キツネさん、八つ当たりを誓う
六月を乗り越え、有給を少し消化しておくかと社内の日程を確認し、特に意味もなく週のど真ん中に休みをとった。給料もボーナスもしょぼいが、残業代が出るのと有給をとろうと思えばとれるのは勤務先の美点だ。美点って言ってしまえるのが悲しい現代日本社会である。
そんな七月上旬の有給取得日。俺が寝っ転がっている横でキツネさんは朝からロンダルキアに攻め入り、全滅の後にパスワードを記録してベッドの俺の横に倒れ込んだ。尻尾が元気にてしてしシーツを叩いていたので、不貞腐れていただけのようだ。つまらないなら止めてもいいと言ったのだが、短く「いや、やる」と答えて、キツネさんは下旬にはなんとか全回復呪文を唱えてくる鬼畜ボスを倒して絶叫し、エンディングを呆然としながら見つめていた。
この上にデータセーブ用の電池が怪しいドラクエ3を渡して、初っ端からトラウマ音を聞かせることになるのは流石にためらわれたので、ネットで電池交換の方法を調べて交換作業を終えたカセットを数日後に渡した。2の最後を思いだして一瞬苦い表情を浮かべながらも、やり始めたらなんだかんだキツネさんは楽しそうに遊び、セーブ機能を心底ありがたがっていた。
そして八月。
「暑い……」
スーパーで買ったチューペットの類似品を口にくわえたまま、キツネさんは季節に文句を言う。
まあ暑くて当たり前である。気温が30度を超えているというのに、クーラーもつけず扇風機が回っているだけの部屋にいるのだから。決してクーラーがないわけでもなく、壊れているわけでもない。普段の夏はクーラーを出来る限り使わずに過ごしていると言ったら、キツネさんも俺といるときは魔術で温度調節をせずにすごしてみると言って試しているところだ。
世間は学校も会社も夏休みの時期。朝飯後にじりじりと温度が上がっていく時間帯。汗だくになってキャミソールを肌にへばりつかせてタマ座布団に座りながら、キツネさんはファミコンのコントローラーを握って画面を睨む。同居するようになって二回目の長期休暇だというのに、相変わらず引きこもりオフゲー三昧である。海やプールに行こうかとも提案したのだが、画像検索して人の多さに辟易していた。
ベッドに寝転ぶと保温面積が増えるので、床に座って団扇をあおぎながらキツネさんのプレイを眺めている。横に見えるキツネさんのキャミソールは飾り気のないゆったりとした白いもので、ぎりぎり股下まで丈がある。肌着用だろう、薄めで汗で透けている上に、尻尾で背部が少しめくり上がってちらりと肌が見えているのもなかなかに趣き深い。
キツネさんは小さい顔をふって、中身がなくなった容器をぷっとタマに吹き投げた。
「やまたのおろちが強すぎる……生意気な。次に異世界に帰ったときどうしてくれようか……」
俺の知らない間にちょくちょく異世界に帰っているようで、話だけは聞いている。毎回リュウさんにお土産を持って行ってる愚痴とか、こっちに入り浸っているのを娘さんに呆れられているとか。他にも世界間移動時に時間軸がズレる現象の考察なんかもソルさんとしているらしい。おかげで俺の主観としてはキツネさんと過ごさない日はない。
「やまたのおろちって、キツネさんの知り合いなんです?」
「母の孫だか曾孫だか、そんな感じじゃ。くそう、火の息なんぞ吐けんぞあいつは。見た目ももっとかわいい。ああ!サキがやられた!」
かわいい八岐大蛇ってなんぞ。と思いつつ、ゲーム画面に意識を向けると「さき:そうりょ」のHPが0になっている。すでに「たま:まほうつかい」も0だ。残るは「きつね:ゆうしゃ」と「たた゛し:せんし」の二人となっている。しかし二人ももう瀕死だ。職業の振り分け理由に特に意味はないと言っていた。ゲームシステム上、戦士を先頭に配置する方が効率がいいと教えると、「タダシ殿に守られるんじゃのう」なんて笑っていたのだが。
「こうなったら特攻むしかない!」
今は画面を睨んで物騒なことを言っている。そして変な言葉遣いのバージョンアップも進んでいる。ネットで画像を見て興味を持った漫画を読んだらしい。冷静に考えるとRPGなんて大抵ぶっこんでるやつばっかなわけだが、細かい茶々を入れることもなく静観する。
あ。俺が死んだ。
「ぬわーーー!!」
惜しいなキツネさん。それはまだちょっと早い。5まで待っててください。
そして勇者きつねによる会心の一撃により敵が倒れて戦闘が終わった。
「儂以外みんな死んでしまった……」
キツネさんが言うと寿命的な意味で割としゃれにならない。
「みんな生き返らせてやらんとのう」
これもまた出来そうだからしゃれにならない。ひょっとしたらキツネさんのおかげで俺は今のご時勢で年金の元をとれるほど生きるのかもしれない。年金制度が存続し続ければだが。
そう言えばタマとサキの寿命ってどうなんだろう。我が家の家政婦さん達の年齢を聞いていなかった。楽しんでいるキツネさんの意識を邪魔しないように、スマホのメモを立ち上げて俺の肘置きになっているサキと筆談する。
『サキって年齢いくつなの?』
『0歳です』
『ああ。厳密に言えば今年生まれになるってことか』
『大本の輝夜が明確な意識を持つようになってからは千年以上でしょうか。詳しくはわかりません』
サキのなかでは、生まれは俺の部屋ってことなのだろう。じゃあタマが親なのか。そもそも経験を完全に引き継いだ分身体を生成する生命体というものに、親や子という表現を遣うのは正しいのだろうか。俺から見てサキとタマのサイズに違いがあるとは感じられない。というか違いがわからない。まあサキ自身も千歳以上と考えてもよろしいのではなかろうか。
千歳を超える不思議な家政婦さんである。じいやとか、ばあやとか、そんなんだろうか。有名な「おやまあ」と物陰から見つめる女優が分裂する状況が思い浮かんだ。うちの場合は物陰どころか壁裏や屋根裏に潜んだりする。分裂した女優が流体金属になって再生する状況が思い浮かんだ。
「う〜、連戦とは卑怯じゃろうに!」
俺が頭の中で混沌を生成しているところで、キツネさんは意図せず準備なしにやまたのおろち二戦目に突入してしまい、あっさり返り討ちにあったようだ。
「今度会ったときには撫で回してくれる……」
コントローラーを置いたキツネさんの手がわきわきとうごめいた。暑さで変なスイッチが入っているようにも思える。そんなもんよりクーラーのスイッチを入れよう。熱中症になりかねない。