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ジュジュツナギ  作者: 雪野螢
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ジュジュツナギ(上)


 昔々、あるところに、小さな村がありました。

 その村中では病が流行り、人々は苦しんでいたそうです。

 すると、村には、怖い怖い――鬼が姿を現します。

 不思議なことに鬼の出現とともに流行り病は絶え、人と鬼は小さな村で、仲良く暮らしましたとさ。


「……」

 目覚まし時計よりも煩い救急車の音がする。次第に近付くサイレン音に俺は「またか」とげんなりした。

 幼い頃に父から聞いたお伽噺の夢を見た。ここは自校の保健室だ。どうやら眠っていたらしい。けれども単なる睡眠ではなく、恐らく気絶したのだろう。意識を失う前の記憶がどうにも不鮮明であり、手足がきちんと動かないほど身体は支障を来していた。

「あ、起きた……? 大丈夫……? 痛いところはないかしら」

 そんなこちらの様子を見てか、誰かが俺を労った。初めて聞いた声だと思う。

 か細い、綺麗な声だった。

「救急車が到着したから、ほら、しっかりしなさい」

「……」

「ねえ、死んじゃダメだからね。ちゃんと元気になってよね」

 面識なんてないはずなのに「死んじゃダメ」とは何事か。

 恐らく年端は同じくらいだ。そんな女性の声だった。せめてこの子の名前くらいは知りたいところだったのだが、朦朧とする意識の中では少し無理があったらしい。

 俺は彼女の顔も見られず、再び――気を失った。




 父が死んで一年経つ。あと数日で一周忌だ。

 父は元より心臓が弱く、生まれた時から自由が利かない日々を過ごしていたそうだ。聞けば不幸なその体質は祖父から受け継いだものらしく、やはり死因は心臓病で世を去ることと相成った。

 現代医学も匙を投げる治療不可の難病で、それまで命を繋いだ父は充分耐えた方らしい。先天性の心疾患が該当病の名前であり、何を隠そう俺も同じくこの病を受け継いでいる。

「時雨、生きてる……? 息してる……?」

「うーん……?」

「うーん、じゃないってば」

 冬の朝の冷たい空気が眠気を誘ったのだろう。重い目蓋を開いてみれば、俺は自分の机に突っ伏し居眠りしていたようである。

 ここは一年四組のクラス。俺たちの教室内だった。

「発作じゃないよね。気分はどう?」

「……」

「……居眠りしてただけ?」

「お願いだからしっかりしてよ」と頭を抱えられてしまう。

 爽やかフェイスのこのイケメンは山城楓――親友だ。同じ高校のクラスメイトで俺とは腐れ縁であり、昔馴染みの間柄で何かと世話になっている。

「あれ……? 俺、寝てた……?」

「そうだよ」

「今は……?」

「先生が来る直前。補習授業、これからなのに……いきなり寝惚けないでよね」

 補習授業。そのフレーズで本来の目的を思い出す。今日は補習を受けるために学校にやってきていたのだ。

 高校一年の冬休み。俺は気怠い身体と気持ちにどうにかこうにか活を入れ、日々の不振を補うために休日登校を果たしていた。入退院の多い我が身は学生としては不向きであり、まともに通学できないために補習を受けているのである。二学期最後の期末テストで赤点だった連中含め、現在、この教室内の座席は四半が埋まっていた。

「大体、昨日の今日なんだし、大事を取ってもいいんじゃない……?」

「あのな、心配しすぎだぞ。昨日は確かにびっくりしたけど、今日は調子がいい方だ。ベッドの上はうんざりだし……こういう日くらいいいだろ」

「だけど……」

「とにかく、俺なら平気だから。楓も安心してくれよ」

 俺は昨日、百十九番で病院に搬送されている。救急車へと担ぎ込まれるところは憶えているのだが、目覚めた時には病室内で……見慣れた天井を目にしていた。

 ちなみに、楓は期末テストで赤点を取ったわけではなく、長期休暇返上の覚悟で俺に付き添ってくれている。曰く参加自由の補習は「授業の復習」らしいのだが、彼の気配り思いやりは幼馴染み上、察していた。

「元々無理してこの年齢まで生き長らえた身だからな。授業中にぽっくり逝ってもそれはそれで受け入れるし、楓が気に病むことはないぞ。化けて出たりはしないから」

「身体が弱い時雨の場合、全然洒落になってないよ……」

「しかし、昨日は悪かったな。楓が仕切ってくれたんだろ?」

「うん、僕が通報した。補習授業の途中だったし、みんな凄く慌ててさ。意識不明の時雨の身体を保健室に運びつつ、先生、混乱しちゃってね。あとは察しの通りだよ」

 十六年の月日の中でこういうことは何度もあり、楓は「慣れっこだから」と言って、毎回笑ってくれている。大親友の彼に対して感謝の気持ちはもちろんあるが、けれども俺はそれ以上に……謝罪の気持ちを抱いていた。

「いやー、本当に申し訳ない。みんなにも迷惑かけたな」

「ええー? 僕は全然気にしてないし、らしくないこと言わないでよ」

「きっと俺はもっと一人の時間を増やすべきなんだ。楓に救急車呼んでもらうの、これで何度目だろうな……」

「……」

 柄にもないのにセンチな気分に浸りかけたそんな折、俺は昨日の話の途中で大事なことを思い出した。

 保健室の少女である。か細く綺麗な声の持ち主、彼女が脳裏を過ぎったのだ。

「楓! すっかり忘れてた!」

「ええ、急に何なのさ……っ!?」

「俺、保健室に行く! こっちはよろしく頼んだ!」

「はあ……っ!?」

 楓の制止の言葉も聞かず、そのまま教室を飛び出した。

 一年の教室は三階にあるが、保健室は一階にある。自分の身体の脆弱ぶりを顧みずに走り抜くと、代償として必然的に胸の臓器が音を上げた。

「もしも楓が追ってきたら」と少し不安になったのだが、どうやらそれはないようだ。

 俺は敢えなく停止した。

「うぐぐ……」

 廊下の壁を背にし、身を宛てがって胸を抱く。少し興奮しすぎたようだ。痛みで足が竦んでいる。

 遮二無二行動に移す性は生まれ持ってしまったもので、低い体力と相反していて自分の首を絞めている。昔からの悪い癖はなかなか治る気配がなく、しかしそれでもそんな日々に、俺は……満足していた。

「……」

 五分くらいは経っただろうか。ようやく鼓動が治まった。併せて呼吸も整い始めて何とか一息ついた頃、もはや目先の保健室から一人の人影が現れた。

 ロングスリーブにロングスカート、律儀に白衣も着込んでいる。その人物は保健の先生、養護教諭の君だった。

「おお、思人ちゃん! 奇遇だねえ。休日出勤、ご苦労様」

「その呼び方は止めろ止めろと何度も言ってるはずだろう。それに別に休日じゃない。我々教師は仕事だ」

「ふーん」

 鈴谷思人。我が高校に就任している教師であり、お堅い語調が異彩を放つが正真正銘の女性である。その語り口調に反して背丈がとてつもないほど低いため、生徒たちには「ちゃん付け」されて毎日可愛がられている。

「ところで、日ノ本、どうしたんだ……? 補習の時間だろうに」

「あー」

「もしや持病が悪化したのか!」

「違う違う。そうじゃないよ」

 俺が両手を左右に振って否定の意思を露にすると、彼女は安堵の溜め息をつき、ほっと胸を撫で下ろした。

「はあ……心配するじゃないか。まさかと思ってしまった」

「……」

「再度忠告しておくが、無理をしてはいけないぞ。大体、お前は昨日だって――」

「はいはい、小言はたくさんだよ」

 小さな身体の背後に回って、その背をぽんと前に押す。彼女は「わわわ」と驚きながら、こちらにくるりと反転した。

「こら、先生に何をする!」

「思人ちゃん、気持ちは嬉しいけどさ、俺に構わず仕事しなよ」

「お、お前は一丁前に……というか! ちゃん付けするんじゃない!」

 腰まで届く髪を掻き上げ、思人ちゃんが胸に手を添える。

「先生のことは敬意を払って! 鈴谷先生と呼びなさい」

「それじゃあ、思人ちゃん、また会おうね!」

「むきーっ! 日ノ本! 憶えてろーっ!」

「わーん!」と一人で半べそ掻いて廊下の向こうへ走っていく。だから生徒に玩具にされて弄ばれているのだが、そこが彼女のいいところだ。

 俺は思人ちゃんを見送った。

「さて……」

 視線を元に戻せばそこには保健室がある。一人でごくりと息を呑んで、保健室の前に立ち、出入りの引き戸に手を伸ばしつつ……俺はちょっぴり緊張した。

 もっとも、人に会うというのは希望的な観測だ。思ってみれば今日も会える保証なんてないのだが、それでも……俺はあの女の子に会える予感がしていたのだ。

「……」

 がらがら。引き戸を開けて、先客の有無を確認する。

 一つ結びの長い黒髪、円らな瞳に華奢な身体。ブレザーの上にカーディガンを着込んだ一人の女子生徒が、ちょこんとベッドの上に座って――こちらをじっと見つめていた。




「篠宮、本当に具合はいいのか?」

「はい。楽になりました」

「だったら、まあ、安心だが……絶対、絶対だな?」

「もう……」

 心配性で用心深い鈴谷先生は執拗だ。毎度毎度、何度も何度も同じことを訊いてくる。しかしそれは生徒のための、患者のための気遣いで、わたしはそんな先生が好きだ。

 こんなわたしが心を許せる希少な人物の一人である。

「そんなに疑わないでください。他のお仕事があるんでしょう?」

「しかし、篠宮が学校に来たんだ。構ってやりたくなるじゃないか」

「先生の気持ちは嬉しいですけど、それ、昨日も聞きましたよ。さあ、早く職員室へ。教頭先生の呼び出しでしょう?」

 先生は少し残念そうに「うーむ、分かった」と頷いた。年齢的には紛うことなく立派な大人のはずなのだが、小さな小さなその外見は愛くるしくて可愛らしい。

 先生が背を向け、歩いていき――。

 途中でこちらを振り返る。

「そのままベッドの上にいろよ」

「このままベッドの上にいます」

「ここ――保健室、閉めておこうか?」

「先生、どうぞお構いなく」

 がらがら。出入りの引き戸を開けて、先生は静かに退室した。

「ふう」と小さく息をついて、再びベッドに横になる。ああ、上着を着たままだった。髪も結んだままである。十六歳の一女子としてほとほと情けないもので、生まれと育ちのせいにしたいが……それは言い訳だろうか。

「……」

 わたしは人には言えない事情で、ほとんど通学できていない。不登校や登校拒否とはこれまた異なるものなのだが、単位不足に変わりはなく……わたしは補習を受けている。

 聞けばこの冬期休暇で補習授業を受けた場合、わたしの留年決定コースに光明が差すらしいのだ。わたしにとって高校進学は大願成就だったため、多少身体に負担をかけても出席したいと思っていた。今日は眩暈が酷かったので必死に堪えていたのだが、敢えなく我慢の限界となり……保健室に来たのである。

 そんなこんなで本末転倒極まる無駄な時間を過ごし、結局補習も受けられなくて、この体たらくというわけだ。

(昨日も同じ一日だったし、わたし、やっぱりダメだな……)

 その時、保健室の引き戸の向こうで鈴谷先生の声がした。何だか憐れな喚き声だが、きっと先生のものだった。

 上半身を起こしたわたしは何事だろうと身構える。外の廊下に誰かいるのか、意識を丸ごと奪われた。

「……?」

 やがて、引き戸が開き、その正体が発覚する。

 学生服の上にコートを着込んだ男子生徒が一人、何やらぽかんと呆けた顔で――こちらをじっと見つめていた。

「……」

 わたしは視線を逸らし、眉間に皺寄せ黙り込む。

 わたしに友達なんていないし、友達なんて作れない。だからこうして無視をするのだ。

 それが――わたしの生き方だ。

「可愛い……」

「え……?」

「可愛い……っ!」

「は……?」

 しまった。視線を戻していた。

 男子生徒は両の瞳を燦々煌々輝かせ、わたしのことを遠慮も躊躇も皆無で眺め入っていた。

「可愛い! あんた、すげー可愛い! こんなに可愛い女子がいたとは、ちっとも知らなかった!」

「……」

「俺は一年の日ノ本時雨! これからよろしく頼む!」

「……」

 初めて会話を交わす女性に「あんた」呼ばわり……無作法な。何を言い出すものかと思えば、ただの軟派男らしい。

 鬱陶しいほど元気な人は、わたしはあまり得意でない。再び冷たく外方を向いて、黙殺してやることにした。

「なあなあ、あんたの名前は?」

「……」

「何年何組なんだ?」

「……」

「一年? 二年? 三年?」

「……」

「名前だけでも教えてくれ!」

 しつこい。彼はしつこくしつこくこちらに縋り寄ってきた。

 いつの間にやら距離を詰められ、彼は隣りに立っている。右へ左へ外方を向いてどうにか振りきりたかったが、どうやら……この軟派男に断念する気はないらしい。

「あのね、少しは自重なさい! 不躾極まりないわ!」

「うわ!」

「あなた、そもそも初対面でしょ! 分際を弁えなさい!」

「ひええ!」

 とは言いつつも、面白そうに……日ノ本君は笑っていた。掴みどころがない人だ。

 やはりこの人、苦手である。

「ちなみに訂正させてもらうと、初対面じゃないぞ」

「え……?」

「昨日は優しくしてくれたのに、今日は機嫌が悪いな」

「昨日……?」

 はて、わたしはこんな男子と出会ったことなど……あったっけ? 

 いや、ないない……ないと思う。面識なんてないはずだ。わたしは首を横に振って、日ノ本君を睨みつけた。

「出鱈目ばかり言わないで。あなたなんて知らないわ」

「ほらな、やっぱり同じ声だ。搬送前に声をかけてくれたの、忘れちゃった?」

「……」

 搬送前。搬送といえば、昨日のことを思い出した。わたしと同じく補習に来ていた男子生徒が倒れてしまい、先生方や生徒を巻き込む大きな騒ぎとなったのだ。

 慌てふためく担任教師は半ば恐慌状態で、男子生徒を背中に負ぶって保健室へと急行した。意識不明となった生徒はそのままベッドに寝かされて、何やら騒々しくなる中で、わたしは隣りのベッドにいた。

「え、まさか、あの時の……?」

「そう。あの時の男子!」

「……」

「いやー、ほんとに面目なかった。昨日は騒がせちまったな」

 確かに、確かに昨日の彼なら、わたしはここで出会っている。だからつまりこれは再会……初対面ではないわけだが。

 しかし、信じがたかった。昨日の彼は青褪めていて、正しく病人のそれだった。なのに今の彼はというとぴんぴんしていて、けろりとして……さながら別人のようである。

 わたしは横目になった。

「……」

 そもそも、この日ノ本君はどうして倒れてしまったのか。

 思えば、わたしはそんなことさえ理解に及んでいなかった。

「何だよ。信じられないのか」

「そういうわけではないんだけど……」

「分かった。だったら復唱しよう。あの時、あんたは俺に――」

「わーっ!」

 恥ずかしい。何だか恥ずかしくって、わたしは咄嗟に耳を塞ぐ。

 そんなわたしが可笑しいのか、日ノ本君は抱腹した。

「笑わないでよ!」

「ぎゃはははははは!」

「笑うな!」

「ひい! ごめんなさい!」

 どうやら、わたしの一言一句を憶えてしまっているらしい。できることなら忘れてほしいが、それは叶わないのだろう。

 あの時、彼はベッドの上で、とても苦しそうだった。

 まるで人の死に目のようで、見ていて……悲しかったのだ。

「まあまあ、怒鳴らないでくれ。可愛い顔が台なし!」

「……」

「そんなに剥れなくてもいいだろ。せっかくもっかい会えたんだし」

 日ノ本君は常に自分のペースだ。にこにこ笑顔である。

 ああ、全く……馬鹿馬鹿しい。わたしは自分の鞄を漁り、本来補習するはずだった勉強道具を取り出した。

「げげ、まさか勉強する気……? 俺とお喋り中でも……?」

「……」

「分かった。だったら一緒にやろうぜ。俺も実は補習が――」

「嫌よ」

 あくまで目と目は合わせないよう、つれなく冷たく返事をする。

 英語の教科書を眺めていると、日ノ本君が覗いてきた。

「あのね、大概にしてちょうだい……」

「あんた、ほんとに可愛いなー」

「はあ……?」

「可愛い。超タイプ」

「……」

「俺、本気だぞ」

 わたしは教科書で顔を隠す。この日ノ本時雨――とかいう男子は、どうしてこうも恥ずかしげもなくそんな台詞を吐けるのか。

 ぎしりとベッドが振動した。恐らく隣りの日ノ本君がベッドに着座したのだろう。

「なあ、名前、教えてくれよ。他の人には訊きたくない」

「……篠宮」

「名字はどうでもいい。下の名前を教えてくれ」

 彼は「名字はどうでもいい」と、わたしに、確かにそう言った。

 どうしたことか、その一言が本のちょっぴり嬉しくて、わたしは先ほど隠した顔を半分覗かせていた。

「……」

 別に打ち解けたのではなく、単なる……些細な気紛れだが。

 名前くらいは教えてやろうと、わたしは思わされていた。

「……那智よ。あなたと同じ学年、五組の……篠宮那智です」

「!」

「これで満足?」と言いかけると、それより早く日ノ本君がわたしの片手を掴んできた。

 大きな掌、冷たい体温……両手で握り締められて、あくまで真面目なその双眸に、わたしはもはや呆れていた。

「那智、頼む。聞いてくれ。あんたに大事な話がある」

「あなたは大事な話の前にその不行儀を直しなさい……」

「那智、あんたのことが好きだ。一目惚れってやつらしい。結婚の約束はできないけど、結婚を前提に付き合ってくれ」

 突然――突然の出来事だった。わたしは告白されたらしい。

 片手を取られて床に落とした英語の教科書もそのままに、わたしはただただ動揺した。

 ……全く節操がなかった。

「……」

 一体、どれほど時間が経ったか、お互い押し黙っている。日ノ本君のその目に捕われ、わたしは視線を逸らせない。

 時間が停止したかのような錯覚を持った、そんな時、たたた――と廊下を軽快に蹴る一人の足音が聞こえてきた。

「篠宮、喜べ! ビッグニュースだ! 朗報を持ってきたぞ!」

 がらがら。

「補習授業についてなんだが、この保健室を使って――」

「……」

 鈴谷先生が登場する。どうやら事務を終えたらしい。彼女はすぐに硬直した。先生が足音の主だった。

 わたし、そして日ノ本君を……交互に見比べ、開口する。

「おおお、お前たちは! 一体、何をしてるんだーっ!」

 校内全体に轟くような先生の叫びを聞いてなお、日ノ本君は一心不乱にわたしのことを見つめていた。

「少しは意に介しなさいよ……先生、来たけど」

「分かってる」

「それじゃあ、そろそろ放してくれない……?」

「ダメだ。返事を聞いてない」

 この期に及んで性懲りもなく告白の返事待ちらしい。大した度胸と太々しさだ。

 先生、助けて。この人、変。

「日ノ本! お前、結局補習はっ!?」

「サボった」

「堂々と言うんじゃない!」

 先生は大層お冠で、日ノ本君を「お説教だ!」と怒鳴り、室外に連行する。

 一方、当の日ノ本君は「那智ーっ!」と喚き散らしていて、先生に耳を引っ張られつつなおも足掻き続けていた。

「思人ちゃん、俺、実は急患! 安静にしないと死んじゃう!」

「嘘だ!」

「ううう、持病の癪が、ううう……っ!」

「下手な芝居を打つんじゃない!」

 そのまま、ぴしゃり! と引き戸が閉まり、二人の姿は見えなくなる。

 途端に辺りが静かになって、わたしは息をついた。

「……」

 今、わたしは一人きりだ。決して他には誰もいない。わたしは少し勇気を出して、のそのそベッドを下りてみた。

 保健室の洗面台の鏡で自分の顔を見る。わたしの顔は痩せこけていて青白色になっていた。わたしは自分のこの見てくれが心底嫌いだったのに――。

「……」

「可愛い」と、何度も言われた。別に……嬉しくなんかない。




「つまり、めでたく意中の女子とお近付きになれたと……」

「おう」

「それで、出会って間もないくせに告白なんかしたと……」

「うむ」

 翌日。今日も今日とて補習で、俺たちは学校にやってきた。お供役の楓と二人で何事もなく登校し、校門を潜って校内に進入。下駄箱の通過地点である。

 昨日は息つく間さえなくて釈明できなかったのだが、俺は楓に此度の経緯とその顛末を解説した。彼はこちらの予想通り「やれやれだね」と両手を上げ、欧米人を真似するように肩を竦ませ呆れていた。

