キツネさん、放置する
ソルさんを連れて図書館を案内する。
「……ここに住みたいデス」
キツネさんを初めて連れてきたときと同じように驚き、果てには目を輝かせながら移住希望である。まあ冗談だろう。
「それは無理ですね」
「残念デス」
「というか、どんな本の日本語でも読めるようになるには相当苦労すると思いますよ」
「確かに、昨日少し見た法律書も、話し言葉に比べると言い回しが独特デシタ。漢字もたくさんあるようデシタし」
そうは言っても俺のような凡人とは頭の出来がそうとう違いそうなのは昨日から散見されたので、どれほどで習得できてしまうことやら、少し楽しみでもある。
さて、そんなソルさんに先ずお勧めするべき本はどのようなものだろう。日本語そのものを学べるもの、もしくはその助けとなるものからがいいか。ということは辞書や参考書の類か。
ということで該当箇所に行ってみて各種辞書をざっと説明していく。
「おおお。これらもまた昨日の法律書と同じように、極めて薄い紙に果てもないほどの知識が詰め込まれて……ふ、ふふ」
辞書を閲覧して不気味な笑みを浮かべる様は、まごうことなき狂人。常識人枠かなぁと思ったこともあったけど、やっぱり人を辞めているだけあって外れたネジは多そうだ。
「このような本がいくつあるというのか。ふふ。読みたいデス。知りたいデス。持ち出しは制限がある……しょうがないデスネ!」
何がしょうがないのかわからないが、ソルさんが辞書片手に俺にはわからない言葉でブツブツ小声で何か言い始めた。
空調は完備され余計な風が入り込まないはずの図書館内に風が吹く。しかし俺の服ははためかない。埃もたたない。
魔力の風だ。ソルさんが何か魔術をつかおうとしている。しかも、それなりに大規模な。
「ソルさん……」
「バエル。ロノウェ。フォラス」
何をしようとしているのかソルさんに問いかけようとしたとき、三つのフレーズが聞き取れた。
待て。他は分からんが最初のはわかる。それもとはどっかの神の名で、ソロモン七十二柱の一柱だろ確か。
まあ待てと心で思っても現実は止まらない。ソルさんの言葉の一拍後、空間が揺らめいて幻が現れる。
なんか半分透けてるおじいちゃんと、ひょろながいおっさんと、屈強なおっさんがソルさんに対峙する。徐々に透明じゃなくなってきた。服装はなんかヒラヒラしたものを着ている。現代日本のものではない。というか見た目が日本人じゃない。
三人は周囲をキョロキョロと見まわしたあと、ソルさんと目と目で意思疎通して、ソルさんも含めて一斉に本を立ち読みし始めた。なんの集団だこれ。
「ソルさん?」
反応がない。ただの骨のようだ。外見をとりつくってはいるが。
いや、ひたすらページをめくっている。読むというか、1ページ1ページ見忘れはないか、ただめくっているだけのようにも見える。
「あのー……」
「何か大きい魔力の流れを感じて来てみれば、ソルのせいか」
背後から聞きなれた声とともにキツネさんが現れた。
俺の横を通り、召喚された三人の男達には目もくれず、キツネさんはソルさんの頭を両手で挟んで無理矢理に顔を合わせる。
「閉館時間は?」
「午後9時。21時。時計の位置は確認済み。その30分前にはここを出マス」
「ならよし」
何がいいのか。ソルさんはキツネさんの拘束が外されると、再び辞書をひたすらめくり始めた。
よくわからないままぼけっと突っ立っていたら、キツネさんに手をとられて自宅へワープした。
「あれはなんだったんです?」
部屋に戻ると、ビールの24本入りダンボール箱が積み重なった上でリュウさんが新潟県産の日本酒の瓶を煽っていた。他にも瓶やらペットボトルやら酒がいっぱいある。
昨日も見た光景のような気がするが、放っておいてキツネさんに尋ねる。
「問題はない、放っておいてよい。夢中ではあったが、最低限守らねばならんことも理解していたしの。呼び出したものもソルの制御下にある」
「バエルとか言ってたのが聞こえましたが……」
「知恵のある者らを呼び出したのじゃろう。バエルとやらも知恵あるものだったはず」
「それだけ?」
頷くキツネさんを見るに、どうもバエルが頭良い奴程度の認識しかしていないようだ。
こちらの伝承がおかしいのか、それとも異世界のバエルは何か違うのか。
そもそも異世界とこちらで色々と違うのは今更か。キツネさん然り、カグヤ然り。
「閉館時間間際まで手分けしてひたすら丸暗記して、後で思い出しながら知識をまとめるつもりなのじゃろうな」
「そのためにひたすらめくってたんですか」
引き続きソルさんの行動をキツネさんが解説してくれる。
なんか魔術を使って情報収集してるわりには妙なところがアナログで力技である。まあチラ見した程度で丸暗記してるってのもすごいっちゃすごいんだけども。
「わざわざ実際に目を通さんでも、手に取ったものを魔術で丸々内容を記憶に写すなどもできはするが、そうせんほうが効率がいいなりするのじゃろう。儂に比べると魔術は拙いが、ソルは頭が回る。考えがあってのことじゃろうしの」
「辞書をめくり始めてから俺が話しかけても無視されたんですが」
「儂が来るのを予想してのことじゃろうな。余計な説明をしたくなかったんじゃろう。それなりに付き合いがあり、連れて来た張本人の儂と話をしておくのが効率がいいのは確かじゃ。まあ後で軽くシメて謝らせるので許してやってくれんか」
「いやシメも謝罪もいらないです」
深く考えるのは止めておこう。
ソルさんがキツネさんに頼まれた仕事を実行しているだけ。
うん。それだけ。
バアルだったりバエルだったりはまあ適当に。
細かいこと言い出したら発音記号書かなきゃいけない。