キツネさん、帰る
秋葉原で散々飲んだ後、家に帰っても男に戻させてもらえないままキツネさんにイタズラされて悶えたりして休み明けを迎える。
職場と家の往復のルーチンをこなし、キツネさんとゲームで遊んだり、秋葉原で手に入れた戦利品を検分したりして数日を過ごし、連休前日となる。
終業後、キツネさんに連れられて帰宅したら、ビール500ミリリットル缶24本入りのダンボール箱が10箱ほどが積まれていた。
「なんですかこれ?」
「土産じゃ」
さも当たり前だというようにキツネさんは俺の問いに答える。家具が配置された狭いワンルームで、こうも箱を積まれると圧迫感がすごい。
「え……土産、全部ビールなんです?」
「いやいや。荷物をまとめるのに箱を使っているだけで、ビールは二箱だけじゃ。日本酒や各種蒸留酒も入れておる。度数90超えのものなどは、どう反応するか楽しみじゃのう」
酒の種類を聞いてるんじゃないのです。余計におかしいです。何を楽しそうに言ってるのやら。
よくよく見たら、多くのダンボール箱はガムテープで閉じられている。大抵のビール工場直送の箱は接着剤で閉じられているはずで、ガムテープの出番はない。酒を買った店で空箱をわけてもらったのだろう。地味にガムテープで梱包するってのも俺は教えた記憶がないのだが、勝手にどこかで見たか聞いたかしたのだろう。適応力の高い人だ。
「酒は儂が飲むのも含めて七箱。つまみが一箱。服が一箱。ゲームと本が一箱じゃ」
酒もつまみもキツネさんが一人で消費しかねないような気がしないでもない。でもまあ旅行土産なんて飲食物が大抵でもあるか。
異世界の事情をほとんど知らない俺が口を出せることでもないけれども、その他のものとしてゲームなんか持って行ってどうするのか。本だって言葉が全く同じではあるまいし。
とは思ったものの、印刷物と考えれば、国内海外問わずパンフレットが土産になることもあろう。むしろ秋葉原で働いていたときの経験を思い起こせば、外人さんが日本の印刷物を土産に持ち帰ることは珍しくない。ゲームもパズル系の理解しやすいもので、電源が持ち運べる携帯機を持って行くのだろう。
「こちらのものが楽しめて貰えればいいんですけどね」
何にせよ、土産とはそういうものであって、異世界に関しては詳細とまでは知ってはいないので、俺はせいぜい貰う人にとって良いものになることを願うのみである。
「誰も気に入らなかったら全て儂が消費するなりなんとかするから問題はない。そんなことにはならんじゃろうがの。さて、タダシ殿。外に出ているか、体にめぐる魔力を安定させるようにしておくれ。念入りにの」
帰るための魔術を執り行うのだろう。外には出ず、まだ拙い魔力操作を行う。
「異世界への扉を開く。驚くかもしれんが、ふむ。今のタダシ殿なら大丈夫じゃろう」
キツネさんは部屋の中央で俺に背を向けて右手を何もない中空へ突き出し、タマを呼ぶ。キツネさんの服の中にいたのか、音もなく右手首から先がタマに覆われた。
普段軽々と自然現象をねじ曲げるキツネさんが、珍しく大きく深呼吸する。
二度。
三度。
すると、五感に感知されない風が吹いた。魔力がとんでもない勢いで流れているようで、体が押されるように感じて、体勢を崩して危うくこけかけた。キツネさんの指示に従っていなかったらどうなっていたのだろう。しかし魔術を使うためだけにここまで集中しているキツネさんは初めて見るので、些細な疑問を尋ねるのは憚られた。
おそらく数分も経たないうちに、魔力の風は止んだ。圧力がふっと消えたので、つい下を向いてため息をつく。顔を上げると、人が通り抜けるには充分な面積の穴が宙に浮いていた。キツネさんの右手を中心としてタマが穴を覆っている。
「タマ、行き先はどうじゃ。ふむ。問題無し。では、荷物を先に運び込むために、先に行って荷受けをしておくれ」
穴が繋がった先の安全を確認したのだろう、キツネさんとタマが短くやりとりをすると、タマは吸い込まれるようにして穴へと消えて行った。
それを見送ったキツネさんは、軽々とダンボールを持ち上げて穴に投げ込んだ。割れ物もあるだろうにそれでいいのかと思ったが、受け取り手がタマだから大丈夫か。
ひょいひょいと一定間隔の時を置いてダンボール箱全てを放り込むと、キツネさんは埃を落とすためかパンパンと手を叩き、軽く一息入れる。
「よし。後は儂が行くだけじゃ」