「ほんとに後先考えないよね。嫌われちゃったらどうするの?」

「別にその時はその時だろ。そこからスタートするさ」

「……」

「それより、先に話しておいた別室補習のことだけど――」

「はいはい、もちろん異論はないよ。時雨の身体が安全だったら僕としても安心だし、保健室なら思人ちゃんだっているし、言うことなしだから」

 実は昨日、教頭からの素敵な粋な計らいがあり、保健室での補習授業の受講が認可されたのだ。もちろん特例に限ってだが、該当するのは通常通り授業を受けられない者で、早い話が俺のような立場の生徒を指していた。

 急遽決まったこのお許しは本校のお墨付きであり、昨日の思人ちゃんの「ビッグニュース」はその件についてだったのだ。

「多分、一昨日の搬送騒ぎが原因だろうね」

「どういうこと?」

「時雨の発作は不定期だから全然予想ができないでしょ? だからもしもの時のためにこういう許可が下りたんだよ」

 つまり、この別室補習はほとんど俺への対策らしい。しかしそれでも俺は教頭に感謝の念を抱いていた。

 なぜなら該当生徒は愛しの篠宮那智も含んでいて、俺と彼女は二人きりで補習に出られるからである。

「ちなみに、お相手のリアクションは?」

「めちゃくちゃ嫌そうだった」

「ああ……」

「しかしあの子、昨日も一昨日も保健室にいたんだけど、俺みたいに病気持ちで身体が弱いのかねえ……」

「え?」

 楓は心底不思議そうに、ぽかんと口を開けていた。一瞬、彼は立ち止まったが、再び廊下を歩き出した。

「あ、時雨、知らないの? 篠宮さんのこと」

「知らない」

「というか、本人に訊かなかったの?」

「告白に夢中だった」

「あはは……」

 爽やかイケメンの我が親友はクラスの外にも友人が多い。対して俺は体調不良で欠席しがちの日々なため、四組以外の事情についてはあまり通じていなかった。

「篠宮さんは五組の生徒で、元々虚弱体質らしい。小学校も中学校も何とか卒業できたけど、ほとんど入退院の日々。友達もいないんだって」

「へえ……」

「小中同じの子たちに聞いた、所謂又聞きなんだけどね」

 曰く楓も「篠宮さんとは話したことがない」らしい。

 不謹慎かもしれないが、何だか親近感が湧く。元々虚弱体質なのはこちらも同じだからだろう。

「たまに登校したとしてもいつもいるのは保健室で、それは高校に進学しても変わらず、同じみたいだね」

「あー、だから今まで俺と面識さえなかったのか」

「篠宮さんも時雨並みにまともに出席してないし、お互い気付けなかったんだね。初顔合わせが保健室って、言わば必然だったんじゃない?」

 したり顔を浮かべた楓がこちらを覗いた、そんな時、俺たち二人は一階奥の保健室前に到着した。

 この後、楓は一年四組の教室に向かうことになる。感謝の気持ちを伝えた後に重なる無礼の許しを請うと、彼は「いつものことじゃない」と悪戯っぽく微笑んだ。

「にしても、感慨深いよねえ。時雨、今まで好きな子なんかできたことさえなかったし」

「確かに、言われてみればだな……こんなことは初めてかも。だけど、方針はいつも通りだ。やりたいことは全部やる」

「後悔したくはないからな」と、小さな声で呟いた。

 こちらの肩を優しく叩き、楓がこくりと頷いた。

「頑張りなよ。応援する。僕にできることがあれば、何でも協力するからね」

「楓、ほんとにありがとな。お前がいれば百人力!」

「あはは。それじゃあ、僕はここで。時雨、しっかりやりなよ」

「おう!」

 一年四組の教室に向かう楓の背中を見届ける。

 彼に貰った勇気を胸に、保健室へと入った。

「……?」

 室内は静まり返っていて、物音一つしなかった。

 どうやら思人ちゃんはいないようだが、けれども人の気配はする。備え付けの二台のベッドに自然と視線を向けた時、その片方のベッドの毛布の妙な隆起に気付いた。

「……」

 見やれば、脇のパイプ椅子には学校指定の鞄がある。

 俺は黙ってベッドに近寄り、その毛布を引っ剥がした。

「おはよー。那智、いい朝だな」

「……どこがいい朝なのよ」

 発見。ベッドの上にいたのは思った通り那智だった。

 慌てて姿を隠したのか、彼女は怯える子猫のように身体を縮こまらせていた。乱れた一つ結びの髪を整えながら起き上がり、ぺたんと女の子らしく座ってこちらを睨むように見る。

「制服に皺ができたじゃない。もう……どうしてくれるのよ」

「えー、それ、俺のせい? そもそもどうして隠れたわけ?」

「あなたに会いたくないからでしょ。あなたは変な人だから」

「変な人……変な人か。あはは。よく言われる」

「……」

 昨日と同じく那智はクールでドライな態度の一点張り。冷たい視線と言葉遣いはこちらを忌避しているにしても、しかしそれでも彼女は可憐で魅力的な女子だった。

「ところで、ここ、座っていい?」

「……」

「お隣り、どうかなと」

 那智の鞄が上に置かれたパイプ椅子を指差すと、彼女はちらりと一瞥した後、ぷいと知らん顔をした。想像以上に嫌われたらしい……。

 隣りのベッドに腰掛ける。

「思人ちゃん、来るの遅いなあ。逆に俺らが早かったか」

「早めに来たのは間違いだった。明日はもっと遅めに来る」

「それ、俺といたくないから時間調整するってこと?」

「そうよ。とんだ災難だけど、この際だから仕方がない」

 きっぱり断言されてしまう。これより機嫌を損なわれても仕方がないので言わないが、ぷんすかぷんぷん膨れっ面の那智も可愛かったりした。

「そんなに邪険に扱うなよ。これでも告白した身だぞ?」

「あのね、だからこそじゃない。出会って間もなく告白だなんて……あんなの無効よ。知らないわ」

「じゃあ、今度はもっときちんと告白すればいいんだな」

 腕組み「うんうん」頷くと、そんな俺に愛想が尽きたか那智は首を横に振る。呆れられてしまったようだ。

 もっとも、慣れたことなのだが。

「思ったよりも元気そうね……」

「俺のことか。驚いたか?」

「あなた、仮にもついこの間、救急車を呼ばれたのよ? 少しは安静にしたらどうなの。というか、反省すべきと思う」

「平気さ。単なる発作だよ。俺自身に言わせてもらえばいつもの日常茶飯事なのに、みんな大袈裟なんだよなあ……まあ、感謝はしてるけど」

 楓や思人ちゃんを始めとして、俺の周りにいる人々は揃って善人ばかりである。彼らに恵まれたというだけでもこれ以上にない幸運であり、そんな意味でもこんな俺は……充分に果報者だった。

「ねえ、あなた、何の病気……? それは重い病なの……?」

「ああ、病名、知りたいか。別に教えてやってもいいけど、だったら那智のも聞きたい」

「え……?」

「詳しい話は知らないけど、那智も身体が弱いんだろ」

 意外な一言だったのだろうか、那智がびくりと反応する。

 彼女は無言で俯いた後、窓外の景色に目をやった。

「だったらいいわ。やっぱりいい。わたし、話したくないから」

「そうか」

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「え、それで終わり……?」

「うん……?」

 恐る恐るこちらを見る。那智は不思議そうだった。

「それ以上のこと、訊かないの……?」

「何だよ。訊かれたかったのか」

「いや、ええっと、そうじゃないけど……何だか拍子抜けだから」

「あなたは強引で無神経だし遠慮はしないと思った」そうだ。

 どうやら那智は俺のことを不良扱いしているらしい。

「だってさ、言いたくないんだろ」

「うん。身体の話は、嫌……」

「だったら無理には聞き出せないし、俺も身を引く他にない。ま、そのうち教えてくれよ。そしたら俺も教えるから」

 至って普通の返事をしたと内心思っていたのだが、那智は納得できないらしくこちらをジト目で見据えていた。

 一体、何が腑に落ちないのか残念ながら分からない。俺が差し向き破顔すると、彼女は表情を変えないままでまたもや窓外を見やった。

「……」

 グラウンドには体育会系の部活の部員が集っていた。外周を声出しランニングする姿はとても寒そうだが、那智はそんな彼らを、どこか……羨ましそうに眺めていた。

 保健室の壁の時計は間もなく十時を示す頃だ。

 いよいよ手持ち無沙汰になって、那智は手爪を触り出した。そういう仕草を観察するのもそれはそれで楽しいが、しかしせっかく二人でいるのだ……。

 俺は話題を探した。

「うーん……」

 俺の不意の唸り声に、那智がちらりとこちらを見る。彼女も意識はしているらしい。そこで一つ着想した。

 俺は自分の鞄を漁り、一冊の本を取り出した。それはノートや教科書ではなく、とある文庫本だった。

「なあなあ、この本、知ってる?」

「……」

「これな、絶賛ブレイク中の恋愛小説! 文庫版! かなり有名な本なんだけど、那智はご存じかなと」

「……」

 相槌さえも打たない那智は閑却しているわけではなく、寧ろこちらの文庫本をただ一点に見つめていた。

 どうやら興味があるらしく、俺はその本を差し出した。彼女は少し迷いながらも、それを両手で受け取った。

「俺、こんな身体だから病院とかでは退屈でさ。いつも一冊持ち歩いてる。読書馬鹿ってやつだ」

「……」

「病弱人間あるある的な、共感されると思ったけど……那智は、本とかあんまり読まない?」

「んーん、好き……大好き」

「そうか!」

 那智が「好き」と言ってくれた。思わず立ち上がっていた。それほど嬉しかったのだ。

 俺は「あはは……」とはにかみつつ、再びベッドに着座した。

「それじゃあ、それ、那智に貸すから。是非とも読んでみてくれ」

「え……?」

「その本、知らなかったんだろ。すげー面白いから」

「……」

 大きな両目をぱちくりさせて、那智が驚きを露にする。

 こちらの提案に戸惑いながら彼女はあたふたしていたが、満更でもないのだろうか、本と俺とを交互に見た。

「これ、貸してくれるの……?」

「うむ」

「だけど、わたし、家では――」

「大丈夫!」

「本を読んで何が悪い」と一方的に丸め込む。

 果たして何が「大丈夫!」なのか、それは俺にも不明だが、それでも那智はきらきらした目で本の表紙を眺めていた。

「読め読め。とってもいい本だから。遠慮しなくていいぞ」

「……」

「実のところは嬉しいくせに、那智は素直じゃないなあ」

「……煩い」

 ようやく兜を脱いでくれた那智が本を抱き締める。文庫本が羨ましかった……「いつか俺も」と切に願う。

 些細なことかもしれないが、少しだけでも那智と心が通ったのなら僥倖だ。

 文庫本を持参していてよかった。習慣に感謝である。

「ところで、お礼は?」

「えっ……」

「お礼」

「……」

「……」

「……あ、ありがと」

 再び「ふん」とつんけんする。

 やはり那智は可愛かった。

「待たせてすまない! 日ノ本、篠宮、すでに二人とも揃ってるな!」

 小さな小さな保健の先生、思人ちゃんがここで登場する。本来の目的を忘れていたが、今から補習の授業なのだ。

「思人ちゃん、遅いー」

「悪い悪い。二人分の机と椅子を運んでたんだ。許してくれ」

「言ってくれたら手伝ったのに」

「わはは。気遣わなくてもいい。お前たちは病人なんだし、これは先生の仕事だよ」

 室内に机と椅子を並べ、おまけに奥から「うんしょうんしょ」と大きなストーブを引いてくる。保健室の備品までもが引っ張り出されてこようとは、何だか厚待遇である。

 心なしか、わくわくした。

「さあさあ、勉強の時間だぞ。二人きりでどんな話をしてたか、それは気になるが、今は公私を弁えてくれ。日ノ本、あとで教えろ」

「ラジャー」

「鈴谷先生、わたしは別に――」

「別に?」

「……何でもありません」

 二人分の机に併せてストーブ一台を設置して、電源を入れて点火させる。思人ちゃん、誠にかたじけない。

 彼女は脇に挟ませていたファイルブックを広げると、中から数枚の用紙を引き抜き、机上に順次配布した。

「しばらくしたら各担当の先生が様子を見に来るぞ。預かったプリントを配っておくから、まずは確認しようか」

「はーい」

「それまでこの鈴谷先生が二人の勉強を見てやろう。何でも解答してやるからな。何でも質問するがいい」

「思人ちゃんの身長と体重はー?」

「百四十五の三十六――こらーっ! 日ノ本! 貴様ーっ!」

「ぎゃあーっ!」

 怒った思人ちゃんに追いかけられる。俺は室内を逃げ回る。

「先が思いやられるわ……」と、那智は頭を抱えていた。




 今日も今日とて学校が終わり、わたしは病院にやってきた。

 窓口で署名、取り次いでもらい、自分の病室に歩いていく。この病院の看護師たちは大概見知った仲であり、彼女たちと出会す度にわたしは小さく会釈した。エレベーターで上階に上がり、四の数字で外に出て、少し廊下を歩いたところにその病室は存在する。

 総合病院のA棟四階、最奥の四〇八号室。

 わたしが生まれた日から、ずっと……ここはわたしの個室である。

「ふう……」

 何度も繰り返しているこの日常に嫌気が差す。わたしはわたしの個室に入り、ベッドに座って嘆息した。

 この病室はわたしのために父が備えた部屋である。わたしは日毎にこの病院へと通い、診察を受けている。身体の調子次第によっては検査入院もしばしばだが、基本的には点滴処方を施されている毎日だ。

 今日は容態の変化もなく、いつもの点滴注射が終わればそのまま帰っていいらしい。わたしはこの点滴処方の時間というのが嫌いだが、今日は実は例外としてちょっぴり気分がよかった。

「ふふふ……」

 思わず北叟笑んでしまい、わたしは一つ咳を払う。

 持参していた学校指定の鞄の中を覗いてみれば、日ノ本君に貸してもらった一冊の本が入っていた。

「ぴんぽーん。篠宮、篠宮さーん。点滴のお時間ですよー」

「!」

 文庫本の表紙を眺めて一人悦に入っていると、聞き慣れていない声が届いてわたしは正気を取り戻した。

 慌てて本を背中に隠し、引き戸の向こうに返事をする。間もなく個室に入室したのは、初見の看護師さんだった。

「初めましてのこんにちはー。君が篠宮さんね」

「……」

「あたしは新たに四〇八の病室担当になりました、綺麗なナースのお姉さんよ。そこんとこ、どうぞよろしく」

「……」

 この軽々しい物言い、振る舞い、何だろう……「誰か」を思い出す。

 どうやらこちらの思い違いというわけでもないらしく、わたしとこの女性看護師は初対面のようである。人事異動か部署転換か、それは定かでないのだが、恐らくそういう理由があってここの担当になったのだろう。

「聞いたよ。毎日この病院で点滴打ってるらしいね」

「はい……」

「ねえねえ。訊かせてほしいんだけど、君さ、病名はなあに?」

「えっ……」

 藪から棒な質問だった。看護師の言葉にどきりとする。

 わたしは極力平静を保ち、毅然と彼女に返事をした。

「カルテ、見てないんですか?」

「もちろん見たけど、あんなカルテは見てもさっぱりだったの」

「……」

「生まれた時から嘔吐症で、食べてもすぐに戻してしまう。原因は一切不明のままで、取り分けお肉やお魚なんかは絶対口にはしない――でしょ?」

 言いつつ、点滴注射の準備も怠らないよう進めている。

 わたしの身の上話をしつつ、彼女は唇を尖らせた。

「確かに異常ね。最初は何かの宗教なのかと思ったけど」

「お腹の中にものを入れると気持ちが悪くなるんです。どうして気持ちが悪くなるかは、わたし自身も分かりません……」

 彼女は「ふむ」と頷いて、やはり納得できない様子でこちらを舐めるように見た。

「でもね、何にも食べてはいない――というわけではないでしょ?」

「……」

「絶食にしろ偏食にしろ、どんなことにも限度がある。君、どうやら訳ありらしいね。あたしね、好きよ。そういう人」

 一人でけらけら笑う彼女はすでに用具を片していた。

 気付けば注射も済んでしまって、点滴が開始されている。確かにわたしにとって注射は日常茶飯事のことであり、痛くも痒くもないのだが……狐に摘まれたようだった。

「ごめんね。詮索しすぎたわ。悪い癖が出ちゃった」

「……」

「怒ったんなら許してほしい。どうかどうか、この通りよ」

 きっとわたしが怖い顔を浮かべてしまっていたのだろう。ぺこりと頭を下げる彼女に、

「お気になさらず」――そう告げた。

「許してくれる?」

「許してあげます」

「じゃあ、仲直り!」

「仲直りです」

 再び「誰か」を思い出して、わたしは不意に噴き出した。

 咄嗟に両手で口を隠すが、しまった……遅かったようである。

「やっと笑顔になってくれた。第一関門突破ね」

「……?」

「気難しい子と思ってたけど、そういう顔もできるんだ」

 彼女はわたしの頬を摘まみ、左右にうんと引っ張った。

 ぐにぐにぐに、ぐにぐにぐに……そろそろ放してください。ねえ。

「おっと! いけない。嫌われちゃうね。今日はこの辺にしとく」

「……」

「とにかく、女は笑顔が一番! 君も笑っていなさいな」

「改めまして」と前置きしつつ、彼女が片手を差し出した。

 何となくだが、背筋を伸ばす。わたしは居住まいをしゃんとした。

「初めまして。あたし、霞よ」

「下の名前……?」

「言わずもがな」

「余所余所しいのは嫌い」らしい。握手に応えて頷いた。

「えっと、那智です。篠宮那智。わたしも下の名前で、はい」

「お、君、分かってるう。だったら、あたしもそうするね」

 白い歯を見せ頷く彼女に釣られて目尻を下げてしまう。

 本来、こういう軽めの人は苦手だったはずなのだが、どこかの軟派男のせいで少し耐性がついたらしい。

「それじゃあ、あたしは一時退却。これから仲良くしましょ」

「はい」

「点滴、済んだらまた来るから。その時間までごゆっくり」

 彼女は小さく手を振りながらこの病室から出ていった。

 霞さん……か。いい人だった。良くも悪くもマイペースであり自由奔放な女性だが、掴みどころがないところもまた彼女の魅力なのだろう。

「……」

 背中の本を手に取り、表紙を擦ってそれを愛でる。今日はいいことが二つもあった。幸せすぎるくらいである。

 しかし、わたしは今の会話の中で……嘘をついていた。

 今まで何度もついた嘘だ。それでも呵責を感じた。

「……」

 窓の外を見やれば、そこにはいつもと同じ景色がある。十六年間、眺め続けた不変のそんな風景は、さながらわたしのこの人生を表しているようだった。




「やあ、時雨。おはよう」

「おはよー」

「今日は? 身体は? 調子はどう?」

 俺の家と楓の家の最寄りに当たる交差点。ここは俺たちが落ち合う場所で、所謂集合地点である。

「あー、もう! 楓、しつこい。そんなの見れば分かるだろ」

「分からないから毎回毎回欠かさず本人に訊いてるの」

「調子が悪いんだったらそもそも家で養生してるって。俺のこの学ラン姿がその目に入らないのかよ……」

「時雨は時たま無茶をするし、しかもそんな時に限って他人を巻き込まないからね。用心するに越したことはないよ。油断はいけないから」

 朝一番に楓の口から出てくる言葉は決まっている。毎朝、俺と彼は二人で一緒に登校するのだが、この大親友はこちらの容態を会う度チェックするのである。

 対して、俺が「ああだこうだ」と不平不満を捲し立て、敢えなく彼に論破される。それが習慣になっていた。

「大体、俺が登校するのは愛しの那智に会うためだ。そのためだったら命も懸けるし、死さえも怖くはないのだ」

「ご立派。だけどね、時雨が登校するのは補習を受けるためだよ」

「……」

「その分だとさ、保健室での補習もふざけてばかりでしょ。真面目に勉強しなくちゃダメだよ。でないと意味がないからね」

 流石は勝手知ったる仲。突かれて痛いところは全て心得られているようだ。

 そんなこんなで会話を交わし、通学路を歩いていく。徒歩で通えるその道則は元々大した距離ではなく、間もなく我らが教えの庭の校舎の影が見えてきた。

「ねえ、時雨。ちょっといい?」

「うんー?」

「篠宮さんのこと」

 楓が真顔で切り出したため、本の少しだけ身構えた。

 いつもの彼と様子が違う。それはすぐに見て取れた。

「時雨もさ、この界隈のお伽噺は知ってるよね」

「いきなりだな。確かに俺は非常識かもしれないけど、流石にそれは知ってるぞ。ここら辺りの出身者なら誰でも知ってるはずだ」

「そう。人食い鬼と人の間の、例の謎の話だよ。凄く有名な語り種で、その表題は――ジュジュツナギ」

 世間知らずを自負する俺でもその話なら知っていた。

 俺たちの住む市街地区には著名なお伽噺がある。一応、この地方に伝わる古い民話らしいのだが、今では主に都市伝説や怪談として知られている。

 内容は、昔、この地を襲った流行病の話である。原因不明の不治難病に当時の住民は倒れていき、更にはそこに鬼が現れ、病人を食べたというものだ。可笑しなことにこの話には詳細な説明が一切なく、流行病が潰えたシーンでお伽噺は幕を閉じる。

