キツネさん、とり乱す
階段を下りようとしたところで早足は止まってしまった。おっぱいが大きすぎて、直立のままだと足元の確認ができないのである。前傾姿勢をとれば確認をできはするのだが、変化させられた体のバランスに慣れてなくて恐る恐る階段を下りる羽目になった。妊娠なんぞした日にはどうなるんだろう。女性は大変だなあ。
変化させられたと言えば、男性器がないのである。息子を嫁にとられてしまった。離婚はしてないので別居か単身赴任である。この悲しみをどうすりゃいいの。
ゆっくり下りた階段の先では、キツネさんがしげしげとマネキンにつけられたセクシーランジェリーを観察していた。
黙って横に並ぶと、こちらを見ずに他の下着を手に取り、外国人モデルの着用例だろう印刷物を見て、ほーとかふむとか何か一人呟く。
そうしてフロア全体をざっと見渡して、ようやく俺の顔を見た。
「タダシ殿に合うサイズが少ない」
「着ないって言ってるでしょうに」
「冗談じゃ。いやあしかし、なんと言うか。馬鹿か天才か分からんが、すごいものじゃのう。例えば」
キツネさんは一つの下着を手に取り、指差して俺に見せる。
「この、濡れたら溶ける紙の下着なんぞ、どうやって使うのやら」
「まあ、濡らして穴を空けて使うんでしょうねえ」
「どうせ濡れるのにわざわざ濡らすのか。あっはっは」
そうそう濡れ濡れになって濡れ濡れ、ってやかましいわ。
「真面目な話をするなら、医療用とかでも紙の下着はあるらしいですけどね」
「医療用……?」
そう呟いて、手に取ったままの溶ける下着を見る。そして俺を見る。再び溶ける下着を見て「医療用……?」と、これまた再び呟く。
溶ける下着が医療にどうして結びつくのか考えているんだろうが、医療用の下着が溶けるのかどうかは俺は知らない。単に衛生目的に使い捨てのために紙なだけだろう。
「下着を溶かして何を治すというのか……?」
何か面白そうな勘違いをしてくれていそうだが、放っておいて、今度は俺が先に下の階へ下りる。いつまでも疑念が残るようなら、いずれネットで自分で調べるという案に行き着くだろう。
下の階への階段の途中、下着を着たお客さんを撮った写真が掲示されている場所があった。説明文を読むと、写真を撮って下着を買うと割引きになるらしい。
写真の多くは手で顔を隠したりしているが、中にはそのまま曝け出している女性もいた。これは露出プレイの一環か、下着姿くらいはどうもしないということなのか。
「ほう。これはまた、この女子達は剛毅なのか恥知らずなのか、はたまた他に何か理由があるのか。やりとりだけを見てとれば、店は着用例の写真を手に入れ、客は割引きとなるだけの取引じゃの。さてタダシ殿、誰か見惚れるような女子でもいたかの?」
後ろから追いついたキツネさんが、俺の横に立って写真の感想と、本気さのかけらもない浮気の疑いをクツクツ笑いながら問いかけてくる。
「いえ、よくもまあこんな写真を残せるな、と思いまして。で、見惚れるような見た目の人はいないですね。居たら居たで、何でこんな美人さんがこんな写真を、と驚くだけでしょうけど。というか、キツネさん以上の美人なんてそうそう居ないですよ」
「ふふ。見た目で浮気されることはないのじゃろうかの」
「見た目とか関係なく、浮気する予定は全くないですね」
発情期の獣のように盛っていた十代ならともかく、今は一人いてくれるだけで充分だ。それにキツネさんは何と言うか色々と素晴らしくて、他に相手を探したくなることもない。キツネさん以外を相手するような気力も体力も残らないというのもある。同い年で年中取っ替え引っ換えしてるような奴は、どれだけ性欲があるのだろうか。最近は少し分けて欲しく思う。
少し遠い目をしていたら、キツネさんが恐る恐る俺の機嫌を伺うように、不安げな顔で俺を覗き込んできた。
「余裕がある男は女を複数囲うのが世の常じゃ。タダシ殿が儂をどれだけ想ってくれているかはわかるのじゃが、儂以外にも囲いたくはならんのか?」
「今のところは全く」
「本当に?」
「本当に。どうしたんですか、急に」
不安げなままのキツネさんを連れて階段を下りきる。本来目指していた商品があるフロアなのだが、キツネさんの様子がどこかおかしいままだ。
「そのう、見ていた写真の女子に心惹かれたわけではこれっぽっちもなさそうじゃと分かっておるのじゃが。何かこう、腑に落ちなくての。他の女を見ていたからと嫉妬の思いが湧き上がるでもなく、何か見落としがあるような、勘違いがあるような、ああ、焦れったいのう。いや、儂だけを見ていてくれるならば最善なんじゃがの」
やる気なく小さく前へならえをしたような体勢で、キツネさんは見えない何かを捏ねているかのように両手をわちゃわちゃと動かして苦悶している。
何か辛いならどうにかしてあげたいが、何かが何なのか本人に分からないものは俺にも分かるはずもない。
さて、どうするべきか。
「ん〜。放っておいたら大変なことになりそうですか?」
「うん……?うん……どうじゃろうな。放っておいたら、いつかタダシ殿が他の好みの女子のもとへ行ってしまうような……あ!そうじゃ!タダシ殿の好みの女子がどのようなものか、知らん!」
キツネさんは天啓とばかりに両手をぐっと握り、目を大きく開く。
気が抜けた。俺の女性の好みなんて大層なもんでもなかろうに。口には出さないけど。
「タダシ殿の前に、儂よりも好みの女性が現れてタダシ殿が囲った時には、どうなってしまうのか。正妻が誰かはどうでもよいが、一緒に居られる時間がどれほど減ってしまうのか。恐らくこれじゃ、漠然とした怖さは。どうしよう」
どうしようって、好みの女性が目の前に現れたら囲うのが前提になっていて、こっちがどうしようなんですけど。さらにそれくらいは別によくて、一緒に居られれば正妻は誰がなってもいいってこともどうしようなんですけど。
いや本当どうしよう。えーと。
「キツネさん」
「タダシ殿は、もっと胸の大きい方が好みじゃろうか。それとめ小さいほうが好みか。持っている漫画の中にはどう見ても小学せ」
「胸はいいから。キツネさん」
「胸はいいのか。では髪か。何やら短い者もいれば波うっている者もおる。色も様々じゃし。これも漫画で髪コキがどうのと」
「髪もいいから。キツネさん、ちょっと」
「髪もいいのか。では尻か、足か。足と言えばこれも漫画で黒いストッキングを履いてグリグリと」
「聞いて、キツネさん」
暴走気味のキツネさんの頬を両手で挟み、額と額をくっつける。
体内の魔力をコントロール。肺と喉に意識を向け、想いをのせて口に出す。
「大丈夫」
「……大丈夫?」
「キツネさんはそのままで大丈夫」
「……ん。すまん」
どうにか落ち着いてくれたようだ。キツネさんは珍しく慌てた姿を見せたせいか、照れてはにかんでいる。
キツネさんの中ではラブコメ漫画のシーンになっていそうだが、横には俺の息子より遥かに長くて太いバイブが何本も陳列されているのである。やなラブコメだなあ。
周りの人達がチラチラこっちを見てるし。キツネさんが慌てだして、周りの目を集めてしまってからやたら不穏当な発言が続いたが、彼等の中でタダシという人物像がどうなっているのか非常に不安である。俺は女の姿で良かったと思うべきだろうか。
やる気が出てストック貯めようとしたら酷い夏風邪にかかりました。
皆さんもご自愛のほどを。