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キツネさん、笑う

 どこか優しい歌声が響く。


 出会えたことが嬉しい。一緒に美味い酒を飲んだことが嬉しい。一緒に買い物を見て回ったことが嬉しい。一緒に居たいと思ってくれたことが嬉しい。

 怪しい身の上を受け入れてくれてありがとう。色々なことを教えてくれてありがとう。色々なことに付き合ってくれてありがとう。大切に思ってくれてありがとう。

 貴方とともに生きたい。貴方のそばに居たい。貴方の温もりを感じたい。貴方の望みを叶えたい。

 キツネさんの好意的な思いが強烈にぶつかってくる。まるで衝撃のようなのに、柔らかく染み渡る。言葉も体も飛び越えて好きだと告白されているようだ。

 うわあ、物凄く嬉しいけど物凄く恥ずかしい。


 キツネさんが正面から抱きついてくる。左腕にも、右腕にもキツネさんが抱きついてくる。キツネさんが何人もいる。巫女服にワンピースに下着姿に裸に。

 何だ、何だこれ。夢か現か幻か。楽しそうに笑ってたり、嬉しそうに微笑んだり、潤んだ目で見つめていたり、恥ずかしそうにしていたり。


 歌が終わると、唐突に感覚が戻ってくる。キツネさんは隣に一人しかいない。小さく笑って、マイクのスイッチを切ってテーブルに置いた。


「どうじゃ、タダシ殿」

「……いや、何と言っていいのか。キツネさんの思いが身体中に伝わって、嬉しいんですけど、照れますね。よくわかんないんですが、何人ものキツネさんに抱きつかれる幻が見えましたよ」

「ふうむ」


 一言呟くと、キツネさんは何か考え込み始めてしまった。

 話し掛けづらい雰囲気をしているので、黙ったまま膝の上のサキを眺めながら撫でたり揉んだり腕に巻き付かれたりして遊ぶ。


「タダシ殿、何をしておる」


 キツネさんが思考の海に浸かって数分後。天井からサキを伝ってぶら下がる俺に声がかかる。いやちょっと閃きまして。手を勢いよく突き出した方向に伸び、伸びた先にくっつけという指示をしたら、どっかの蜘蛛男みたくできないかな、なんて。街中では到底やれないので意味はないけど。

 宙釣り状態からソファーに戻る。


「キツネさんが考え事をしてるようだったので、邪魔しないようサキと遊んでました」

「遊び……?まあよい。さきほど儂は色々と思いを込めた。じゃが、儂が何人も幻となって抱きつくような思いは込めてはおらん。どうも、魔術的な効果が効き過ぎているように思える」


 キツネさんズハーレムは想定していなかったと。分身して抱きつきたいわけではないらしい。安心したような、残念なような。


「次は声を大きくする機械無しで歌ってみるかの」


 キツネさんはさっさと再び曲を入力し、歌い始める。

 キツネさんの思いが伝わる。さきほどのような嵐みたいな好意ではなく、ただじんわりと温かい。しかし、歌にのった思いは会話するように理解できる。


「どうじゃ、タダシ殿」

「幻は見えませんでした。思いも伝わって来ましたが、さっきよりおとなしめでした」

「ふむ。やはり、声を機械に通して大きくなる際に、伝わる思いも強くなっていたようじゃの」


 魔術と科学があわさって大変なことになったと。どうやら交差するものではなく融合するものらしい。ロボットに組み込んだりしたら面白いことになりそうだ。


「ということで、次はタダシ殿の番じゃ」


 返答を確認せずにさっさと曲を入力するキツネさん。

 仕方ないので歌う。それでも全力で思いを込めて。


「ふむ。やはり大分伝わる思いが弱い。手を抜いてはおらんのじゃろう?」

「ええ。キツネさんとずっと一緒に居たいと、これでもかと思いを込めました」


 キツネさんが喉に物を詰まらせたような声を出し、尻尾が落ち着きなくソファーを叩く。


「ん、あ、おう。ならば、やはり機械が魔術効果を高めたようじゃの」

「何を照れてるんですか」

「思いが伝わるのと、思いを口にされるのとはまた別であってじゃな……」


 そんなもんだろうか。体を捩って悶えられるほど思いが伝わってしまっているのなら、言葉にするのなんてどうってことないと思うんだが。尻尾がパタパタと音を立てて顔全体が緩んで照れているのを見るとこっちまで照れてくる。

