キツネさん、礼拝する
坂道に並ぶ列が進み、振り返れば俺達が並び始めた辺りには新しく並ぶ人々がいる。かなり進んではいるのだなと思いつつ、坂を上り切り警察が誘導する中で交差点を曲がり、ようやく神宮の門が見えた。ただ、まだまだ人の列が今まで消化してきた道程の倍以上あるように思える。
「これはまた……」
「凄いですねえ」
「うむぅ。公式サイトでは三ヶ日で約35~40万人の参拝客数と書いてあるのう」
「一番混むのは元旦でしょうけど、今日だけで10万人前後いてもおかしくないんでしょうねえ」
そりゃあお巡りさんも交通整理に借り出されるわけだ。ご苦労様である。人の列が何時まで形成されるのかわからないが、朝から晩まで10万人が入っては出て行くのだから。
続けてスマホをみながらキツネさんが情報を提供してくれる。
「八時から二十一時のうち、混みあう時間帯は十時から十六時とある。どうも昼過ぎというのは一番混みあう頃合いに来てしまったようじゃのう」
「そりゃまあ寒い朝夜に並びたくはないでしょうしねえ」
「そうじゃのう、寒い寒い」
わざとらしく言いながら、キツネさんは微笑みながら俺の腕にしがみつく。
古びたダウンジャケットでモコモコになっている俺とは対照的に、キツネさんの格好はそれほど着こんでるように見えず、新品の滑らかなカシミアのロングコートを腰で絞め、体をすらりと見せている。傍から見たら多少薄着に見えないこともないだろう。
だが、当人はどうせ全然寒くないはずだ。よくよく見れば吐く息が全然白くない。周囲の人々は皆息を白くしているのに。まあ俺もキツネさんの魔術の恩恵で寒さに震えることはない。この寒い中に初詣に行くことに意味があるとするなら、俺達には恩恵が薄くなりそうである。そもそもが俺はお守りを返納しに来ただけ、キツネさんは物見遊山で、二人とも御利益など欠片も欲してはいない初詣客だが。
「寒くても子供は元気じゃのう」
「そうですねえ」
神宮への参拝客が並ぶ列は道の半分ほどを占有しているが、もう半分は仕切りを作って区別されている。おそらくは参拝客の帰り道なり周囲の住民用の通り道として確保なりしているのだろう。キツネさんが呟く視線の先には、小学校高学年ぽい子達が数人追いかけっこするように走って消えて行った。彼らは地元民だろうか。
たわいのないことをぽつりぽつり語りながらどれだけ時間をかけただろうか、ようやく社の門をくぐろうかという距離まで近づいてくると、人の列に対して直角に交わるように屋台が左右に並んでいた。
「出店( でみせ)か。なにやらかぐわしいのう」
「こっちの門からは出てくる人がいないんで、出口になっているところから利用できるような並びになっていると思います。帰りに寄りますか」
「うむ。匂いを嗅いで、昼を食べずに来たことを思い出した」
「俺もです」
列に外れずに出店を観察していたら外国人ぽい店員のケバブの店があるんだが、ケバブってトルコで、イスラムだよな。神社の出店にそれってのはなんかこう、店側も神社側もいいのだろうか。気持ち的なものとか、信仰的なものとかいろんなものが。
浅黒い肌をした店員さんが俺の視線に気づいたのか、笑顔で手を上げた。キツネさんが手を上げて応えた。
「ビールに合いそうな料理じゃのう」
「そうですね」
とりあえず寄る店が一つ決まったっぽい中、少し人の列の進みが早くなり門をくぐる。
境内に入ると、高台から参拝やお手洗いなどの注意事項などをスピーカーで繰り返す人がいた。俺達は用を足す必要もなく進む。再び進みがゆっくりとなると、いよいよ参拝場所が見えてきた。
キツネさんが背伸びして客が参拝しているあたりの様子を見る。
「小銭を投げ込んで二礼二拍一礼じゃったかの。回数が少ないように思うが、こちらではそうなんじゃな」
「ええ。元々はもっと多かったらしいですけど、簡略化されたとかなんとか。並んで一緒にしましょうか」
「いや、タダシ殿の後にしようと思う。少々時間をかけるかもしれん」
どうやら参拝方法を直に確認していたようだ。
そして俺の誘いに、キツネさんは真面目な顔をして首を横に振った。
「……何するつもりなんです?さっきも気合を入れて参るって言ってましたけど」
「儂はただ真面目に礼拝するだけじゃよ。こちらでの初めての物事には、大抵は気合を入れてやってきておるぞ」
「そうなんですか?キツネさんが気合を入れるときなんて、世界を渡るときにしか見なかった気がしていたんですが」
「何を言う。夜も毎回気合を入れておるぞ。競馬もそうじゃな」
キツネさんは握りこぶしを作って言った。なんか不安に思ってた俺が凄く間抜けに思えてきた。
肩透かしをくらって腑抜けたまま並んでいると、俺の礼拝の番となる。キツネさんは言う通り後ろにまわっている。
初詣時期の寺社の賽銭箱は賽銭投げ込み場所というか特設ステージを設置されて、箱っぽさが薄れてちょっと情緒がないように思う中、財布の中にあった小銭が一円玉と百円玉しかなかったので百円玉を放り込む。
家の葬式が神道式なので神主さんの礼の仕方を真似しようと思ったのだが、人が混みあいすぎて直角に腰を折って礼をする空間がない。拍手も作法に習って左手から右手を少しずらして叩くものの、隣の人にぶつからないようにすると腕の可動域が狭すぎて音がしょぼい。一礼し、心の中で学業のお守りを活かさずにすいません、と謝って横にずれて退く。
周囲の人々は二拍の後、そのまま合掌する形でしばし固まっている。神社によって礼拝の違いがあって合掌する場所もあるそうだが、ほとんどの人は何も考えず仏教的な慣れで合掌していやしないだろうか。まあ俺も参拝前に手を洗えてなかったり細かい作法すっ飛ばしたりしてるし、クリスマスやった後の初詣で宗教観もあったものではないけど。
退いて邪魔にならないところでキツネさんの礼拝を見守る。キツネさんも45度くらいに腰を折り、すっと上げた腕を二度叩き、一礼の時間をやや長くとった。なんか長い髪のポニーテールがすごい邪魔そう。
そのまま終えるとキツネさんは朗らかに俺の元に小走りに向かってくる。
何も起きなかったな、と思っていたら強い風が吹いた。髪が乱れたのだろう、男女関係なく大勢が手櫛で頭を整える。そこかしこできゃあきゃあと声が沸いているのはセットが乱れただのそんなことだろう。
しかし、今の風は冷たくなかった。
奇妙に思ってキツネさんに聞く。
「キツネさん、風が」
「季節外れの温い風じゃったのう。髪が暴れたわ、やれやれ」
「え、あ、ええ。大丈夫ですか?」
「うむ。さて、次はタダシ殿のお守りを返納しに行くのじゃったかの」
キツネさんはなんでもなさそうに俺と腕を組んで歩みを促した。
誤魔化すふうでもない。今の風をただ些細なものとしているのがわかる。
少し引っかかったものの、お守りを返納して出店巡りをしている間に意識から消えた。




