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異世界のキツネさん  作者: QUB


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キツネさん、妬まれる

 キツネさんが受け取った名刺の先に何が待ち受けているのかはわからない。キツネさんがその先について具体的に何を考えているのかもわからない。


「まあなんにせよ、詳しくキツネさんに聞いてからですかね」

「そうデスネー……ハァ」

「とりあえずは今日、俺から聞いておきますよ」


 げんなりしたソルさんと静かに飲食を終える。なんだかすすけた魔王の背に悲哀が見えたので、ソルさんを先に店外に追い出して支払いを受け持つ。ソルさんのお金の出所はキツネさんのはずである。溜息の原因のお金で支払うのも気が重いだろう。まあそれがソルさんの仕事と言ってもいいのかもしれないが。


「ありがとうございマス。それじゃ、お送りしマスネー」

「いえ、せっかく秋葉原に来たんで、ちょっとそこらをふらついて帰ります」

「そうデスか。ハイ、ではまた」


 ソルさんのワープ運送を断り、寒空の下、週末騒がしい繁華街を一人歩く。通行人の邪魔にならない場所で立ち止まり、キツネさんへ詳しくは帰ってから聞く旨を返信し、再びあてもなく歩き出す。

 実のところ、特に何を見たいというものもない。一人になりたかっただけだ。家から出るときにソルさんを待たせてはいけないと急いでいたためか、サキを服の内にひそませることもしていない。


「キツネさんが、ひょっとすると、音楽メジャーデビュー、ねえ」


 可能性の一つを口に出す。

 決して無理ではない。むしろ成功の可能性は高い。

 単純にキツネさんの歌は上手い。カラオケに行くとキツネさんが喜ぶので俺ばっかり歌うが、なんのトレーニングもしていないだろうに発声のよさも声量の豊かさも細かいニュアンスの表現も俺とは比べものにならない。なんでも器用にこなすと言っていたが、ギター然り歌もこなす。

 そこに魔術でイメージを伝える力があれば、ライブハウス巡りから始めて数年でドームツアーまでたどり着いても何もおかしくはない。


「なんだろうなあ……」


 なんとも言えない感情が去来する。その思いを口から吐き出しても、あやふやなまま形にならない。

 キツネさんがしたいことならば否定することはない。奔放なまま、やりたいことをして欲しい。それが魅力の一つなのは間違いないとは確信している。俺に気遣って、多少セーブしてくれているのは分かっている。歌で目立つ程度のことは構わないはずだ。

 それじゃあこのモヤモヤはなんだ。

 キツネさんが芸能界デビューしたとして、俺のそばから離れて行ってしまう気がするのか。


「なんなんだろうなあ……」


 タバコ屋が目に付く。路上喫煙禁止ということもあり、併設された喫煙所は混みあっている。煙と人をかき分け、すみっこでタバコを一本咥え、ライターで火をつける振りをして魔術で火をともす。

 キツネさんから貰った力だ。

 そして、キツネさん同様、多少ながら俺も歌に魔力を込めて、聞いた人の感情を揺さぶることができるようになっている。

 ……俺もできる?単純に歌をプロに認められたことを妬んでいるのか。

 もういいおっさんになってきたというのに、そんな気持ちがまだあるのか。

 俺より遥かに稼ぎ、本気を出せばあらゆる面で俺を凌駕する存在だと知っているのに、キツネさんに嫉妬しているのか。


「ふぅーー……」


 いや。

 キツネさんに、というよりも。身近な人が音楽で道を拓くことに、か。

 そういうことなのだろうと思いながら深く煙を天井に向かって吹き付けると、なにか胸のつかえが少し落ちた気がした。


「馬鹿だなぁ……」


 声を出さず、口先だけ言葉を形にする。タバコを持った手で目元を隠してうつむく。胸のつかえとともに気分も少し落ち込んだ。

 まともに吸いもせずに手持ちのタバコのほとんどを灰にして、ようやく喫煙所を出た。


「タダシ殿」


 出口のそばでキツネさんがひっそりと立っていた。ポニーテールからして、分身ではない本体だろう。

 日の角度からしてまだ競馬場ではレースは終わっていないはずだが。


「どうしました、キツネさん。タバコ吸ってる俺のところにわざわざ近づくなんて珍しい」

「いや、それは、その」


 キツネさんが困ったような顔をし、俺の顔を覗き込むように言う。


「タダシ殿が落ち込んでいるように感じてのう。競馬を切り上げてやって来たんじゃが」

「遠くにいてもそんなことまでわかるんですか」

「うむ。仕事で何かあったときもわかっていたぞ」

「ありゃ。それはご心配をおかけしてすいません」


 どうやっているのかはさっぱりわからないが、どうにもキツネさんの生体モニターのフィードバックは俺の位置情報どころではないらしい。


「いや、生きていれば落ち込むこともあるじゃろう。今日はそのう、儂が相談事の連絡を送ってからのことじゃったからのう。儂が何かしでかしてしまったかと思っての」

「キツネさんは何もしてませんよ。ただ、キツネさんを妬ましく思った自分を阿呆らしく思ってまして」

「儂を、妬む?」


 キツネさんが一瞬呆気にとられ、じわじわとあふれだすように肩を震わせだし、最後には大きく笑い出した。


「あっはっは!タダシ殿が、儂を、妬む、か!いや!はっはっは!」


 キツネさんが笑う理由がさっぱり掴めなくて、今度はこちらが呆気にとられてしまう。

 少しずつ笑いの波は低くなっていき、キツネさんは嬉しさ満面で俺の腕をとる。


「いや、笑ってすまんのう。ふふ」

「何がそんなに面白いのかよくわからないんですが」

「ふふ、何故かと言えば、の。妬みというものは、何か良いものを手にした近しいものだけに抱くものじゃろう?」


 うーん。そんなもんだろうか。

 確かに金持ちやスポーツ選手が何かに成功したと言われても、今更嫉妬もしない。

 でも微妙に違う感が半端ないんだが。


「儂は母達などを除けば、恐れられるか敬われるかばかりじゃった。妬まれるとは、タダシ殿は儂を近しいと思っているのじゃろうの」

「妬ましさを実感した後に、キツネさんに対して妬ましいと思うなんてと阿呆らしく思ったんですけどね」

「全てではなくとも、心の奥底にどこか近しく思っておるからこそじゃ。ふふ。嬉しいのう」


 キツネさんは上機嫌に、俺の肩にぐりぐりと頭を押し付ける。

 なんだか阿呆らしいと思ってたこと自体が阿呆らしくなってきた。


「まあ、ご機嫌なようでなによりですけど。でも、妬ましいと言われて喜ぶのは人が悪いですよ」

「ふふ。そうじゃ、そうじゃのう。普通は見下していると思われてもおかしくないのう」


 つまりは見下して笑っているわけではないということだ。

 生きた時間の長さも、生きた世界も、生き物としての根本も、何もかもチグハグな二人だというのに、どこか対等と思い合っているということ。

 理性は恐れ多いことだと思っているのに、感情はそう思っていないということ。

 気付いたら俺は笑っていた。

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