キツネさん、冷やかされる
キツネさんが出掛けてからのそのそと準備をして部屋を出て、時刻は午前六時を回ったところだ。九月上旬の早朝。まだまだ夏の気配が濃い。今日も日中はさぞ暑くなることだろう。
キツネさんに魔術をかけてもらって緩和することもできるが、魔術ありきの生活をしていると普通の日本人としての感性から離れていってよろしくないと思い、遠慮している。なんでだかキツネさんも俺につきあって同じように自身には魔術をかけずに暮し、クーラーの効いた部屋で飲むキンキンに冷えたビールは最高と言って毎日嬉々として飲んでいる。夏になる前から毎日嬉々として飲んでいたけども。
向かう先のハンバーガーチェーン店はなんでだか二十四時間営業している。俺が現在の住まいに越してくる前からずっとそうしているようだ。キツネさんが働くと言っていたわけだし、多分今日のこの時間も開いているはずと思って辿り着いてみれば、問題なく営業していた。
店内にすぐに入らずに外から少し観察してみると、カウンターに並ぶ客はおらず客席には突っ伏して寝ているのだろう若そうな男性が一人いるだけだった。店員は見える範囲に二人。客側からは見えにくいキッチン内に人影が一つと、カウンターで商品提供用のトレーを拭いている女性が一人。キツネさんがいる。
キツネさんはトレーを拭きながら、店外の俺に笑顔を向けているのが分かる。どうにも俺の気配を察知していたようだ。店内に入ってカウンターへ向かうと、キツネさんは手を止めて元気よく声をかけてきた。
「いらっしゃいませ!いつものでよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
キツネさんがこの店で働き出す前にも二人でちょくちょく朝に食事しに来ていた。キツネさんはいろいろなものを日によってあれこれ注文していたが、俺は大抵決まったメニューを食べていたので、いつも食べているメニューでいいかということである。
注文を繰り返し、料金を俺に告げ、キッチンにオーダーを通すためにキツネさんが背を向ける。当然に尻尾はないし、耳も毛付きの三角形ではなく、長い髪を耳の高さでお団子にまとめていた。チャイナ服なキャラのコスプレをするときにつける茶巾袋みたいなもので覆っている。制服姿もあいまって、いろいろと新鮮に思う。
そのままドリンクをトレーの上に置き、俺が前もって会計トレーに置いた千円札を受け取って清算し始める。
「550円のお返しになります!」
ここまで完璧に客として対応されている。敬語を話すキツネさんは、それはそれで面白いと思っていると、お釣りを渡す際になって俺の手を両手で包むようにして渡してきた。そしてそのまま離さない。
「……キツネさん?」
「出勤したもののやることが少なくてのう。うふふふ」
地面に向けた手の甲をソフトタッチでわさわさ撫でてくる。くすぐったい。
「それで、どうしてわざわざ儂が働いている時間に来たのじゃ?まだ眠かったろうに」
「キツネさんが働く姿を見物しようと思いまして。それだけです」
飲食や小売で働き始めたら知り合いが冷やかしに来るのはよくあることだろう。俺が以前同じチェーン店で働いていたときに家族が冷やかしに来ていたらしいし。その時は客席から見えないキッチン業務してたからお互い確認できなかったけれども。
「儂のことを心配してくれているのかの?ふふ。愛されておるのう」
キツネさんの両手にきゅっと力が入る。何やら誤解して喜んでいらっしゃるようだ。
ある意味、心配と言えば心配してはいた。人外的な本領発揮してないかという意味で。だが、キツネさんの言う心配はそういう心配ではないだろう。
訂正するべきかどうかちょっと迷っていると、キツネさんが振り返ってキッチンから送られてきたバーガー類を受け取り、ささっと持って来てトレーに置いた。
「お待たせしました!ごゆっくりどうぞ!」
「はい。じゃ、頑張って下さいね」
