キツネさん、アレなマンガに触れる
至って真面目な異文化交流
さてせっかくのお客さんだが、冷蔵庫にはアイスティーしかない。
「ちょっと買い物行ってきますね、話も長くなるでしょうし。大体でいいんですが、飲み物とか食べ物で欲しいものはありますか。輝夜も」
「む。すまぬの。輝夜は水と日の光があればいいし、儂はこれといって食べられないものはないが。夕餉はすませておるので飲み物だけ貰おうかの。まあ、タダシ殿が好むものであれば無駄にもなるまい」
「そうですね、じゃあ適当に軽いものとか見繕ってきます」
ドアツードアでコンビニまで二分弱。
お気に入りのちょっと高いビールを多めに、最近萌えキャラをパッケージにつけ始めた甘いコーヒー、りんごジュース。炭酸飲料が飲めるかわからないけど、まあいいや。あと念のためにミネラルウォーター。
ツマミにえんどう豆スナック、おやつにバラエティパック。
こんなもんでいいかな。重い。
「おう、タダシ殿、わざわざ有難い。早かったの、無断ですまぬが書物を借りていたぞ」
「いえ、構いませんが」
構いません、が。
二つある三段の本棚の一番下、最近はかなり処分して数も少ないはずの、表紙に肌色の多い成年向けコミックス。
なんでソレを選択したのか。
初対面の人ともわりと深い下ネタを話せるタチなので動揺はしてない。
ツッコミ所は、スライム座椅子はいいとして、真面目な顔をして読みふけっているキツネさんだ。
男性宅でエロいもん見つけたぜゲラゲラ的な反応がない。
「なんとも、文字は少なく絵が多いし、睦ごとならば語ることは変わらぬじゃろうと簡単に読めるかと思ったが、ひと苦労じゃ」
「あー、漫画は読み慣れていない人だと、一見してどう読めばいいかわからないってのは聞いたことがあります。物語りや書き手によって絵の書き方は色々と違いますが、文字の在り方は大体同じです」
「漫画、か。細い線で緻密に描かれており、文字は整っておる。紙の白さも、滑らかな手触りも、厚さもどこも等しい。これ一つ作るのにどれだけの職人が必要なのかもわからぬ。儂にわかったのは、タダシ殿は豊かな乳房が好きらしいことだけじゃ。くふ」
漫画だと大きく描かれるからね。そう思われても仕方ない。正しくはないが間違ってもいないし。
猥談には酒というわけでもないが、折り畳みテーブルの上にまずはツマミを広げてビール二本を置く。
開け方を分かってもらうようにゆっくりと手元の同作を見せつけ、一口飲む。あえてグラスには注がない。
「酒です、舌よりも喉で楽しむものですね。嫌いでなければどうぞ」
「歓迎の酒かの。酒は好きじゃ。おお、冷たい冷たい。何やらこれも綺麗じゃの」
青色をベースとした缶のデザインをしげしげと見つめ、覚束ない手つきで飲み口を開け、どれどれと一口飲む。
「ん……ふむ、これはAleかの?」
「そんなもんですね。ビールっていいます。ビールの一種がエールなのか、その逆なのかは詳しく知りませんが。あちらにもありますか」
「ふらふら一人旅をしてのう。こちらに来たのもその続きのようなものじゃ。ん、良い香りじゃの」
漫画に対する反応からして、女性の一人旅が容易な文化水準の世界とは思えない。キツネさんが規格外なんだろう。エールの発音からして、どんな旅をしていたのやら。
「今までの旅先でも裸の乙女を模した石像やら絵やらあったが、これも執念めいておるのう。女が喘ぐ様が目立つ。男は添え物のようじゃ」
「まずはこの手のものは読み手はほぼ男だってのが大前提に描かれているわけですが、俺が考えるに、男が何かされているという絵面は、まず見て、次に自分がされた場合を想像してと段階を踏むからでしょう。描かれた女性に興奮するのも、現実の女性を見て興奮するのも、見るだけですからね。だから女性ありきの絵になる。さらには漫画は絵でありながら動きを分割して表現するので、描き手の女性の痴態を詳しく描く思いが伝わるのでしょう」
「優れた絵は作者の思いを見たものに伝えるという。この作者はどれだけ助平なのじゃろう」
「伝える技量が上がっているだけで、助平なのはそんなに変わらないんじゃないですかね」
「助平な技がのう」
キツネさんはスナックをサクサク食べてビールを煽り、輝夜に本を持たせて捲らせている。俺にも今どこを読んでいるか分かる。
流し読んで次の本、と繰り返す。
「男が女になっておるが、こちらではよくあることかの?」
「完全に想像の産物ですね」
「女の股に何やら生えておるが」
「想像の産物です」
「猫の耳が頭の上にある女は。尻尾もあるのう」
「想像の産物です。が、どうなんでしょう。少なくとも俺はキツネさんしか知りませんし、他に居ると聞いたこともありません」
「そうじゃったの。儂の耳は頭の上ではないが、目立ちそうじゃの」
目立つだろう。コスプレと思われるだけだろうが、日常でコスプレしてる奴なんてイタい人認定間違いない。街中で見かけたら、一瞬注目しても近寄らないことは間違いない。
「これでどうじゃ」
キツネさんが手で両耳を隠すこと数秒。手を離したら人の耳になっていた。
「キツネさんは姿を変えられるんですか」
「やろうと思えばいくらでも出来る。大きくなったり小さくなったり獣になったりは少々手間じゃの」
じゃあ一物を生やしたりも出来るのだろうか。出来るからなんだという話だが。
「ともかく、耳を誤魔化せられるなら十分です。明日は服を買いに行きましょう。着替えも必要でしょうし、物見遊山の一環としてもいいでしょう。まずは俺の服を着てもらうことになりますが」
「よろしく頼む。美味い酒につまみを楽しみ、いくらかの書物を借りたが、如何ほどの価値なのかの?」
「この近辺で一日働けば、誰でももう少し買えると思います」
「一日?誰でも?ぬう……」
酒が回ってきた。俺はそんなにアルコールに強くない。
「酔って眠くなりました。もう寝ますね。明かりを消すなら、このヒモを引っ張って下さい」
「む?あ、ああ」
俺がベッドに潜り込むと、キツネさんの細く長い溜息が聞こえた。
客を放っていることへの呆れか、色々身構えていたのか、文化の違いへの物思いか、それとも、俺の警戒心がまるでないような振る舞いが気になるのか。
まあいいや。寝よう。