キツネさん、バッグを買う
着いた鞄専門店は小規模で、床面積では先ほど居た百貨店の婦人向けバッグ売場を下回る。その分、一階と地下一階の店舗に所狭しと手ごろな商品が並べられている。
俺は広くて明るい百貨店より、こういった店で物を見る方が楽しい。
キツネさんも視線と微笑みをそこらにばらまいている。
「コンビニやら百円ショップやらと同じように、儂はこういった店の方が楽しいの。タダシ殿はどうじゃ?」
「俺も同じです。そういう感想を持つのは、こっちでは庶民的な感覚だと思いますよ」
「酒と飯の他は、値の張る物に興味はあまりないからの。それも値の張る物ばかりを特に好きというわけでもないし。あちらでは貴族のように扱われるが、確かに貴族らしくはしてないの」
さらりと貴族扱いされているとか言ったが、今までの話を聞くに、異世界側でも寿命も魔術も並外れている存在らしいし、そりゃまあ特別扱いされるよな。いわゆるVIPが気軽に異世界旅行していいのかはよく分からんが。
食費も心配なさそうで何よりだ。そんなの考えなくてよさそうなほど自分で稼いでるし問題なかろう。
一階を軽く見回し、店内の階段で地下一階に降る。降ってすぐに目的の会社の物が並ぶ一角を見つけ、念のため店員さんに触っていいか許可を得る。
「この辺が俺の持ってるバッグを作ってるとこの物です」
「おお、黒い物ばかりじゃのう。どれどれ」
キツネさんは褒めてるのかよく分からないことを言いながら、一つ一つ手に取って観察し始める。
「皮のような手触りじゃが、妙に薄いように思える。なんじゃろうかの」
「それは、綿や麻を特殊な樹液のような物とかで覆ってるんです。漆に近いものと言えばいいでしょうか」
「ふうむ。先ほどの店で見たもので、エナメル加工といった物があったの。あれのように一手間加えることによって、丈夫に、見た目を良くしているということじゃな」
なるほどなるほど、と独り言ちながら品物を見定めていく。どうも、俺が身に付けているようなウエストバッグばかり見ているようだ。
「これは、試しに身に付けてみてもよいのかの」
「ちょっと店員さんに聞いてみますね」
遠巻きに俺達の様子を伺っていた店員さんに声をかけ、試着の許可を得る。
キツネさんが手にしたのは、俺の持つ物と同じ加工がされた横長の黒いウエストバッグ。と言っても、容量は俺のものの倍はあるだろう大きめのもの。財布に500ミリリットルペットボトルくらいは入りそうだ。
コートの下にベルトを回し、俺と同じように腰の右側にバッグをつけて感触を確かめる。次に腰の左側にバッグを回し、再び感触を確かめると、満足そうな笑顔を浮かべた。
「よし。これを貰おう。このまま身に付けて行きたいのじゃが、どうしたらよい?」
店員さんにそう告げると、一度取り外してから会計をお願いします、と言われた。値札が紐でくくりつけてあるのもあったが、中の詰め物をとったりしてくれるようだ。
会計が済んで物を受け取ると、キツネさんは意気揚々と再び腰にバッグを身に付け、俺の左腕をとった。
「さて、ちと早いが夕飯にしようかの、タダシ殿」
「じゃ、行きますか」
後ろから、店員さんのありがとうございましたー、と声をかけられながら店を出る。
「しかし、随分と厳ついものを買いましたね。女性は肩掛けのバッグを持つ人が多いのに」
「道具は使いやすさが一番じゃ。今日の儲け程度は軽く納まるものが欲しかったし、いざという時に手が塞がっていては身を守れんしの」
まるで女性用ファッションなど知ったことかという発言である。異世界での処世術かとも思ったが、こちらの日本だって治安が良いとはいえ犯罪は無くなってはいない。女性ならば男性より危険は多い。
「そうですね。常に安全を気にかけるのは正しいことです。俺の姉貴なんかは車に連れ込まれそうになったり、変質者に住まいまで追っかけられたり、路上で外人にいきなり胸を揉まれたり、出勤したら片言の強盗が店を制圧していたりしたらしいですし」
「やはり常在戦場を心掛けるべきじゃな。してタダシ殿、姉上殿はご無事なのかの?」
「ええ、強盗に立ち向かって怪我を負ったりはしましたが、今は二人の子を持つおっかさんです。うちの姉ほど危ない目に遭うのはそうそう無いと思いますけどね」
「いや、いつ何が起こるかは分からんものじゃ。不届者は何処にでも居るものじゃとよく分かった。じゃが、儂とサヤがついている限り、タダシ殿には怪我を負わせんよ」
女性に守ってやると言われるのは何とも情けないが、キツネさんだし仕方ないと考えよう。実際強いんだろうし。
しかし、何が起こるか分からない、ね。
横を見ればノーメイクとは思えない美女が居る。俺の視線に気付いて、可愛らしく頭を傾げる。何が起こるか分からないってことには心から同意しますよ、キツネさん。
「で、ふぐとうなぎ、どっちがいいです?」
「うなぎ。ふぐはあたるのが怖い。毒などどうとでも出来るがの、少しでもタダシ殿があたって苦しむ姿を見たくはないのでな」
「大丈夫ですって。ふぐ刺しを純米辛口の酒できゅっといきながら食べると最高に美味しいのに」
「ぬ……う、いや、そうは言うがのう」
このふぐへの怖れも、異世界での常識だろうか。多少心が揺れたようだが、結局ふぐは否決され、うなぎの店へ向かう。