キツネさん、挨拶
心ゆくまで蕎麦を堪能して上機嫌なキツネさんを連れ、腹ごなしがてら遠回りをして帰宅した。その後は何をするでもなく夕飯前と同様にキツネさんとネット動画巡りをしていたら、要らんことに動画サイトが年明けのメッセージを割り込んできた。結構な時間をネットに費やしていたらしい。
キツネさんが缶ビールから口を離し、戸惑うように声をあげる。
「なんじゃこれは」
「見た通り、日付が変わって年が明けたんですね。明けましておめでとうございます、キツネさん」
俺の年明けの挨拶を受けながら、キツネさんは首を傾げて眉間に少し皺をよせた。
「む。日が昇っておらんのに日が変わるという考えが、どうにもしっくりこないのう。理解はできるのじゃが」
「まあ実際のところは、年明けに関わらず、朝日を見て日が変わったって認識を持つ人が多いと思いますよ」
法律上の区分の日付変更と、感覚的な日付変更は違うものだと思う。感覚的には起きて寝るまでが一日というものと感じる人が大抵だろう。
その他にも誕生日などは当日に歳をとると考える人がほとんどだが、実は法律上では誕生日の前日に年齢は加算されたりする。
何はともあれ、夜も深まった頃合いだ。
「そろそろ寝ますか」
「ふむ……」
日頃であれば俺が就寝に誘うと、キツネさんも即答で寝るか、逆に寝る前の運動に誘われるかの二択である。
だが、今日は珍しく口籠もって何か考えている。
「どうかしましたか?」
「うむ。なに、こちらでの初めての年越しじゃ。せっかくじゃから夜通し語らいでもして、初日の出を見てから寝るのもよいかと思ってな」
キツネさんからの、ささやかなイベントのお誘いである。否はない。
しかし。
「語らうとは、何について」
「いや、別段、考えがあるわけでもなくての」
キツネさんが少し困ったように笑う。
何となく起きていよう、ということのようだ。
否はないのだが。
「家でゴロゴロしてると寝ちゃいそうです」
「む。まあ、無理にとは……」
「なので、カラオケにでも行きますか」
「おお」
キツネさんは少し残念そうに顔を曇らせたのが、すぐに輝いた。
「年越しのカラオケ屋は混んでるかもしれませんが、行くだけ行ってみましょうか」
「行こう行こう」
部屋着になってぐうたらしてたのだが、再び外出着をまとう。着替えの最中、キツネさんがさっさと着替えて玄関先から急かしてきた。
その様子をみて、ふと、小学生時代に母方の田舎で長期休暇を過ごしていたときのことを思い出した。大人達が深夜に酒を飲みに行くのについて行って、夕食を済ませたあとだというのに焼き鳥を食べるのが楽しかったことを。
微笑ましい気持ちを胸に秘めながら、キツネさんと腕を組んで真夜中の寒空の下を歩き出す。
住宅街から飲み屋街へ抜ける。時間が時間だから道行く人の数は少ないが、店の並びからは喧噪が聞こえてきた。
キツネさんが楽し気に鼻歌を歌い出す。
「機嫌よさそうですね」
「ハレの気が満ちておるからの」
「そう言えば、阿波踊りの時も人混みがすごかったのに楽しそうでしたもんね」
「うむ。儂は他者の気に敏感じゃからの。通勤途中の者らが無表情に歩いている姿からは陰鬱な気を感じて気分が悪くなるが、見知らぬ者でも楽しい雰囲気を発していると儂も楽しくなる」
生来からのお祭り気質らしい。もっと連れ出してあげるべきだろうかと疑問を抱いたので、そのままキツネさんに質問を投げてみると、意外なことに首を横に振られた。
「タダシ殿と静かに過ごすのも、またよい」
俺に気を遣ってくれているのか、本音なのか。まあ、ありがたくお言葉に甘えることにしようと思いつつ、中野駅北口の商店街に入る。
年末年始にはイルミネーションで彩られていて、天井から電飾がつるされている。
