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キツネさん、履歴書を書く

 履歴書のおおよその書き方はわかるが、外国人としてどう書くべきかなんてことには自信がない。パソコンからネットで調べて解説しながら、キツネさんが履歴書を書いていくのを見守る。

 今までに本を読んで慣れたのか、キツネさんの書く字は整った明朝体風味だ。学生時代は自分でとったノートを見返すと字が汚くて勉強する気がなくなった身としては、とても羨ましい。丁寧に書けば綺麗になるもんだ、と兄貴は言っていたが、どんなにゆっくり丁寧に書いたつもりでも汚いもんは汚いのだ。

 テーブルの上でキツネさんの手はさらさらと止まることなく欄を埋めていく。


「ふむ。名前や住所等はよし。動機に関しては仕事によって考えねばならんから、今ほかに考えるべきは写真かのう」

「写真も応募する仕事次第で変わってきます。身だしなみを整えて写真を撮るプロの居る店に行くか、普段着ている外出着で簡単な写真撮影で済ませるか。服を除いてかかる費用としては、前者は数千円で後者は数百円ですね」

「応募の時点で身だしなみや服装を問われるか。まあ人の世では当たり前なのかの」


 服装で職務や身分を表すといのは、どこの世も変わらないようだ。

 キツネさんは両手を上げて背筋を伸ばし、左右に一回ずつ頭を回す。凝りをほぐして気の抜けた声を出しながら、自身が書いた履歴書を片手で持ち上げて呟いた。


「ふう。時給千円もない仕事でもこんなものが必要とはのう」

「どんな仕事へ申し込むつもりなんです?」

「まずはコンビニか、飲食チェーンか、そのあたりかのう。タダシ殿の送り迎えに差し障りの無い時間でできて、身近にある仕事を理解してみたい」


 選択肢が高校生みたいだが、理解してみたいとの言葉どおり、稼ぎについてはほぼ度外視だろう。

 俺の通勤の送り迎えに関しても今まで通り行ってくれるように考慮してくれるのはありがたい。もうわざわざ満員電車に好んで乗りたくない。あれ?なんかキツネさんがいないとダメな体になって……いや、大丈夫、多分。

 さて、個人的には飲食の方が始めの仕事としてはいいと思う。コンビニ店員は求められるスキルが歪に思う。言葉を変えれば面倒だ。一つ一つの作業はたいしたことじゃないんだが。

 何にしろ、どんな求人があるか。


「キツネさん、職場はうちの近所で考えてますか?」

「わざわざ遠いところへ行かんでものう。タダシ殿の働くところの近くでもよいが」

「バイト探しなら、水道橋近辺も悪くないと思います。でも、とりあえずは近所で調べてみますか」


 適当にバイトと検索してずらっと表示されたリンクの一番上をクリックし、中野を検索してみる。約300件。

 キツネさんが自分で操作したそうにしていたのでマウスを明け渡すと、各記事をざっといくつか別タブに開いていく。


「近場でも随分と募集があるものじゃと思ったが、何やら似たような記事も多いのう。というか、これもこれも同じ写真を使い回しておるようじゃ。給料も大差ないし何が違う……ああ、東中野と中野で同じチェーンの募集があるのじゃな。ややこしい」

「ネットでの仕事探しという手もあるとだけ知っておけばいいかと。条件を細かく指定すれば使えるもんですよ。色んな求人を見て回るにはしんどいですけど」

「なるほどのう。うーむ。駅前の商店街を見て回った方が早いような、しかし参考にもなるような」

「別のサイトも見てみますか」


 次にリンクの二番目のサイトから中野を検索。約1,100件。どうもこちらのほうが多様な募集が多い。

 あちこちキツネさんがクリックしては言葉の意味を問い、俺が答える。

 一般事務とは。コールセンター業務とは。看護助手とは。

 契約社員とは。派遣社員とは。パートとは。日払いとは。

 フリーター歓迎とは。大学生歓迎とは。高校生歓迎とは。

 説明していくうちにキツネさんがげんなりしていった。説明している俺も割とげんなりしている。


「無駄に情報量が多いのう……」

「なんといいますか、それだけ仕事の在り方が細分化されているわけで」

「あそこのハンバーガー屋にするかのう、時間もかなり自由がききそうじゃし。歳のせいか、あまり文字をたくさん見ていると、もうしんどいわ……」


 近所のハンバーガーチェーン店の募集を表示させ、キツネさんは弱音を吐きながら履歴書の応募動機欄の上にボールペンを走らせる。

 キツネさんが年齢を言い訳にするのは初めてような気がする。というか、馬券買うのにいつも細かい配当表をじっとみたり、俺の仕事中ずっとゲームしてたり、今まで他に割と目を酷使しているような。

 なんと反応したらいいものか黙っていたら、ペンの頭で脇腹をつつかれた。


「うひっ」

「そんなことないですよとか、そういうことを言うもんなんじゃろう?」

「はひっ。ちょ、やめ」

「ほれ。言わんか」


 キツネさんは俺がくすぐられるのに弱いことは良く知っている。言えといいながら、俺がまともに声を出せなくなるのもよく知っている。そのまま執拗にくすぐり始めたので必死にガードするも、数分の間くすぐられる。キツネさんが力を抜いて俺に寄っかかってきたのを停戦の合図に、ぜーはー言いながら息を整える。

 テーブルの上の未完成であろう履歴書を見て、つむじを俺に向けているキツネさんに尋ねる。


「キツネさん、履歴書は?」

「……明日でいいかなって」


 キツネさんは気怠げにぼそりと応える。結婚にまつわる諸問題に引き続いての再びの保留。なんだかんだ超人的というか超人なキツネさんだが、人付き合いや社会的なことは面倒くさがるように思える。戸籍国籍関連もソルさんに投げていたわけだし。

 どちらにしろ履歴書を書くのに悩むようなら、俺が校正するのも出来上がってからでいいだろう。ならば先に写真を撮るか。写真屋はもう閉まっているかもしれないが、証明写真の自販機というか、いわゆるスピード写真は近所にあったはず。


「飲食のバイトなら今着てるTシャツ姿で充分ですから、今から安く撮れる写真のとこにいきますか」

「ん」


 キツネさんを抱きながら立ち上がって立たせ、そのままバッグを取って外へ出る。スピード写真のボックスに向かう道すがら、さきほどの仕返しとばかりにキツネさんの脇腹をつついて言ってみる。

 細い体がくの字に曲がる。キツネさんもくすぐりに弱いのは何故だろう。体質操作も平然と出来そうなもんなのに。


「ひゃんっ」

「さっきはどう答えるべきだったんですかね?」

「え?あー、えー。どうじゃろうな。きゃうっ」

「俺は正解がないのにくすぐられたんですかね?」


 何度かつつきながら質問するが、キツネさんに手をとられて止められる。


「ひー。ひー。悪かった、儂が悪かったから。やめておくれ」

「まあいいですけど」


 言われた通りに大人しくやめる。

 キツネさんに手を握られたまま歩く。お互いちょっと汗ばんでいた。

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