キツネさん、仕事を尋ねる
連休中、中央競馬でのレースの開催もないある日。キツネさんと朝食をとったあと、東中野を経由して山手通りを南下するルートでふらふらと散歩していた。このあたりは歩道が幅広くとられ、ランニングする人も時折見られる。
「そうじゃ、タダシ殿。母が言っていたことじゃが、儂はタダシ殿が何の仕事をしているのか知らぬ。どのようなことをしておるのじゃ?」
中央総武線が走る上の道を歩きながら、ふと思いだしたようにキツネさんが尋ねてきた。
大変今更感がただようが、何せこちらの社会そのものにうとかったので、説明しても理解してもらえるか微妙だったのでしょうがない。
「勤めているところは小さい印刷会社です」
「印刷。漫画などのことか」
「うちのポストにチラシやらなんやら入ってくるでしょう?ああいうのです。漫画とか小説とか雑誌とか、本屋で売るようなものはやってません。そういうのは大きい会社でやってますね」
「ふむ。確かに街中でも様々なチラシを見る。いろいろと違いがあるものじゃろうな。服屋などでも扱うものは様々じゃしの」
取り扱っているものには伝票類やら封筒やら、キツネさんには馴染みのうすいものが多い。チラシなんかも個人宅目当てのものではなくて、企業から企業向けへのものや、学校から学生や講演会出席者向けのものがほとんどだ。
「そこでタダシ殿は何をしておるのじゃ?」
「家で画像いじくったりしてるでしょう。ああいうことをしてます」
「ふうむ。雑誌などで写真などが丸い枠にはめられていたりするのう。スマホで撮った写真はどれも四角い。ああいうのもそうかの」
「まあ、大枠としてそんなところですね」
厳密にはもちろん違う。いや違わなくもないが、今のキツネさんに印刷業態の細かい違いを理解してもらうには説明がまどろっこしくなる。車を知らない相手に運送ドライバーとF1ドライバーの違いを語るようなものなのだ。大きく間違ってなければいいだろう。
「タダシ殿は家でも仕事の修練をしておったのじゃのう」
「まあ修練になってもいますが、あれは趣味です」
「あー。知識探求の一環として魔術の研究を趣味とするソルみたいなものか」
本をスキャンして画像として保存するなんて趣味以外のなんでもない。手間と必要な機材を考えたら電子書籍でも買って、既存の本を捨ててしまった方がいい。ほぼ自己満足の世界だ。
しかしソルさんと同じ扱いとは、どうにも過大評価だろう。図書館のときの様子を考えると、あれはちょっとマッド気味だ。俺はあそこまでじゃない。はず。
「今は印刷として、他の仕事の経験はあるのかの?」
どのような経験をお持ちでしょうか、ときた。就職面接みたいだな。
つらつらとバイト経験も含めて指折り数えながら口に出してみる。
「コンビニ店員。本屋の店員。病院での清掃。家庭教師、これは学校じゃなくて個人向けの自宅へ招かれて勉強を教えるものですね。あとキツネさんがやっていたのとは大分違うでしょうが、荷物運びの類」
「荷物運びか。こちらでは車での荷下ろしをよく見かける。引越しなどもそうじゃな。その車自体を運ぶ車も見たことがある。それらと違って、車輪のついた箱に荷物を入れて運ぶ者も見たな。個々の家のポストにチラシを入れるのも荷物運びになるかの。確かに、荷物運び一つとってもこちらは様々じゃのう」
「そうですね。俺がやった荷物運びは、引越しみたいなものでした」
企業内の部署の入れ替え作業なのだが、適当にぼかして説明する。
半分くらいは持ちネタみたいになっている経験も言ってみる。
「あとは編集者なんかもしました。本を作る作業のうち、まずは内容を決めて、次に物書きだったり、絵描きだったりに仕事を依頼したり、写真を撮るための人員を手配したり」
「編集者。ううむ?印刷との違いはなんじゃ?」
「簡単に説明すると、編集者は本の内容を作ることで、印刷は本そのものを作ることですね。前の俺はデータを揃えて記事を作ってて、今の俺はそのデータを印刷する機械に合わせて加工することです。昔で言うなら紙の原稿を手配する人、それを判子にする人ってとこですかね」
キツネさんが眉間に皺を寄せて唸る。
「ううん。本を作るなんてことは、物書きが紙に書いたものをまとめただけのことと思っていた。こちらでは、それぞれの仕事が細かく分かれているのじゃな」
「そういうことですね。まあ言っていて上手く説明できているとは俺も思っていないですけど」
「はあ。こちらの仕組みは入り組んでおるのう」
息を大きく一つはいて、キツネさんは両手を上げて伸びをした。
まったく知らない仕事を理解するってことは、なかなかに大変だろう。体が凝り固まっておかしくない。俺だって会社内の業務でさえも経理業務なんてわからないし、友人の異業種の仕事なんて詳しいところはもっとわからない。理工学かなんかの博士号持ちで機械を作っている奴もいれば、中卒でシステムエンジニアをしている奴もいる。どっちもエキスパートなので、文系学士の俺には理解するのは大変だ。話を聞くのは楽しいのだが。
「それで、どんな本を作っておったんじゃ?」
「成年向け雑誌です。コンビニなんかで未成年者はダメって区切られているとこにあるヤツです」
持ちネタになっている理由である。男性にはもちろん、女性にも割と面白がられる職歴だ。
「あの女子がはだけて、『熱いのが欲しいの』とか『たっぷり召し上がれ♡』なんて書いてあるヤツか!」
「そうですけど、ちょっと力が強いです、キツネさん」
まあ変なこと言い出した俺が悪いのだろうが、キツネさんに体を揺すられてガックンガックン頭が動き回って気持ち悪い。
「タダシ殿が、その、なんというか、達者なのは、その仕事のせいか!」
「揺すらないで。というか、別に達者じゃないです」
「何を言うか!」
「いや本当に。たぶん」
顔を真っ赤にしているキツネさんをなだめ、脳みそシェイクされた後遺症を道の端によって魔術で癒してもらう。
「というか、何かご不満ですか」
「……不満はない」
不満がないならなによりです。