心なしかキツネさんの歩がゆっくりとなったので、合わせてこちらも速度を落とす。昼に比べて格段と人気がないので誰の邪魔にもならない。
灯りを見上げながら、贅沢じゃのう、とキツネさんが呟く。
何がとは言わずに、キツネさんの方へ少し顔を向ける。
「行く道明るくハレの気に満ち、隣に無二の人と歩む」
キツネさんは再び、贅沢じゃのう、と呟く。
何も言わずに組んだ腕をほどいて、キツネさんの手を握ってポケットに突っ込む。
三度、贅沢じゃのう、と呟く声が聞こえた。
ちょっとしんみりした中で辿り着いたカラオケ店は、幸いなことに部屋が空いていた。
朝までのコースを選択して部屋に入り、さっそく一曲目を入れる。
「のう、タダシ殿。ちょっといい雰囲気だと思っていたところに、その曲はどうかと思う」
「朝まで歌い続けるためには喉の慣らしが必要なんですよ。この曲はちょうどいいんです」
俺もどうかとは思いつつすいませんと一言断るうちに、前奏に入る。
高らかに金管を模した音が鳴り響く。
最初の俺の選曲は宇宙戦艦ヤマトである。
喉は低音域から慣らしていくものなのだ。ただでさえ俺は音域が低めなのだから。つうか朝まで歌い続ける気なのに恋愛系のバラードばっかなんて歌ってらんない。
「まあ、いいがの」
しょうがなさそうに笑うキツネさんを横目に、俺は腹筋に力を入れて喉を広げ声を出した。
なんだかんだ言ってキツネさんも歌が始まれば楽しんでくれる。
そんなこんなで、だいたい俺が9のキツネさんが1という時間比率で朝まで歌い続けて店を出た。
「徹夜カラオケするの久しぶりで喉がガラガラです」
「願っておいてなんじゃが、よくそこまで歌えるものじゃの」
「歌うのは好きですからね」
「確かにタダシ殿はいつも楽しそうに歌うのう」
まだ暗い外で軽く感想を交わすと、さて、とキツネさんが言いながら柏手を叩く。
「そろそろ日の出じゃ。せっかくじゃから近所の景色のよさそうなところに行こうではないか」
景色のよさそうなとこで初日の出を見ると言うと、どこぞの山頂でご来光を拝むってのが想像できるんだが、それに『キツネさんが』近所と条件を加えるとなると、想像して近場に見えるのは高層ビル。
「……サンプラザの上に飛んで行くとかは勘弁して頂きたいんですが」
「違う違う。高いところが苦手なのは重々承知しておるよ。普通の場所じゃ」
手を横に振って否定しながら、キツネさんは眉を八の字にして笑う。
そのまま案内されるがままに歩いた先は、駅北口前の歩道橋の上だった。確かに高架線路であればビルも少ない。中野駅付近は丁度良く東西に線路が走っているのもある。
電車がガタンゴトンと走る音がする。
「元旦だというのに夜明け前から動いておるのう」
「大晦日から元旦にかけては夜通し動いてますよ」
「……大変じゃのう。ご苦労様じゃ」
店を出る時間がよかったのか、少し会話している間に空が白み始めた。
キツネさんと並んで東を向く。
「……夜が明けるのう」
「ええ」
じりじりと。少しずつ。光が増していく。
すでに街中には人の動きがぱらぱらと見える。初詣に今から行くのか、行った帰りなのか、それとも俺達と同じように夜通し遊んでいたのか。
「年が、明けるのう」
「ええ」
東を見る俺達を見て、同じように東を向いて立ち止まる人達もいる。
逆に西を見ているというか、階段下から明らかにキツネさんに見とれて通り過ぎる人もいる。
しかし人の声は少なく、背後に車が走る音と横から駅の音が少なめに聞こえる程度。
ふと、キツネさんが俺の真横から前に出て振り向く。
日の光を背に、長い髪の毛がきらめかせ、控えめながらもはっきりと声が聞こえた。
「明けまして、おめでとう」
おめでとう(遅い)