 しかし、真偽不明の俗説、噂が溢れ返る中で、それら全てに一致している共通点が存在した。

 鬼が死んだ病人を食べると、流行り病はなくなった。

 鬼が死んだ病人を食べると、鬼は人々に感謝された。

 不思議なことに以上の二点はどの憶説でも合致して、不気味で奇妙なお伽噺に拍車をかけているのである。謎の文面で理解不能の表題もまた相俟って、この「ジュジュツナギ」はここら一帯で大きくその名を馳せていた。

「待て待て、楓……お伽噺をお浚いするのはいいけどな。そんな怖い話と那智にどんな関係があるんだよ」

「昨日、学校に着いた後、彼女の話をしたよね」

「したな。二人で廊下を歩きながら、一限の補習の前にだろ」

「あの時、言うだけ野暮と思って敢えて黙ってたんだけど、実は……昨日のあの話には少し続きがあるんだよ」

 ぴたりとその場に停止して、楓が登校の歩を止める。

 倣って俺も一時停止、こちらも登校の歩を止めた。

「篠宮さんは友達がいない。僕、そう言ったよね」

「ああ、身体が弱いせいだろ? 学校に顔を出せないから」

「そう。だけど、だけではない。篠宮さんには曰くがあって、だから友達がいないんだよ」

 曰く。そんな物騒な言葉に、俺は――。

 嫌な予感がした。

「おいおい、楓……まさかだけど、那智が人食い鬼だなんて考えてたりしないよな?」

「僕も考えたくはない。でもね、みんなは考えてる」

「いやこら、どういう了見だ。本人がそう言ったのかよ」

「ううん。けどね、篠宮さんにはそういう謂れがあるんだよ」

「身体に障るよ」「落ち着いて」と、楓が俺の背を擦る。

 彼に当たってしまっていた。一言「すまん」と謝罪する。

「篠宮さんはね、とある富家の一人娘らしいんだ。その大金持ちの実家は現地じゃ凄く有名なんだそうで、家屋自体は古いんだけど、大きなお屋敷らしい」

「ふむ……」

「で、やっぱりそういう家だし、話の種になるじゃない? 妬み僻みも持たれちゃって、噂は尽きないらしいけど――」

「噂の中には、あのジュジュツナギと密接してるものもある」

 楓は神妙な顔を浮かべ、下を向きつつ頷いた。

「人食い一家の篠宮家――結構、その名は知れてるらしい。理由や原因は不明だけど、篠宮さんの家族は代々そういう風に揶揄されてる。半ばお化け屋敷の家に近隣住人も怖がってて、今では隔絶された上で……気味悪がられてるんだ」

「……」

「根も葉もないかもしれないけど、だけど……それでも火のないところに煙は立たないと思うんだ。今は答えは出ないけど、きっと僕らが知る由もない大きな秘密があるんだよ」

 俺は返事の代わりに歩き出して、黙って登校を再開した。

 楓は負い目を感じているのか、少し遅れてついてくる。

「時雨、怒った……?」

「怒ってない。少し考えてたんだ」

「……」

「人食い一家の篠宮家――悪いな。俺は信じない。大体、どうして人を食うんだ? 意図が分からないだろ」

「それは……」

「大昔の話であれば、飢饉だとか人減らしだとか、そういう目当ても思いつく。だけどこのご時世だぜ? 人食い一家の噂なんて、そんなの非科学的じゃんか」

 嘘でも冗談でもない意見を素直にそのまま口にする。すると、楓が俺の腕を掴んだ。

 背後を振り返る。

「みんな、彼女を恐れてる。だから誰も近付かないし、彼女は誰も受け入れない」

「……」

「ねえ、ほんとにいいの? それでも彼女のことが好きで、このまま接していくの?」

「……」

 真剣な目の楓を見習い、こちらも態度を改めた。

 親友相手だ。躊躇わない。俺は本心をぶちまけた。

「楓、俺は那智が好きだ。それは変わらないぞ」

「……」

「確かに心臓は弱いけど、惚れやすいわけじゃないんだぜ。そんな俺が恋してるんだ。今はそれだけでいいんだよ」

 思う存分に格好つける。格好つけてはみたのだが、何とも……逆効果だったらしい。

 あろうことか、楓はその場で抱腹。笑い出したのだ。

「あはは! 時雨、かっちょいい! 恋してるんだ! かっちょいい!」

「え、おい、ちょ、こら……楓、こんにゃろ! 何なんだよ!」

「ごめんごめん、ほんとは端から時雨の答えは分かってた。試したんだよ。時雨のこと。篠宮さんへの気持ち」

「えーっ!」

 楓の両の肩を掴み、前後左右に揺さぶる俺。

 彼は「許して」と請うてはいるが、顔はしっかり笑っていた。

「にゃろう、俺を担いだな!」

「ふふふ、まあ、たまにはね」

「正直、ちょっぴり引けったぞ!」

「あのね、昨日も言ったでしょ。時雨の恋は応援するから、だから邪魔する気はないよ」

 爽やか笑顔のイケメンフェイスはいつもの楓そのものだ。

 俺はぎゃあぎゃあ騒ぎつつも、内心愁眉を開いていた。

「だけど、時雨……言っとくけど、篠宮さんのお家事情や可笑しな噂は嘘じゃないよ。確かに、真相は定かじゃない……けどね、憶えておいて」

「ああ……」

 再び並んで歩き出す。歩幅は元に戻っていた。

 那智について不安の種が一つ生じてしまったが、彼女が只者ではないことは元々見越していたことだ。今は楓の思ん量りに、とにかく感謝しておこう。

「……?」

 一息ついた矢先、ふと、道の電信柱の付け根に何かを発見した。

 茶色で四角いその物体をまじまじ凝視してみると、それはダンボール箱であり……俺はまさかと思った。

「楓」

 一も二もなく名前を呼んで、隣りの楓と目を合わせる。彼も彼でダンボール箱の存在に気付いたようであり、二人で同時にこくりと頷き、一緒にその場に駆け寄った。

「にゃあ」

 恐らく楓も同じ予想をしていたことだろう。ダンボール箱の中にいたのは、産まれて、多分……一ヶ月ほどの小さな茶虎の猫だった。

「時雨……」

「ああ、捨て猫だな。酷いことをするもんだ……」

 頭を撫でてやろうと思い、子猫に手を差し伸べる。しかし、楓は俺の行動を制した。

 首を横に振る。

「時雨、ダメだよ。構っちゃダメ。この子のためにならないから」

「だけど……」

「放っておくしかない。ここは心を鬼にしよう」

 楓の言い分は正しかった。俺たち二人は学生であり、そもそも登校中の身だ。安請け合いをしてはいけない……それはごもっともである。

 可哀相だが、残念だが、手を引っ込めて後ろを向く。

 せめて心の優しい人に拾ってほしいと、切願した。

「……」

 棒立ち話も含め、随分時間が経っていた。このままでは遅刻である。

 遠目の校舎を指差した。

「楓、急ぐぞ! 走れ!」

「時雨、あんまり興奮したら――」

「うぐぐ!」

「ほら、言わんこっちゃない! 無理はしない約束でしょ!」

 楓の肩を借りつつ、必死に通学路を前進する。

 一度だけと振り向いてみれば、ダンボール箱から顔を出して子猫がこちらを見つめていた。




「那智、お待たせ……っ!」

「待ってないから」

「遅れて悪いな……っ!」

「待ってない」

 間もなく補習が始まる頃、保健室の引き戸が開いて一人の男子が入室した。

 時間ぎりぎり。やってきたのは日ノ本君に他ならない。なぜだか息を切らしているが、彼の笑顔と態度を見るに心配無用のようである。

 わたしは大きく息をつき、心の底からげんなりした。今日は静かに一人で授業を受けられるかもと思ったが、やはり結局彼と二人で勉強することになるらしい。

「お、今のは俺の到着に漏らした安堵の溜め息か」

「今日も昨日と同じなのかと漏らした悲嘆の溜め息」

「ああ……」

 しょんぼり肩を落としながら自分の机に着席する。わたしは隣りの席から横目でそんな彼を見つめていた。

 少し言いすぎたのかもしれない。そう思わなくもないのだが、いかんせん……わたしは彼にどうも素直になれないのだ。感謝や謝罪の言葉さえも何となくだが伝えにくい。きっとそれは彼がわたしに告白なんてしたからだが、こんな気持ち……こんな感情は生まれて初めてのものだった。

「あ、そうだ。那智!」

「……」

「貸した本は読んだか?」

「うん……?」

 間抜けな声を出してしまい、わたしは口を手隠しした。

 ちなみに読了は済んでいる。読了は済んでいるのだが、本は家に置いたままだ……持ってきてはいなかった。

「あ、未読のままだったか」

「いいえ、読んだわ。読んだけど――」

「そうか。それで、何回くらい?」

「え……」

「何回読んだんだ?」

 意外な問いに困惑する。てっきり返却を促されるとわたしは思っていたのだが、どうやらそれは違ったようだ。彼は重ねて質問した。

「その本、面白かっただろ? きっと一回じゃないだろ」

「……」

「なあなあ、那智、教えてくれよ。一体、何回読んだんだ?」

 横からこちらの顔を覗く日ノ本君は意地が悪い。わたしは彼に背中を向けて返答案を思索した。

 彼が貸してくれた本は本当に本当に傑作で、夢中になって読み進めていたわたしは虜になっていた。気付けば二回、いや三回と自然と何度も読み直し……そういう意味では、彼の予想は的を射ているわけなのだが。

 本を貸してもらった手前、立場的にも誤魔化せない。

 机に突っ伏し、顔を隠す。自棄だ。わたしは白状した。

「三回くらい――」

「え、本当は?」

「四回……五回! 読んだわよ!」

 こんな、こんな……屈辱千万、わたしは初めて味わった。

 日ノ本君は愉快にけらけら一人で哄笑中である。わたしが声を荒げたことがそんなに面白かったのか、彼の考えは分からないが……辱められて頭に来た。

「うるさい、うるさい! 食らえ、食らえ!」

「あー、那智は可愛いなあ」

「そういう軽口叩かないで!」

「ちなみに俺は十回だぞ」

 一矢報いる気持ちで隣りの机の椅子を蹴ったのだが、日ノ本君はどこ吹く風だ。却ってこちらを煽ってきた。

 わたしは五回読んだが、けれども日ノ本君は十回らしい。何やら無性に悔しいのだが、これまた……どうしたことだろう。

「わたし、まだまだ読み込むもの! あなたになんか負けてない!」

「あはは」

「笑うな! 真面目に聞いて!」

「俺は真面目に聞いてるぞ」

 傍若無人の日ノ本君はいつ何時も自由である。マイペースという言葉が似合う。

 わたしは、そう思っていた。

「まあまあ、そんなに剥れるなって。勝ち負けなんかじゃないんだし」

 頭を撫でられ、振り払う。本当に遠慮のない人だ。自信家……なんてものではないが、彼の一挙手一投足には迷いが微塵もないのである。

 はあ、疲れた。などと眉間を押さえてうんざりした矢先、だだだ――と廊下を豪快に蹴る一人の足音が聞こえてきた。

 小さな小さな歩幅のこれは、きっと鈴谷先生だろう。

「すまん! 日ノ本、篠宮、遅れた!」

「あー、思人ちゃん、また遅刻ー?」

「違う! これは、これはだな! 冬場の朝は辛くて、その……」

 先生は両手を前に揃えて、ぺこぺこ頭を下げている。寝過ごしたということのようで……そこはかとなく可愛らしい。

「立派な大人の思人ちゃんだって朝寝坊はするんだ?」

「ぐぬぬ……」

「そういうところが子供っぽいから生徒に弄られてるのに……」

「何ーっ! いや、まあ、今回ばかりは先生が悪いわけなんだが……」

 両手の指をつんつんしている姿は子供のようだった。

「ええい、それより勉強だ! 補習の授業を始めるぞ!」

「うわー、思人ちゃん、横暴だー」

「煩い! 私語は謹め!」

「ええ……」

 よっぽど悔しかったのだろう。先生は乗りと勢いだけでこの場を制するつもりらしい。

 わたしは言われた通りにし、ノートや教科書を用意する。彼はこちらを一瞥し、不平不満をぼやきつつも渋々同じく行動した。

(那智、本の返却期限はなしだ。存分に読んでくれ)

(え……?)

(そんで、満足したら、そしたら返せばいいぞ)

「日ノ本ーっ!」

 こそこそ話が漏れてしまって先生の怒りに触れてしまう。

 こちらに破顔一笑しつつ、ぱちりとウインクなんかして、日ノ本君は名前を呼ばれて起立し、先生に謝罪した。

「思人ちゃん、ごめん!」

「ちゃん付けするな!」

「思人ちゃん、ごめん!」

「もういい! バカ!」

 どうも今日の鈴谷先生は冷静さを欠いている。

 日ノ本君は「にしし」と笑う。気付けば、彼を見つめていた。




「時雨、返事、どうする?」

「むう……」

「あの子、そろそろ来ちゃうよ」

「むう……」

「あはは。そんなに緊張しちゃって、時雨、意外とピュアだよね」

 補習授業の終了後、俺は楓に誘い出されて体育館にやってきた。

 正確には、体育館へと続く渡り廊下である。困窮しているこちらに引き替え、隣りの楓は呑気であり、面白そうに楽しそうに一人相好を崩していた。

「笑い事じゃないぞ……」

「ごめん。だけど、やっぱり可笑しくてさ。時雨、こういう時くらいしか困ったりとかしないし」

「……」

 放課後。一人の女子生徒から、俺は呼び出しを受けていた。

 同学年だが、今まで一度も話したことさえない人だ。別のクラスの女の子であり顔と名前も一致せず、その仲介役に選ばれたのが楓というわけである。

「一年二組の曙さん、すんごい美人さんだよ」

「むう……」

「今時、恋文なんて貰って、時雨は果報者だね」

「むう……」

「ラブレターを渡した上で当日中に呼び出しとは、何だかアグレッシブだよね。それで、時雨、返事は?」

「むう……」

 腕組み思考に耽る俺に、楓は小さく窃笑した。

 結論ならば決まっていた。俺は那智のことが好きだ。だから断る他になかった。実際、それだけのことなのだ。

 しかし、思いを口にするのは時にとても難しく……容易いことではないのである。

 内心、参ってしまっていた。

「ごめんね。僕が曙さんに代弁できればよかったけど、それはそれで違う気がして何にも言えなかったんだ」

「いや、楓のせいじゃない。お前は仲立ちしてくれたんだ。責任を感じることはない」

「そう言われると助かるけど、逆に負い目を感じるね。時雨、そろそろ時間だけど……心の準備はできた?」

「うーん……」

 その時、数人の女子一行が体育館から現れた。

 周りの女子に背中を押され、中心の一人が前に出る。彼女は背中に両手を回し、ふらふらこちらにやってきた。

「……」

 二つ結びの髪を肩の前に垂らしている。

 どうやらこの子が手紙の主で、件のお相手さんらしい。気付けば、楓は外野を引き連れ、早くも席を外していた。

「あの、ごめんね。呼び出しちゃって。ほとんど初対面なのに……」

「いやいや、俺なら構わないぞ。別に……問題ないから」

「あはは……」

 照れ臭そうに下を向いて、頬を染めて苦笑する。女の子らしい女の子だ。

 第一印象はそれだった。

「曙、運動部なのか」

「え……?」

「体育館から出てきたから」

「あ、ううん、吹部だよ。吹奏楽部。コントラバス」

 言いつつ、彼女はこちらに向かって自分の掌を表にした。その指先には二枚も三枚も絆創膏が巻かれていた。

「いつもは音楽室だけど、ほら、今は冬休みで。運動部の子は出払ってて、だからここで練習なの」

「そうか。それで体育館の前に呼び出したんだな」

「うん……」

 重ねて「ごめん」と頭を下げ、ようやく彼女がこちらを見た。

 楓が「男子の憧れ」などと表現したのは聞いていたが、確かに引く手も数多であろう容姿容貌の女子だった。

「手紙、読んでくれた……?」

「おう」

「そっかそっか。読んだか……」

「……」

「ほんとは、今は告白なんて全然考えてなかったの。だけど、噂を聞いちゃってさ……何だか焦っちゃって」

「噂……?」

 何のことかと問うより早く、彼女はこくりと頷いた。

 左右の手と手をきゅっと結び、腹部の前で一つにする。

「日ノ本君、ずばり……最近、好きな人ができたでしょ」

「えっ!」

「みんな知ってるよ。その話題で持ちきりだもん」

「相手は五組の篠宮さん」と続けられて頭を掻く。

 すでに噂になっているとは思いも寄らないことだった。長期休暇の最中でこれとは、流石は色恋沙汰である。

「最初はね、仕方がないから諦めようと思ったの。だけど、やっぱり……悔しくって、すっきりできなかったんだ。日ノ本君にとってはこんなの迷惑なのかもしれないけど、それでも……自分の気持ちだけは絶対伝えたかったの」

「曙……」

「日ノ本君、これ、知ってる?」――彼女の問いに首を捻る。胸ポケットから取り出されたのは、ミサンガ……手製のものだった。

 この学校には、伝統的なミサンガ作りの風習がある。学年問わず女子の間で定着している習わしで、親しい知友の記念日などの贈答品になっている。しかし、時には意中の人への告白時にも用意され、相手がミサンガを受け取ることは即ち「受諾」を意味していた。

「手編みのミサンガ、貰ってほしくて……一生懸命作ったの。割とね、上手にできたかなって……一応、自信作なの」

「……」

「いやー、やっぱり気が張っちゃうな。告白なんて初めてだし。でもね、勇気を出して言うよ。聞き逃したりしないでね」

 背筋を伸ばして姿勢を正し、曙は深呼吸をした。

 彼女の両手が差し出される。その手は僅かに震えていた。

「日ノ本君のことが好きです。ずっとずっと好きでした。手紙の返事、聞かせてほしい。よければ……付き合ってください」

「……」

 指に巻かれた絆創膏が、いやに目立って見えていた。両手の上には一本のミサンガ。

 俺は――その手を下ろさせた。

「ごめんな。巷の噂の通り、俺は那智が好きなんだ。曙の気持ちは嬉しいけど、応えることはできない」

「……」

 余計な言葉は不要として、俺はそれで言い終えた。

 哀愁を帯びた目顔のまま、彼女は頭を垂れていた。

「曙、今日はありがとな。告白、聞かせてもらったぞ。それじゃあ、俺はもう行くよ。今後も仲良くしてくれ」

「……」

 暫しの時間が経ち、俺は一方的に決別した。長居は無用と断じた俺は見方によっては卑怯者だ。

 一つ呼吸を置いた後、彼女の瞳に背を向ける。すると、くつくつ笑う声が――その背後から聞こえてきた。

「ねえ、知ってる……? 日ノ本君」

「え……」

「篠宮さんのこと」

 見向けば、背後に立つ曙は自嘲の笑みを浮かべていた。

 もはや彼女はこちらを見ずに、遠い空を眺めていた。

「あの子ね、嫌われ者なのよ。存在自体が不気味で、だから友達だって一人もいない。そんなことは知ってるよね。聞いたことがあるでしょ?」

「……」

「日ノ本君の噂というのも、あんまり評判はよくないの。全部全部、あの子のせいよ。篠宮さんの、だから――」

「曙」

 優しさなんて感じさせない俺の冷たい声色に、彼女はその場で泣き崩れた。

 大粒の涙が頬を伝う。

「ふふふ、可愛くないね……」

「……」

「篠宮さんは可愛い?」

「……」

「あーあ、惨め! 負け惜しみとか……これじゃ振られて当然か」

 両手で両目をぐしぐし拭いて、にこりと作り笑顔になる。

 虚勢を張っていることだけは、俺でも容易に見て取れた。

「告白の返事、ありがとう。ようやくすっきりしたよ」

「おう……」

「だけど、生憎日ノ本君の恋は応援できないな。今からだって遅くはないし、愛花に乗り換えようよ」

「不要」

 俺の即答にけけけと笑う。今度は本物の笑みだった。

 最後に曙の名前を知った。彼女は愛花というらしい。

「さて! それじゃあ、不肖の愛花はここら辺りでお暇するよ。女の子を一人で置き去り、思ったよりも酷いね」

「わ、悪い……」

「再三だけど、篠宮さんは……客観的にお勧めしない。これは日ノ本君のための、助言、いや……忠告だよ」

「実は部活の途中なんだ」と体育館へ駆けていく。

 すると、途中で立ち止まり、こちらを振り向かないままで、曙愛花はか細い声で、しかしはっきり断言した。

「薄気味悪い篠宮さんと仲良くしたりしないでほしい。日ノ本君まで学年中の嫌われ者になっちゃうよ」

 そうして、彼女は体育館の中へと姿を消し去った。

 どこからともなく楓が現れ、俺の肩に手を添えた。




 補習が終わり、ベッドに座って迎えの車をじっと待つ。登校時や下校時――というか通院などの外出も含め、わたしは家の送迎車により目的地へと移動する。長期休暇の期間であろうとそれは家法の一つであり、わたしは言わばケージの中の小鳥のようなものだった。

