キツネさん、中野を歩く
一旦家に帰って荷物を放り込んで、またすぐに出る。
「次もわりと静かなところですが、図書館ほど気にしなくてもいいと思います。真新しい本ではなく、誰かが買った本を買い取って売る店です。古本屋ですね」
「図書館には置いていない本があるのかの」
「ええ。それと、手元に置いておきたい本ってのが出てくるかもしれませんしね」
少し話す間に近所の新古書店へ着く。
「朝に通り過ぎた店じゃの。確かに大きく『本』と看板がある」
「ええ、朝はまだ開いてなかったので寄りませんでした。先に電車の乗り方を教えたり服を揃えたかったりしたので後回しにしたんです」
店へ入って、ゆっくり歩きながら売り場を説明する。
「この辺りが新しめで売れ線の本。こっちは小説、作りものの話の類ですね。この辺は図書館にもあるかもしれません。ここも立ち読み出来ますがね。で、こっちはゲーム。遊ぶためのものです。これも家に帰ったら説明します」
なんじゃこれはと言いたげなキツネさんを、有無を言わさず次のコーナーへ案内する。ゲームの話は実際にやってるところを見せた方が早い。
「この辺りは漫画です。例えば……」
源氏物語をベースとした少女漫画を手に取る。
「これなんかは、家康よりはるか昔の物語を元に描かれていますから、読み始めるにはちょうどいいかもしれませんね」
「ふむ、覚えておこう。買うとしたらいくらじゃ」
「この辺は百円と消費税分です。裏を見れば値段がついてますよ。元は四百円前後ですね」
値段のシールが貼られた部分を見せる。
「元値より随分と安いの」
「ちょっと古い漫画ですし、人気のあったものはそれだけたくさん作られましたからね。多分、十万以上は刷られたはずです」
「じゅっ……」
絶句したキツネさんを連れて外に出る。目的はざっと紹介することなので、こんなもんでいいだろう。
キツネさんは眉間に皺をよせ、深々と溜息をついた。
「こちらに来てから驚くことばかりじゃが、同じ本を十万も作るとはの。それが商売として成り立つということは、買う者もそれだけいると目処が立つからこそ。いやはや、どうなっているのか」
「買う人の数ですか。日本の人口は一億と何千万人だったっけな。そのうち十万人が買っても、割合としては千人に一人より少ないですね」
「億。人を数えるのに億とな」
ああ、中世から近代の水準だと億って単位はそうそう出てこないわな。
「人の数はさておき。さっきの漫画は続きもので十巻くらい出てたと思いますが、一巻あたり十万じゃないかって話で、全部合わせたら百万超えてると思います。もっと売れる本は一巻あたり作る数は百万を超えます」
「数が大きくなり過ぎて笑うしかないのう」
笑うしかないと言いながら、キツネさんは溜息をついた。
「次は新品の本……本関係はもういいか。商店街、店が並んでるとこをぶらつきますかね。近所に何が揃っているか見るのもいいでしょう」
中野駅前の商店街まで行き、一つ一つそこは食事処、そこは服屋、そこは靴屋と説明しながら歩く。
歩いている間、キツネさんは何か疑問を持ち、確信に至ったようだ。
「のうタダシ殿、ひょっとして今日の買い物はここらで全て済ませられたのでは?」
「ええ。馬券場以外はここいらにもある店ばかりでしたね。一応理由はありまして、店の数も規模も段違いなのが一つ。品揃えは豊富な方が良いかと思いまして」
「分からぬから全て任せてしまったがの」
「それでも、より多くの人が行き交う場所で観察すれば、服の件も含めて判断基準が培われるだろうというのも一つ」
文化を大雑把に知るには、最も賑わっている場所へ行くのが一番効率がいいだろうと考えたのだ。銀座とかでもよかったかもしれないが、そっちは俺にはあまり縁がない。
「そして、さっきも言いましたが電車の乗り方を教えるのが一つ。他にも乗り物は色々ありますが、まずは安くて長距離を移動出来る手段を知ってもらうためですね」
「飛んだりしては駄目なのかの」
当たり前のように飛ぶとか言ってくれちゃって。
「飛ぶのは当然目立ちますからね、まず間違いなく面倒なことになるかと」
「もっともじゃの。しばらくはおとなしくするつもりじゃから、控えよう。見て回るつもりが見せ物になるのはかなわんからの」
空から女の子が降って来たら、それを見た男が中二病を再発させて変な使命感を燃やしかねないので勘弁して頂きたい。キツネさんが着てるの、ちょうどワンピースだし。
冷静に考えると、キツネさんのことが世に知られたら、一国の大佐が確保に動くとかそんなレベルじゃ済まないような。
いや、難しいことは全部放り投げよう。キツネさんはキツネさんでワンマンアーミーっぽいし、どうとでもしそうだ。そもそも空飛ぶような相手は確保なんか出来ないだろう。
日も落ちてきた。
どうでもいいことは置いといて帰るか。