の問題から医者の元に行けない彼女の心もとない味方は、有効かどうかすらわからない安物の錠剤だった。


無言で薬を差し出す主人に感謝の言葉を述べて、必要な金銭を渡す。


その時数人の若者が大声で話ながら私の横をすれ違う。

無遠慮に幅を取って歩いていた者の一人が、私の肩にぶつかる。


落とした小銭と共に、私は声を漏らしてしまった。


「あっ。」


「おっ!?なんだテメエ!!ドス効かせてんじゃねえぞ!」


反応が早い、食い気味にガラの悪い若者は声を荒げる。

ドスを効かせる眼光は自身に宿っていないと信じたい。


「何でもありません。」


「ああっ!?何でもない、じゃねえんだよ!!ああイッテェ!鎖骨とC3~C14が折れたわ!!」


お前それ歯科医の用語じゃねえか、もっと骨の引き出し無かったのかよ。


「申し訳ございません。」


「あ、もうキレたわ。何その冷めた態度、おい。」


阿吽の呼吸とでも言うのか、取り巻きの若者は食料を詰めた籠を奪った。

薬を入れた袋が盗られなかっただけマシだった。


「返して下さい、お願いします。」


出来るだけ彼らを刺激せぬように、ゆっくりと落ち着いて言を発する。

彼らに絡まれた時点で、そんな努力は無意味だと悟っていたがやらない訳には行かなかった。


「じゃあ土下座しろよ。」


屈服の表現で済むのなら御の字だ。

私はすぐに膝を折る。


だが、それが不味かった。

素直に彼らの言うままになった事が気にくわないのか、彼らはもう一つ要求を付け足した。


「何服来てるんだよ。その制服来ながら謝罪させたら、俺が城を謝らせたみたいじゃん。」


「俺はお前個人に謝らせたいの、服を脱げ。」


この一つの寒空の下に一緒にいる者とは思えない命令だった。

しかしこの場を納めるにはそれしか無いように思えた。


「...かしこまりました。」


私は制服の紐をほどいた。




「こいつマジかよ!!よくこんな寒い中で真っ裸でいられんな!!」


「それも市場でだ、人間として尊厳とか無いんじゃね!!」


好き勝手笑わせれば良い。

体の芯が冷え込むよりも早く、彼らを立ち去らせれば私の勝ちだ。


「申し訳...ございませんでした。」


呂律が回らない。

そのお陰で思考巡らない事は利点だった。


自分の現状に踏み込んでしまえば、泣いてしまうかもしれないから。


「ああ、じゃあ良いよ。今回だけな。」


一頻り笑った後に若者は籠を私の前に放り投げた。


「ありがとうございます。」


「まだ立てって言って無いだろ!!」


ゴツゴツとした鍛えられた拳が、一瞬躊躇して痩せこけた私の胸部を押し込まれる。

ろくな筋肉などついてないために純然たる激痛が体の内部を襲う。


苦悶に歪めた表情で倒れた私が面白かったのか、彼らは一際大きく下品な笑いを挙げた後にどこかに去っていった。


いつから私は人間のストレスの掃き溜めとなったのだろう。

痛みが引くまで立ち上がれず、私は寒空を仰ぐ。


「勇者様...いえ、何でもありません。」


あいつらを殺そうと思ったが、私情で勇者の品格を下げてはならない、と言い聞かせてやめた。


私は好奇の視線に触れながら、脱ぎ捨てた制服を身に纏う。

最後の誇りをドブに流さない為に。





「ただいま。....って、寝てるんだった。」


時刻は昼過ぎ、健康的な人間の生活と真逆の時間を過ごす彼女は夢の世界に落ちていた。


外に出れば蔑まれ、病持ちのサキュバスと不随の勇者と共に旅をする事は、やはり不可能な様に思う。


明日の食料にすら危機を感じているのだ。

そんな物に身を浸かれば道半ばで頓挫する事は目に見えている。


だからと言ってサキュバスと勇者を仲間に、これを燻らせるのもどうかと思う。


危機を感じても踏み出すべきなのかどうなのか。

しかし、結局私はこの留まった状況に身を置く事に決めるのだ。


もう何度、同じ思案を張り巡らせたのかわからない。

もう何回、同じ答えに行き着いたのかわからない。