 保健室内のこの雰囲気は本当に本当に好きである。病院の自分の個室と違い、窓外の景色が時刻によって移り変わっていくからだ。何より鈴谷先生がいるので、精神的に安心する。デスクに座って事務処理をする先生の鼻歌が好きだった。

 わたしにとってこの一時は、とても希少なお気に入りだ。わたしは、いつもこの一時を大事に大事に過ごしていた。

「……」

 そんな貴重な時間も残り僅かとなった頃、窓の外の――遠くの景色に見知った顔を発見した。

 体育館への渡り廊下、そこに男子が二人いる。一人は名前も分からないが、もう一人なら知っていた。

「日ノ本君……?」

 反射的についつい声に出してしまい、わたしは不意の独り言に自分の口を手で隠した。

 どうやらそんなわたしの声が耳に届いてしまったようで、先生はこちらの視線の向こうを見やり、小さく一笑した。

「おー、またか。日ノ本のやつ、どえらい緊張してるな」

「え……?」

「季節に構わずお熱いことだ。あれ、女子の呼び出しだよ」

 デスクワークをほっぽり出して先生が窓際へと寄った。

「こっちにおいで」と手招きされて隣りに並んでしまったが、これは単なる成り行きだ。わたしの意思は関係ない。

「先生、女子の呼び出しとは……? はてさて、どういうことでしょう」

「ああ、篠宮は知らないのか。日ノ本時雨の評判」

「……」

「あいつ、あれでもモテるんだぞ。女子から慕われてるんだ」

「ええっ!」

 思わず声を上げてしまう。正直、わたしは驚愕した。

「わはは。分かるぞ。意外だろ。そうは見えないもんな」

「はい……」

「もう片方ももう片方で負けず劣らず人気がある。一年の日ノ本、山城コンビ――結構有名な二人組だ」

 言って、先生はにやりとして、渡り廊下を顎で指す。

 見やれば、奥の体育館から数人の女子が出てきていた。

「あいつら、自覚の有無はともかく異性に信頼されててな。同学年の女子生徒から好意を寄せられてるんだ」

「……」

「先生も恋の相談なんかで度々二人の話を聞く。実は女泣かせなんだよ。罪作りな連中だな」

 日ノ本君のお連れさんと女子の取り巻きたちが消え、渡り廊下のその一角には男女の二人だけになる。男女というのは、日ノ本君と……今から告白する女子だ。

 先生の説明を聞きつつも、なぜか……わたしは食い入るようにその光景を見つめていた。

「二つ結びに分けた髪を肩に垂らした女子生徒。あれは二組の曙だな。ふふふ、遠目でも目立つ子だ」

「曙……?」

「一年のマドンナだよ。名前は愛花といったかな」

 やたらめったら面白そうにしげしげ見物する先生。

 わたしはカーテンに手を伸ばし、二人の遠景を遮断した。

「おや、見届けないのか」

「はい。覗き見なんてしちゃダメです」

「えー、先生はちょっと見たい……」

「ダメダメ。お仕事の途中でしょう」

「残念だなあ」とデスクに戻る。先生はちょっぴり野次馬らしい。

 わたしもベッドに戻っていく。少し……心がもやもやした。

「わたし、知りませんでした……日ノ本君のそういうこと」

「血気盛んで自由奔放な生き様。これが魅力らしい。やつに惚れた子たちに訊くと、誰しも同じくそう言うぞ」

「自由奔放な生き様ですか……」

「篠宮はどうだ。分からないか」

 デスクチェアーに凭れ、大きく背中を反ってこちらを見る。先生は目を細めている。

 少し嫌な予感がした。

「何だ何だ。篠宮、どうした。もしや嫉妬したのか」

「はあ……」

「日ノ本時雨は確かにモテるが、意中の相手はお前だろう。というか、そろそろあいつの気持ちに応えてやったらどうだ」

「もう……」

 日ノ本君はいつ何時でも日ノ本君のままなため、補習授業の時間であろうとわたしにぐいぐい寄ってくる。彼のそういう態度もあり、先生たちには要らない誤解を受けてしまっているのである。

「そういうことではありません」

「それじゃあ、どういうことだ?」

「……」

「実際問題、どう思ってる? 日ノ本のこと、好きか?」

「……」

 わたしは毛布を広げ、身体に覆い被せて小さくなる。

「おやおや、可愛い蝸牛だ」と、先生に笑われてしまった。

「相手は学年のヒーローだぞ。女としても名誉だろう」

「嬉しくないです。興味ないです。恋愛なんて……知らない」

「くくく……」

 押し殺すような先生の声に、わたしは顔だけ外に出す。

「先生の意地悪」――文句を言うと、彼女はあくまで愉快そうに両手を上げて投降した。

「すまんすまん。だが、あいつはあいつなりに本気なんだ。個人的には後押ししたい。真面目に考えてやってくれ」

 とんとん――書類を一纏めにし、先生がすっくと立ち上がる。

 職員室に向かうのだろう。わたしは毛布を被ったまま、ベッドの上に座り込んだ。

「好きなら好きと言えばいい。嫌いなら嫌いと言えばいい。後者の場合、纏わりつくなとはっきり断言するのも手だ」

「それ、何度も言ったんですけど……」

「まあ、あいつのことだしな」

「ちょっとやそっとじゃ諦めないぞ」と、かかかと大きく笑いながら、先生は室外に歩いていく。

 反転、こちらを見返した。

「時に、篠宮。やつのことだが、血液型は何だと思う?」

「血液……?」

「そう。血液型。先生はO型と思うんだが」

 藪から棒な質問を受け、顎に手を当て一考する。

「やつ」というのは日ノ本君のことで相違ないだろう。ならばO型に票を入れた先生の判断は頷ける。しかし、よくよく深読みするとB型っぽい感じもする。

 わたしは少し悩んだ末、顎に添えた手を下げた。

「A型だと思います」

「えー、篠宮、正気か?」

「……」

「どうしてそうだと思ったんだ?」

「それは……理由はないです」

「ふーむ」

「なぜか」と問われて返事ができる答えなどではなかったが、心の底から何となくだが、彼はA型と思ったのだ。

「まあいい。今度、本人に訊いて答え合わせをするとしよう」

「わたし、どうでもいいんですけど……」

「そうは言わないでやってくれ」

 特にこの質問自体に意味はなかったようである。

 今やカーテンで閉ざされている窓辺をちらりと目した後、何やらお腹に納めていそうな先生が再びこちらを見た。

「あいつのことなら心配するな。告白の返事はノーだ」

「……」

「お節介かもしれないがな。先生は応援してるぞ」

「……」

 わたしのことを三回くらい笑いものにしておいて、そのまま先生は引き戸を開けて保健室から出ていった。

「心配なんてしていません」と、届きもしない返事をする。わたしは毛布を四つに畳み、ベッドの端へと放り投げた。

「ふう……疲れた。これも全部、日ノ本君が悪いのよ……」

 意味など皆無の悪態をつく。今日に限って迎えが遅い。手持ち無沙汰に過ごす時間は人より慣れっこだったのだが、わたしはそわそわおどおどして……なぜだか落ち着けないでいた。

 天井を見上げ、溜め息をつき、そして……不意に流し目する。

 おずおず先の立ち位置へ。わたしは胸中で謝罪した。

「あ……」

 先ほど閉めたカーテン。少し開いて覗き見する。

 体育館の渡り廊下。そこには、誰もいなかった。




「まあ、そういうわけだから……時雨、気にしちゃダメだよ」

「おう」

「曙さんについては任せて。僕がフォローするから」

「おう」

「だから、時雨は元気を出して。明日も学校に行こう」

「おう」

「……ねえ、時雨、一足す一は?」

「おう」

「結構、重症だね……」

 帰路。俺は楓とともに、自宅に向かって歩いていた。

 本来、いつもの交差点にて楓は道を違えるが、今日は異例で日ノ本家までお供を続けてくれている。曙愛花の放った言葉に俺はダメージを受けてしまい、彼は介護的な意味で付き添ってくれたわけである。

「ごめんね。まさか曙さんがそこまで口にするとは、僕も……」

「何度も言うけど、楓、お前は謝る必要なんてない。誰のせいでもないと思う。だから謝罪は不要だ」

「時雨……」

 実は――更にもう一件、俺の今のセンチな気分に拍車をかけたことがある。今朝方、見かけた茶虎の子猫。あの子が消えていたのである。

 楓と「今朝のままだったら」と二人で案じていたのだが、もはや例の電柱の下の子猫は姿を消していた。誰かに拾われたのであれば心配なんて不要だが、ダンボール箱が残っていたので……それは望み薄だった。楓に「ちょっとネガティブすぎる」とお叱りを受けてしまったが、俺はあの子のことも重ねて心残りに思っていた。

「あー、しかし……滅入っちゃうな。やっぱり那智にもっかい会って、それから下校すべきだった」

「それなら元気が出たと思う?」

「それなら元気が出たと思う」

「あはは。だったら安心した。篠宮さんに会うためにも、明日も登校しなくちゃね」

 楓に肘でつつかれる。俺は鼻頭を掻いた。

 気付けば、我が家は目前にまで迫っているところである。古くて汚いボロアパートの一室、それが日ノ本家だ。訳ありだった父と母が新居としたのがここであり、もはやボロにも慣れてしまって現状引っ越す予定もない。

 俺はその場に立ち止まり、楓に向かって手を合わせた。今日も今日とて、彼を巻き込み面倒をかけてしまったのだ。

「帰り道、遠回りさせて悪いな。申し訳なかったな」

「いいよ。大した距離じゃないし、僕は健康体だから」

「せっかくだし、上がってくか? 温かいもの飲んでけよ」

「ううん、僕はこのまま帰る。邪魔になったらいけないしね」

 声のトーンを下げた楓は我が家に目線を向けていた。

 悲しそうな瞳だった。俺は斜め下を向く。

「小母さん、どう……? 最近は」

「相変わらずだ。たまに籠もる」

「ねえ、僕にできることは――」

「だから、お前は気負いすぎ」

「少しは俺を信用しろよ」と弱い力でパンチする。

 こちらの右手を受け止め、楓は渋々「そっか」と頷いた。

「それじゃあ、明日」

「おう。またな」

「時雨」

「何だ?」

「いや……別に」

 それ以上は何も言わず、手を振り――楓は帰っていく。

 心配性で神経質な我が親友に感謝しつつ、彼の背中を見送ってから俺は実家に帰宅した。

「母さん、ただいま。いる……?」

 ……。

「ああ、今日も……そうなのか」

 母はベテラン看護師であり、街の病院に勤めている。昼勤も夜勤もあり、それはその日の都合によるのだが、どうやら今日は夜勤らしい。

 母はいつもの部屋にいた。

「母さん、ただいま。帰ったよ」

「――」

「今日も寒いねえ……」

 父の部屋のその目前に、ドアも開けずに立ち止まる。俺はそのまま正座をして、部屋の中へと話しかけた。

「今日はね、何と呼び出されてさ。放課後、告白を受けたよ」

「――」

「相手は同学年の生徒で、吹奏楽部の女子だった。嬉しかったし、ありがたかったし、男冥利に尽きたけど……それでも、気持ちは受け取れなかった。だから断ったんだ」

「――」

「丁重に返事をしたんだ……けど、俺、その子を泣かせたよ。どうすればいいか分からなかった。やっぱり、かなり辛かったね」

 俺の言葉が届いているのかいないのかは定かでない。けれども、母から返事がないのはいつもと同じことだった。

 元々、母は明るく元気で、とても優しい人だった。それは今でも、俺の前でも不変の事実に違いないが、父が死んだ日から――少し、母は確かに変わっていた。こうして時折一人になっては陰に籠もるようになり、そういう日には父の部屋から嗚咽の声が聞こえるのだ。

 次に顔を合わせる時にはけろりと笑みを浮かべているが、それは虚勢の笑顔なのだと実子の俺は気付いていた。三人家族が二人家族になって間もなく一年だが、父の命日が近付くほどにこの一時は増えている。

「思えば、父さんが亡くなったのは今日より寒い日だったよね。どんよりしてて、陽の目も出ない……そんな一日だった」

「――」

「もうすぐ父さんの一周忌だし、その日は一緒に墓参りだ。実は俺、生まれて初めて好きな人ができたんだよ。だから父さんと母さん二人に一緒に報告したいんだけど、紹介できるかどうか、うーん……あはは。ちょっと厳しいかな」

 言い終え、俺は立ち上がって目先のドアに寄りかかる。

 ノブを捻れば俺たち親子の関係はきっと進展する。しかし、俺はそんなことさえ実行に移せなかった。

「……」

 この一年間、日ノ本家では時間が止まってしまっている。一年前の父の他界はそれほど大きなものだった。俺は母との和解の道をずっと探し続けている。しかし、未だにそんな道は……見つけられてはいなかった。

 それ以上は何も言わず、俺はそこから離れていく。

 母は強い人であり、ゆえに弱みを見せないのだ。母のために何もできない。俺はそれが悔しかった。




 あの後、迎えの車が来たのは間もなくしてのことだった。鈴谷先生に別れを告げ、わたしは心を濁らせたまま学びの庭を後にした。

 少し遅れて病院に着き、いつもと同じく個室に行き、そしてそのまま一人で待機し、ただただ看護師の到着を待つ。時間が経てば忘れるだろうと勝手に思っていたのだが、渡り廊下のあの光景は脳裏にこびりついていた。

「あー」

 考えたくなどないのに頭の中から離れない。こんなことは初体験で、わたしはひたすら煩悶した。

「ぴんぽーん。那智ちゃん、お邪魔しまーす。点滴のお時間ですよー」

「!」

 言うが早いか入室し、看護師が姿を現した。

 昨日の霞さんである。唐突極まるその登場にわたしは唖然としていたが、彼女は構わず四〇八のこの病室に入ってきた。

「やあやあ、那智ちゃん、昨日ぶり」

「ノックくらいしてください……」

「あたしの家、残念ながらノックの習慣ないのよねー。だから細かいことは言わず、許してほしいな。お願いよ」

 にこにこにこにこ笑いながら、点滴注射の準備をする。霞さんの呑気な笑顔に日ノ本君を連想した。

 ああ、またもや思い出した。わたしは頭を左右に振る。思い出したくないのに、しかし……なぜだか脳裏に過ぎるのだ。

「おや、那智ちゃん。どうかした?」

「何も」

「いやん、いけず」

「……」

「少しね、聞かせてみてよ」

「え……?」

「悩んでること、あるんでしょ」

「相談だったら乗ろうじゃない」と自分の胸を叩いてみせる。看護師である霞さんにはどこか頼もしさがあった。

 わたしは、日頃抱える悩みを他人に打ち明けたりはしない。それは自分の問題であり他の人には関係なく、そもそも口外したとしても解決なんてしないからだ。

 しかし、現状……錯綜とした胸中に疑問は持っている。霞さんは得意な顔でこちらの返事を待っていた。自分の今の気持ちの意味を知りたい。わたしはそう思い、学校で起きた出来事全てを……。

 白状してみることにした。

「実は――」

 今まで他人に縋ったことなどほとんどなかったため、何度も何度も吃りながらわたしは状況説明した。鈴谷先生は……まあ、ともかく、わたしにとって目上の人の意見というのは貴重である。学校職員の鈴谷先生に自白するのは難ありだが、霞さんは一看護師だ。

 幾分話しやすかった。

「――というわけで、すっきりしなくて。この体たらくというわけです」

 吐露を終える。霞さんは腕組み目蓋を閉じていた。

「うんうん」頷き、わたしの話に聞き入っていた彼女だが、相談話が終わるや否や一言「そっか」と頷いた。

「那智ちゃん、それは恋ね」

「は……?」

「恋よ。絶対間違いない」

 真顔の霞さんには微塵もおちゃらけている様子はない。

 告げて、彼女はどうしたことか、わたしの頭を撫でてきた。

「適当なこと言わないでください」

「あら、あたしは大真面目よ」

「そんなわけがないです。だって――」

「強がらなくてもいいのに」

「うああ……」

「頭を撫でたらいけません」と頭上のその手を引っ叩く。

 霞さんは「怒られちゃった」とくすくす忍び笑いした。

「でもね、簡単な話じゃない。つまり那智ちゃんはその男の子に思いを寄せちゃったのよ」

「……」

「で、不安で落ち着かなくて、それでもやもやしちゃってる。自分自身じゃ理解できずに葛藤してるみたいだけど、早い話が恋煩いよ。所謂初恋というわけだ」

 次から次へと捲くし立てられ、わたしはただただ沈黙した。

 初恋。そんな無縁の言葉に、わたしはなぜだか動揺する。不釣り合いで似合わないと、ずうっと……思っていたのにだ。

「どうかな。少しは参考になった?」

「全然……」

「ふふふ、頑固ね」

「……」

「でもね、気持ちはよーく分かる。難儀な恋って、やんない方がいいことだってあるわけだし」

 霞さんは遠い目をして、窓の外を眺めていた。

 それ以上は続けなかった。そんな態度が気になった。

「うん……?」

 わたしは手を伸ばし、彼女の頭を撫でてみた。

 それ以上は続けずとも、笑顔に……なってほしかった。

「あらあら。那智ちゃん、あやしてくれるの?」

「まさか。これは仕返しです」

「仕返し……?」

「頭、撫でられたから。これは報復なんです」

「あはは」

「君は本当に可愛いねえ」と抱き寄せられる。ぐぐ、苦しい……。

 慣れているとはいえ、これでも点滴処方の最中である。暴れるわけにはいかない……というか、気付けば注射は終わっていた。

「ま、ゆっくり考えてごらん。そのうち答えが出るでしょう」

「次の仕事に行かなくちゃね」と自分の額を小突きつつ、霞さんは前回と同様、手を振りながら退室した。

 すると、外から顔だけ出し、にんまりにやにや目尻を下げて小声で語りかけてきた。

「ちなみに、件の男の子――名前、なんて子なの?」

「……」

「教えてくれてもいいじゃなーい。ほらほら、けちけちしないで」

「……」

 思いがけない質問だった。言っても問題はないと思う。しかし、意味がないとも思う。

 わたしは外方を向いてみせた。

「秘密。教えてあげません」

「えー、どうして?」

「どうしてもです」

「ちぇっ。まあ、残念だけど……追々教えてもらうか」

「……?」

 霞さんは片目を瞑って「じゃあね」とこちらにウインクし、今度こそは紛うことなくこの病室から出ていった。

「はあ……」

 結局、とどのつまり、霞さんは鈴谷先生と同じ意見のようだった。

 しかし、わたしは自分の気持ちの答えが未だに分からない。いや……多分、分かっていても認めたくはないのだろう。わたしは「篠宮」那智であり、普通の人々とは違う。だから、わたしに初恋なんて……きっと烏滸がましいのだ。

「……」

 けれども、こんな調子でいては……彼に合わせる顔がない。

 補習授業は明日もある。どうする……? 困窮していた。

「ふう……」

 閉まった引き戸をじっと見つめ、そして小さく息をつく。

 項垂れ、両目を閉じてみると、閉められていた引き戸が再び開く音が聞こえてきた。

(また……?)

