キツネさん、コンビニに寄る
低層マンション二階の部屋を出ると、目に付くのは隣りの低層マンション、頭上には上の階の廊下部分。共用部分を通りマンションの玄関から出てようやく大きな空を拝める。
道に出ると、俺の部屋のガラス戸が見える。
「キツネさん、あそこが俺が借りている部屋です」
「はー。部屋を借りているとは、この石の建物は長屋なのじゃな?」
「長屋。そうですね。住んでいる人達と話なんて全くしないので、恐らくですが皆繋がりのない人達がそれぞれ借りて住んでいるはずです」
「はー」
解説しようと思ったら話題なんて有り過ぎるので、切り上げるためにゆっくり歩き出す。キツネさんもゆっくりとついてくる。色々と考えながらも、意識の一部はこちらを向いてくれているようだ。
一分歩けば二車線道路に出る。
都内の交通量多めの道なので、当然、車が走っている。
キツネさんの目は泳いでいる。慣用句としての動揺も感じられるし、左右に現れては消える車をおつかけて文字通り泳ぐようにせわしない。
「自動車です。専用の油を燃やして風を作り、風の力をほとんど無駄にせず車輪に伝えて回して動いています」
「はー。風で回すとな」
「大雑把に言ってですけどね」
車なんて親の代から持ったこともない。都内中心部だと、中流以下の勤め人世帯では所持コストが運用利益を下回るなんてことはほとんどない。
だから俺は車に詳しくないどころか免許も持ってない。ペーパードライバーの状態で、俺が運転せざるをえない状況に出会いたくないのもある。持ってるだけの資格なんて足を引っ張るだけというのが俺の主張だ。
他にも色々と目を引っ張られるキツネさんを仕草だけで引っ張り、目的地の途中にあるコンビニに向かう。
「昨日の酒などはここで買ったものです。昼も夜も閉まることはない店です」
「閉まることがない!?」
「だからこそ食糧を溜め込んだりしなくなって、終いにはほとんど持たない生活をしてるんです。まあその分少々割高なんですが」
特にキツネさん用に買う物はない。下着は新宿の専門店へ行くつもりだ。昨日買ったものを実地で案内するためだ。店内をさらにゆっくりと歩いて回る。
「ここがお菓子を置いてある棚です。昨日の緑色のやつがあるでしょう」
「お。これじゃったな」
「棚についている文字が数字です。外国の文字で百と書いてあります」
「文字は知っておるが、何故漢字ではなく外国の文字を使っておる?」
外国の文字と知っているのか。エールの発音然り、どういう世界なのか、もしくはキツネさんはどういう経歴なのか。
「漢数字よりも計算しやすいからですね。世界各国、この数字を使わない国はほぼないでしょう」
「漢数字よりも……ふむ、そうか」
「で、あちらが冷やした飲み物を置いてある棚です。酒はこっちです。これ、昨日の青い缶があるでしょう」
「買うのかの?」
「買いませんよ。朝から飲んだりしません」
「そんな殺生な」
そんなに酒好きなのか。ワクワクした顔が一気に不幸のどん底に叩き落とされた顔をしている。
「それに値段見て下さい。この酒高いんですよ。しょっちゅう飲むもんじゃありません。今夜飲むとしたらもっと安いやつじゃないと駄目です」
「むう。安くても飲んでみぬことにはわからぬしの。飲めるならいいんじゃが」
「毎日飲むなら一本だけですよ」
「そんな殺生な」
俺の手取りじゃあそんなに贅沢出来ないのだ。
その他にもどんな食べ物が置いてあるか解説する。
「俺が仕事に出てる時はお金を渡しておくので、この辺で調達して下さい。後で他の店も案内するので、店で食べたりキツネさんが作ってもいいですけど」
「なるほど、分かった」
「おつまみと酒を買うってのは無しですからね」
「その手が……いや、分かった」
どんだけだよ。
そしてレジへ向かい、贅沢出来ないと思いつつタバコを買う。
「六十二番下さい」
すでにこのコンビニの店員で長い人には銘柄を覚えられているから会計はさっさと終わる。いつも一人で買いに来るはずのおっさんが極上の美人を連れているものだから店員の目はすでに俺を見ていない。
さっさと出よう。
「なにを買ったのじゃ?」
「タバコです。煙ですよ」
「酒は買わぬのにそんなもの買うのか……いくらじゃ」
「キツネさんが昨日俺より多く飲んだビールの量よりは安いです。俺はあまり飲まない分、これを楽しむんですよ。一本吸わせて下さい」
このコンビニの出口横には灰皿が設置されている。地域や店によっては撤去が進んでいる。これもいつか無くなるのだろう。
キツネさんが値段の話を出されると納得するしかないが不満を隠せないという、なんとも複雑そうでありながらわかりやすい顔をしている。ちょうどいいから本数減らすか。
「あちらにも煙管やらがあったが、儂には解らぬものじゃ。家が何か臭うと思ったがそれか」
「あー、臭いますか、やっぱり」
「儂の鼻が人より鋭いのもあるがの。仕方ないかの」
「じゃあ家でも、キツネさんといる時も、今後は吸わないですよ。仕事に出てる時の休憩時間くらいは見逃して欲しいですが」
どっちみち税金的にも、世間的にも、今後続けて行くにはますます厳しくなる趣味なのは確かだし。美人さんが煙たがってしかめ面するより、酒飲んで笑ってくれたほうがいい。
キツネさんが申し訳なさそうに言う。
「いいのかの?好きな人間は簡単にはやめられぬものではないかの?」
「一応、普段は吸わない人と過ごす時は目の前で吸わないようにしてますし、吸わないとどうしようもないほどではないので」
吸わないと集中出来ないとかいう人もいるが、俺はなにかに集中してる時とか全然吸わない。俺の友人でも、吸う奴がいるなら付き合って嗜むっていう珍しい奴がいるし。
キツネさんが困ったように言う。
「それだと儂が酒をねだりにくいような……」
台無しだよ。