暇潰しに留まる将来の不安を抱いていると、勇者から異様な匂いが発せれていることに気がついた。


「あ、もうこんな時間か。勇者様、お召し物を替えさせていただきます。」


勇者を担ぎ上げて、サキュバスのとは別のベッドに寝かせる。

下半身の着物を下ろし生理現象の痕跡を濡れたタオルで拭いていく。


新しい布製の下着を着けさせて一連の動作は終わった。

彼を動かさない分、自身を取り巻く問題に目を瞑れば楽な部類だ。


そのまま彼を寝かせると、あの時間が来ることを恐れなければならない。


先程の遊ぶ半分思案ではなく、もっと深い思慮が私を覆う。




私は、城下町で店を営む商人と中流貴族との間の一人娘だった。

紆余曲折あって父母は別れ、私は箱入り娘の母に育て立てる事になった。


そして母は周りの反対を押しきり、勘当を下された上での婚姻だったので私は母との二人暮らしを余儀なくされた。


幸運にも母の性根が良くも悪くも善に傾いていたので、悪辣で過激な性格を宿すことは無かった。


代わりに得たものは、母の私への努力を知ってしまった為に、母への恩返しに基づいた成り上がり根性だった。


それは今でも変わらないし、勇者の一件を背負った事でより強くなったと思える。


こんな所で負ける訳にはいかない、絶対勝たなくてはならない。


敵が誰かも、居るのかもわからないまま私は勝利への意志を持ち続けている。


私はいつか...彼らと共に大成の夢を掴まなければならないのだ。


頭のなかで現実を俯瞰していると誰かに肩を叩かれた。


「また難しい顔してるわよ? どうしたの?」


目を覚ましたサキュバスだった。


「はあ...今朝の事でちょっとね。」


「西の勇者の事?」


彼女は私の前に座る。

自分で家系が人間に近い、と言っていたように彼女は魔物っぽさを深く感じさせない。


「うん...。やっぱり、私達も行くべきなのかなって。」


「まあ、富と名声が欲しいのなら向かうべきね。筋道が明確なのだし。」


「元に勇者ではなくとも腕っぷしに自身がある者らは、魔王をこの手で倒さん! って行ってるらしいし。」


ケラケラと笑いながら彼女は言った。


「まあでもさ、こんな状況に陥ったなら普通は誰だって焦るものよ? 重い病を患ったら悲しむ様にね。」


当然の帰結ではあるのだろう。

朗らかな笑みを浮かべる彼女が言うと説得力など感じられないが。


「不安?」


優しく彼女は問いかける。

これは慈悲であり、私をたぶらかそうという意志は一切無いように思う。


「ええ...不安よ。自分がこのまま終わるんじゃないかって、貴方たちを率いれたのに、何も為せないのが怖いのよ。」


「何も為していない事はないわ。私はあなたの優秀な判断のお陰で、最新を得る職についているんだから。」


「でも、貴方はそのせいで...。」


「この事にまで引け目を感じる必要はないわ。もっとも彼の件にもだけど。」


「大丈夫、きっと大丈夫よ。時間が過ぎれば貴方を取り巻く悩みは消える。」


「顔を上げて? 私は地面に俯かせる為に貴方に尽力する訳じゃない、貴方に大空を見上げさせる為に居るの。」


彼女と出会った時の事を思い出す。


蒸し暑い夏の夜。

喧騒が過ぎ去り静寂が糸を引く路地裏で、私はボロボロの布切れを見つけた。


好奇心に揺れて剥いでみれと、中では一人の少女が倒れていたのだ。


自分に回す暇すらない癖に私は彼女を助けようと必死に動いた。


と言っても、知識の無い私に出来た事は精々彼女の腹を満たすことだけ。


近場で一番安い店に彼女を連れ込み、腹一杯の食事を与えたのだ。

と、同時に精力が戻った事で私は彼女の正体を知ることとなる。


愛を貪り、性を搾りとる化け物...人間の天敵が彼女の本性だったのだ。


活力が戻ったのか彼女は礼も言わずに店を出ていった。

人間に恩を得たなんて魔物には屈辱だからかな、と当時は自分に言い聞かせた。


だが後日彼女はどうやって見つけたのか私の家のチャイムを押し、開くや否や転がりこんだ。