 わたしは顔を上げる。霞さんの戯けた笑顔がわたしの脳裏に過ぎったが、今度の客人は違っていた。

 そこにいたのは、使いの不知火――我が篠宮家の侍女だった。

「お嬢様、お邪魔しても?」

「構わないわ。入りなさい」

 ショートカットに着物姿の見慣れた女性が入室する。彼女は代々わたしの家に奉公している一族で、不知火一家の末裔だ。ちなみに同い年である。

 彼女はわたしの補佐役であり、家の命で小中高とわたしに付き従っている。侍女としての彼女の手腕はとても優れたものなのだが、融通が利かないほどに真面目なその性格には参っていた。

「療養中に失礼します。お父君からお報せです」

「はいはい、どうせ小言でしょ……」

「いいえ、お勤めについてです」

 はっとして、わたしの身体は一瞬だけだが……硬直した。

 彼女は顔色一つ変えず、こちらをただただ見つめている。

「契約済みの患者の一人がお亡くなりになりました。お勤めによる手続き、その他はすでに完了しているので、お嬢様にはご報告にと手間かけ願った次第です」

 聞きたくなかった言葉を聞いて、自分で阻喪を実感した。

 わたしは頭を抱えながら、そのまま彼女に問いかけた。

「相手は……?」

「何の質問でしょう」

「誰なの……?」

「邦人の女性です」

「病名は……?」

「悪性小児癌です」

「年齢は……?」

「五歳の――お子様です」

 わたしは返事もできなくなり、黙って小さく頷いた。

 途端に気分が悪くなって……両手で腹部を押さえつけた。

「お勤め前の注意事項はいつもと同様、変わりません。水以外の飲食物は口にしないでください」

「……」

「お父君のご伝言は以上で全てとなりますが、それと……これはわたくしから、一つ忠言があります」

「……?」

 不知火が自ら自分自身の主張をするのは珍しい。わたしは「なあに……?」と首を傾げ、傅く彼女の目顔を見た。

「ここのところ、お嬢様は現を抜かしています」

「え……」

「篠宮一門のご令嬢に、恋愛などは――不要です」

 彼女の目付きは変わっていた。

 きっと、対するわたしの目付きも一変していることだろう。

「聞いてたのね……」

「失礼しました。立場上は止むなく」

「……」

「お嬢様には大義があります。他者との慣れ合いは不要です。篠宮家内の人間として、その身を第一としてください」

 わたしと霞さんの会話は聞かれてしまっていたらしい。

 立ち聞きされていただなんて……思いもしないことだった。

「もういい。不知火、下がってちょうだい」

「ですが――」

「……」

「……御意のままに」

 不知火の声が小さくなった。わたしは黙ったままだった。

 頭を垂らし、一礼してから、彼女は病室を出ていった。




 告白の件と母の件、二件に悩まされた俺は、少し気分を落としながらも今日も今日とて登校した。楓に「引き摺る玉じゃないよ」と軽く説教されたのだが、続けて「無理はしないでよね」と添えられ、彼は一笑した。

 一階の廊下をつかつか歩き、手前の階段で楓と別れ、保健室の引き戸を開けて那智に朝の挨拶をする。冬休みの日常であり、もはやこれも三度目だが、今日は昨日のこともあって心なしか逸っていた。

「那智、おはよー。今日も元気? 日ノ本時雨の登場だぞ」

 保健室に入室すると、ベッドの上には三角座りの那智が待ち構えていた。

 待ち構えていたというか、警戒されていたというか、とにかく彼女はこちらを睨んでそのまま動きもしなかった。

「え、ええっと、那智さん……?」

「……」

「俺、何やら粗相を……?」

「……」

 三角座りを結んだ腕に顔を半分隠している。

 那智は眉間に皺を寄せ、まるで親の仇のように俺のことを捉えていた。

「うーん……」

 心底困ったものの、差し向き俺は隣りのベッドに腰を下ろすことにした。以前、同じシチュエーションで二人で会話を交わしたし、きっと、多分……この現状が悪化したりはしないだろう。

 わざとらしく「よっこいしょっと」と隣りのベッドに腰掛ける。この手を伸ばせば届く距離……なのに、彼女は相も変わらず黙り込んだままだった。

「那智ー、口を利いてくれよ。話が進まないぞ」

「……」

「俺、何かしたっけか……? ちっとも記憶にないぞ……?」

「……」

 呆れられたり怒られたりならこの数日間でもしょっちゅうだが、ここまでご機嫌斜めの那智は俺も初めて見た気がする。

「これでも那智の旦那志望だ。遠慮しなくていいんだぞ」――この期に及んでふざけてみると、彼女が纏う不吉なオーラが更に激しく増大した。

「あ、違う! 今のはなし! ノーカンノーカン! 許して!」

「……」

 現状以上に那智の機嫌を悪くしては世話がない。少しは那智の謎の怒りが収まらないかと思ったが、そんなことはないようだ。

 俺は慌てて訂正した。

「あはは。だけど不思議なもんだ。全然怖くないな」

「……?」

「膨れっ面も可愛いから。俺、やっぱり那智が好きだ」

 篠宮那智と紐付くことは我が身の至上の喜びで、今の言葉は嘘でも、況してや冗談などでもないのだが、どうも那智は俺のこういう素振りが気に食わないらしい。

 仏頂面に変化はなく、彼女は手許の鞄を手に取り、次々――中身を投げてきた。

「いてて、いてて! 那智、物を粗末にしたらいけない!」

「……っ!」

「分かった分かった! 謝る謝る! どうも失礼しました!」

「……」

 がさごそがさごそ――鞄の中身は空になったようである。底を叩いた鞄を覗いて悔しそうに歯軋りし、那智はぷいと横を向くと、こちらに鞄を差し出した。

「……はい?」

「拾え」と言いたいらしい。那智も那智で大概だ。

 しかし、これも惚れた弱み。俺は鞄を受け取った。

「なあなあ、せめて共同作業に――」

「……」

「へいへい、分かったよ……」

 教科書、ノート、筆記用具、散乱している那智の私物を一つ一つ集めていく。

 ベッドの上は見終わり、今度はベッドの下を確認する。下敷きを一枚発見。俺は「これで最後」と手を伸ばした。

「ねえ」

 その時、その時だ。本日、遂に、やっとのことで……那智の肉声を耳にした。

 彼女のか細く綺麗な声に、俺は心を奪われる。ベッドの下へと手を伸ばしたまま、俺の身体は硬直した。

「あのね、一つ……日ノ本君に、訊きたいことがあるんだけど」

 俺の記憶が正しければ、彼女は初めて俺の前で俺の名前を口にした。

「昨日……」

「昨日?」

「放課後……」

「放課後?」

「……」

「……」

「学校でね――」

 見やれば、那智は赤面し、明後日の方を向いていた。

 不意の問いかけに面を食らい、今度は俺が口を噤む。それが災いしたのか否か、那智は言葉に詰まっていた。言い淀んでいる彼女の様子は見ているだけでも楽しくて、俺はどんなに時間が経とうと待ち続けようと思っていた。

「那智。ほら、鞄」

「……」

「中身、全部拾ったぞ」

 最後の下敷きを鞄に入れて、那智に手渡し、返却する。

 彼女は鞄を胸に抱いて、その後、少し迷ってから、火照った頬を隠すように、鞄に自分の顔を埋めた。

「日ノ本君、訊いてもいい……?」

「おうよ」

「昨日、学校で――」

 那智が沈黙を破りかけた、正にその時、その瞬間、

「おはよう! 日ノ本、そして篠宮、今日も清々しい朝だ!」

 相も変わらずいつも通りの思人ちゃんが颯爽と登場し、俺はその場で横転した。

 せっかくいいところだったのに!

「思人ちゃんのバカ! アホ! ボケ! 白衣だぼだぼ女!」

「何をーっ! 藪から棒に、先生に対してどういう口の利き方だ!」

「そういう空気の読めないところが独り身生活の原因だよ! だから自分の年齢イコール相方いない歴で――」

「貴様ーっ!」

 激昂モードに入った思人ちゃん。差しでの取っ組み合いになる。

 しかし彼女は見た目通りの非力な女性に他ならず、ぽかぽかぽかぽか殴られようと全く堪えはしなかった。

「ぜえ、ぜえ、はあ、はあ……」

「思人ちゃん、ごめん。悪かったよ……」

 これでも病弱体質だが、そんな俺よりずっと早く思人ちゃんの息は上がっていた。

 気付けば、那智は横になって毛布で身体を覆っている。どうやら話はここまでらしい。

 俺は一人がっかりした。

「ふん……まあ、先生としても、水を差してしまったのならここは素直に謝ろう。日ノ本、篠宮、許してくれ。これで遺恨はなしだ」

「はあ……」

「ところで、二人は一体全体、どんな話をしてたんだ?」

 くりくりとした円らな両目を更に大きく丸くして、思人ちゃんが疑問を口にする。

 俺は答えることができず、無言でベッドの那智を見た。

「ふむ……?」

 同じく那智を見た後、すぐにこちらに視線を戻す。腕組み、顎に手を当てながら、思人ちゃんは続けて開口した。

「時に、日ノ本、昨日の件は? 報告が済んでないぞ」

「報告……?」

「こいつ、まさか恍ける気か? 放課後、曙、告白!」

「げげっ……」

 並べられたキーワードに、俺は返事に窮してしまう。

 どこから仕入れた情報なのか、それは定かでないのだが、すでに思人ちゃんは昨日の一件を心得ているようだった。

「それ、誰がリークした……?」

「情報源は秘密なのだ」

「色恋沙汰には目敏いよね……」

「まあな。好きだし、そういうの」

「保健の先生の情報網を甘く見てはいけない」らしい。小さな胸を大きく張って思人ちゃんが鼻を高くする。

 どうやら逃げられそうにもなく、観念するしかなさそうだ。ちらりと横に流し目すると、那智は今なお微動だにせず偏に静寂を保っていた。

「……断ったよ。つーか、わざわざ訊かなくたっていいでしょ」

「ほう?」

「俺、那智にぞっこんだし。散々アピールしてるんだから、思人ちゃんだって知ってるじゃん」

「いや、まあ、そうなんだが。強情なクライアントでな」

「クライアント?」と反復しつつ俺が首を捻った時、すぐ横、ごく至近距離からどてんと大きな音がした。

 見向けば、那智がベッドの上から下に転げ落ちていた。

「ええっ……!? 那智、平気か!?」

「ぐう……」

「おーおー、篠宮、どうした?」

「……」

 那智がジト目になる。一方、くすくす一人で笑う思人ちゃんは何やら訳知り顔だった。

「先生、お願いがあります」

「うむ?」

「どうも気分が優れないので、少し寝かせてください」

「えっ!」

 驚いたのは俺だった。那智と一緒に勉強できなくなってしまう――ことはさておき、身体の不調を明かした彼女に憂慮の念を抱いたのだ。

「那智、おい、大丈夫か! 俺なら傍にいるぞ!」

「煩い……」

「いい病院なら知ってるぜ! 百十九番しようか!」

「しないで……」

 那智はのっそり起き上がり、再びベッドに横になる。

 そんな彼女の様子を見つつ、依然思人ちゃんは笑っていた。

「まあ、体調が優れないならそれも仕方がないか」

「……」

「くくく……篠宮、お大事にな」

「先生の意地悪、バカバカ……ふん」

 愉快そうにデスクに向かう。思人ちゃんだけは楽しそうだ。

 何が何だか分からないが、俺は那智に寄り添った。

「なあ、辛けりゃ言ってくれよ。俺はここにいるからな」

「いい。あなたは勉強しなさい。わたしに構わないで」

「……」

「昨日、一睡もしてないの。だから単純に眠たいだけ」

「寝不足……?」

「そう。それだけよ。だから放っておいて」

「……」

「構わないで」「放っておいて」と突き放されて、しゅんとする。

 那智は俺に「訊きたいことがあるんだけど」と言っていた。思えば、件の話の中でも頻りに「昨日」と言っていた。つまり彼女の身体の不調は昨日の出来事に起因して、尚且つ俺が関与している可能性が高いらしい。

 これらの点を総合的に客観的に鑑みて、導き出される答えは、ずばり――。

「うーん、さっぱり分かんない」

「はあ……」

「だけど、一睡もしてないなんて……那智、ほんとに平気か?」

「……」

 毛布で顔より下を隠した那智が上目でこちらを見る。

 多分、この数日間で――一番可愛い那智だった。

「誰のせいだと思ってるのよ……」

「へ……?」

「別に、何でもない……」

 呆けてしまった俺に対し、那智はごろりと寝返りした。こちらに背を向け、沈黙する。

 二の句が継げなかった。

「……」

 もはや俺が何を言おうと応えることはないだろう。結局、那智の本意については分からず終いと相成った。

 重たすぎる腰を上げて、とぼとぼ自分の机に向かう。何気に窓の向こうを見ると、先行き不安な灰色雲が空一面を覆っていた。




「篠宮ー、機嫌を直してくれー」

「嫌です。許してあげません」

「悪かった! 先生が悪かったから……」

「先生なんて知りません」

 補習授業が終わり、そして日ノ本君が帰った後。わたしは保健室に残り、鈴谷先生と談じていた。

 曰く「調子に乗った」らしく、先のやり取り、言動について先生はわたしに謝罪した。個人的には彼女に対して憤りなどないのだが……それでも今日の過干渉には少し困らせられたので、今はちょっぴり意地悪をしてお灸を据えたところである。

「うう、篠宮に嫌われた……一体、どうすればいいのやら……」

 しょんぼり肩を落とした先生。本当に憎めない人だ。

 大分大袈裟に苦悩しながらデスクの書類を纏めた後、彼女は覚束ない足取りでふらふら外へと歩いていく。

「おや、先生、ご用向きで?」

「職員室に行ってくる。篠宮が許してくれないから、一人でいじけてやるんだ……」

「……」

 あらら、どうやら拗ねたらしい。もちろん「いじけてやる」だなんて冗談なのだと分かるのだが、やさぐれている先生は希有で、それはそれで可愛かった。

「ほどなく戻るつもりだが、迎えの車が来られた場合はいつも通りで、よろしく頼む」

「分かりました。職員室に一旦寄って帰ります」

「それと、できれば先生のこと……一つ考え直してほしい」

「お断りです。どこへなりともさっさと行ってください」

「うわーん!」

 半べそ掻いて引き戸を開けて、先生が廊下を駆けていく。

 しまった。ちょっとやりすぎた。あとで謝罪をしておかなくては……立場が換わってしまった。

「……」

 一人きりになった空間。日ノ本君を思い出す。彼は昨日、告白されて「断ったよ」と言っていた。

 彼の言葉を聞いた時、わたしは……少し安心した。どうして安心したのか否か、そこに確信は持てないが、先生や霞さんが言うには……それは「恋だから」だそうだ。

「……」

 弱った。ますます自分の気持ちが解せなくなっている。わたしと彼は不釣り合いだと、昨日……答えを出したのに。

「にゃあ」

 その時、耳に届いた何かの声に、はっとした。

「にゃあ」

 これは……間違いない。猫の鳴き声のようである。

 どこから聞こえてくるのだろうと辺りを探ってしまったが、間もなくか細いその鳴き声の主の居場所を発見した。

「あら、可愛い子猫さん。保健室に何かご用?」

 窓の外を覗いてみれば、そこには一匹の猫がいた。小さな身体に茶色い体毛、子供の猫のようである。

 コンクリートの地べたの上にちょこんとお座りする子猫。こちらをじっと見つめていて、何やら訳ありらしかった。わたしは室内を確認し、再び子猫に目をくれた。

 鈴谷先生が戻ってくるまで、しばらく時間があるだろう。

「よし……」

 外は木枯しが吹く冬の寒空の下である。子猫のことが気の毒になり、わたしは窓を全開した。

「にゃあ!」

 瞬間、跳躍し、子猫が中に入り込む。わたしは慌てて子猫を拾い、抱きかかえつつ叱責した。

「こらこら、おいたはいけないのよ」

「にゃあ……?」

「足を洗いましょ」

 洗面台でハンカチを濡らし、子猫の四足を拭き上げる。そんな中で気付いたことだが、この子は雌猫らしかった。

「はい、これで綺麗になった」

「……?」

「暴れないでよね」

 そっと床へと下ろし、放すと子猫は晴れて自由となる。てくてくてくてくこの一室の内部を隈なく探検し、調査している彼女は、まるで……何かを捜しているようだ。

「にゃあ……」

 どうやら目的物はここにはなかったようであり、気が済んだらしい子猫は机上に落ち着き、その場で丸まった。

 はて、あそこが気に入ったのか。日ノ本君の机である。

 わたしは彼女に手招きした。ちらりとこちらを窺われる。

「こらこら、机に上がっちゃダメよ。もう……しゃんとしなさい」

「……」

「ほら、そこよりこっちにおいで。ストーブ、暖かいから」

「……」

 しかし、子猫は動きはせず、さながら警戒するかのようにわたしのことを見つめていた。

 ストーブの傍に正座しつつ、くすりと、わたしは自嘲する。動物的な本能だろうか。どうやら感付かれたらしい。

「ふふ……とても賢い子。わたしが怖い人間だって、あなたは分かってるのね」

「……」

「おいで。確かに怖いわ。だけど……あなたを食べたりはしないわ」

「にゃあ……?」

 すると、子猫は身体を起こし、机の下へと飛び下りた。

 半信半疑で、恐る恐る――彼女はこちらに寄ってきて、わたしの膝の上に上り、尻尾をふりふりさせ始める。

「可愛い子。あなた、野良さん? 随分とお利口さんね」

「にゃあ」

「捨て猫かしら。分からないけど、このままにしちゃ不味いわね……」

 長期休暇の間といえど、ここは学校、職員たちが働く校舎内なのだ。保健所にでも連絡されればこの子は捕獲されてしまい、最悪、事と場合によっては処分の対象となるだろう。

 子猫の頭をなでなですると、彼女は喉をごろごろ鳴らし気持ちよさそうに目を閉じた。どうにかこの子を守る術はないものだろうか……。

 潜考した。

「……」

 そうだ。発案し、一つ結びのリボンを解く。結いのリボンを失うことで髪が放たれ、広がるが、そんなことはどうでもいい。

 子猫と視線を合わせた。

「よーし……」

「動いちゃダメよ」と前置きし、子猫の首にリボンをかけ、そのまま蝶々結びをする。

 首輪代わりのつもりである。

「うんうん、とっても似合ってる。だけど、平気……? 苦しい……?」

「にゃあ!」

「あら、気に入ってくれたのね。わたしたち、趣味が合うじゃない」

 どうやら喜んでくれたようだ。わたしはちょっぴりほっとした。

「飼い主がいると思われれば、保健所行きの心配はないし……多分、これで大丈夫よ。外しちゃダメなんだからね」

「にゃあ……?」

「遠慮なんかしなくていいの。同じ女の誼みじゃない。それに、こんなに可愛いんだし、お洒落くらいはしなくちゃね」

 一度高い高いをし、子猫を胸に抱き締める。

 ずっと傍にいてあげたいが、それは……わたしには無理だった。

「本当は飼ってあげたいけど、わたしの家は……ダメだから。きっとあなたが不幸になるから、ごめんね……許してちょうだい」

「にゃあ!」

「ふふふ。全く呑気な子ね。その様子なら安心だわ」

 その時、人の気配を感じ、わたしは耳を澄ましてみた。

 先生が戻ってきたのだろうか。廊下の足音が聞こえてくる。

「残念だけど、名残惜しいけど……お別れの時間のようね」

「にゃあ……?」

「あなたはとってもいい子だけど、見つかるわけにはいかないから」

 正座を崩して、起立して、元いた窓辺に立ち戻る。

 窓枠の上に子猫を乗せると、彼女はきょとんとこちらを見た。

「いいこと? ここはあなたがいるべき場所ではないの。分かる?」

「……」

「だけど、あなたは賢いから……きっと、きっと平気よね」

 わたしの気持ちを察したのか、子猫は窓外に飛び下りた。律儀に再度こちらを向く。

 本当にお利口さんな子だ。

「短い時間だったけれど、楽しかったわ。ありがとう」

「にゃあ」

「お行き。元気でね。あなたはあなたの生きる場所で、自由に強く生きなさい」

 子猫は最後に一鳴きすると、どこへともなく姿を消す。

「さよなら……」

 ぽつりと呟いて、わたしは胸に手を当てた。

 願わくは、あの子が無事に――生きていけますように。

「……」

 がらがら。引き戸が開く音に、わたしは背後を振り返る。

 そこにいたのは、三人組の……制服姿の女子だった。

「今、他には誰もいないの?」

「先生は席を外してます」

「そう。だったら都合がいいや」

「てかさ、どうして敬語なわけ?」――鼻を鳴らすように嘲り、一人が頬を緩ませる。残りの二人も釣られたように笑い、わたしを揶揄していた。

 相手の学年が分からないので取り繕っておいたものの、どうやら同じ一年らしく意味はなかったようである。敬語ではなく丁寧語だが……それはつっつかないでおこう。

 面識さえない三人だが、あちらさんはこちらのことをご存知であるようだった。

「まあ、そんなのどうでもいいか。いいよ。好きに喋って」

「……」

「うちらはさ、用があるのは篠宮さんになんだよね」

 一歩、二歩とこちらに近付く。わたしは視線を逸らしていた。

 彼女たちがどんな事情でここに来たのか不明だが、用があると言われたところでこちらに応じる義務はない。こういう時のわたしの勘はとてもとても冴えていて、凄く嫌な予感がして……身体を震わせていた。

「……」

 接近してくる一人を避ける。わたしは出ていくことにした。擦れ違い際、舌打ちされる。わたしは無視を決め込んだ。

 ベッドの上の自分の鞄を拾う。けれどもその瞬間、残りの二人のうちの一人に手にした鞄を奪われた。

「あっ……」

 更に最後の一人は引き戸の前で腕を組み、通しはしないと言わんばかりに立ち塞がってしまっていた。

「用があるって言ってるよね」と、最初の一人が真顔になる。

 思い出した。昨日の放課後、わたしは三人を見ていたのだ。

「あなたたち、曙さんの――」

「え、愛花を知ってるの?」

「……」

「だったら話が早い。うちらは愛花のお友達。篠宮さんには頼みがあって、こうして駄弁りに来たってわけ」

 説いて、近くの勉強机の上に座り、足を組む。

 渡り廊下の告白事件。彼女たちは、曙さんに付き添っていた……女子生徒だ。

「うちら、吹部の自主練中でね。単刀直入に訊くけどさ。篠宮さん、どう思ってる?」

「え……」

「日ノ本君のこと」

 最近、この手の質問が多い。どうしてこうも人というのは色恋沙汰が好きなのか。

 わたしは心底辟易した。同じ問いに何度も何度も解答しているからではなく、自分でさえも解を出せない問いに……焦燥するからだ。

「愛花、彼に告白してさ。振られて落ち込んじゃってるの。聞いたら、そんな日ノ本君は篠宮さんが好きなんでしょ?」

「……」

「でもさ、愛花の方が人気もあるし、可愛いし、話を丸く収めるためにも身を引くべきだと思うんだ」

 彼女たちは目と目を合わせ、交互に頷き合っている。お門違いの見当違いに、わたしは困り倦ねていた。

 身を引くべきだと言われたが、そもそもわたしは日ノ本君と恋仲というわけではない。彼に好意を抱いているとか、そんな公言もしておらず……つまり、わたしは謂れなどない非難を受けているのである。

