キツネさん、手繰る
「世の中、些細に万事に極めた者の技はすごいものじゃのう」
「あれでも極めているというには程遠いらしいですけどね」
キツネさんと動画の感想をやりとりしつつ、二人で外行きに服を着こみ部屋を出る。
動画を見終わる頃には日が落ちて、腹も減ってきたのでキツネさんを外に誘った。
冷たい空気が肌を刺すなか、狭い路地に車が通るのを横によけつつ、キツネさんが問う。
「年の瀬の夜じゃ。いつも行く中華料理屋などは休みになっておるはずじゃが、どこに行くのかの」
「今日は蕎麦を食べに行きましょうか」
「蕎麦か。まあ、タダシ殿が望むとあれば構わんが」
蕎麦と聞いてキツネさんはあまり気乗りしないそぶりを見せながらも、俺の腕に腕を絡ませてくる。
「蕎麦は好きじゃありませんか?」
「好んで食べようとは思わんのう。米や麦の方が美味いじゃろう」
「まあ、そうですかね。そう言えばキツネさんと蕎麦を食べに行くのは初めてでしょうか」
「うむ。というか、儂はこちらに来てから蕎麦などほとんど食べておらぬ」
俺個人としては、仕事の昼休みに週に一回は近所の蕎麦屋に行ったりするのでそれほど珍しいことでもない。
キツネさんが腕に体重をかけて、少しぶら下がるようにして悪戯をしかけてくる。
「なんでわざわざ蕎麦なんぞ~」
「ちょ、重い重い」
「女に重いとかいうな~」
「キツネさんには体重なんてほぼ関係ないでしょうに。ほら、行きましょう」
キツネさんは俺の背をはるかに超えるほどの四つ足の狐の姿をとれるし、重さを感じさせずに俺の肩に乗っかったこともある。ビールを毎日好きなように飲んでいるのに、ビール腹などになる様子を欠片も見せず、腰回りは相変わらずほっそりとしたままだ。
促して歩き出しても、キツネさんは少し不機嫌そうにしている。不機嫌なふりにも見えるが、拗ねているのか甘えられているのか。
蕎麦を食べる理由など簡単な話である。
「こちらでは、大晦日に年越しに蕎麦を食べる風習がありまして」
「年明け前に雑穀の処分でもするのじゃろうか」
「いえ、そういうのではなくて。細く長い麺にした蕎麦を食べて、長く生きることや良縁が長く続く願掛けとかにしたりするんですよ」
年越しに蕎麦を食べる理由はそんなとこだった気がする。
「つまりは儂と共に長く過ごせることを願って、ということであるのかの」
「まあ、そういう縁起物ってことです」
実は俺の場合は単純に、蕎麦が好きなので大晦日も蕎麦を食いたくなるとかその程度であったりする。
ちょっと機嫌がよくなったキツネさんに、いらんことは言わんでいいだろう。
「駅前の蕎麦屋で食べた蕎麦はぶつぶつ簡単に切れたがのう」
「悪縁を切る、なんて考え方もあるそうですよ」
「長く続けたり、簡単に切ったり、どっちなんじゃ」
どっちもでいいんじゃないですかね。
さて、中野駅前にもチェーン店含めて蕎麦屋がいくつかある。
好奇心旺盛なキツネさんはどれかを試して、お気に召さなかったのだろう。
俺も一度試して好みの味ではなかったので、以降行ってない店がある。
「着きましたよ、ここです」
そんな店とは違いこの店はわりと好みの蕎麦が出るので、中野に越してきてからは大晦日にはほぼ毎年来ている気がする。
大晦日の書入れ時の夕飯時、結構な客入りだ。座敷などは家族三世代で宴会の様相を呈している。暇そうな子供が食べ終わって静かにスマホを弄ってたりするのも時代というものだろうか。