『余命幾ばくもないけれど私は貴方に救われた。だから、あなたの思うままに私を使って頂戴。』


極度の空腹で気が動転していた私は、彼女の言葉そのまま受け止め『サキュバスだし』という安直な理由で彼女を出稼ぎに出した。


その日の夜、彼女が持ち帰った食料で満腹感を覚えた私は、その時初めて自身のしでかした事に気付いたのだった。






今の生活は彼女の性愛無くしては成り立っていない。

この事実に対してもまた、私には感じる所があった。


断じて愛欲に依る生活に穢れを抱いた訳ではない。

彼女一人に汚れ仕事をさせて、自分の手は微塵も汚さずに過ごしていることが嫌なのだ。


「私も働こうかな...この体なら好き物が寄ってくるでしょ。」


「それだけはダメよ。貴方の感じる『私の負担』は実はそう大きくない。罪悪感に身を任せてはダメ。」


このように彼女はこの事柄関してのみ声を乱れさせるのだ。

誰も咎めはしないのに私はまたも自分への悔恨の念を心に孕む。



陽が落ちた後で私のつくる晩餐を身体に取り込むと彼女は笑顔で出ていった。


夜の時間だ、彼女の労働が始まる。


勇者への手慣れた世話を終わらせて、少し早く床の間に伏す。

今朝のせいか、腹部が重たく痛かった。


明日もまた同じ日が始まる。

停滞に拘束され、自身の無力を感じ続ける日々が..._______。


外から甲高い音が響いた。

夢の波間に揉まれていた私はすぐに目を覚ます。


響き渡るは鐘の音。

甘んじて受け入れてきた日常を引き裂く様に、その音は深夜の街に轟く。


幸運にも常常日頃から勇者の容態に目を配っていたことで、外出用の一式は纏めてあった。


勇者を車椅子に担ぎ上げて重たい身体と共に部屋を出た。





辺り一面は火の海だった。

享楽以外が寝静まったこの時間、広まった火災を止めるものはいない。


逼迫した状況の中で、私はチャンスが舞い降りたと内心感じていた。

ここで何かしらの功績を成し遂げれば、盤面をひっくり返せるのだから。


「勇者様、とりあえずサキュバスの所に行きましょう。まさか死んでいるとは思えませんが、合流が先決です。」


火の粉が舞い始めた街を移動に特化した車椅子が駆け回る。

危急の事態だとやっと気付いた者らは、自分の家は燃えている事に未だ悲観しているようだ。


命さえあれば、またやり直せるというのに。


居住区から市場へ、さらに奥の薬屋の看板を掛けた娼館に向かう。

今通ったすべての場所は、いずれも火の海に遷移していた。




幸運にも情事に営んでいたお陰で、誰もがすぐに異常に気がついたのだろう。


娼館の前の広場に人だかりが出来ていた。


「見つけたわ!無事だったのね!」


「ああ...良かった!一度家に戻ろうと思ったのだけれど、貴方なら来ると思って...。」


「行き違いにならなかった事に感謝すべきね。この辺り一体火の海よ、何があったの?」


サキュバスが知っているのかわからないが、兎に角彼女に問いを投げ掛ける。


いくら魔物でも、このような事態にはさすがに混乱を起こしているようだった。


彼女は深呼吸を繰り返し、思考を整理してゆっくりと声を発する。


「魔物の奇襲よ。自国が攻めいられたことで、こちらの防備が薄くなったと判断して人間の領土に踏み込んだのよ。」


「そうか...少なくとも三人は行方が分かってる。攻め込むなら今ってことね。」


一瞬の沈黙の後、二人は顔を見合わせた。


「チャンスね。」


「ええ、明確な敵と救うべき人民。どちらも解消すれば誰にとっても功績は明らか。」


「二兎を追うもの一兎も得ずよ、先に避難させましょう。」


サキュバスのいう通りだ。

功績の証人が居なければ、功績は功績足り得ない。


「私はこの辺りと市場を管轄するわ。」


「じゃあ、私と勇者様は居住地区を。」


「わかったわ、また後で会いましょう!」


サキュバスは赤い煙が照らす夜空に飛んで行った。

