キツネさん、ギターを買う
休日の夕飯ちょい前の時間帯、繁華街としては買い物客で一番人出の多い時間帯だろう。しかし入った楽器店の客入りはそう多いようには見えない。楽器店としては多い方なのかもしれないが、まあ、人混みにもまれながら買うようなものでもないから丁度良い。
楽器店としては当たり前に店内には控えめな音量で音楽があふれているが、人が少ないのもあって話し声はそこそこ目立ってしまう。
「この辺りにはアコギはないようですね」
「アコギ?」
「アコースティックギターを略してアコギって言います。この辺に並んでいるのはエレキギター、略してエレキですね」
俺が控えめな声で話すと、キツネさんも自然と音量を抑えて話す。
入店するとすぐに目に付くのはエレキギターの数々。入口付近の床置きされたギタースタンドに並ぶ2,3万円のものから、壁に掛けられて展示されている数十万円のものまで値段は幅広く、派手派手しい色使いものも多い。どうやら一階はエレキメインの売り場のようだ。久しぶりに来るものだから、店内のどこに何を置いているのかすっかり忘れてしまっている。
目的のアコギは別フロアにあるようだ。
「略し方に統一性がないのう。エレギとなるのではないのか」
「うーん。俺はエレギって呼び方をしたことはないですねぇ」
キツネさんがどうでもいいことに眉を寄せる。
正直その辺りは語感で適当に変わってるのだろう。クラシックギターをクラギ、ベースギターをベーギと呼ばれているところを聞いたことがない。略語の成り立ちなんていい加減なものだ。
「それはともかく、キツネさんの予算に余裕があるなら、アコギをプレゼントするならエレキも一つくらい適当なの見繕ってもいいかもしれませんね」
「ふむ。それは何故じゃ」
「大きな理由としては、弾きやすさの違いです」
エレキは音を電気的に増幅して演奏することに特化しているせいか、弦が細い種類のものを使われることが多い。細い弦と太い弦で同じ音程を出そうとすると、太い弦の方が張りが強く弾きにくい。ギター入門としてはエレキで弾き慣れ、アコギに移行する方がストレスなく楽しめると個人的には思う。
それにギターを人に教えるとするなら、教える側と教わる側用に二本ないと教えにくいだろう。
等々と説明していると、入り口付近で丁度良く店員から受け取った商品のエレキで試し弾きしだした人がいる。
「あれ見てください。線で繋がった先の機械から音色を変えて音が鳴っているでしょう。ああいう楽しさがあるのがエレキです。あの機械はアンプって言うんですが、電池で動かす小さいものもあるのでそういったものも持って行ってもいいんじゃないでしょうか。楽器本体に比べればそうかさばるものでもないですし」
「ああ。動画なんかで演奏しているところを見たことがあるが、エレキギターそのものからギュインギュイン鳴るわけではないのじゃな」
「ギュインギュイン……?」
「ギュインギュイン」
キツネさんは試奏していたお客さんから俺の方へと振り向いて楽しそうに言葉を返す。そしてその向こうからは試奏しているお客さんがなんか俺を睨んでいるような気がする。別にキツネさんも俺も茶化しているわけではないし、話し声が聞こえているわけではないと思うのだが、なんとも居心地が悪い。
「とりあえず主な目的たるアコギを置いてある階に行きますか」
「ふむ。そうしようかのう」
逃げる俺に素直に付いてくるキツネさんと共に、エレベーターの店内マップを参照して店舗としては最上階の四階へと向かう。フロアに入ると一階とは様相を変え、木目を活かした落ち着いた色合いのアコギが売り場に広がっている。中には黒やら青やらもあるが、その数は少ない。
先客の還暦前後の夫婦に店員さんが接客していて、もう一人いる店員さんはレジ内で何かパソコンをいじくっている。
「この階にあるものも一階と同様に値段の差が随分とあるが、何が違うのじゃろうな」
「まあ高いものには高いものなりに違いはありますね。使われている素材の違い、職人の手がどれほど入っているかの違い、ブランド戦略的な付加価値の違いなどなど」
「もっと簡単に、楽器としての良し悪しはどうなんじゃ?」
「安すぎると粗悪品が混じりやすくなるんでその辺りは避けるとして、一本あたり5,6万も出せば十分かと。ぶっちゃけて十万円と二十万円の楽器の違いは素人にはわからないと思います。弾くのにも聞くのにも」
職人の入念な仕事があって音色や弾きやすさなんかも違うらしいが、それがわかるのはセミプロ以上の人だろう。昔のバンド仲間が持っていたギブソンのレスポールなんか、少なくとも俺には重たくて弾きにくいだけだった。
「まあそんなわけで、店員さんに初心者用の整備するための道具一式含めて予算を伝えて揃えてもらうのが手っ取り早いですね」
「……それならば、それだけ教えてもらってタダシ殿についてきてもらう必要もなかったのでは」
キツネさんに呆れられるように溜め息をつかれた。
まあ結論が店員に丸投げならそう思うのも仕方ない。
「異世界の事情も鑑みて、過不足なく揃っているか確認できるのは俺だけでしょう」
「む。確かに」
「なにより、玄武さん本人に来てもらうのが一番っちゃ一番かもしれませんが」
「儂もそう思ったんじゃがの。兄は門を開くのが重労働と認識してくれているようで、行き来に遠慮しているようでのう。まあ確かにそこそこ重労働ではあるんじゃが」
キツネさんは気軽に言っているが、キツネさんが重労働と認めるということは、そんじょそこらの者には到底できない仕事だということだ。確かにいつも世界間移動の時のキツネさんは気合の入り方が違うし、ソルさんが門を開いたときはバテバテになっていた。
スケールを縮めて考えれば、車の運転を労働と考えてくれる人ということだろう。人の足になるというのはどんな時代でも労働足りうるのだから。
「儂が行き来するたびに母への大量の土産を持っていくので、そのついでに少し土産を望まれる程度じゃからの。そもそもが兄が儂に何かを求めることそのものがほとんどなかったことじゃしな」
単純に玄武さんが車出すから乗ってけよと言っても遠慮するタイプなのかもしれない。リュウさんは車持ってるなら乗せてってよと遠慮なく言えるタイプなんだろうな。ソルさんは気付いたら車出すはめになるタイプだろうか。
「ともかく、予算は二本ともろもろ合わせて二十万程度で適当に交渉してきましょうか」
「その数倍は覚悟しておったからの。金はかまわんので、頼まれてくれるか」
気付いたら丁度手の空いていそうな店員さんがフロアに増えていたので、あれやこれや話しながら注文し、楽譜を選び、店を出るころには日が暮れていた。
「旦那様よ。腹が減った」
「そうですねえ」
歩く俺とキツネさんの背中にはギターケースが揺れている。




