キツネさん、バスに乗る
「タダシさんが魔術を使ってたので、魔術を使う人が少ないだけかと思ってまシター」
異世界人一号が拙くとも魔術を使っていたので勘違いしていたと、そういうことらしい。
「魔術無しにこれほどにも整った街並!豊かな食事!どのような知恵と研鑽によるものなのか!キツネさんでなくとも時を忘れて居座っても当然デスネー」
「居座るとは人聞きの悪い。留まるとか、他にも言いようがあるじゃろうに」
「タダシの住まいに押しかけて居座ったことには変わるまい」
「居座る。留まる。押しかける。なるほど、なるほどデス」
ソルさんの呟きをきっかけにキツネさんの過去話から離れ、人外三人衆がのほほんと日本語講座を繰り広げる。これは海老です、とか、何か義務教育の初期の英語翻訳みたいな話し方で話しているうちに食事が終わる。
さて、これからどうするか。俺とキツネさんの二人だけなら、静かな住宅街でも賑やかな繁華街でも構わず、日中は気の向くままにのんびり散歩しつつキツネさんのフィールドワークといったところなのだが。
会計を済ませて外に出て、なんだか背中が丸まっているキツネさんに意見を聞いてみる。
「まずは母を帰す」
「みやげに酒が欲しい!」
「今も散々飲んだじゃろうが!」
「つまみも欲しい!」
「それくらい異世界でもどうとでもなるじゃろう!?」
どこまで行っても笑顔なリュウさんのマイペースっぷりは崩れない。女二人だけで姦しく言い合うも、結局キツネさんが折れた。何故かついでにこちらの観光案内することになっていた。
「タダシ殿、すまんが儂は母の相手をしてくる」
「いや、みんなで行けばいいんじゃないですかね?キツネさんも知らないところはまだ多いですし、ソルさんも実地でいろいろ見て回った方が面白いでしょう」
「ううむ、申し訳ない。せっかくの休みだというのに」
「いや、どうってことはないですよ。それこそせっかくなので、タクシーかバスに乗って新宿まで出てみましょうか」
今のところキツネさんの乗り物経験は電車だけだ。違うものに乗ってみるのもいいだろう。
「バスとタクシーとはなんだ?」
「バスはあの大きいの、タクシーは屋根の上に何かのっけてるああいうのです。色とか形とか微妙に色々と違いますが、金を払って乗る乗り物です」
リュウさんの質問に、店の前にある二車線の上を流れていく車を指差してざっくり説明していく。
「バスは決まった道を通って行くもので、タクシーは好きな行き先を決められるので割高です。どっちにしましょうか」
「鉄の車にのるのか!大きい方がいい!」
「お任せシマス。楽しみデスネー」
最年長らしい方が子供のようなことを言う。というか、子供の姿になってはしゃいでいる。幻は消したようだ。
ソルさんは幻を解かずにイケメンなままで優雅に微笑んでいる。シャツの胸に描かれた「力が欲しいか?」という言葉も相まって、なんとも勘違いしている外国人な風情を醸し出しているのだが、意味は解っていらっしゃるのだろうか、この魔王様。
「じゃあバスに乗って行きますか」
三人を連れて最寄りのバス停へ向かう。途中、背後でキツネさんがリュウさんにアレはなんだコレはなんだと聞かれては説明していた。キツネさんが自販機について説明しているのがなんだか感慨深い。
バス停で新宿行きのバスの時間を確認し、スマホで時間を見る。数分待ちですみそうだ。
「バスが来るまでちょっと待ちます。お茶一杯飲む程度の時間です」
「それはいいが、その板はなんだ?」
「何でしょうネー」
スマホから顔を上げて言うと、リュウさんとソルさんが興味深そうに俺の手元を見ていた。
「儂も持っているぞ。母よ、ソルよ、見せてやるから顔を寄せい」
キツネさんが嬉々として二人にスマホを弄って見せ、説明する。三人仲良く頭を突き合わせてネットを見ているようだ。リュウさんとソルさんは感嘆の声を上げた。
「先ほど店で飲んでいたビールの値段がこれじゃ」
「さっきより随分と安いな!?」
「そして、昨日母が散々飲み散らかしてくれた、儂お気に入りのビールの値段がこれじゃ」
「ひとつ350ミリリットルで約280円。量と値段を考えると、昨日買ったお酒の中で比べても高いほうデスネー」
相変わらずの酒談議。そしてソルさんが商品の値段と容量表記について、既に頭にインプットし終わっているっぽい。俺もキツネさんも教えていないはずの単位を使いこなしている。何この人。
一人で勝手に驚愕しているところに、新宿行きと表示されたバスがやって来た。
「みんな、乗りますよ。料金は俺が払うんでついて乗って下さい」
何か気の抜ける音とともにバスの前の扉が開く。運転手さんに四人分料金をまとめて支払うことを告げ、定期入れをかざしてICカードで支払う。連休の昼間だからだろうか、乗客数は前の方に二人しかいない。
席に着く前にバスが動き出すなか、人のいないバスの後部へと向かい、一番後ろの一番広い席に三人を誘導する。
「ここに並んで座って下さい」
リュウさんは進行方向一番左側の席、次いでキツネさん、俺を挟んで右側にソルさんとなる。
三人は最初はバス内部に意識が向いていたようだが、すぐにリュウさんとキツネさんは流れて行く景色に注意がそれた。とくにリュウさんは両手ごと窓に張り付いている。まるで未就学児だ。ソルさんはずっとバス内部をキョロキョロと見ている。こちらはおのぼりさんだ。
乗って数分、いくつかの停留所を経由したところで、ソルさんが口を開いた。
「料金は200円ほどデスよね。それで途中で乗る人もいれば降りる人もいまシタ。追加料金は必要ないのデスか?」
「このバスでは必要ないですね。他の地方のバスだと必要ですが」
修学旅行で行った先でバスに乗ったときにえらく衝撃を受けたものだ。あれは中学の時の京都だったか、高校の時の長崎だったか。バスは定額なのだと固定観念を持っていた。地方の人は逆に定額のバスに驚くらしいが。
「最大でどれほど移動するのデスか?」
「調べてみます。えーと……おおよそ6キロメートルほど。歩きで普通なら一時間以上はかかるところを、20分でほどで移動するようですね」
「うーん。どうにも、価値感がよく分からないデスネー。まあ、異世界だからとかは関係なく、知らない場所に行くとだいたい困ることなのデスが」
スマホで距離と時間を調べて応えると、ソルさんは困ったように笑った。
まあ日本国内を旅行するだけでも慣習にギャップがあるのだから、当たり前の話だ。
「まあ、キツネさんも現在進行形で困ってるというか、慣れていってる最中ですからねえ」
「ああ、忘れるところデシタ。そのお手伝いを頼まれていたのデシター」
朗らかにソルさんが頷いたところで、次は終点の新宿だとアナウンスが流れた。