私は車椅子を押し、速度をつけた後両足を引っかけた。





居住地区。

往復の時間を掛けたせいか、火が周りの倒壊が始まっていた。


悲哀と嗚咽の声がどこからもこだまする。

大漁は目に見えていた。


悲しみの涙を流す両親と一人息子の家族に近寄る。


「逃げて下さい!居住地区から市場の全域が燃えてます、郊外に行けば無事かと!」


「おばあちゃんが!まだおうちの中に居るんだよ!!」


「どこにいるんですか!?」


「多分...一階奥の寝室だ。寝たきりだから連れていけなくて。」


「...勇者様!」


突如として光線が目の前の家屋を貫く。

崩壊の順序が崩れたことで、家屋に隙間が空いた。


「恐らくここを突っ切れば寝室です、私では力不足なのでお父さん、一緒にお願いします。」


溢すような返答と共に灼熱の地獄に足を踏み入れる。

居住区の家屋の構造がほぼ同じで助かった。


外の状況も何のその、寝息をたてて眠る老婆を見つけて外に運び出した。


「ありがとうございます!!」


「お構い無く、では直ぐに逃げて下さい!」


四人家族は手を取り合って逃げていった。

良く卵をぶつけられたが、彼らは覚えていないんだろうな、と思う。


私は次の悲哀の劇中劇に顔を出す事にした。


勇者は生前...いや、現在も生きてはいるが、まだ活力のあった時。

なんだかよくわからないが、凄い力を貰ったと語っていた。


彼が首を括ったことで、結局それがなんだったのか王国の目に止まる事は無かったが、世話をしていた私はある日知ることになる。


彼は、私の言葉に反応して的確な攻撃を、適切な場所に行うのだ。


恐らく彼はこの素晴らしき才能を知っていたはずだが、それは役立つ事なく埋没した。


私が彼を『勇者様』と呼ぶ所以はここにある。

例え肉体が動かずとも、彼の精神はまだ『勇者』として在るように思えたのだ。


居住区の半分が避難を始めたところで、一向に火災が止む気配が無いことに気がついた。

助けを呼ぶ声もまた、同様に収まる気配がない。


少女には一抹の不安が過った。





今度は老婆と男性の二人組の元に顔を出す。


「郊外の方に逃げて下さい!火の手は市場の方まで回ってしまってしまいました!!」


「娘が...まだ中にいるんです!」


「孫を助けてやってください!お願いします!!」


どうやら私たちが助けて回っていることが火の手と共に巡ったようだ。

そうでなければ車椅子の人間に助けを請う筈がない。


良い兆候だ、と笑みを浮かべて勇者に助けを求めた。

正常に動作する勇者の力は家屋を入り口を崩す。


「娘さんはどこに?」


「二階で寝ている...かと、まだ一歳なんです。」


どうして連れ逃げなかったのだろう。


「ここで待っていてください。」


私は勇者を残して、再び火の中に身を埋めた。

全身が軽度の火傷を追っているだろうが、後々を考えるとそう痛くは無い。


身を屈めながら二階がると、小さなベッドに寝かせられた幼子が見えた。


赤子を担ぎ上げて初めて悟る、この火災の中で私が来るまでこの状況であったなら。


生きているのだろうか?


「ああ!ありがとうございます!ありがとうございます!」


私のシルエットを見た途端に老婆は声をあげた。

だが、それは直ぐに逆転する事になる。


「いえ、ですが煙を深く吸い込んでしまったようで...。」


赤子に息は無かった。

二人の顔は歓喜から絶望に切り替わる。


「どうしてた!!どうしてもっと早く来てくれなかったんだ!」


「お前は勇者なんだろ!?なのにどうして守ってくれないんだ!!」


「...郊外の方は、火の手が回っていない筈です。逃げて下さい。」


彼らは不平不満が残っていたようだが、私はそれを後にした。


結局、居住地区を二人で廻ることになったが、援助が後回しになった居住区ではほとんど助ける事は出来なかった。


精々、燃え尽きる前に遺体と遺品を運び出したぐらいだ。


自警団などは配備して居なかったのだろうか?

