キツネさん、風呂に入る
キツネさんは体を洗い流すと頭に巻いていたタオルをとり、シャンプーのポンプを何度か押して頭髪を洗い始める。微妙に遠くて分かりづらかったけど、使い過ぎな気がする。
「ボディーソープとやらも滑らかな洗い心地じゃったが、このシャンプーというのも何と滑らかな手触りじゃろうか。タマに洗って貰うのも簡単にさっぱりとして良いが、これはこれで捨てがたい心地良さじゃ」
天井に張り付いてたゲル型生物がキツネさんの付近に落ち、腰に巻きついた。
「くふ、どうしたタマ。くすぐったい」
あれはタマか。じゃあサキは何処に行ったのか。ぐるりと見回しても見当たらない。
「サキー。何処だー?ちょっと出てきてー」
当然のことながら、声を出せないサキからは返事はない。キツネさんがタマに纏わり付かれて喘いでいる色っぽい声だけが響く。
「サキー?……何処行ったんだひゃあっふ!」
浴槽と背中の間を何かが横切り、不意を突かれて変な声が出てしまった。横切った何かは俺の正面に回って球形になり、そのままぷかぷかと浮かぶ。サキだ。風呂の中に居たのだろう。
「おー、びっくりした。何してたんだ?」
『ほかのへやをみてました』
「体を細く伸ばして、排水管とかを通ってってこと?見てどうすんのさ」
『はい、ひとをまなぶために』
ラブホテルで他の部屋を覗いて何を学ぶというのか小一時間ほど問い詰めたい。
水面に浮かぶサキをつつきながら何と言っていいものやら悩んでいると、キツネさんの溜息が聞こえ、視界の端のキツネさんがゆっくりと倒れこむように見えた。
よく見ると、タマがリクライニングシートのようにキツネさんを支えながら仰向けにしつつ、キツネさんの頭をしゃこしゃこと小気味よく洗っていた。浴槽の縁より下の位置で150度ほどの角度を保って白い肌が横たわっている。
キツネさんは完全に脱力し、腕も足もだらんと投げ出し、洗髪に身を委ねているようだ。
「タダシ殿〜。他人に洗ってもらうのも、とてもよいものじゃの〜」
目を瞑り半開きの口から間延びした声を出している。気持ちは分からんでもない。美容院や理髪店で頭を洗ってもらうのは気持ちがいいものだ。
タマが他にも触手を出して、タオル二つで大事な所を隠している。気の利く奴だ。おかげでキツネさんはマッサージを受けるおばちゃんみたいになっているが。
タマがキツネさんの頭をシャワーで洗い流すと、キツネさんの体をひっくり返して尻尾をシャンプーで洗い始める。
「んふっ、ん、あふ」
弛緩しきっていた体が、びくりと緊張した。うつ伏せになったキツネさんは俺とは逆の方へ顔を向けているので表情は読めないが、途切れ途切れな息は荒く、なんかちょっとエロく感じる。
ヤバい。サキを手にしたまま、何でナニを隠すべきか答えが見つからない。
タマは尻尾を洗い流し、仰向けにしたキツネさんをゆっくりと湯船の俺の横へと浸からせる。大事な所は相変わらずタオルでガードしている。妙なところが主よりしっかりしているな。ただ、タオル一つこっちに返して欲しい。大変なんです。
「ふう〜。湯浴みはいいのう」
「そうですね、うちの風呂じゃ足も伸ばせませんし」
「その割には窮屈そうにしておるようじゃが」
一物を足で挟んで必死に隠しているんですよ。分かって言ってるでしょ。
「のびのびとすればよいのに」
「いやまあ、ちょっと、見せつけるわけにも」
「ふふ、ならば目を閉じていようかの?」
「そうしてもらえるとありがたいです」
キツネさんは目を閉じて、頭を俺の肩に寄せて腕をとってきた。
「目を閉じてもらっている間に出ようと思ってたんですが」
「もう少しだけ付き合ってくれてもよかろう」
長湯するタイプなんでそれはいいんだけど、よくないのですよ。大変なことになってるのに素肌でくっつかれると、もうなんかさらに大変。
「よかった。儂相手には使いものにならん訳ではないのじゃな」
突拍子も無いことを言った後に、小さく小さく溜息が聞こえた。
「そんなことを考えてたんですか」
「タダシ殿から理由があって手を出さないと言われて、儂に思いつくのはそれくらいしかなくての。もしや、男相手にしか役に立たんのかと気が気でなかった」
「女性専用です。俺がキツネさんに手を出さない理由ってのは、そういうものじゃないです」
「そして教えてはくれんのじゃな。儂が役所からこの地にいてよいと許可されるまで。意地が悪いの」
意地が悪いのは、手を出さねえって言ってんのに誘惑してくるキツネさんの方だと思います、とは言わない。
ひょっとして、キツネさんは自分に魅力がないのかと悩んでいたのだろうか。そんなことは全くないのだが。
そのまま湯に浸かって、ここの風呂は広いだの、うちよりは広いが普通の家の風呂はもっと狭いだのと風呂についてぽつぽつ話す。
ふと、キツネさんが腕を放した。もういいのかと思い、立ち上がる。
「先に上がりますね」
「儂はもう少し楽しんでいく。湯冷めせんようにの」
サキを抱えて脱衣所へ向かうと、体についた水滴をことごとく拭き取ってくれた。サキに洗ってもらった服を着てリビングへ出る。
長湯が好きなものの、三十分ほどで上がってしまった。残り時間どうしよう。無料のお茶を入れてテレビを付ける。
おーい、とガラスの向こうからキツネさんが手を振ってきた。
「透けて見られるとは変なものじゃのう」
楽しそうに笑い声を上げている。ちょっとしんみりしてた気がしたんだが、気のせいだったのだろうか。