営業用なのか俺用なのか分からないが、満面の笑顔のキツネさんに一声かけてトレーを受け取り、カウンターから離れた。キツネさんの姿が見える場所に陣取り、ゆっくり食事を摂り始める。
食べ終わってからもスマホで暇つぶししながら観察していると、ずいぶんと朝早いはずだが、ぽつりぽつりと客足はある。営業しているだけあってそれなりの売上はあるようだ。そんな中、キツネさんは微笑を浮かべてそつなく来店者をさばいていく。やはり心配の必要はなさそうである。
ぼけっと観察していたら七時を過ぎていた。この時間ともなるとそこそこ客も店員も増え始め、カウンターに多少列が出来たりすることもある。マネージャーらしき人もカウンターを開けて注文を受け始めるが、外国人っぽい人が来たらキツネさんにパスしていた。俺が心配するどころか、短い期間で随分と頼りにされているようだ。
おそらく中華系の外国人の夫婦っぽい人達と流暢に会話している。大陸か台湾かその他かはわからないが、見た目というか服装や雰囲気で日本人ではないことがわかる。持ち帰りの品物を受け取って外へ出て行く際に、二人の客は笑顔でキツネさんに軽く手を振り、キツネさんも笑顔で手を振り見送っていた。
気のせいか、他に食事していた客や並んでいた客もキツネさんを見て微笑んでいるように見えた。お客さんがこんな平和な表情をする職場だった記憶が無い。あれか、出稼ぎの純朴なお嬢さんの対応にほんわかしているみたいな感じだろうか。
「お待ちのお客様、こちらでお伺いします!」
多少席がうまって来たように思えたので、いつまでも居座るのもよろしくないだろうと、キツネさんの掛け声を背に家へ帰った。
「ただいまー」
家でのんびりしていると、午後四時半あたりでキツネさんが帰ってきた。バイトからそのまま競馬で荒稼ぎしてきたようだ。帰宅の挨拶も早々に、ベッド下のクリアケースへ無造作に札束を放り込んでしまう。そしてそのままベッドに寝っ転がっている俺の背中にダイブ。衝撃を完全に殺して覆いかぶさる。
「バイトと競馬で疲れたぁ」
「お疲れ様です」
「朝はありがとう、タダシ殿。ちと長く見守られていたようじゃが、問題はあったかの?」
「別にお礼を言われることでもないんですが。まあ、何も問題はなさそうで安心しましたよ」
キツネさんはそうかそうかと俺の背中の頷きながら頭突きする。痛くはない。キツネさんが俺から離れると、冷蔵庫からビール缶の口を開ける音がする。俺は起き上がってそちらへと体を向ける。
「ただ、働いている姿を見るのは新鮮でしたね」
「ふむ。儂が真っ当に働いている姿を見るのは初めてじゃったろうからのう」
「それもありますが、髪型が違うと印象も随分と変わるなと思いまして。お団子にまとめているのが可愛かったですね」
「ふぐっ。かふっ、かふっ。そ、そうじゃろうか?」
俺が率直な感想を言うと、ビールが変なところに入ったのか吹き出しはしなかったが、キツネさんがむせて手で口を覆い横を向いた。
「タダシ殿からまともに見た目を褒められることは滅多にないので、驚いてしまったわ」
「そうですかね」
「うむ」
割と普段から美人とか言っている気がするのだが。
キツネさんが涙目になりながらビール缶を持って俺の横に座る。
「まあよい。それで、そのう、女子の髪型に強いこだわりでもあるのかの?」
「強くはないですが、多少は好きな髪型はありますね。ポニーテールとか」
最近はポニーテールとは言わないらしいが、新しい呼び名など知らん。
「タダシ殿が好みの装いを語るのも珍しいのう。儂がどんな服を買おうが興味なさげじゃのに」
「そうですかね」
「うむ」
キツネさんがビールを飲みながらスマホでポニイテイルと検索する。検索結果に首を傾げ、ポニーテールと打ち込みなおした。これかあ、と呟いた。
アップって言われても何がアップなのん、て思うけど、ポニーテールって言ったら髪のことだとわかりやすいと思うのよ。