様々な思案が蠢いたが、市場で避難活動を行っているサキュバスの元に向かう。






彼女も避難誘導は終えたようで、居住区から出て直ぐに落ち合う事が出来た。


「二人とも怪我はない?大丈夫?」


「ええ、ちょっとした火傷があるけれど命に別状はないわ。」


「じゃあ、私達の逃げましょう...もう用事もないわ。」


「え? 後は敵を吊し上げるんでしょ?」


「市場から逃げる者の話を聞いたんだけど。魔物は消防団、自警団の拠点を潰した後、火を着けて逃げたらしいのよ。」


「つまり、今回の火災の目的はこの街への侵襲ではなく怨恨。自国に攻めいる人間への復讐だったのよ。」


その証言には納得があった。

だから助けが来ないわけだ。


実はもう一人の勇者が身を潜めている、などとは思いもよらなかったのだろう。


「まあ、避難誘導だけでもこの街の勇者様への目の色は変わるでしょう。」


三人は街の外れへと歩み始めた。

このとき、別の道を選んでいれば私の平穏はまだ続いたのかも知れない。





「助けてええええ!!助けてええええ!!」


サキュバスの居た娼館とはまた別の館の前で咽び泣く女性が一人残っていた。


「この街はもうダメです!!早く逃げて下さい!」


なんの偶然か、そいつは昨日の朝に私に卵をぶつけた中年の女性だった。


「息子がまだ中にいるのよぉおおおお!!!」


息子...?