そう言うと、キツネさんは俺に軽く抱きついてきた。俺もキツネさんの背に手を回す。すると、キツネさんが頰に頰を擦り付けてきた。
「なんです」
「ふふ。なんでもない」
キツネさんが甘く囁く。なんだかよく分からないが、機嫌良さ気なのでされるがままに任せる。
「タダシ殿……」
「はい」
「すぐに戻るからの」
「はい。ぐぇ」
骨が軋んでるんじゃないかと思うほど俺を強く抱き締めてから、キツネさんが離れる。
悪戯っぽく笑って、俺に背を向けてひらひらと手を振りながら、キツネさんも穴へと消えて行った。
なんだかあっさりと行ってしまった。今、この地球上にはキツネさんはいないのだなあ。そんなことを考えて立ち尽くしていると、サキが俺の足元から這い上がってくる。今更ながら帰宅後の全身洗浄だ。空気を読んで控えてくれていたのだろうか。
「サキ、まだ夕飯を済ませてないから出かけるよ。一緒に来る?」
サキは返事の代わりに、するりと上着の内側に潜り込んで来る。
夕飯のことに思い至り、キツネさんが夕飯を一緒に食べずに行ってしまったことに気付く。慌てていたわけではなさそうだが、どこか平常心ではなかったのだろうか。食べてからでもよかっただろうに。
サキはいるものの、四足生物が俺一人だけで夕飯を食べるのは久しぶりだ。職場での昼休憩やキツネさんが稼ぎに出ている間などは除いて、飯はほとんど二人プラスアルファがいる状態で一月近くを過ごしていた。一人で近所の料理屋に行って、他の客の喧騒の中で食べる気がしない。どうするか。
玄関から出て、携帯灰皿を片手にタバコを一服。キツネさんがいない間は暇だな。タバコの量が増えそうでいけない。吸い殻を処理してスーパーへ向かう。
スーパーも、最近ではいつもキツネさんと一緒だった。そんなことばかり頭に浮かぶ。どうやら、俺は寂しいのではないだろうか。少し前は一人でいることが当たり前だったのに。
夕食どきでそこそこ混み合うスーパーで適当に弁当を買い込み、とぼとぼと家へ帰る。玄関前で鍵を開けながら、つい溜め息をついてしまう。
「ふう。ただいま」
「おう。おかえり、タダシ殿」
誰もいないはずの部屋で、つい口にしてしまった帰宅後の挨拶に何故か返事が返ってきた。異世界に帰ったはずのキツネさんがベッドの上にいる。さっきまでスゲー喪失感というかなんというか哀しみにちょっと暮れていたのに。すぐ帰るとは言っていたが、どうしたのか。いや、居てくれるのは嬉しいんだけども。
忘れ物だろうか。それにしては何故か巫女服を着てビール片手に半笑いしている。
キツネさんにどうしたのか尋ねようと部屋の中へ進んだら、入り口からは死角になっていたところから声がかかった。
「邪魔をしているぞ。キツネの婿よ」
少年とも少女とも思える声。発音は中国語っぽいんだが、何故か理解できた。
プラチナブロンドよりもっと白に近い髪と、同じように病的と言っていいほど白い肌。しかし、黄色人種系のような雰囲気を持ち、中性的ながら美しい顔立ちをしている。体型も中性的で、ぱっと見で筋肉質でもなく、女性的な丸みもない。背もさほど高くなく、まさに思春期頃の少年か少女のようだ。
そして言葉からも態度からも尊大そうな気質が見え、初めて上がる他人の家で、あぐらをかいてキツネさんお気に入りのビールをゆったりと飲んでいた。
そしてもう一人。
「お邪魔しています。すいません、こんななりで」
こちらの言語は西ヨーロッパ系のようだが、これも何故か理解できる。
しかし、違法薬物に手を出したかのような病的に痩せこけた体をしていて、さらに頭髪も全く無いので人種の見当もつかない。というか、ほぼミイラだ。声もしゃがれていて性別が判断つかない。瞼は薄く開き、あまり動きはないものの目はあるようだ。
謙虚な挨拶とともに、軽く会釈してきた。
「ええっと、はじめまして……」
当然俺の知り合いにはこんな奇天烈な人々はいない。不審者でもなく、発言からしてキツネさんのお客さんであろう。胸元に赤い丸の中に「神」と書かれていたり、「力が欲しいか?」と書かれたネタTシャツは望んで着ているのだろうか。
「騒々しく帰って来てすまんの。タダシ殿、ただいま」
「え?ええ、お帰りなさい」
寂しいとか思っていたら、部屋に人が増えていた。これまたどうも普通の方々ではなさそうだ。
ようやく新キャラ。
でも二人で会話する文に慣れてしまっていて大変。
でも既定路線だから仕方ない。