 とりあえず俺が何か力を得ていても、素で大変なことをできてしまうわけではないのが分かったのはいい。しかし、どうしようこの空気。

 何を話したらいいものかと思っていたら、キツネさんが床に座って正座し、三つ指を立てて深々と頭を下げた。


「その、タダシ殿。ふ、不束者ではあるが、よろしくお願い申し上げる」

「それって結婚する時に言うべきことでは」

「お互い心を通わせられたことじゃしの。これで同じ屋根の下に住むとなれば、夫婦になることを前提にしてしっかりと挨拶から入るべきかと思ったのじゃが」


 真面目に考えてのことですよって意思表示だというのは分かる。でもここはラブホでキツネさんは下着姿なのである。今から初夜を頑張りますと言っているように見える。そんな気はないんだろうけど。


「そうですね。キツネさんがお嫁さんになってくれるのなら、とても嬉しいです。しばらくはこちらから離れられないんですが、それでもいいんでしょうか?」

「ふふ、構わんよ。タダシ殿の生き方を邪魔するつもりはないしの。はじめはこちらでの拠点や味方を手に入れるために誑かそうと思ったのじゃが、まさか儂の方が誑かされるとはの」

「誑かそうとしてたんですか」

「はじめはの」


 居場所を作るために異性を落とすってのは現代日本でもあることだ。結婚して国籍を手に入れるために媚びを売ったり。


「俺が誑かされてキツネさんを襲ってたらどうするつもりだったんです」

「それこそ幻を見せるでもしてお茶を濁そうかと、はじめの夜は考えていたのじゃがな。タダシ殿は全く手を出す素振りもなく寝てしまったじゃろう。それはそれで腑に落ちなくて色々と誘ってみたものの、涼しい顔をしたままじゃったから少し不安じゃった」


 床に正座したままお茶をすするキツネさん。少し不安ってのは、俺が男色の気があるのかとか、嫌々相手をしているのかとか言っていたことか。平静を装ってただけですけどね。今も白い下着姿が目の毒です。


「一晩だけ寝泊まりさせてくれって言われたら、恐る恐るちょっかいをかけていたかも知れません。でも、どれくらい一緒にいるか分からないお客さんと思ってたから自重してました。一度手を出したら毎晩したくなってしまいそうなので」

「誘惑してくる女であれば、毎晩体を重ねても当たり前のように思うがの」

「何度もすると情が湧いて、居なくなったら寂しさに耐えられるか自信がなかったんですよ。本気で惚れていた恋人に振られたときに大分荒れたことがありまして、それ以来あんまり入れ込まなくなったんです。当時はまだガキで、相手を思いやれなかった俺が悪いんですが」

「それが秘密と言っていたことなのじゃな」


 自嘲気味に頷いてみせた。

 世間的にはよくある失恋話だ。しかし再び本気で惚れると、また自分を見失ってしまうのではないかと、また相手を振り回してしまうのではないかと、その果てにまた独りになるのが怖いとどこかで思っている。


「つまり、タダシ殿は儂がいなくなってもよいようにしていたと。だから夫婦になれば手を出すかもと言ったのじゃな。ふむ」

「情けないかと思うかも知れませんが、そういうことですね」

「分からんではないがの」

「でも、今度は思いやりを忘れずにいるよう頑張りますよ。忘れそうになったら引っ叩いて下さい。今日、これだけの思いをぶつけられて、今更離れることを考えたくありません。ずっと一緒にいて下さい。お願いします」


 キツネさんの目を見て、自分の思いを自分の意思で口にする。

 キツネさんはお茶をテーブルに置き、もう一度、三つ指を立てて深々と頭を下げ、数秒置いて頭を上げる。

 美人が笑うと、本当に綺麗だなあ。

エンダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

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