もうひとつの微かな呼び声を耳に入れ、見上げると窓から一人の男が助けを求めていた。


煙と火の粉が見せた幻惑で無ければ、その男もまた市場で私を殴った若者だった。


「...もう手遅れですよ。彼を助ける事はできません、逃げましょう?」


「嫌!嫌ぁぁぁぁあああ!!!大事な一人の息子なのよぉおお!!夫に逃げられて!一人で育てた息子なの!!!」


それはズルい。

嫌でも私と重なってしまう。


「おばあちゃん歩ける? もう行きましょう?」


「...ちょっと待って。大丈夫よ、あの高さならまだ助けられる。」


「貴方...なにするつもり? 私の飛翔じゃ近づけ無いわよ?」


「リスクを負うのは私よ。 ふう...勇者様、お願い。」


さすがに一撃では無かったが、炎とは別の照度の乱撃が崩落間近の娼館を襲う。


「やめて!やめて!!」


女性は私が崩落を進めようと勘違いしたようだが、勇者が攻撃をやめると黙った。


「勇者様をお願い、直ぐに戻ってくるわ。」


「わかったわ。危なくなったら飛び降りなさい、私が助けてあげる。」


私は、最後の救助に動いた。






長袖に覆われた肘裏を口に押し当てて、煙を防ぐ。

幸い上に続く階段は丈夫に作られていて崩落に巻き込まれていない。


私は重い体を携えて上を目指す。

確か、五階だったはず。


この身体には負担が大きい労働だ。



目的の階層にたどり着き、あまり燃えていない壁に寄りかかる。


「はあ...はあ...。」


低くも命の危機を感じさせる声が響くあの男の道標だ。


「お待たせ。」


「お前は...!!なんでお前なんだよ!!」


「はあ...貴方の元気に振り回される程の余力は無いの。せっかく勇者様が道を作ってくれたんだから、逃げるわよ。」


彼は声の割には全く傷を受けておらず、下から言えば一人で脱出出来たように思う。


若干の後悔を抱きながら、私は彼と共に階段に向かった。





およそ娼館全体の崩落は近いようだ。

先ほど開かれた道との景色は一変していた。


既に明白な脱出路は見えない。


「こっち...だったかな?」


「おいおい!迷うなよ!早く俺を助けてくれよ!」


曖昧な記憶を頼りに壁沿いを歩く。

来たとき開いていた通路は、天井の崩落で塞がれていた。


「別の道に」


「通れるだろ。」


「...別の道にしましょう。」


「いやいや、あの鉄骨さえどかせばなんとかなるって。別の道探してる余裕もないだろ?」


半ば強引な彼の提案を渋々受ける。

だが、鉄骨をどかす力はなど私には無い。


「どうやってどかすの? そういう道具とか無いみたいだけど。」


「あの鉄骨の引っ掛かりはみた所不安定だ、多分軽く押せば崩れて動く。」


「わかった、じゃああれは押す道具を探してくるね。」


「大丈夫だ。俺が押せばなんとかなる。」


「あんたは鉄骨を背に立ってくれ。」


「...? うん、わかった。」


多少の熱を背中に受けて燃え盛る鉄骨の前に立つ。

彼にどのような策があるのか思案していると、彼は私の肩を押した。


瞬間、温度数百度の熱が制服越しに背中に伝わる。


「ヒッ...アアアアア!!!」


肉の焼ける音と匂いが辺りに撒き散らされる。

形容できぬ痛みが、背中全体を犯して行く。


「熱っ!!!ね"え"っ"!!やべでぇえぇぇぇ!!!!」


永遠に続くと思われた拷問は、実時間はたった十秒間程度だった。


肩への圧力が消え失せると、私はへたりこむ。


焦点が定まらない。

吐き気はする。


背中の痛みは移動して、腹部襲い掛かる。


「おい!!逃げるぞ!!」


なんの痛みも感じていないのか男は平然と言い放った。

私は強引に腰を上げて彼のあとを追った。


「やった!!入り口だ!!」


多少の傷は受けたが、こちらの道でよかったように思う。


男は年齢にそぐわないほど無邪気な声をあげた。


「おかあああああさあああ!!!助かったよおおお!!!」


「良かった!!本当に良かった!!」


親子が再び出会った景色を他所に、私は重い足取りで娼館を出た。

そして、最後に虚ろな視線がサキュバスの焦燥を捉えて一変した。。



焔を天に仰ぐ。気付かぬうちに倒れたようだ。

そして、次に轟音が響く。


もう少し歩いていたら良かったのに...