人が多く少々狭苦しいなかで相席ならと言われて承諾すると、一人客のそろそろ食べ終わりそうなおっさんがいる2×2の四人掛けテーブル席に案内された。おっさんが上着を隣の席に置いているので、背もたれに外掛けをかけてキツネさんと並んで座りお品書きを開いて見せる。
「いろいろとあるのじゃな」
「蕎麦だけ出す蕎麦屋ってのもそうはないですからね。ここに来たら蕎麦以外食べないんでどんなものが出るかは知りませんが」
「ふむう。丼ものなどは美味そうじゃの」
お品書きに写真付きで載っている親子丼に目標は定まったようで、店員さんを呼んでビールと俺のざる蕎麦を注文する。
せっかくなんで蕎麦を食べてみてもらいたいが、食べたいものを食べるのが一番だ。
注文を済ませておしぼりとともに出された温かいお茶を飲む。冷えた手に伝わる温もりが嬉しい。
「しかし、繁盛しておるようじゃのう」
「大晦日に考えることは、みんな同じなんでしょう」
先に出された瓶ビールをお酌してあげつつキツネさんとぽつぽつ語りながら料理を待っていると、対面に座っていたおっさんが食後の一服を吸い終わると勘定を済ませて去って行った。立ち上がり際にキツネさんの体をじろりと見ていたような気がする。
「いやらしい目つきじゃったのう。おまけに煙い」
俺の気のせいではなかったらしい。キツネさんが少々の憤りとともに鼻息を荒くした。
擁護するわけじゃないが、キツネさんでなくとも街中で美人がいたらつい見てしまう気持ちはわからんでもない。
キツネさんは席を立ちあがって、再び鼻息一つついて俺の対面に座りなおした。
「まあ、男なんてそんなもんですからねえ」
「そんなもんではあるがの、ちと気が悪い」
「あんなおっさんなんて馬券場にも掃いて捨てるほどいたでしょうに」
「一人でいる儂に声をかけてくる輩など締め上げればそれで終いじゃが、タダシ殿と一緒じゃというのに。まったく。これで出てきた飯が不味かったらどうしてくれようか」
誰の何をどうしてくれるつもりなのか、キツネさんに可愛らしく睨まれる。お酌をすれば楽し気に美味そうに杯を空ける様子を見ると、言うほど不機嫌でもなさそうだ。というか一人の時は締め上げてるんですね。
そして時間をかけて出てきた料理を一口入れて、キツネさんの顔が蕩ける。
「ほー……とろとろのふわふわで出汁が染みて、これはよい」
なにやらグルメレポーターのようなことを呟きながら丼を食らいビールのお代わりを要求するキツネさん。満足のようで何より。
俺は俺で冷たく〆られた蕎麦を手繰る。
チェーン店の蕎麦と比べると、この店の蕎麦はやや細く長い。箸で麺をつまむと腕を大きく上げ、蕎麦の先端を蕎麦猪口に狙いを定めて腕を落とし、汁をつけた蕎麦を一気にすする。コシのある麺を通常食事をする時よりも咀嚼少なめに飲み込むと、つるりとのどを滑り落ちる。
美味い。するすると食べられる。
手繰ろうとした三度目に、対面のキツネさんがこちらを見ていたのに気づく。
「美味そうに食べるのう」
「一口食べてみますか?」
「うむ」
蕎麦猪口を渡すと、キツネさんも器用に蕎麦を手繰り勢いよくすすり上げた。
「いかがでしょう」
「……美味いのう」
「それはよかった」
返してもらうために俺が左手を差し出すと、キツネさんが悲し気に蕎麦猪口を手放す。
そしてけったいなことを言い出す。
「どうしてくれよう」
「何を」
「先ほどまで蕎麦が不味いと思っていた儂と、蕎麦をセットで注文しなかった儂を」
一口では満足できなかったようだ。
過去のキツネさんはどうにもしようがないので、未来のために店員さんに手を上げた。




