キツネさん、頼む
さて、お客さんはもう一人、人というか生命体からログアウトしていそうな御仁がいる。キツネさんと龍王さんが空き缶を順調に生産しながら戯れている中、静かに身じろぎもせずじっとしていた。
「あの、龍王さんがいらっしゃった経緯はわかりました。それで、こちらの方は?」
「私は頼み事があると唐突に連れてこられただけでして、はい。何を頼まれるのでしょうか」
詳しいことも聞かされずに異世界に連れてこられ、その後も連れて来た本人は酒を飲んで放ったらかしと。なんだか酷い扱いを受けているように思えるのだが、連れて来られた本人はやけにのんびりしているように見える。
タマに空き缶を放り投げながら、キツネさんはもう一人のお客さんへと向く。
「おう。タダシ殿が帰ってから説明しようと思っていてな。頼み事とは、こちらの日本の法や学問を調べてもらいたくての。おぬしはそういうものが好きじゃろう」
「なるほど。それは心踊りますね。しかし、私は日本の言葉はあまりわかりません。こちらの言葉ともなるとなおさら」
「簡単なものなら儂が教える。あちらとこちらで言葉の法則性はさして変わらん。難しいところをタダシ殿にお願いしたくてな」
頼まれごとをされたミイラさんは乗り気だが、俺の方は日本語を教えるといっても法律用語や学問の類いはどこまでやるかで不安がある。
「俺のできる範囲でいいなら」
「かまわん、かまわん。タダシ殿は法について幾らかは学んでいるのじゃろう?全く何もないより助かるじゃろうて」
確かに、大学時代の教科書が漫画棚以外の場所に置いてある。キツネさんには話していなかったが、知らないうちに読んでいたのだろう。ここ数年開いちゃいないんだがな。
「まあ、普通の人より多少はマシって程度ですけどね。そんなことより、そちらの方のお名前は?あ、俺は近衛忠と言います」
「失礼しました。私は、今はソルと名のっています」
キツネさん関連で名前らしい名前を持つ人との初めての遭遇だ……人なのだろうか?
「私はキツネさんや龍王さんのような規格外の存在ではない、魔術が少し得意な程度の人間でして。唐突に連れて来られて恐々としていましたが、いやはや、更には異世界の方へお会いするとは、なんとも目の回るような日です」
キツネさんに説明を願ったら、ソルさん本人から自己紹介をされた。なんだか随分と腰の低い人だ。龍王さんの後の紹介だからそう感じるのだろうか。
ていうか人間なんですね。見た目からして普通の人間ではなさそうだけれども。
「魔王と呼ばれた者がよく言う。此奴はな、元は為政者で魔術によって国を整備し、知識を求めた末に魔人となった者でな。儂や龍王に次いで敵対してはならん化物の一人よ」
「確かに昔は有名でしたが、今は表立って目立つことはしてませんので、敵対するような人はいないと思うんですけどね」
やっぱり人外だったわけで。魔人て人の括りの中でいいんですかね。
「はん。確かに敵はいなかろうが、おぬしの治めていた経緯は今も尾ひれがついて盛大に語られておるわ。72柱の魔神を従えて云々と語られておったぞ」
「ああ、それ、私も聞きましたよ。何故そんなことになっちゃいましたかねえ」
……また変な汗が出てきた。
72柱の魔神を統べる、知識を求める為政者。心当たりは一人しかいない。
聞くのも怖いが聞かないのも怖い。恐る恐る心当たりに関して尋ねる。
「ソルさん。もしかして、ソロモンと呼ばれていたりはしましたか?」
ソルさんは何を思うか、虚空をゆっくりと仰ぎ、長く静かに息をはいた。
「……懐かしい呼ばれ方です。人でありながら人でなくなったときに捨てた名なんですが。よくご存じですね」
「こちらにも似たような話がありまして」
キツネさんの交友関係がおかしい。いや、おかしくはないのか。狐の化物、爬虫類の化物、人の化物って意味じゃ、らしいっちゃらしいんだが。
そしてキツネさんは、俺に古代の王へ法律を教えろと言う。ソロモン王と言えば有能な政治家だ。有能だからこそ人外なエピソードを加えられて語り継がれたわけで。釈迦に説法もいいとこだ。
「こちらと異世界では、幾らか同じような歴史をたどったようでして。こちらでは王と呼ばれた人でしたが」
「はは。龍王さんの前で王を名乗るのはおこがましいですね。気軽にソルとお呼び下さい」
「はい、ソルさん」
カラカラ笑うソルさんに頷くものの、心中気軽なんてものでは全くない。
「なんだったら儂もリュウでいいぞ!王なんてかたっくるしい者でもないからな!」
「えっと、はい、リュウさん」
龍王さんも変に乗っかってきた。
どうとでもなーれ。敬語もそこそこでいいや、もう。
なんかお腹痛くなってきた。多分腹が減ったからだろうな。弁当食べていいのだろうか。
そういえば、キツネさんとリュウさんは飲んだくれているのに、ソルさんは何も飲んでいない。いや、そもそも飲み食いできるのだろうか。
「ソルさんは何か飲みます?嫌いなものとかありますか?」
「ありがとうございます。こちらの飲食物に詳しくないので、頂けるものなら何でも試してみたいですね」
「なるほど。それもそうですね」
色々話が斜め上の方向にすっ飛ぶが、ソルさんの対応は至って理性的だ。
オレンジジュースを出してみると、ソルさんは口の前でグラスを少し揺らし、口にした。
「甘い。冷たい。贅沢な飲み物ですね」
「ありふれたものですよ」
感触は悪くはなさそうだ。
王二人がどちらも機嫌よく喉を潤している間に、俺も飯を食べよう。