私の丁度真上の看板が、炎で焼かれて支柱を崩す。

スローモーションのように看板は仰向けの私目掛けて落ちてくる。


どこから沸いた力なのか、咄嗟に身を屈め手を腹部に回し込む。

真皮にまで届いた火傷の上に、巨大看板が堕ちた。





中で何が起きたのかわからない。

娼館から出てきた少女は、行きと違ってボロボロだった。


そして、それを見て一瞬困惑してしまった自分が情けない。


看板が堕ちることも予期していたのに、私は彼女を守る事も出来ずに呆然と傍観していただけだった。


隣の馬鹿な親子が叫びを上げて、私はやっと我に戻る。


「はっ...助けなきゃ!!」


「貴方達も手を貸し...て。」


そこに二人の姿は無かった。

サキュバス怪力など有るはずもないが、火事場の馬鹿力という奴だろう。


たった一人で看板を持ち上げて、下敷きになった少女を安全な場所まで運んだ。


微かに息はあった、だが風前の灯火というべきか...もはやそれは消えかかった命だった。


様々な箇所で深い傷がみられる、特に背中はひどい。

直に焼けている。


「ねえ!目を覚まして!お願い!お願いだから!」


必死に願う。

神にだって祈ってやる。


「あふぅ...あら、お帰り...紅茶...あ、違うか...。」


記憶の混濁を起こしていた。


「話さなくていい!!もう動かなくて良いのよ!」


そう言った途端、彼女は腹部を押さえて苦しみ始めた。


「まさか...今!?」


彼女の制服を引き裂いて脱がす。

人一人入っているかのような、大きなお腹が露になった。


彼女と私が出会った頃は気が付かなかったが、生活を共にする中で腹部が大きくなっている事に気がついた。


ある日、彼女に尋ねてみた。

もしかして貴方は子を身籠って居るのかと。


彼女は少し黙った後、そうだ、と答えた。

誰の子かは明白だった。


彼女の運命を決めた晩、幸運にも彼らの愛は繋がって居たのだ。


だから私は彼女らの代わりに、この身を削って働く事に決めた。

どうせ不治の病に患ったのだ。


味方の居ない彼女の、唯一の腹心となって汚れ仕事でもなんでやってやろうと思った。


彼女のへの恩返しではない。


多くの者が『貧乏くじ』だと嘆き苦しみ境遇を、『当たりくじ』だと心の底から思う彼女を尊敬したのだ。


だが、やはり不安定になることも時折あった。


他の勇者が偉業を成し遂げる一方で、自分は何もしないままだ、と思い込むのだ。


そんな時、彼女の心に寄り添う事も私の仕事だった。


「医者を読んでいる暇は無い...私しか出来ないわね。」


運が良かったのか、娼館で働いていたので子供への扱いを経験することが度々あった。


助産婦のような役割を担った事もあった。


「でも、他の道具は...。」


勇者の方に目を向けると、篭が引っ提げられていた。

彼女が勇者の世話をいつでもできるように準備していた道具の数々だ。


「タオルに暖かい水...やれるわ。」


覚悟を決めた。

灼熱の地獄の中で、彼女は一つの命を産み出そうとしているのだ。


うろ覚えの手順を踏んで、準備に取りかかる。

何度も混乱の底に落ちていきそうだったが、私は彼女の姿を見て冷静に戻った。




「頑張って!!大丈夫!息を吸って...吐いて!!」


弱々しい呼吸を繰り返し、彼女は必死に活力を腹部に与えていく。


回りが火災だと忘れ、少し火が弱まった頃。


「ギャアアアアアア!!!」


新たな生命が産み出された。


「はあ...勇者様の...はあ...。」


「ええ!そうよ!!」


「ねえ、最後にお願いがあるの。」


「最後なんて...ねえ!お願いは聞くから!最後何て言わないで!」


「その子には満足な幸せを与えてあげて。決して、死の淵を歩かないような。」


「勿論よ!サキュバス名かけて!でも、二人でよ!私一人じゃ満足に出来ないもの!」


「ふふ...ごめんなさい。また、貴方だけに負担をかけちゃうわ...。」


彼女は微弱な息を漏らすと最後に満足気な笑みを浮かべて言った。


「後、鐘を鳴らしてくれて...ありがとう。」


彼女は...瞼を閉じた。

二度と開く事の無い瞼を。





エピローグ


二ヶ月後、私は一人の赤子と世話の焼ける勇者の面倒でてんてこ舞いだった。


だが、悪い事でもない。

忙殺された事で病の苦しみ嘆く事が減ったのか、医者の診断よるとステージが一段階下がっていた。


街の全域を襲った火災は、後に燃やす物が無くなった事で自然と沈下した。


人々を助けて回った少女は、最後に火災に巻き込まれて死亡した、というエピソードも相まって悲劇の英雄へと昇った。


お陰で勇者の地位向上、私は私でより待遇の良い職に就くこととなった。


しかし、結局産み出されるのはエピソードばかりで、真相が表に出ることはない。




私はあの日、少女の告白を受けて、彼女がもう言葉では抑えられぬ程の悩みを抱えていることを知った。


だが、魔王の元に向かえば彼女が無意識に悟っているように全滅は間違いない。


妊婦という事もあったし、彼女の欲求を満たす手段は無かった。

代わりに時間が解決することは確かだった。


だが、あの日娼館に赴いたとき市場であった小さないさかいの噂を聞いた。


車椅子を押す少女が、裸に剥かれて土下座させれていた。


噂の真偽はともかく...私はこれを聞いて二つの責務を感じた。


一つ目は、この街の平和ボケした人間共を戒める事。

二つ目は、蔑まれた少女の地位を奪還すること。


私は適当な理由をつけて娼館を抜け出すと襲撃など夢にも見ない消防団と自警団を捻り潰した。


街の防災機能を著しく低下させた後に、街の全域に火を放った。


深夜の出来事だ。

突発的だったが自分でも驚くほど、事は上手く運んだ。


そして、最後に警告として街の中心に建てられた鐘を鳴らした。


後は私の思惑通りに事が運んだ。

だが、最後の最後で計画は破綻することになる。


少女が死亡してしまった事だ。

短絡的な行動を急いだ私への罰だろうか。


つまり、あれほど尊敬していた少女を私は殺したのだ。

少女の最後の言葉は、恐らくこれを全て悟っていたように思う。






腕の中ですやすやと寝息を建てる彼女の娘に顔を向ける。

目元の辺りが彼女に似ている気がする。


勇者様...とは、鼻の辺りだろうか。


最近、酒場の店主が言っていた。


『あの三人の勇者、魔王に返り討ちにあったみたいだよ。何でも王国に、彼らを四肢で作った芸術品が送られて来たとか。』


彼女の母が求めたように、勇者の娘を民衆が願うままに育てるべきか。


それとも言い残したように死とは縁のない幸せな道を歩かせるべきか。


当てにはならないが私は勇者の方に視線を向ける。

相も変わらず虚空を見つめているが、少しばかり表情が和らいだ気もしなくはない。


不随の男と幸せを求めた女の元に生まれ、その母殺した不治の病を患う魔物に育てられる。


一体どうすれば彼女は幸せな道を歩むことが出来るのだろうか。


自身への最後の難題として、少女への贖罪として、私は思いを張り巡らせた。

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