「返して。鞄、返して」

「は……?」

「返して」

「ちょっと、無視する気……?」

 今すぐここから立ち去りたかった。この人たちとはいたくない。

 彼女たちの声色が変わる。わたしは……とても怖かった。

「あのさあ、聞いてる? 篠宮さん……こっちの言い分、分かるよね?」

 ぴょんと机の上から下り、わたしの目先にやってくる。

 足が竦んで動けなかった。肩に両手を添えられた。

「篠宮さん、答えてくれない? 好き? それとも嫌い?」

「……」

「ほらほら、はっきり言っちゃいなよ」

「わたしは、日ノ本君のこと――」

 決して好きでも何でもない。そんな一語が出なかった。

 否、言いたくなかったのだ。理由は定かでないにしても、わたしは……意固地になっていた。

「……ふん」

 肩の上の両手がふわりと浮いて、解放され、わたしは震えを抑えるために自分の身体を抱き締めた。

 いつまで経っても返事を告げないわたしに愛想が尽きたのだろう。彼女たちは息をつき、こちらに軽蔑の目を向けた。

「もうさ、あんまり日ノ本君に干渉しないでほしいんだ。それが日ノ本君のためで、篠宮さんのためじゃない?」

「タイムアップ」と両手を上げて、再度三人が集合する。

 ベッドの上の元の位置に鞄が放り投げられた。

「はい、うちらの警告は以上! それじゃあ、部活に戻ろう」

「……」

「お邪魔しちゃって悪かったね。ばいばい――人食い女さん」

 最後に三人は高笑いし、保健室から出ていった。

 わたしは拳を握り締める。人食い――脳裏で木霊した。

「篠宮……?」

 すると、入れ違いとなり鈴谷先生が戻ってきた。

 きっと……わたしは酷い顔だ。急いで体裁を整える。

「篠宮、今、生徒たちが……お前の友人たちか?」

「……」

「なあ、先生に教えてくれ。今、何があったんだ?」

 とても心配そうな顔でこちらを見つめ、問いかける。気遣いなんて必要ないのに。

 わたしはにこりと微笑んだ。

「いえ、わたしの友達ですよ。一緒に騒いでました」

「……」

「それより、そろそろお暇します。時間も時間ですし」

「え? ああ……」

 投げ捨てられた鞄を拾い、先生にぺこりとお辞儀する。

「迎えの車が来たんだな」――わたしは返事をしなかった。

「そういうことで、わたしはこれで」

「篠宮――」

「先生、さようなら」

 先生の前から逃げ出すように保健室を後にする。

 わたしは学校に友達がいない。嫌われてさえいると思う。しかし、気味悪がられていても実害などは受けておらず、後ろ指を指されていても……こういうことは稀だった。

「……」

 痛い。お腹が痛い。嫌なことがあるとこれだ。

 今日は放課後、忙しなかった。わたしは廊下を歩いていく。外はどんより曇り空だ。

 足取りは、酷く重かった。




 ニュースの天気予報によると、本格的な天候不順は明日以降になるそうだ。明日は雨天となり、以降は各地の気温の程度次第で雨が雪に変わるらしい。雨というのは上空の雪が解けて発生するもので、気温が低いと雪は解けずにそのまま降ってくるそうだ。

 番組のお天気お姉さんが「雨が雪に変わる」と告げ、隣りの老いた気象予報士が「それは逆だ」と笑っていた。

「えーっ!? 那智は休みーっ!?」

「……」

「思人ちゃん、それ、どういうことーっ!?」

 しかし、後日の悪天候より俺がショックだったのは、今日、那智が補習を休んで欠席していることだった。

「喧しいぞ。全くもう……本当に分かりやすいやつだ」

「思人ちゃん、どうして! どうしてなの! どうして那智は休みなの!」

「詳しいことは知らないさ。ご家族さんから電話が一本、用件を告げてガチャンだし」

「畜生!」――俺は叫びながらベッドの上にダイブした。意識的か無意識的か、それは那智が常用している側のベッドに他ならず、毛布からは彼女の匂いが――。

 何だか背徳感がある。

「やれやれ、お前というやつは……何しに学校に来てるんだ?」

「え、那智に会うためだよ」

「補習授業のためだろう……」

 呆れ顔で溜め息一つ、俺の机を叩いている。着席するよう促している。

 そろそろ始業の時間である。

「那智、風邪でも引いたのかなあ……身体、弱いらしいしさ……」

「理由は定かじゃないが、まあ、大事なければいいと思う。案外、日ノ本、お前に対する恋煩いかもしれないぞ」

「あのね、それ、本気で言ってる……?」「わはは。さあな、どうだかな」――毛布を身体に巻きつけ、昨日の那智の真似をしてみると、一笑しながら接近してきた思人ちゃんに額を小突かれた。

 彼女に従い、席に着く。隣りの席は空席だ。那智のいない保健室は、とても寂しいものだった。

「そんなに浮かない顔をするな。お前らしくもないだろう」

「だけど、那智が心配じゃん……」

「まあ、気持ちは分かるがな」

 那智の席に座る思人ちゃん。彼女も浮かない顔だった。

 どこか遠い目をしたまま、両手で頬杖を突いている。

「篠宮、元気がなかったからな。昨日も様子が変だったし」

「……?」

「放課後の話だよ。お前が帰ったその後だ」

 聞けば、数人の女子生徒らが保健室に来たそうだ。思人ちゃん自身は離席していて子細は不明らしいのだが、以後の那智は疲れたような……暗い顔をしていたらしい。

「思人ちゃん、それ、詳しく聞かせて」

「え……?」

「お願い!」

「構わんが……」

 保健室の壁の時計と俺とを交互に見比べる。

「だけど、日ノ本、授業が――」

「思人ちゃん!」

「……」

「思人ちゃん、この通り!」

 机の上に頭を下げる。ちらりと思人ちゃんを窺った。

 本日二度目の溜め息をつき、

「こんな時くらい、ちゃん付けするな……」

 彼女は不満そうだった。




 古くて大きな木造屋敷が篠宮家であり、実家である。わたしの部屋は一階建てのほぼ中心に割られていて、何か起きればすぐに使いが駆けつけることになっている。

 わたしにとって十八畳の部屋は無駄に広すぎて、取り分け家具や荷物もないので持て余している状態だ。置いてあるのは机と箪笥、それと布団があるだけで、襖に囲まれ畳が敷かれた自室は殺風景だった。

「……ふう」

 今日は学校を休んだ。体調不良が理由である。概ね日ノ本君のせいと声を大にしたいのだが、彼は何も悪くないのでそういうわけにもいかないのだ。仮に誰かが悪いとすれば、それは自分自身であり……そんな事実に背くように、わたしは眠ってしまっていた。

 不貞寝を決め込み、目覚めた時にはとうに正午を回っていた。補習授業で単位不足をどうにか解決するはずが、こんなことになろうとは……進級できないかもしれない。

 重い腰を上げ、わたしは差し向き着替えることにする。もうすぐ通院の時間であり、寝間着のままではいけないのだ。

 保健室でのあの出来事は何度も何度も想起した。もしも夢であったならと若干期待したのだが、残念ながら現実で……わたしは一人身悶えした。

「……」

 父には「精神的に脆弱なのだ」と言われている。ここのところの非日常にわたしの身体は参っていた。もうすぐ「家の勤め」もあり、休息は必要だったのだが……それでもこんな体たらくだ。

 ブラウスのボタンを留めて、わたしは止まない腹痛に耐えていた。

「お嬢様」

 襖が開く。そこには正座の侍女がいた。

 いつも通りの生真面目顔に「起きてるわよ」と返答する。

「左様でしたか。失礼しました。お迎えに上がった次第です」

「……」

「それでは、お車へ。玄関に移動を――」

「……」

「お嬢様?」

 じとりと細目で見つめていると、それに彼女が感付いた。

 顔色一つ変えないままで、こちらに小首を傾げている。

「あのね、不知火……再三だけど、わたしと二人でいる時くらい昔のように喋りなさい。あなた、月日が経てば経つほど堅物女になってるわ」

 お堅い頭の不知火だが、幼少時代は喜怒哀楽が豊かで活発的だった。同年齢の合縁もありわたしたちは仲良しで、当時は普通の友達として一緒に遊んでいたのである。

 しかし、わたしは篠宮家にて、彼女は不知火家にて育ち、それぞれ一族に教育されて……今の関係になったのだ。

「ねえ、わたしの名前を呼んで」

「ダメです。わたくしは侍女ですから」

「主人がいいと言ってるのに」

「ダメです。許されません」

「むう……」

 この子の意地張り具合については、ほとほと困ったものである。

 あくまで涼しい顔のままで、彼女は起立し、入室した。わたしの布団を片付け始める。

 一つ、気付いて――はっとした。

「あれ……? 本は、本はどこ……?」

「……」

「嘘……? 消えちゃった……?」

 就寝前、日ノ本君に借りた本を開いたのだ。心の鬱憤を晴らすために再読、粗方読んだ後、大事に大事に枕元に置いておいたはずなのに……いつの間にやら文庫本はその存在を消していた。

「ねえ、不知火、知らない……?」

「……」

「ねえったら……」

「……」

「不知火……?」

 彼女は今朝、わたしを起こしにここに来ているはずだった。本来、わたしは学校に行く予定だったからである。

 不貞寝していたせいで、生憎今朝の記憶は曖昧だが……この子以外にわたしの部屋に入った者はいないだろう。

「……」

 こちらに返事をせず、布団を片付け続けている。

 終えて、彼女は沈黙した。恐る恐る――問い直す。

「不知火、わたしの本は……どこ?」

「……」

「答えて。お願いよ」

 彼女は首を横に振る。わたしは「まさか」と瞠目した。

「命を受けて処分しました。勝手をお許しください」

「……」

 わたしはすぐさま詰め寄り、そして――。

 自分の侍女を睥睨した。

「もう一度、言ってごらんなさいな……」

「本は処分いたしました」

「今すぐここに持ってきなさい!」

「本は処分いたしました」

 まるで機械の人形のように、不知火は反復、明言する。

 彼女に動じた様子はなく、わたしを一点に見つめていた。

「……命令したのはお父様ね」

「はい。仰る通りです。わたくしが見つけ、わたくしが報せ、処分の命を受けました。お父君はお嘆きになり、燃やしてしまえと、一言――」

「……」

 わたしはがくりと膝を落とし、彼女の足に縋りついた。

 絶望した……喪失したのだ。大切なものだったのに。

「返して! ねえ、返してよ! 不知火、あなた、どうして……」

「……」

「あれはわたしのものではないの! あれは、わたしの――」

「存じています」

 遮るようなその一言に、わたしは驚き、絶句した。

 わたしに関することであれば彼女は何でも知っている。それは分かっていたものの、この子は全て承知の上で父の命を受けたらしい。

「お嬢様、申したはずです。日ノ本時雨は無縁であると。お嬢様は他人のことなど案じるべきではないのです」

 膝を折り、小さな子供を諭すように……彼女は言う。

 もはやわたしは脱力していた。言葉さえも失って。

「それでは、わたくしは失礼します。極力、お急ぎください」

「……」

「外でお車が待機中です。通院の時間が迫っています」

 告げて、静かに、音も立てずに彼女は部屋から出ていった。

 打ち拉がれた気持ちのままで一人になって考える。日ノ本君の大事なものをわたしは失くしてしまったのだ。明日、わたしはどんな顔で彼に会えばいいのだろう。

「……」

 後悔が胸に募る。全て……わたしのせいだった。


 十六年間、篠宮家では同じ時間が流れている。家族間の触れ合いなどはほとんどないのが常であり、家事も全て下人任せの、そんな日々を送っている。多忙な父とは顔を合わせることさえ極めて稀であり、親子らしい会話を交わしたことは、一度も……ないと思う。

 家族愛といったものにおよそ触れずに生きてきて、わたしはそれが当然なのだと半ば見切りをつけていた。雑音一つ立たない家内は静かで、とても寂しくて、人間味のある生活なんて……そこには存在しなかった。




 いつもと比べて一時間ほど早く目覚めて起床して、俺は弁当作りのために台所に立っていた。

 現在時刻は朝の七時。今日は午前に加えて午後も授業が入っているのである。本来ならば母に話せば弁当を持たせてくれるのだが、夜勤で九時まで帰ってこない母には頼めなかったのだ。

 とはいえ、俺の料理の腕はあくまで学生レベルであり、大したものは調理できず……おかずは寂しいものだった。弁当箱の一段目にはご飯を装い、包みで締め、何はともあれ昼食完成。

 鞄にそっと詰め込んだ。

「あ――」

 その時、不意の眩暈に、俺はその場にくずおれた。

 激しい痛みが胸を襲い、発作が起きたと自覚する。軽度の発作程度であれば日常茶飯事ではあるが、しかし今日のこればっかりは――。

 今までのものと違っていた。

「う、あ、あ、あ……っ!」

 長い。こんなに長い発作は生まれて初めてのことだった。心臓を踏みにじられるような、そんな激痛に驚愕する。動悸に加えて、眩暈、発汗、おまけに息切れの症状もある。俺はのた打ち、苦しみもがき……時間の経過も忘れた頃に目覚めるように気が付いた。

 まさか、まさかこれほどとは……正気に戻って恐怖する。俺は自分の病について、再度心をへし折られた。

「はっ、はっ、はっ……へへ……」

 呼吸を乱し、頭を抱えて自嘲の笑みなど浮かべてしまう。意識は回復しつつあるが、流石に骨身に応えていた。

 これはいよいよ赤信号だ。遂に「その日」が見えてきた。希望よりも遥かに早い。しかし、俺に残った時間は……待ってはくれないようである。

「急がないと、間に合わないな……早く那智に会わないと……」

 気付けば、時刻は八時を過ぎ、今すぐにでも家を出ないといけない時間になっていた。

 胸を押さえる。大丈夫だ。発作の波は去ったらしい。無理なら今まで散々してきた。今更、躊躇うことは――。

「……」

 病院に向かうことはできた。何なら救急車も呼べた。けれども、俺はそれらを無視し、学校に行こうと決心した。

 洗面台の鏡を見ると、自分の口から首に伝って赤い血痕ができていた。思った以上に俺の身体は深刻な状態にあるらしく……どんなに平静を装っても、我が親友の山城楓は看破しきってしまうだろう。

