キツネさん、泣く
「キツネさん?どうしました?」
肩を軽く叩くと、キツネさんはほんの少し身をすくめて俺の方を向く。
「いや、なんじゃ、ええと」
キツネさんは言葉を詰まらせながら深呼吸を繰り返し、両腕を何かを抱えるように胸へと押し付ける。
「タダシ殿の歌に心の臓を握られての、息をするのを少し忘れていた」
それは俺の歌が心臓止めるほどキツいってことですか。友人からはそこまで酷い評価を受けたことはないんだが。文化の違いだろうか。
「タダシ殿の思いが歌の詞に乗って、強烈に心を揺さぶられた。嬉しくて、幸せで、暖かくて。ああああ!」
いきなり叫びながらソファーの柔らかい腕掛けに顔を突っ伏して、尻尾を全開に振り回しながら悶えるキツネさん。
感想を考えるに、先ほど危惧した考えとは百八十度違って好評価らしい。しかし、一部意味がよく分からない。
「思いが歌の詞に乗って、ってどういう意味ですか?」
「そのままの意味じゃ。タダシ殿が歌いながら込めた思いが、伝わって来ての」
息も絶え絶えに解説してくれるが、話す内容は分かっても意味がよく分からない。
唖然としていると、キツネさんが顔を半分見えるくらいに体を少し捻って俺を見て、涙目になって蕩けるように微笑む。
「ふ、ふふ。儂と共に過ごすのが楽しいと。歌の詞のように、儂といつまでも、死の果てまで一緒に居られたらと。そう気持ちを込めて歌ってくれたじゃろう?」
俺は感情移入して歌うときには、自分の境遇をあてはめて歌ったり、情景を思い浮かべたりしながら歌ったりする。
キツネさんと金土日と一緒にいて楽しかったし、何故だか好意的な思いを向けられているから俺も憎からず思っている。
だから、いつまでもキツネさんと楽しく日々を過ごせたらいいなと、本当に夫婦になれたりしたらどうなるかなと、そう思いながら歌った。
その思いが伝わっていたということか。すげえ恥ずかしい。
「タダシ殿は素っ気無かったからの。迷惑をかけているのは承知していたが、実は嫌われているのではないかと思っておった」
「いや、そんなことはないんですけど」
「うむ、分かっておる。十分にの。本当によかった」
キツネさんが体を起こしてこちらを向く。ゆっくりと瞬きして、嬉しそうに緩む頰の上を雫が溢れ落ちた。
「え、と、そんな、泣くほどですか」
「ふふ、嬉しくて涙するのは久しぶりじゃ」
女性に泣かれるなんてこっちも久しぶりでどうしたらいいもんだか。それでも笑い泣きするキツネさんも美人だなー、なんて頭の隅で思ったり。
しかし、なんで伝わったんだ、キツネさんの魔術的なものか。いや、思いを読み取るということなら歌を介さないでもキツネさんならできるんじゃないか。わざわざ今そんなことしたのか?
「ところで、キツネさん何かしました?俺は歌に思いをのせて届けるなんてできたことないんですが」
「ふうむ、儂は何もしていないのじゃがな。心を読むくらいなら、歌から読まんでもいくらでもできるしの」
ですよね。相変わらずなんでもありだなキツネさんは。
「あれ、だったら、不安なら俺の心を読むくらいしなかったんですか」
「どうでもいい相手なら読むがの。そうでない者の心を読むのは、儂でも躊躇するものじゃ」
妙なところで超越者っぽくない。キツネさんほど何でもできる人でも、知人の奥底を覗くのは躊躇われるものなんだな。
「さて、思いが伝わったのは儂の魔術素養によるものか、タダシ殿が何か変わったか。まあ、どちらにせよ瑣末なことじゃ」
「いやいやいや」
瑣末なことじゃねーですよ。今までそんなバンドの漫画みたいなことできたことないぞ。キツネさんと数日一緒に過ごしただけで特殊能力を手にしてしまったとか大変なことなんだが。
「では、何も考えず歌ってみたらどうじゃ」
「なるほど、確認してみる必要がありますか」
冷静で的確な判断力だ。まだ真っ赤になったままで尻尾がばたばたしてるけど。
万全を期すためにも同じ曲を再び歌う。今度はできるだけ何も考えないように、音程をひたすら正確になるように意識する。
「ふむ。先ほどのようには思いが伝わらなかったの」
キツネさんはちょっと残念そうに言う。俺としては多少は安心できた。先ほどのようには、ということは、多少感情移入してしまって思いが伝わったということだろうか。
「タダシ殿、では最初のように思いを込めてもう一回じゃ」
「えー……やらなきゃ駄目ですか」
「確認は必要じゃろう?」
たしかに、テストってのは何度か回数を重ねてみるべきだとは思いますけど。また思いが伝わるとしたら、思いを伝えるのを前提として恋を歌うってのは、とても恥ずかしい。
「さあさあ、タダシ殿」
「分かりました、分かりましたよ」
楽しそうに言ってくれる。競馬場で抱きついたこととかフルに思い出して歌ってみよう。
結果、歌ってる最中キツネさんが隣でくねくね自分体を抱いてうねっていた。
「うう、先ほどの思いに加えて、何か温もりや恥ずかしさまで感じた……」
そして再び腕掛けに突っ伏す。何やら追加効果があったらしい。キツネさんの復活を待って尋ねる。
「これって、キツネさん以外にも効くんですかね」
「恐らく、歌を聴かせた対象によく効く類のものじゃ。遠くて歌が届かん相手には効果がないじゃろうな。儂ではなくとも効くと思うが、こちらの人々相手には確信が持てん」
受け手側の感性に左右されるということか。普通の歌とあまり変わらないような気もする。結局は今のところ試行サンプルが不足しててよくわからんってことだろう。他の人とカラオケに行くときに観察するしかない。
「ところで、死んじまえ、みたいな内容を歌ったりしたらどうなるんでしょう」
「呪いを歌うことについては、死ねという念が届いて嫌な気持ちなるだけじゃろう。死を経験した者でもないと、思いを念ずるだけで殺すのは難しい」
いまいち意味が抽象的でよく分からないが、まあ大丈夫っぽい。そもそも死を願うほど嫌いな奴とカラオケなんぞ行かないか。しかし死を経験した者の歌ってどんなんだ。
「万一に死んでも魔術がないと思われてるこちらの世界なら心配することもなかろう」
全く安心できないフォローありがとうございます。何と返せばよいものか少し悩む間に、俺の手からマイクがそっと持っていかれた。キツネさんはさらにテーブルに置いておいた選曲用機械を操り始める。横で見てて覚えてしまったのだろう。
「タダシ殿に同じ歌を儂も歌ってみようかの。その身で感じてみるのもよいじゃろう」
機械の入力が終わり、キツネさんがマイクのスイッチを入れる。待機中の画面に曲のタイトルが映し出される。
キツネさんがマイクを構えた。