キツネさん、願いを聞く
「タダシ殿、帰るとするかの」
何もすることがないので、寝っ転がった何も言わない信長さんを視界にいれつつ夏の風景を眺めて数分、また唐突に背後からキツネさんの声が聞こえてきた。振り返ると、しゅるりと閉じていく黒い穴を背にキツネさん一人が涼しい顔をして立っていた。
「キツネさん、帰るってのは何処へ?俺の部屋ですか、それともキツネさんの屋敷?」
「タダシ殿の家じゃ」
「こちらでの用事はもう済んだんでしょうか」
「もともとはイザナギ達への挨拶が主な用事じゃったからの。そこな娘のために生じた用事も段取りは済ませたしの」
キツネさんが向けた視線の先には正座した信長さんがいた。全力でだらけていたのに、いつ正座したのだろう。
「此度はこの若輩者の小娘のためにお力添え頂き光栄にござりまする」
美しい所作で深々と座礼をする信長さん。堅苦しいのうと言いつつ、キツネさんはその肩にしゃがんで手を置き、お気楽に返事をする。
「お主の経験を詳しく明らかにし、同じように苦しむ者が他にもいないかあらため、また出ないように努めるとイザナギは認めた。ただ救うのではなく、お主にも通じるであろう言葉で言うならば、ある意味サンプルのための実験になる。苦しいことをするつもりはないが、少々面倒をかけるやもしれん。今更じゃが、頼まれてくれるか」
「私も願うところでござりますれば」
「うむ。詳しくはイザナギ直下の者たちが段取りするはずじゃ。すまんが小難しいことはそちらに投げて一度帰る。また来るときに土産でも持って来てやろう、望みはあるかの?」
優しくあやすようにキツネさんが尋ねると、信長さんは戸惑いをみせた。悩むように一度頭を下げ、真剣な表情でキツネさんに答えた。
「そちらの世界で品種改良された種籾の何種類か頂きたく!」
「面倒」
「そんなあ……」
キツネさんにバッサリと切り捨てられて信長さんが沈んだ。
職務に忠実というか、美味い米を食べたいだけなのかもしれないが、願いがちょっとマニアックだと俺も思う。
「もうちょっとこう、その手の筋の者ではないと買うのに苦労するものではなく、そこらのスーパーなんかで気軽に買えるものにしてくれんかの」
「……では、生のサツマイモをいくらかお願いいたしまする。そちらで育てられているサツマイモであれば栽培に転用も可能でしょうし」
なんか随分と難易度が下がった。まあキツネさんが難易度を下げろと言ったのだから当たり前っちゃあ当たり前なんだが。
サツマイモは栽培が楽で、わりと連作障害もないほうだとは聞く。わざわざお願いされるということは、こちらの日本ではまだ伝来していないのだろう。
それくらいならばと、キツネさんも鷹揚に頷く。
「あいわかった。他にも適当に見繕ってくるかの。では楽しみにしておるがいい」
キツネさんは声をかけながら信長さんの肩を二度優しく叩き、立ち上がるとすぐに気合を入れて手を中空にかざし黒い穴を開く。周囲に流れる魔力の風の強さからいって世界を渡る魔術の方だ。
上げていた手を降ろしたキツネさんに促され、穴へと向かう。そんな俺を、信長さんは複雑な表情で見上げていた。何を思うのか、気軽に聞けようもない。キツネさんが連れて行くつもりならともかく、俺自身にはキツネさんの身分でさえ保証もできなかったのだから。行きたいと言われても結局キツネさん頼りになる。ただ頭を一つ下げ、そのまま穴をくぐった。
「お帰り、本体」
部屋に戻ったらストーブがついていた。そう言えば消してなかった。異世界に行くときにはいなかったキツネさんの分身がベッドで布団に包まってうつぶせにゲームボーイをしながら、こちらを見もせず出迎えの言葉だけ投げてきた。一応部屋の管理のために分身を残していたようだ。三つ編みをしているから……えっと、ミコさんだっけか。
「うむ。帰って早々ではあるが、ちと出かけて来る」
キツネさんは戻ってそうそう玄関を出て行った。キツネさんは昨日今日となんだか忙し気である。
なんだか気疲れしていたのでベッドの端にへたり込む。スケルトン神様とか孫悟空とか無限転生織田信長とかおなかいっぱいですよもう。
溜め息が口から大きく出て行く。
「お疲れのようじゃのう」
「一般人には身の丈に合わない方々と接したので、ちょっと疲れました」
「会った者らはほとんど身内みたいなものじゃ。気軽に構えていればよいのじゃがの。タダシ殿には儂の義兄達にも会ってもらうつもりじゃし」
「……そんなことも言ってましたね」
白虎朱雀玄武青龍的な義兄の方々か。それもやっぱり神様みたいなもんだよなあ、多分。まあ、ちらっと会うくらいならなんとかなるか。
……なんだか無性にタバコを吸いたい。外に出るための服を……あれ、そう言えば異世界のキツネさん宅で脱いで置いたまんまだ。
「服を忘れてきてしまったようなんですが、どうしましょう」
「問題ないじゃろう。本体は数時間もしたらまた戻るつもりのようじゃし」
「……は?」
「いつも異世界と行き来するときにはソルも付いていたじゃろう。本体が考えていることとしては、時間差でソルがこちらに戻って来る門を開き、それを使ってまた戻る予定のようじゃ」
また行くのか。俺もだろうか。思わずミコさんの尻の上に倒れ込んだ。
連休に義実家に行く人たちはみんなこんなしんどい思いをしているのだろうか。