「……」

 時間だ。尻込みしては待ち合わせには間に合わない。出会った途端に百十九番されなければいいのだが……。

 再度鏡の自分を見て、俺はその場を後にした。




「先生、おはようございます」

「おお、篠宮! 息災か!」

 引き戸を開けると、小さな背中がストーブに火を点けていた。

 居ても立ってもいられなかったわたしは早めに来たのだが、鈴谷先生はそれより先に保健室に入っていた。

「篠宮、身体の調子はどうだ? 昨日は心配したんだぞ」

「はい……本当にごめんなさい。本調子とは言えませんけど、何とか登校しました」

「うむ」

「ともかく無理はしないことだ」とこちらの体調を案じられる。先生にお礼の言葉を述べ、わたしは自分の机の上に鞄を置いて、隣りを見た。

 今のところ、日ノ本君はまだ来ていないようだった。正直、合わせる顔もなくて……緊張などしてしまっている。しかし、ほどなく日ノ本君はこの場にやってくるだろう。

 今日は彼に伝えなければならないことがあるのである。不安と恐怖に駆られてしまい、わたしは……すっかり滅入っていた。

「篠宮、どうした? ぼうっとして」

「え……」

「日ノ本関係か?」

 日ノ本君の机を見ていたことに感付かれたらしい。わたしは咄嗟に視線を逸らし、首をぶんぶん横に振る。

 ストーブの点火は終わったようで、先生は暖房に当たりながらこちらをにんまり眺めていた。

「篠宮、イメチェンしてるから。てっきりあいつを意識してのことだと勘繰っていたんだが」

「イメチェン……?」

「髪、解いてる。いつもは一つ結びだろう」

「これは、別に意味はなくて……たまたまであって、気紛れです。というか、そういうの止してください。先日叱ったはずですよ」

 先生に倣って暖房に当たる。彼女は「許せ」と笑っていた。

 ストーブの炎は徐々に強まり、冷たい空気が蔓延していた室内を包み込んでいく。

「日ノ本といえば、篠宮、お前の欠席を大層嘆いてたぞ。たった一日会えないだけでも死活問題らしくてな、ああだこうだと喚きながら一人で煩悶してたよ」

「はあ……」

「挙句の果てには突然飛び出し、どこかに行ってしまったし……だから昨日は二人揃って欠席扱いの始末さ」

「え……?」

 意外な話に驚いてしまい、わたしは間抜けな声を出す。

「だから昨日は寂しかった」と、先生はいじけてしまっていた。

「日ノ本君、昨日は補習を……?」

「そう。受けてないんだよ」

「保健室を飛び出た後は……?」

「うーん、それは分からない」

 不意の出来事だったらしく、日ノ本君は理由も告げずに保健室から去ってしまい、その後の彼の行動内容は不明のままだそうである。

 らしいといえばらしいのだが、補習授業を犠牲にしてまで何を為したというのだろう。気になる……しかし答案はない。

 気付けば、わたしの頭の中は彼のことで溢れていた。

「そういうところが魅力なのかね。あいつ、天然系だな」

「……」

「まあ、どうせこれから会うし。本人に訊いてみるといい」

 その時、静かな保健室に微かな足音が響いてきた。一人、いや、二人の足音――。

 引き戸は間もなく開かれた。

「おはよーっ! 那智、いる……っ!?」

「……」

「いた! 那智、元気か!」

「……」

 いつもの調子で出現したのは日ノ本君に他ならない。しかし、今日はお連れの方が。

 ええっと……山城君だっけ。

「噂をすれば何とやらだ。おや、山城も一緒だな」

「どうも。おはようございます。篠宮さんもおはよう」

「あっ……」

 わたしは慌てて会釈した。焦ることなどないのにだ。

 山城君と会話するのはこれが初めてだったりする。わたしなんかを前にしても彼の目顔に曇りはなく、いかにも好青年といった印象を受ける人だった。

「ところで、ちょっとお話が――」

「ふむ。山城、何用だ?」

「楓、自分で言うからいいって」

「ダメ。絶対誤魔化すでしょ」

 山城君は鈴谷先生に用事があって来たようだ。何やら少し狼狽気味の日ノ本君と揉めているが、わたしが踏み入るべきではないし……傍観しておくことにした。

「時雨のことで、少しだけ――」

「む……? 分かった。聞いておこう」

「篠宮さん、ちょっとごめんね」

「あ、お気になさらずに……」

 律儀に手と手を合わせた後、山城君は席を外して先生と一緒に出ていった。

 相手に手厚く対応されると自然とこちらも畏まる。山城君の気さくな態度に二つ返事をしたものの、思ってみればこの室内には日ノ本君もいるわけで……。

 彼と二人だけになり、わたしは平静を心掛けた。

「むふふ、那智と二人きりだ……」

「……」

「むふふ、むふふふふ……」

 とってもとっても怪しい怪しい邪悪な笑顔の日ノ本君。

 わたしは自分の席に着いた。彼も同じく着席する。

「遂に持病が末期に入って頭が可笑しくなったのね……」

「俺の持病は内臓病で、脳味噌、海馬は問題ない」

「だったら、どうしてそんなに笑顔……?」

「那智に会えて嬉しいから」

 白いその歯を見せて笑う。彼は平常運転だ。

 心のどこかで、ほっとした。軟派男の軟派っぷりに、わたしは……安心したのだろう。

「那智、すげー久し振りだ」

「どこがすげー久し振りよ……」

「一日会えなかっただろ」

「それで久しく感じるわけ……?」

「そう」と答えた日ノ本君に「重い」と返事し、一蹴する。

 割かしショックだったらしく、彼は机に突っ伏した。

「嘘よ。冗談。傷付かないで」

「……」

「元気を出しなさい」

 日ノ本君をつんつんつつく。彼はすぐに再起した。

 小さな子供みたいに笑って……全く分かりやすい人だ。

「これでも那智がいなかったからセンチメンタルだったんだぜ?」

「ああ、昨日の話でしょ……? さっき先生に聞いたけど」

「なあなあ、どうして休んだんだよ」

「それは、ええっと……秘密」

「ちぇっ」

 誰のせいだと言いたいものの、そもそも別に日ノ本君の責任というわけでもない。

 ちょっぴり不満そうではあるが、決して追及しないところも日ノ本君のらしさだろう。

「まあ、俺はこうして那智に会えただけでも満足だ」

「ふん……」

「那智が弱気になって塞ぎ込んだりしてないか、結構心配だったけど……杞憂だったらいいんだ」

「……?」

 それ以上は何も言わず、口を噤んだ日ノ本君にわたしは釈然としなかった。

 こちらの視線を無視するように一時限目の準備をする。何だか噛みつきたくなって、今度はわたしが先ほど抱いた疑問をぶつけることにした。

「ねえ。それじゃあ、わたしも質問」

「お、どうした。珍しいな」

「日ノ本君こそ、昨日は補習をサボって何をしてたの?」

「うんー?」

 鞄の教科書、ノートを取り出し、机に並べて生返事する。

 絶対真面目に聞いていない……わたしは負けじと二の矢を射た。

「あのね、全部知ってるのよ。大事な授業を蔑ろにして……先生、半分呆れてたし」

「何でもないない。ちょっと私用でドタキャンしちゃっただけなんだ」

「ほんと……?」

「ああ、ほんとほんと。大したことじゃないから」

「……」 

 騙くらかされているようであり、どうにも腑に落ちないが……わたしに追及の資格はない。

 押し黙るしかなかった。

「お待たせ」

 がらがら。黙考している最中、二人が室内に戻ってきた。

 山城君は先生と談じ、用件を済ませたようである。何やら先生は日ノ本君を頻りにじろじろ見ているが、当の本人はそんな彼女を見返し、にこりと笑っていた。

「遅いぞ、楓! 待ちくたびれた! 何をもたもたしてたんだ!」

「ごめんごめん。二人きりだし、邪魔しちゃ悪いと思って」

「なるほど!」

「確かにそれも一理あるな!」と日ノ本君が納得する。

 二人は本当に仲良しらしい……山城君は日ノ本君の扱い方に慣れていた。

「篠宮さんも、悪かったね」

「あ、いえ……わたしは別に」

「自己紹介が遅れたけど、僕は四組の山城だよ。篠宮さんとは面と向かって話すの、今日が初めてだね」

「はあ、ええっと……初めまして」

「うん。これからよろしくね」

 すると、何を思ったのだか日ノ本君が間に立ち、山城君に向かって「がるる」と唸り声を上げ出した。

 山城君は「はいはいごめん」と含み笑いを浮かべつつ、わたしに対して片手を上げた。

 ぺこりと頭を下げておく。

「それじゃあ、僕は失礼します。こっちはこっちで授業なので」

「日ノ本一人に振り回されて、山城、お前も大変だな……」

「あはは……まあ、慣れっこですし。どうってことはないですよ」

「時雨のこと、お願いします」と山城君がお辞儀をして、先生が「無論だ。任せてくれ」と自分の胸をどんと叩く。

 そんな二人のそのやり取りの意味はもちろん分からない。日ノ本君の顔を見ると、彼はどこか遠い目をして一人の世界に入っていた。

「そういうわけで、時雨、行くね」

「あ……おう。達者でな」

「何が達者さ。しゃきっとしなよ。篠宮さんと一緒にいるのに、ぼうっとしてたらいけないでしょ」

「それもそうだ! しっかりしなきゃ!」と日ノ本君が奮起する。

 本当に本当に、彼ら二人は……理想的なコンビらしい。

「山城、そろそろ時間だぞ。授業、遅刻になっちゃうぞ」

「あ、やば……っ!」

「遅刻遅刻ー」

「誰のせいだよ! それじゃあね!」

 そうして慌てて踵を返し、山城君は出ていった。

 百点満点の愛想だった。わたしなんかとは大違い。日ノ本君の友人らしい溌剌とした男子であり、初対面のわたしにさえも……優しく接してくれていた。

「いいやつだろ」

「え……? うん」

「俺の唯一の親友さ」

 類は友を呼ぶのだろうか……? 似た者同士なのだろう。

 思えば、初めて会った時から……日ノ本君もそうだった。

「あいつ、すげーモテるんだぜ。なのにあんまり自覚がなくて、女泣かせなんだ」

「……」

「しょっちゅう告白されててさ。まあ、楓はいいやつだから、分からないでもないけど」

「……」

「人のことは言えないくせに」とわたしは内心思ったが、口にするのもやぶさかなので胸に留めておくとした。

 気付けば、先生が微笑ましそうにこちらをほんわか眺めている。わたしは、ぱんぱん、と両手を打って、この場を纏めることにした。

「先生、補習を始めましょう。ほらほら、早く早く!」

「はーい」

「日ノ本君も切り換えなさい。私語は慎むように!」

「はーい」

 何やら二人で笑っている。はて……特に可笑しなことは言っていないと思うのだが。

「よーし、授業の始まりだ! 気合いを入れて取りかかろう!」

「今日は午後まで勉強尽くしの六限オール授業だぜ! 那智、一緒に頑張ろうな!」

「うん――えっ!?」

 オール授業……?

 初耳であるその宣告に、わたしは茫然自失した。




 実は、今日は特例として補習が午後まであったりする。というのも、昨日、俺たち二人が揃って休んだためであり、欠席分の授業を纏めて受けることになったのだ。本日のこの変則事項を発案したのは思人ちゃんで、担当教科の教師たちにももちろん承諾されている。

 これは昨日、俺が授業をドタキャンする際、決定した。ドタキャン認可のその条件が授業の持ち越しだったのだ。つまり俺は昨日の時点で今日の予定を知っていて、早朝、弁当を作っていたのはランチに備えるためだった。

「思人ちゃん、ほんとにドジっ子だなあ。まさか失念してただなんて、思いも寄らなかったぜ」

「……」

「まあ、那智の都合がつくならいいさ。結果オーライだ。授業、残さず受けるんだろ?」

「それは、うん。そうだけど……」

 問題点を挙げるとすれば、那智が変則事項の件を知らなかったことである。養護教諭の大先生が通知を忘れていたらしく、那智は何の準備もなしに登校したというわけだ。

「だけど、午後はどうすれば……わたし、教科書持ってない」

「俺は持ってる。一緒に見ようぜ。それで問題解決」

「……」

「机と机をくっつけるの、やってみたかったんだよなあ。それも相手が那智だなんて! いやー、恐悦至極だぜ」

 今は午前の授業が終わり、昼休みの最中だ。ポカをやらかし傷心気味の思人ちゃんは席を外していて、職員室にて反省するとか、そんなことをぼやいていた。

 以後は昨日の繰り越し分の午後の授業が行われ、欠席をした件についてはチャラになるとのことである。もっとも、那智は追加教科の勉強道具を持っておらず、取り分け憂慮している点はその一点のようだった。

「俺じゃご不満?」

「そうじゃないけど……」

「そうじゃないけど?」

「……恥ずかしい」

 那智は机上に突っ伏しながら、小さな声でそう告げた。

 彼女は身体が弱いため、俺と同じく日常的にまともに通学できていない。そのため、こういう事態に対し幾分不慣れなのだろう。

 隣りの席から彼女の肩を、ぽんぽん――叩いて、慰める。ちらりとこちらに流し目されて、俺はこくりと頷いた。

「大丈夫だって。授業中にちょっかい出したりしないから」

「本当……?」

「ああ、本当だ。今日は思人ちゃんに恩義もあるし、ちゃんと大人しくしておくよ」

 俺たち二人の補習授業は単位取得のためであり、本来、昨日の欠席分は取り返せないものだった。それでも機会に恵まれたのは偏に思人ちゃんのお陰なので、せめて授業は真面目に受けて彼女に感謝したかった。

「だけど、本当によかったのか? 午後から予定があったんだろ?」

「うん……毎日の日課なの。だけど時間を変えればいいし、家にも連絡済みだから」

「ふーん。ちなみに、何の用事?」

「秘密」

「あはは。そうなのか」

 那智は放課後の時間になると暫しこの場に待機して、家の迎えの車が来てから学校を去っているらしい。その後、彼女がどこに行くのか、何をするかは不明だが、それは個人のプライベートだ。

 俺は取り縋らなかった。

「ま、とにかくよかったじゃん。単位も貰えることだし」

「うん……」

「よーし! それじゃあ、昼休みだ。二人でランチと洒落込もう」

 鞄の中から弁当包みを取り出し、俺は――はっとした。

 那智は午後の授業について一切知らなかったのだ。それは六限授業について未聞だったためであり、つまり昼食の用意もなく……食事を取れないはずだった。

「あ、いいのよ。わたしのことは」

「……」

「そんな目しないでよ」

 こちらの視線に気付き、那智が困ったように苦笑する。

「わたし、元々小食で……普段もあんまり食べないし。だから、ほら、お構いなく。早く食べちゃいなさい」

「だけど……」

「まごまごしてると終わっちゃうわよ。楽しい楽しい休み時間」

 急かすようなその言い草は俺への気遣いゆえだろう。それは分かっているのだが、どうにも釈然としなかった。

 せっかくこんな願ってもない機会に巡り合えたのに、俺だけがつがつ喫食しては絵面も映えないというものだ。とはいえ、今は冬休み……休日中の学校内では売店の類も閉まっていて、食料調達の術はない。

 俺は考え倦ねていた。

「ねえ、それじゃあ……わたしの話、先に聞いてほしい」

「うん……?」

「話す機会が見つからなくて、なかなか言い出せないでいて……昼休みになっちゃったけど、大事な話があったから」

「わたしの話」「大事な話」と、那智は確かにそう言った。

 俺の返事も待たないままに、彼女はゆっくり立ち上がる。すると、席の前に回り、面と向かってこちらを見た。

 両手を腹部の前で結び、息を整え、畏まる。

「日ノ本君、ごめんなさい」

「へ……?」

「本当にごめんなさい」

 打って変わってしおらしくなり、那智が頭を下げている。

 藪から棒な平謝りに、俺はただただ困惑した。

「ま、待て待て。那智さん那智さん、何がどうしたんだよ」

「……」

「まずは一旦落ち着いてくれ。話はそれから。いいな?」

「うん……」

 昼食の問題は置いておいて、今は何やら冷静ではない様子の那智を優先する。

 彼女はふらふら室内を歩き、何をするかと思いきや、ベッドにばたりと倒れ込んで「あうう」と一人で呻吟した。




「なるほど。それで……あの勢いで俺に詫びてきたわけか」

「うん……本当にごめんなさい。全部わたしのせいなの」

「……」

 昨日の家での件について、わたしは始終を打ち明けた。わたしが言葉を区切る度に日ノ本君は頷いて、不条理すぎるこちらの話を真摯に聞いてくれていた。

 わたしが最も恐れていたのは彼が悲しむことだった。しかし、彼は嘆きもせず、寧ろ「何だ。そんなことか」と安堵の息をついていた。

「日ノ本君、怒らないの……?」

「えー?」

「どうして、どうしてなの……?」

 全く動じず、落ち着いている日ノ本君を疑問視する。怒鳴られたって殴られたって仕方がないと思っていた。けれども、彼はあっけらかんとわたしのことを見つめている。

 精一杯の覚悟を胸に、ようやく……白状したのにだ。

「いやー、だって、聞いた限り那智に落ち度はないじゃんか」

「そんなことない! 絶対ない……わたしがもっとしっかりしてれば、こんなことには、決して……」

「うーん。まあ、それでも実際問題、俺は怒ってないからな。気にしてねーよ。気にすんな。これで手打ちにしようぜ」

「……」

 日ノ本君は何度も何度も本を読んだと言っていた。わたしが彼に借りた本はとても大事なものだった。なのに、わたしは失くしてしまい……こうして頭を垂れている。

 本は必ず弁償する。その時、重ねてお詫びする。しかし、そういう問題ではない……。

 わたしは心を痛めていた。

「あのな、あんまり気に病むな。きちんと謝罪を受けたんだから本のことは済んだんだ。あとは水に流しちゃおうぜ。それで遺恨はなしだ」

「でも……っ!」

「あー、もう……お終いお終い! これにて一件落着な」

 一方的に打ちきられ、ベッドの上で腰を浮かしたわたしは制止させられた。

 机の椅子に踏ん反り返ってけろりとしている日ノ本君。彼は静かに立ち上がり、こちらにゆっくり近付いて、何をするかと思いきや――わたしの頭を撫でてきた。

「那智、何度も言わせるなよ。俺はあんたが好きなんだ。そんな程度じゃ怒らないぞ。惚れた女だもんな」

「……バカ」

 日ノ本君はわたしに優しい。きっと優しすぎるのだ。

 否、わたしにだけではない。仮に本を貸した相手がわたし以外の人物でも、彼は差別なんてせずに……相手を許していたのだろう。

「……」

 わしゃわしゃ頭を撫でられ、髪が乱れた。全くもう……。

 日ノ本君に抵抗しながら、わたしは一つ思い出す。そういえば、最近、他の誰かに同じことをされたのだが、今と感覚が一緒だった。

 はて、誰だったっけ……。

「……」

 どうやら堪能できたらしく、日ノ本君はほくほく顔でベッドに座り込んできた。隣りのベッドでなく、わたしの使用中のベッドにだ。

 乱れた髪を直しながら体当たりして追い払う。しかし、貧相なこの身体では男子の体躯はびくともせず、しかも彼は「げへへ」と笑い……却って喜んでいた。

「むう……っ!」

 日ノ本君は天才的に話をはぐらかすのが上手い。気付いた時には話題を逸らされ、彼のペースになっている。しかし、それは自分ではなく相手を思っているからで、日ノ本君のそういうところに、わたしは……苛立っていた。

「……」

 一人で葛藤していたようで、いつしか頬が膨れていた。

 日ノ本君がそんなわたしの頬を指でつついてくる。

「納得できないらしいな」

「うん……全然納得できない」

「あはは……」

「ねえ、罪滅ぼしがしたい。罪滅ぼしをさせなさい」

「あー、じゃあ……膝枕とか」

「却下」

「やっぱりダメっすか……」

 きょろきょろ辺りを窺った後、ぽんと手を打ち腰を上げる。

 何やら考えついたようだ……多分、碌なことではない。

「こんなのどうだ。ほら、弁当!」

「はい……?」

「弁当! 弁当だ」

 そそくさ自席に戻るや否や、こちらに向かって振り返る。

 鞄の中から取り出したるは一つの弁当包みである。日ノ本君は自分の弁当を掲げ、わたしに見せつけた。

「え、なあに……? え、お弁当……?」

「そうだ。俺の弁当だ」

「一体、それにどういう意味が……?」

「二人で一緒に食べようぜ」

 ぽかんと口を開けてしまう。一方、彼は得意顔で、あくまで楽しそうだった。

「あんまり凝ってはないんだけど、俺のお手製弁当だ。那智、昼飯ないんだろ? 半分食べてくれよ」

「……」

「俺とランチに付き合うんなら今回の件は不問に付す。貸し借り一切なしにする。さあ、那智、どうする?」

「……」

「それのどこが罪滅ぼし?」――恐らく、訊いても無駄なのだろう。

 わたしは折れた。口惜しいが、論争しても勝ち目はない。人のよすぎる日ノ本君に、今は……縋っていようと思う。

「はいはい、分かった……分かったわよ。付き合う。付き合えばいいんでしょ」

「そう来なくっちゃ。そうと決まれば、ほらほら、こっちにおいで!」

「ふん……」

 自席に戻り、椅子を抱え、そのまま……暫し沈黙する。

 こんなことは初めてなので、勝手が分からないのだが……多分、きっとこういう場合、わたしは彼と向かい合うよう腰を下ろせばいいのだろう。

「おおーっ!」

 椅子に座っただけで日ノ本君が興奮する。わたしは何だか気恥ずかしくて、ちっとも落ち着かないでいた。

 うきうきわくわく、るんるん気分の彼が弁当を広げている。ご満悦に微笑む顔は、とても無邪気なものだった。

「……?」

 目を落としてみると、ふと、わたしは白くて小さな紙袋を発見した。

 日ノ本君が弁当包みと一緒に取り出したのだろう。こちらの視線に気付いたのか、彼は何も口にはせずにそれを手で伏せ、見えなくした。

「日ノ本君、なあに、それ……?」

「うんー? これは何でもない」

「ほんと……?」

「おう。ほんとほんと。何でもないない。つまらんもの!」

 わたしの目から隠すように、学生服のポッケの中に紙袋を仕舞い込む。

 白くて小さな紙袋――中身が少し気になるが、わたしは訊かないことした。

 きっと、その方がいいだろう。

「さて! それじゃあ、待ちに待ったランチタイムといきますか!」

「元気よね……病人だなんて思えないわ」

「よく言われる!」

 大きく頷き、箸を渡され、わたしは固まり、きょとんとする。

 これは……つまり、ずばり「食べろ」と勧められているのだろう。条件反射で彼の箸をついつい受け取ってしまったが、しかし……わたしは食べ物だけは遠慮せざるを得なかった。

「いいわよ。さっきも言ったけど、わたし……拒食気味だから」

「えー、約束が違うじゃん。昼飯、付き合ってくれるんだろ?」

「話し相手くらいだったら、別に……全然嫌じゃない。だけど、これは……いただけないから。ご馳走にまではなれないわ」

 日ノ本君に箸を返す。これは彼のものだから。

 わたしは……実際、昼食なんて元々必要ないのである。

「ほら、お箸、受け取りなさい。一人で食べて。お願いよ」

「うーん……分かった。だったらさ、そのタコさんだけ食べてほしい」

 言われて、わたしは何のことかと再度弁当を確認する。

 見やれば、そのおかずの中にはタコさんウインナーが交じっていた。

「それ、那智とおかず交換しようと思って焼いたやつ。俺、料理は下手だけど……少し頑張って作ってみた」

「日ノ本君が、わたしのために……? わたしのために、作ったの……?」

 日ノ本君は返事をせず、頻りに頭を掻いていた。彼のこんな恥ずかしそうな姿を見るのは初めてで、何だか……わたしは言いようのない不思議な気持ちになっていた。

「まあ、無理に食べろなんて、そんな強要はしないけど……」

「んーん、だったら食べる」

「え……?」

「わたし、食べる。いただきます」

 日ノ本君の優しい優しい思いを無駄にはしたくない。

 箸を使い、可愛いタコさんを摘んで、わたしは息を呑んだ。口に運び、咀嚼してから、咽喉を通して――。

 胃に送る。

「うっ――」

 普段食べないものの味に、身体が狼狽した。

 むんずと腹部を押さえつけて、わたしは激しく咳き込んだ。

「那智、ちょ、大丈夫かっ!?」

「ふふふ……平気、平気よ……けほっ!」

「だけど! そんなに咳き込んで――」

「いいから、安心してちょうだい……」

 ぐすりと鼻を啜りながら、わたしは首を横に振る。

 笑顔に……なれていればいいが。日ノ本君に微笑んだ。

「美味しかった。美味しかったわ。それも涙が出るくらい」

「那智……」

「ご馳走様でした。さあ、あなたも食べなさい」

 箸を返し、日ノ本君に持たせ、何も……訊かせない。

 保健室の壁の時計で時刻を確認してみれば、昼休みの残り時間はもはや僅かとなっていた。

「日ノ本君、ほら、時間が――」

「……」

「ねえ、日ノ本君……?」

 日ノ本君は顔を伏せて、何やら押し黙っている。先のわたしの言動、挙動が原因だろうと思ったが、どうやらそれは違うらしい……。

 一旦、彼は箸を擱いた。

「あ、いや……何でもないんだ。飯か。飯だな。食べる食べる!」

「……?」

「その前に手洗いだな。俺、ちょっと行ってくる」

 少し慌てた素振りを見せて、日ノ本君は席を立つ。

 いつもと違う彼の様子が気になり、心配だったのだが、一人きりになったことで……反面、わたしは安心した。

「……」

 ゆっくり……身体に負担をかけないように移動する。

 手洗いならば保健室にも洗面台があるのだが、日ノ本君はその存在を知ってはいなかったのだろう。しかしそれはわたしにとってこれ幸いのことであり、こんな姿を見られなくて……よかった。本当にそう思う。

 彼が戻ってくるより早く、わたしは台の前に立つ。とても嫌いな自分の顔が鏡に映り込んだ。

「……」

 結局、ちっとも怒られなかった。逆に罪悪感が募る。

 昨日はあんなに悩んだのに、まるでわたしがバカみたいだ。こんなになるまで振り回されて……一体、何をしているのか。

 当初、わたしは彼に対して怪訝な視線を送っていた。しかし、今では少しずつだが、彼に心を開いている。日ノ本君にはわたしにはない不思議な不思議な力があり、今なら……彼の魅力とやらも、分からないでもない気がした。

「うえっ――」

 わたしはえずき出す。尋常ではない悪寒と吐き気が身体に襲いかかっていた。思えば今はお勤め前で……わたしは禁忌を犯したのだ。

 代々、我が家の家族に伝わる肉体的な拒否反応。

 結局……わたしは、篠宮の血に抗うことはできないのだ。

(日ノ本君、ごめんなさい――)

