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異世界のキツネさん  作者: QUB


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キツネさん、気にする

 あれやこれや手続きを含め、業務的に年度末年度始めにゴタゴタするのを避け、買う側の決算時期の都合なんかも合わせて勘案され、いよいよ自分の経験上一番長く勤めた会社の名前が登記上から無くなることになった五月初頭。時期としては中途半端だが、だからこそ営業的にも季節的にも会社の引越しにはちょうどいい。

 部署としての引越し作業は簡単なものだった。俺の使ってるマシンと周辺機器に細々したものダンボール一箱程度だけ。会社全体としては取引履歴だの経理の帳簿だの法定上保存しておかないといけない書類がダンボールで山となっていて、それらは吸収元の会社の都外にある倉庫に持って行かれて保存されるらしい。

 その吸収元の会社でいよいよもって同僚共々それぞれの部署に配属されてみると、俺個人としてはわりと雰囲気がよさそうに思えた。俺と同職のDTPオペレーター達は部門事に複数いて、日々の仕事を淡々と静かにこなしているものの、鬼気迫っているということもなく、合間合間に笑い声が聞こえたりもする。

 しかし、それでも二週間ほど経っても俺は馴染めなかった。ことさらに邪険にされているわけではない。俺もそこそこにどうでもいい会話に混ざれている。問題は俺の心中である。今まで部門俺一人という状況で数年働いていたせいで、周りがガリガリ仕事しているとサボれなくてしんどい。こういうとどうにもクズである。問題は今までの吸収された会社の業務内容を把握しているのが俺だけであり、そんな俺に初っ端から吸収元の仕事をガシガシ割り振るのはよろしくないと認識されているようで、俺だけやけに手持ち無沙汰なのである。手持ち無沙汰な時間は今まで適当にネットの海を眺めていたりしたのが、とってもしづらいというだけな話だ。

 まあおいおい仕事のペースなり馴染んでくればなんとかなる話だろう。


「あ゛~~~~……」


 退勤後、新しい職場近所にあるタバコ屋の喫煙所。タバコを片手に壁にもたれかかって深く溜め息をつく。

 とりあえず新会社の周辺情報に慣れるまで、キツネさんには送り迎えを凍結してもらっている。どのルートを通って通勤してるのか、なんてことも周囲の人々との話題になる。台風やなんかで通勤路がどうなっているのかも体験しないことには話をできない。それくらいの話題くらいは仕入れておかないと世間話にも困ってしまう。

 そんなわけでワープ通勤よりはいろいろと面倒だが、そもそもキツネさん来訪以前と比較すれば通勤時間は短くなっているし、そう思えば電車通勤そのものはそれほどしんどくはない。

 だが、俺一人だけ転校してきてクラスの雰囲気に微妙にフィットしてない感への気疲れがひどい。吐き出す煙にこの疲労が溶けていってくれないだろうか。


「またぞろ溜め息などつきおってからに」


 灰を落とすために灰皿へ伸ばした俺の指先から、突如現れたキツネさんによって吸いかけのタバコを奪われる。キツネさんはそのままひと吸いして頭上に煙を吐き出して灰を落とすと、ニガい顔をしてそのまま俺の口にタバコを銜えさせた。

 なんでここにいる、と聞くのは野暮か。言う通り、溜め息をついている気配を感じて気遣って様子を見に来てくれたのだろう。


「吸っても旨くないでしょうに。煙いだけでしょう」

「旨くはないのう。煙さは慣れたわ。芸の世界は喫煙者が多いからの」

「ボーカルで見出されたのに、周囲の人達はのどを気にしてくれないんですか」

「副流煙でやられる程度ののどならどっちにしろ業界で長生きできんとか、無茶を言いおる阿呆爺がおるからの。儂は大丈夫じゃが、付き合わされる若い子はかわいそうじゃ」


 キツネさん基準で言うなら、みんな若い子なのでは。

 脳裏に浮かぶ言葉の行き場を胸の奥に決めるまでの数秒の間、一息タバコを吸い込む。


「タダシ殿は、最近タバコの量が増えておるようじゃの」

「……そうですか?」

「匂いでわかる」


 少しだけ、自覚はあった。

 帰宅時にとっとと電車に乗らず、この喫煙所でぼけっとタバコを咥える時間は、ここを利用する他の喫煙者より少々長い。中野駅に着いたら即キツネさんが出待ちをしているので、仕事の鬱屈のリセット時間をとっていた。

 休日も、喫煙のために外に出る回数が増えていた。休みだというのに仕事のことが頭に浮かぶことが多くなり、外に出て陰気な思いを焼き殺すようにタバコに火をつけている。


「それが悪いと責めるつもりはないのじゃ。ただ、タバコを吸うということは、ストレス解消の意味が大きいのじゃろう?」

「ええ、まあ」


 言わずとも内心を言い当てられる。

 まあ見てればわかるか。


「愚痴くらい、儂に吐いてもよかろうに。儂もよくタダシ殿に愚痴を言っている自覚はあるからのう。仕事でなくとも、母のことであれ何であれ」


 キツネさんは自嘲気味に笑いながら、俺の横で壁に寄りかかって後頭部で壁を軽く叩いた。

 つまり、俺にキツネさんをもっと頼れ、と言っているのだろう。

 俺がキツネさんの愚痴を聞くのは問題ないのだ。俺には聞くだけしかできないからだ。

 しかしその逆はおそらく少々よろしくない。キツネさんには全てを力技で解決できてしまうだろうからだ。キツネさんはどこでもそんな解決法を披露してしまう考え無しではないはずだとは思っているが。

 まあなによりも。


「愚痴りたいのは確かなんですが、キツネさんに言うにはちょっと情けなさすぎる理由なんで、言う気にならなかったんですよ」

「はっはっは、儂を相手に情けもなにもあるまいに」


 泣いたりして情けない姿を見せたことはすでにあるので確かに今更だ。


「それでも、今回はしばらく言う気にはなりません」

「ふ〜む? なにやら強情じゃのう」


 ぐいぐいとキツネさんがヒジで俺を突く。

 強情とかじゃない。もうすでに、そこそこ気が晴れたからだ。

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