キツネさん、すねる
「で、妬ましいというのは、これのことかの?」
キツネさんが件の名刺をどこからか取り出して突き出す。
「ええ、まあ。歌を誰かに認められるってのは羨ましいなと」
「ふむ。儂を始めとして、タダシ殿の歌を認めているものは多いと思うがの」
認めていると言われて嬉しくなくはないが、キツネさんを始めとしてというその対象はソルさんやイザナギ様とかだろう、なんというか恐れ多い方々が多すぎる気がする。それに俺が認められるというよりも、異世界文化の物珍しさによるところが多いようにも思うし。
「いや、町中のどこからか聞こえてくる歌のように、自身の歌が流れることをか」
キツネさんが俺に聞かずに答えを導き出す。
まあそういうことなんだが、他人に言われるとこっぱずかしい。
ティーンエイジャーの時に抱いた夢を、いい歳にもなっていまだ欠片であっても抱いていると思われるのは。
「タダシ殿ならできぬことではないと思うがのう」
「買いかぶりすぎですよ。で、キツネさんは、それをどうするつもりなんです?」
さも当然に俺ならできると確信していそうなキツネさんである。
その胸先でヒラヒラと揺らす名刺に目をやる。どうでもいいチラシの扱いのようだ。
「話を聞くだけ聞いて来ようと思ってはおる。どうなるにしろ、面白そうじゃしのう」
ちょっと近所のスーパーでセールやってるから覗いてくる、みたいなテンションでキツネさんは簡単に言う。
面白そう、か。とてもキツネさんらしい答えだ。
普通は歳を食うと、その道の行く先にどのような困難が待ち受けているのかをより想像するようになり、新しいものに及び腰になりがちだ。しかし、好奇心で世界を跨ぐキツネさんには当てはまらないらしい。
この御方は今更もっと歳を食ったところで、及び腰になることはあるのだろうか。手綱を握っていてほしいと真面目に娘さんに言われたことを思うに、多分ないんだろうな。
「まあ、キツネさんが楽しそうでなによりです」
「タダシ殿は、コンビニに入ったりしたときに儂の歌声が店内に流れていたりしたら、楽しいかの?」
「楽しいか……うん、きっと、楽しく、嬉しくなるでしょうね」
音楽のプロに知り合いはいる。彼らの曲を街中でふと聞くと嬉しくなる。きっとキツネさんの歌を聞いてもそうだろう。
先ほどまで抱いていた妬みと思ったもやっとしたものと矛盾するようにも思う。
でも、きっと嬉しいはずだ。
「うむ、タダシ殿が楽しくなりそうならなによりじゃの」
よく行く中華料理店でサービス定食の副菜が餃子ではなく俺の好物の春巻きだったときのように、キツネさんは言祝いだ。
おかしいな。結構重大なことのはずなんだが。キツネさんのメールを見てソルさんは死んだ目をしてたし。あの人は本当に生きているのかどうか怪しいところがあるけど。ああ、そうだ。ソルさんが芸能関係に手を出すなら在留資格がどうのって言ってたし、その辺り相談しとくようにキツネさんに言っておかないといけない。
ソルさんとの会話を要約して伝えると、キツネさんは軽く溜め息を吐き出した。
「御上の決め事は多くの者に必要だからやっていることだろうとは言え、面倒じゃの。まあ、分身が適当にやることじゃから、儂自身はいつも通りに過ごしていくつもりなんじゃが」
「キツネさん本人は人前で歌ったりはしないつもりなんですか?」
「ないのう。まだまだ積みゲーが残っておるしのう。歌や演奏の実力としては分身と儂本体とで変わりもないことじゃし」
積みゲーのためにメジャーデビューを影武者に任せるとか、真面目にやってる人達が怒り狂いそうな発言である。いや、音楽やってる人ってオタクも結構多いから、知識経験を共有できる分身体にライブを任せるってのは、ゲームもやりたい人なんかは羨ましがるだろうか。
「じゃあ分身さんのライブに、キツネさんと俺が一緒に行くとかもあり得るんですかね」
「一緒にライブに行くのも、儂の歌を聞いてもらうのも楽しそうではあるのじゃが、儂の歌を儂が聞くのはなんとも言えんのう」
自分のライブに行きたいか。自分のライブを客観視したいか。
エンターテイナーとしては最高のチェック方法ではあるだろうが、ライブ真っ最中にやりたくないな。演奏している真っ最中に自分のステージの粗を意識共有するとか地獄だろう。
「俺なら、分身して俺のライブを観たいとは思わないですねぇ」
「タダシ殿のライブは儂が観たいがのう。カラオケで聞くのとは違ったおもむきを楽しめそうじゃの」
「ライブなんて十年以上してないし、するつもりもないですけどね」
俺がやっていたライブなんてのは、友達に頭下げてチケット格安で買ってもらって足を運んでもらう程度のレベルのものだ。わざわざ人さまに誇れるものでもない。プロから声をかけられた人に見せるものじゃない。
そんなことは知らず、キツネさんは口を尖らせて組んだ腕に力を込めた。
「む。それは残念じゃのう」
「それに俺はライブで歌ったことありませんし」
「む?そうなのか。では物置にしまってあるギターでも弾いておったのかの?」
「それもありましたが、メインはドラムですねぇ。もうまともに叩けないでしょうけど」
遥か遠い学生生徒の頃の話だ。最近はさっぱり触ってないのでまともに演奏できるか怪しい。
そんな状態なのにキツネさんに嫉妬していた自分が笑える。
自嘲気味に口許をゆがめていると、キツネさんがすねるように呟いた。
「タダシ殿の演奏する姿は、もう見られないのかの。残念じゃ」
そう言われると何とも申し訳なく感じる。
過去ライブしていた場所を紹介すれば幻視してしまえそうだが、今更積極的に見てもらいたいものでもない。我慢してください。