 わたしは腹部を両手で押さえ、洗面台に――嘔吐した。




「げほっ、げほっ! ぐう……げほっ!」

 保健室から抜け出た後、俺は最寄りのトイレに急ぎ、息も絶え絶え呻いていた。

 自分のものとは思えないほど身体を自由に動かせず、何度も躓き、転倒しながらようやくここまでやってきた。人の少ない休日中でよかったなどと思いつつ、俺は胸部を両手で押さえ、手洗い場に――。

 吐血した。

「……」

 前兆さえもなかった。今朝と同じ発作である。残念だが、症状については悪化の一途を辿っていた。

 周期的に今日のところは問題ないと思ったが、そうも甘くはなかったようで現状こんなありさまだ。身体に鞭打ち登校したが……やはり無謀だったのだろう。

 霞む視界の焦点を合わせ、大量に掻いた汗を拭う。大きく深呼吸を一つ。

 何とか山は越えたらしい。

「ふう……」

 発作が止んだようだ。俺は壁に背を預けた。

 危なかった。自分の身体の二度目の悲鳴で、確信した。もはや俺は長くない……やはり時間は迫っていた。

 出しっぱなしにしていた水の、蛇口の栓をきつく閉める。常備しているハンカチにより両手を拭いた。そんな時、俺は失念していたことに対し、ようやく気が付いた。

「あれ……?」

 瞬間、青褪めた。学生服のポケットの中に、紙袋が……なかったのだ。

「……っ!」

 どこかで落としたらしい。あれだけ転けたし、無理もない。

 慌てて踵を返し、俺は廊下の前へと躍り出る。すると、トイレの入り口横で……一人の生徒と遭遇した。

「あ……」

 もしも那智だったなら相当驚いていただろう。しかし、相手は初対面の、制服姿の女子だった。

「これ、落ちていましたよ。あなたのものではないですか」

 告げて、彼女が差し出したのは見覚えのあるものだった。

 白くて小さな紙袋。よかった……それは紛うことなく、俺の紛失物だった。

「もしや、待っててくれたのか……?」

「だって、ここ、男子トイレで……中に入れませんから」

「ああ……」

 受け取り、すぐさまその紙袋を開いて中を確認する。ひい、ふう、みい……よし。中身も外に零れ落ちてはいないようだ。安心した。

 俺は少し大袈裟気味に頭を下げて、拝謝した。短い髪の彼女は非常に凛々しい目顔の生徒であり、お芝居なんかに登場しそうな気品を感じる女子だった。俺のお辞儀を見て、けれども顔色一つ変えはせず、彼女は無表情のまま――。

 こちらをじっと見つめていた。

「サンキュー。本当に助かった。どこに落ちてた?」

「すぐそこです。周りに人がいない中で、あなたがトイレに入るところを目撃したので」

「待ってたのか」

 見ず知らずである赤の他人のためにそこまでするなんて。なかなかできることではない。

 俺は改めて感謝した。

「この恩は一生忘れない。できれば名前を教えてくれ」

「……」

「うん……? どうかした……?」

「それ、凄い量ですね」

 言って、彼女はこちらの手中の紙袋を指差した。

 はっとし、俺は視線を逸らして「参ったなあ……」と苦笑した。

「中身、見たのか……」

「ごめんなさい。ついつい、興味本位で」

「……」

「凄い量の薬ですね。錠剤、カプセル、粉末も……数えきれないほどでした」

 できれば誤魔化したかったが、それもできないようである。

 学生服のポケット内に薬袋を戻した後、俺は会話を打ちきるために、左右に手を振り否定した。

「これは、まあ、何というか……大したもんじゃないんだよ。生まれた時から服用してて、今では慣れっこだしな」

「……」

「ごめんな。人を待たせてるんだ。悪いんだけど――」

「日ノ本さん」

 呼ばれて、そのまま硬直した。俺は彼女に自分の名前を教えただろうか。

 教えていない。

「そんな風に、日ノ本さんは一人で強がっているんですか?」

「え……」

「あなたはそうしていつも、虚勢を張っているんですか?」

 不意に言葉を投げかけられて、俺は怯んでしまっていた。一体全体、この子は俺に、何を言っているのだろう。

「あなたの人への思いやりは、時に誰かを傷付けます。日ノ本さん、憶えていて。きっと憶えていてください」

 彼女は含んだ一語を残し、そのまま立ち去ろうとする。しかし、俺はそんな背中に「待った」をかけて足止めした。

「なあ、名前、聞いてないぞ」

「……」

「頼む。教えてくれ」

 暫しの沈黙が落ちた後、彼女はこちらを振り向いた。

 感情の色を見せない瞳が、俺を一点に捉えていた。

「わたくしの名前は不知火です。日ノ本さん、それではまた……」

 そうして、彼女は俺の前から立ち去り、姿を見えなくした。

 ポケット内に片手を突っ込み、薬袋を握り締める。彼女――不知火は、何を知って、何を伝えたかったのだろう。




「よーし、これにて補習は終了! 日ノ本、篠宮、頑張ったな!」

 六時限目の授業が終わり、鈴谷先生に労われる。

 日ノ本君は喜々としながら大きく伸びをしているが、わたしはそんな彼を見つつ……内心、憂慮していた。

「……」

 昼食前のお手洗いで一旦席を外した後、日ノ本君は少し遅れて保健室に戻ってきた。結局、ほとんど時間がなくて彼は食事にありつけず、わたしたちは午後の授業を迎えることと相成った。

 宣言通り、日ノ本君は終始静かなものだった。というより、普段と比べてまるで別人のようだった。昼休みの一件以来、彼は様子が変であり、何度か声をかけたものの「平気」と往なされ続けたのだ。二人で一緒に一冊きりの各教科書を見ていたが、わたしは授業に専念できず隣りの彼を気にしていた。

 取ってはならない食事を取って、わたしも不調だったのだが……わたしの方は何とか無事で、身体は回復傾向だ。

「そういうわけで、放課後だが……日ノ本、今日は山城は?」

「うん。校内で待ってるはず。合流してから帰る予定」

「そうか。外は寒い上に曇り空で真っ暗だ。帰り道には注意しろよ。日ノ本、いいな?」

「畏まりー」

 日ノ本君を戒めつつ、わたしの頭をぽんぽん叩いて先生は一時退室した。職員室に行ったのだろう。

 ……お節介な人である。

「山城君、帰ってないの? 待ってるなんて律儀よね……」

「こっちは午後まで授業があるから先に帰ってよかったのに、言っても聞いてくれなくてさ。毎度のことなんだけど」

「ふーん……」

「適当に時間を潰してるとか、そういうことを言ってたから、どっかの部活を冷やかしてるよ。あいつ、顔が広いから」

「捜しに行けば?」と勧めてみると「待機すべき」と却下される。

 確かに二人が行き違ったらそれこそ意味がないわけで、待った方が合理的だ。わたしは反論しなかった。

「ま、今は那智との時間を満喫したいし、楽しんどこ!」

「……」

「那智、どうしたよ……? 今日はらしくないぞ」

「……」

 それはこちらの台詞である。はぐらかされてしまっているのは寧ろわたしの方なのだ。

 しかし、当の日ノ本君は一転いつもの調子であり、授業中のやつれた姿は今や過去のものだった。仮にも彼は虚弱な身で、時には百十九番される重い病の持ち主だ。一時的に弱った身体が回復したならいいのだが、わたしは……彼が「平気」と言う度、心を痛めてしまっていた。

「お、遂に降ってきた――」

「……?」

「雨、降り出したぞ」

 日ノ本君の言葉を受けて、わたしは黙って顔を上げた。

 見やれば、窓の外の景色はすっかり雨天のそれであり、体育会系の部員たちも校内に引き上げ始めていた。グラウンドには見渡す限り人っ子一人いなくなり、ただただ強い雨音だけが頻りと辺りに響いている。

「あちゃあ、こいつは本降りだ。しばらく止みそうにないな」

「うん……」

「参ったなあ。思ってみれば、俺、傘は持って――」

「……?」

 窓辺に寄った日ノ本君は言葉を途切らせ、沈黙した。何事なのか気になり、わたしはおずおず彼の隣りに立つ。

 瞠目しているその横顔は瞬き一つしなかった。わたしに初めて見せる顔で、何か一点を見つめていた。

「日ノ本君、どうしたの……?」

「……」

「ちょっと、日ノ本君……っ!?」

 次の瞬間、日ノ本君は目先の窓を全開した。あろうことか――雨天の中に飛び出し、駆けていったのだ。

 上履きのまま、傘も持たず、こちらの問いにも答えずに、彼の背中は遠退いていき、どんどん離れていっていた。わたしは奇妙な不安と疑念と切迫感に襲われて、彼の後を追おうとして、

「……あうっ!」

 地べたに衝突した。日ノ本君の真似をしようと躍起になっただけなのだが、運動音痴のこの身体では些か無理があったらしい。

 窓から落ちて腕を擦り剥き、痛い……けれども、大丈夫だ。わたしはそんなことは気にせず、必死で。

 雨中に飛び込んだ。

「……っ!」

 いつも日ノ本君は突拍子もなく強引だ。予想の遥か斜め上の言動で周囲を驚かせる。しかし、今回の彼の行動にわたしの胸は騒いでいた。決して放っておけはしないと、心に思っていたのである。

「……っ!」

 彼と同じく、わたしも半ば我を忘れていた。冷たい冷たい冬の雨が次第に体温を奪っていき、聞こえてくるのは強まるばかりの激しい雨音だけだった。カーディガンからスカート、果てには靴下までもがびしょ濡れで、わたしは脳裏で「日ノ本君め」と恨み言を垂れていた。

「……」

 がむしゃら走り続け、どれほど時間が経っただろう。わたしは校庭の片隅――そこに、一人の人影を発見した。

 見つけた。それは日ノ本君で、その場に膝をついていて、彼は無言で静止したまま、雨に打ちつけられていた。

「日ノ本君、やっと見つけた……」

「……」

「ねえ、日ノ本君……?」

 慣れない駆け足などしたせいで息が上がってしまっていた。わたしは肩で息をしつつ、大きな背中に語りかける。

 日ノ本君の名前を呼ぶと、彼はゆっくり振り向いた。こちらを見つめるその瞳には哀惜の色が浮かんでいて、彼が胸に抱いているのは――一匹の小さな猫だった。

「日ノ本君、その子……」

「……」

「え、嘘……? そんな……っ!」

「那智……?」

 駆け寄り、わたしはへたり込んだ。間違いであってほしかった。

 首輪代わりの白いリボン。見間違えようはずがない。一昨日、出会ったばかりだった、茶色い……子供の猫だった。

「まさか、その子、もう――」

「那智……」

「いいえ、生きてる! 生きて――」

「那智!」

 悲しかった……苦しかった。助けを請いたかったのだ。

 わたしは日ノ本君を見た。彼は首振り、否定した。

「那智……ごめん。手遅れだった」

「……」

「こいつ、死んでるよ」

 わたしは幼い子供のように、日ノ本君に嫌々した。両手で顔を覆い隠し、その場にくずおれ、そして――。

「……っ!」

 声にもならない叫びだった。雨は降り続いていた。

 心が……凍りついていく。願いは叶わなかったのだ。




「そっか。そんなことが……」

「ああ。それで……那智は保健室で休息中というわけだ。今は思人ちゃんがついてるから、何も心配ないと思う」

「時雨、ちゃんと分かってる? 雨の中に飛び込むなんて、無茶なことを……」

「面目ない……」

 あの後、俺は那智とともに保健室に出戻った。傘を差した思人ちゃんが駆けつけ、間もなく発見されたのだ。聞けば窓が開いたままの保健室に戦慄し、慌てて捜してくれたらしい。彼女は息急き切っていた。

 よほど不安にさせたと見えて思人ちゃんは号泣してしまい、保健室に戻るや否や遮二無二宥めて落ち着かせた。子猫の死体は本人の希望で那智の胸に抱かれていて、彼女は自分の見てくれさえも気にせず黙り込んでいた。

 そんなこんなしているうちに楓と時宜よく合流し、彼は「説明は後でいいよ」と気遣い、その手を貸してくれた。思人ちゃんの小言を頂戴しながら雨に濡れた身体を拭き、ストーブにより温められた貸し出しジャージを借り受けた。

 打ち拉がれた様子の那智は心ここにあらずであり……俺たち三人が声をかけても、碌に返事をしなかった。

「午後の授業が終わった後、那智とお喋りしてたんだ。そしたら雨が降ってきて……猫の姿が目についた。遠目だったし、見間違いとか錯覚かもと思ったけど、気付けば身体が動いてて……猫は息を引き取ってた」

「篠宮さんが抱いてた猫、茶虎の……あの子、もしかして……」

「ああ、間違いないと思う。こないだ登校途中で見かけた、小さな……子供の捨て猫だ」

 窓越し空を見上げてみれば、先まで土砂降りだった雨が次第に弱くなっていた。

 今、俺と楓は二人で保健室の外にいる。那智が着替えをするとのことで思人ちゃんに追い出されたのである。その間、俺は事の次第を彼に一から説明し、お呼びがかかるまでの時間を廊下の角で過ごしていた。

「楓、俺さ……とてもじゃないけど、偶然だとは思えない」

「……」

「あいつ、きっと俺らの後をついてきてたんだ。俺と楓を追ってきたんだ。それで……捜してたんだと思う」

 子猫が校内に迷い込んだ、その原因の当て推量。俺のいつもの当てずっぽうに、楓は今回は黙っていた。

 病死、餓死、凍死、轢死……子猫の死因は分からない。しかし、それは……考えるだけ、きっと……野暮なのだと思う。

「……」

 冬の夜は早く、いつの間にやら夕暮れで、依然雨も降っている。

 帰りは、俺は思人ちゃんの車で送ってもらえるとのことだ。

「楓、俺は那智といるよ」

「うん。それがいいと思う」

「待っててもらって悪かったな……」

「いいよ。それじゃあ、しっかりね」

 折り畳み傘を左右に振ってこちらに別れを告げた後、楓は多くは語ることなく「二人によろしく」と立ち去った。

 再び、空を高く仰ぎ、自分の胸に手を添える。

 生き物の死を目の当たりにした思いはここに残っていた。




 天気予報では豪雨になると報じていたと思うのだが、実のところはしとしと雨が現状降り注いでいた。弱りに弱った雨とはいっても止んでしまったわけではなく、鈴谷先生はわたしたちにそっと傘を貸してくれた。

「那智、どうだ? このくらいで」

「うん。充分。ありがとう」

 今、わたしは日ノ本君と二人で校舎裏にいる。先生に駄々を捏ねた結果、外出許可が下りたのだ。条件として日ノ本君の同行、随伴を命じられ、わたしたちは校舎を回ってその裏側にやってきた。

 校舎裏は更地であり、ひっそりとした場所だった。日ノ本君の向かうがままにわたしはついてきたのだが、曰く入学し立ての頃に探険していて見つけたらしい。殺風景で物寂しいと一見感じはしたものの、却って静かなところの方がいいと飲み込むことにした。

 わたしは、彼と子猫のお墓を作りに――ここまで来たのである。

「それじゃあ、那智、そろそろ……」

「そうね。お別れしなくちゃいけないわね」

「……」

「いいの。大丈夫よ。わたしたちで見送りましょう」

 更地は校舎の陰に隠れて陽の目を見ないところにあり、大部分は雨にも打たれず一切濡れていなかった。わたしたちはそこを選び、日ノ本君がスコップ片手にお墓の穴を掘ってくれて、先ほど……子猫の埋葬のための準備が整ったところである。

 胸に抱いた子猫の頭を撫でて、ぎゅっと抱き締める。目蓋を閉じて、心の中で別れの言葉を告げてから、そうしてわたしは目を開けた。

 彼にこくりと首肯する。

「子猫さん、お休みなさい。いつの日か、また会いましょう」

 静かに、そっと子猫を手放し、穴の中に横たわらせた亡骸に土をかけていく。

 日ノ本君はとてもとても悲しそうな顔だった。生き物の死に慣れすぎているわたしは涙も流せない。冷たい死骸を抱いた時さえ躊躇も抵抗もなかったのだ。やはりわたしは人とは違う。きっと……そういうことだ。

「……」

 道中、わたしは細くて短い切れ端部分の木材を拾い、日ノ本君は手の平大の四角い石を見つけていた。墓穴を埋めてしまった後、それら二つを墓上に添え、二人で並んで合掌をして、そうして……。

 同時に息をついた。

「日ノ本君、ごめんなさい。わたしの我が儘だったわ」

「那智……?」

「あの子、実は知り合いでね。初対面じゃなかったの。だから本当にびっくりして……格好悪いとこ、見せたわね」

 お墓作りを提案したこと、校庭で取り乱したこと、わたしは両方の詫びを入れた。

 日ノ本君は肩を落とす。

「謝りたいのはこっちの方だ。那智には酷いことをした。元はといえば……俺のせいでこういうことになったんだし」

「んーん、それは違うわよ。あなたが見つけてあげなかったらあの子は雨曝しだったもの。きっと感謝してると思う。だから……そんなこと言っちゃダメ」

 わたしの言葉に笑ってくれる。彼の笑顔が嬉しかった。

 わたしはくるりと反転して、校舎裏を見渡した。

「あなた、意外と物知りね。こんなところ……初めてよ」

「高校に進学できた時、俺、すげー嬉しくてさ。やりたいことはやっておこうと校内を見回ってたんだよ」

「びしゃびしゃちゃぷちゃぷ動き回ってジャージも台なしにしちゃったし、スコップだって園芸部から勝手に借りてきちゃったし、やってることが無茶苦茶よ。まあ……お陰様だけど」

「世の中、なるようになるからなあ。遠慮したら負けなんだよ。だったら楽しんだもん勝ちだ。後悔したくはないからな」

 人生観を語る彼がちょっぴり立派に見えてしまい、達観しているその横顔にわたしは驚かされていた。

 日ノ本君はわたしが知らないことをたくさん知っていて、わたしができないことを平気で堂々とやって退けるのだ。わたしと比べて視野が広く、自由で、とても柔軟で……それがとても羨ましい。

 日ノ本君がこちらを見た。

「那智、どうした……?」

「何でもないわ」

「いや、だけど……」

「何でもない」

 子供染みたことを宣う彼は大人染みていて、わたしは首を横に振りつつ少し笑ってしまっていた。

 二度は濡れないようにしていた、大事な大事なあの子の遺品。

 首輪代わりの白いリボンを、木材の切れ端に括りつける。

「あ、それ……」

「うん。リボン。あの子にあげたものだから」

「那智、俺……あいつのことは、絶対! 一生忘れないぞ」

「そうね。わたしも忘れないわ。ずうっと……憶えていようと思う」

 いつか読んだ本の中に同じようなシーンがあった。男女が友人のお墓参りに遠路遥々訪れて、今のような台詞を言い合い――それが最後の頁だった。

 物語では降り続いていた雨が止んでいたのだが、現実はそうもいかないらしい。

 空は泣いているままだ。

「日ノ本君」

「何だ……?」

「……」

「那智……?」

「今日は――ありがとう」

 わたしは彼に身体を預けた。寄り添うように隣り合う。

 日ノ本君は硬直した。彼に対するご褒美……? 違う。わたしはわたしがこうしたいから、だから……こうしているのである。

「ななな、那智さんっ!? どうしたっ!?」

「……」

「どういう風の吹き回し……っ!?」

 日ノ本君は大層おののき、一方で、わたしは澄ましていた。

 露骨に知らん顔をする。驚かされてばかりなのはいつもこちらの方なのだ。たまには、こうして意地悪しても……罰など当たらないだろう。

「そ、そろそろ戻ろうぜ! 身体に障っちゃいけないし!」

「普段はふざけて喜ぶくせに、本当は照れ屋なのね」

「ぐっ……」

 日ノ本君を困らせるのもいい加減にしておいて、わたしは再度傘を広げて自分の顔を見えなくした。

 頬が火照って面映ゆい。外気で程よく冷めるまでは、しばらくこうしていなくては。

「日ノ本君、行きましょう」

「いいのか……?」

「うん。是非もなし。ちょっぴり名残惜しいけど……ここにはまた来られるから」

 とても静かな校舎裏。人など近寄らない更地。雨宿りにはぴったりな――そんな場所にはお墓がある。

 ここにはあの子が眠っていて、それを知るのは二人だけだ。わたしは、今日の出来事全てを心に留めておこうと思う。

「日ノ本君。わたしね、実は……気付いたことがあるの」

「うん……?」

「やっとね、やっと……今日ね、一つ。わたし、答えを出せたの」

「え……?」

「何の答え?」と訊きたいらしい。日ノ本君はそんな顔だ。

 随分と時間を食ってしまった。鈴谷先生が待っている。蚊帳の外になっていたが、わたしの家の車だって到着しているはずだった。

 彼のことなど無視してしまい、わたしは一人で歩き出す。

 日ノ本君は傘を差しつつ「そりゃないぜーっ!」と追ってきた。

「ふふ……ほら、行きましょう」

「那智ーっ!?」

「あはは。早く早く」

 気付いたばかりで照れ臭くって、今は口には出せないけど。

 わたしは、彼が好きなのだ。

 日ノ本君に――恋していた。




ジュジュツナギ 上(完)

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