キツネさん、都庁を登る
「おお、なんとも人が多いな」
バスから降り立って周囲を見回し、リュウさんは感心するように声をあげた。
連休初日の昼下がり、新宿副都心は人でごったがえしている。
ソルさんもキョロキョロと見回し、一つの建物を指差す。
「人もそうデスが、大きい建物も多いデス。アレなんかは奇怪な形をしてマスネー」
「建築物を見回るというのも観光として有りでしょう。なんなら間近で見てみますか?」
「ふむ。儂もあちらの辺りを訪れたことはなかったのう。母にソルよ、それでよいか?」
「おう!」
提案が各人に承認されたので、新宿駅西口から西へ歩道橋を渡る。てくてくと歩いて、細長い楕円形の建物の下に着く。
「間近で見ると、なんとも大きいな」
「卵みたいデスネー」
「ソルさんの仰ることに近くて、これは繭を模しているようですね。おそらくはこの学校で学んだ人達が羽ばたいて行くことを意味しているのでしょう」
ソルさんの言葉に対して説明を重ねる。ビル名にコクーンって入ってるところからの勝手な想像だけれども。
「ここが学校か。家の近所にある学校とはずいぶんと違うものなのじゃな」
「近所のは12、3から18歳までの子供が通う学校で、ここの学校はそれ以降の年齢の人が通うものです。学校により色々と特色がありますからね」
「勉学用の建物か。それだけのために、随分と立派なものをこさえるものなんだな」
「勉学。非常に興味がありマス」
うちから一番近い学校は中高一貫校だ。こんな巨大な建物は必要としていないだろう。
そして、ここで学べるものは医療関係やデザイン関係だったはず。ソルさんに喫緊に学んでもらいたい内容ではない。
「関係ない人は中には入れないかと。じゃ、次の建物に行ってみますか」
少し名残惜しそうなソルさんを促し、再び進路を西へ。
見えるのは超高層ビル群。見上げると首が痛くなるようなコンクリートの塊がいくつも集まっている。ここらになるとビジネス街の様相を呈し、休日に買物を楽しむ人々の影は薄くなっていて散歩するには丁度いい。
「さきほどの建物も大きかったが、こちらも随分と大きいのう。大きすぎて、ふもとから見比べても差がよく分からん。しかし、なんのための建物なんじゃ?」
「大抵が商業ビルですね。中で人が集まって商売の話し合いをしたりしてます」
「それだけのためにこんなでかいものを……」
「それだけっちゃあ、それだけですけども。俺自身はこんなビルで働いたことないですから、実のところはよくわかりません」
生まれてこの方、でかいビルに入っているような企業で働いたことなんてないのです。福利厚生?ボーナス?何それおいしいの?……やめよう、こんなこと考えるのは。
「本来の姿に戻って巻き付くには先ほどの建物の方がよさそうだな」
「どうやって建てているのか気になりマスネー。ファラオの墓なども大変な労力が必要だったようデスが」
一人で悲しみに暮れている横で、リュウさんがなんだかよくわからないこと言っている。ビルに巻き付くんですか。体長はメートルで測れる範囲なのだろうか。そしてソルさんは相変わらず知識方面に興味が向いているようだ。比較してるのはピラミッドだろう。異世界にもあるのか。
そんなこんな話しつつ、円形の構造物でぐるりと周りを囲まれた広場につく。
「なにやら開けたところに出たのう」
「ええ。この広場を抜けて行った先の建物に案内しようと思いまして。これです」
指差したすぐ先にあるのは、東京都庁舎。途中から二股に分かれて空へと伸びる特徴的な形をした、変形合体しそうと冗談を言われたりする建物だ。観光と言えば都庁かなあ、となんとなく考えて出向いた次第である。
「この建物は入ることが誰にでも許可されている場所があるんですよ。そこに行こうかと」
「ほう。で、何のための建物なのじゃろうかの。商業ビルとやらの一つかの?」
「いえ、ここは政治のための建物です。都庁と呼ばれてまして、東京の役人が働く場所ですね」
三人が口を半開きにして都庁を見上げる。呆れているのか驚いているのか。
ソルさんが一人早く見上げるのをやめて俺へと向く。
「タダシさん。ところで、トウキョウってなんデスか?」
そういえば都道府県や市区町村についてキツネさんにも説明していなかった。
地域区分や政治の単位についてざっくりと説明しながら都庁内のエレベーターに向かうと、そこには待ち時間15分の立て札と人の列があった。
「ここのエレベーターに乗れば、建物の天辺近くの展望台へ行けるようですね。順番に並んで少し待ちましょう」
リュウさんがキツネさんにエレベーターについて尋ねたり、ソルさんが壁に貼られた外国語の案内文を読んだりしているなか、周囲を観察してみる。
日本人観光客が多そうだが、明らかに人種が違う白人系の観光客や、微妙に日本人とは纏う雰囲気が違う黄色人種もいる。団体ではないせいか、どれもみな声の大きさは気にならない程度だ。
それらの並んでいる人達に、警備員のような制服に身を包んだ職員が軽く手荷物検査をしている。誰も彼も文句を言わずにカバンや手荷物の中を見せて、不審なものが無いか調べている。俺とキツネさんもウエストバッグを軽く開いて見せて検査を済ませてもらう。
何も持っていなかったリュウさんが不思議そうにバッグを見る。
「何をしていたのだ?」
「刃物とか、危ない物を持ち込んでいるかどうか調べているんですよ」
「……まあ持ち込んではいないデスネー」
そういえば、危険物は持ってないが危険人物は三人ほどいたのだった。破壊工作が可能っぽいという意味で。
ソルさんが苦笑いしながら頷いたところで、エレベーターに乗る順番がやってきた。ブザーがならない程度にエレベーターに俺たちも含めて人が詰め込まれ、乗客管理をしている職員さんの日本語と発音があやしい英語でのアナウンスとともに扉が閉まる。一階から直行で四十五階までノンストップで上がり続けるようだ。
エレベーターの上昇による押し付けられるような感覚が身を包む。
「随分と時間がかかるようじゃのう」
「まあ、階数が階数ですからねえ」
俺の両肩に手を乗せて、背中に密着したキツネさんが耳元で囁く。ソルさんはともかく、リュウさんも空気を読んだのかキョロキョロしながらも静かにしている。
静かに階数表示のカウントアップを眺めていると数字が45で止まり、ドアが開く。
巨大なガラス窓の外に広がる青空が見えた。