キツネさん、気絶させる
「美味い米造るために知恵も知識も絞りだして、やっと前世の安い米の品質に届いたってのに、ここで前世っぽい異世界からの物資が流入とか……俺の費やした時間は一体なんだったんだぁ!」
やたらキツネさんにかしこまっていたことなど気にする様子もなく、信長さんは慟哭した。
隣で頭を下げ続けていた藤吉郎さんが頭を上げて信長さんをなだめる。耳が大きく、口元が出っ張っていて、正に猿顔というべき顔立ちの初老の男性だ。
次いで、一体どうしたのかと目を丸くする俺達に対して説明をしてくれた。
「おひい様は癇癪持ちでして、昂りますと時折このようによく分からんことを言い出すことが」
「おひい様言うなあ猿ぅ!」
「秀吉様の前で猿と言うのは如何なものかと」
「あっちは人を超えた猿でお前は猿のような人だから問題ない!」
信長さんはペシペシと藤吉郎さんを叩きながら、コントじみた会話を始めた。父親に憤る娘さんというようにも見える。癇癪持ちというのは間違ってなさそうだ。
キツネさんが一つ息を吐いて秀吉さんをちらりと見ると、秀吉さんはニヤニヤ笑いながら頷いた。どんな意思疎通があったのだろうかと思ううちに、キツネさんから魔力の風が一瞬吹き荒れた。
圧倒的されてひっくり返った俺が身を起こすと、信長さんに藤吉郎さんもひっくり返っていたようで、二人が顔を真っ青にしながら身を起こし、再びひれ伏すのが見てとれた。秀吉さんはなんでもなさそうにしている。さすが人外義兄弟。
「落ち着かんか」
「醜態を晒し申し訳ありませぬ!」
「おひい様の首はご容赦下され。この爺の首で何卒」
「詫びはいらんから頭を冷やせと言っておる。そもそも儂が礼をして話をしようとしておるのに」
魔力・魔術というものが身近であろうこの世界では、キツネさんという存在が如何に生物として埒外にあるかがよく分かる一幕だった。俺がこれを初見でやられても恐ろしさがわからなかっただろう。都庁から飛んで降りたり、体を勝手に造り変えたり、普通の人相手なら簡単に命を奪える力。
キツネさんは呆れ声でなだめるものの、ひれ伏す二人は頭どころか体の肝まで冷えていそうである。フリーズしたならば再起動まで時間がかかりそうだ。ちょうどよさそうなので口を挟んでみる。
「キツネさん、落ち着くのに時間がかかりそうですね」
「ふうむ、脅しすぎたかのう。タダシ殿は平気そうじゃが」
「すっ転びましたけどね。いや、それはいいんです。そちらのお二人が落ち着くまで一つ聞きたいんですけど、神祇大納言ってなんです?」
「儂の職名じゃな。以前も話したと思うが、儂に求められているものは魔物退治と、災害時の対応、イザナギイザナミとの世間話じゃのう」
確かに以前聞いたけども、今聞きたいのはそこじゃない。身分制度としてどれほどの位置にあるものなのか。しかしキツネさんは細かいことを気にしていなさそうだ。葛の葉さんのキツネさんに対する態度を思い返しても、本当に言った程度のことしか考えていないのだろう。
俺がどうしたもんかと言葉に詰まると、信長さんが前口上に無礼を詫びて、滑らかに話しだした。思ったよりも復帰が早かったな。
「神祇大納言とは、祭祀や祈祷を取仕切る神祇官の長でございまする。祭祀により豊穣を願い、死者の魂を鎮め、祈祷により厄を払い、人々の安寧をもたらす務めがございまする」
「ああ、そんなんじゃったかのう」
キツネさんはカリカリと後頭部をかいてどうでもよさそうに相鎚を打つ。
俺は歴史上の官位には詳しくないのだが、大納言てのはかなり上位だってことはわかる。魔術が実際にあるのだから、祭祀祈祷の類は俺の知る歴史より重視されていてもおかしくない。先ほどの魔力をぶつけられた信長さんの平伏のしようからも尋常じゃないのはわかるし。
答えてくれたのをよしとして、信長さんに続けて尋ねる。
「キツネさんより官位の上で偉い人はどのくらい居るんでしょうか」
「皇族の方々を除けば五指に及ばず。実際に大納言様に命を下せるのは、淡路の二柱以外にはおりませぬ」
権力的に上から数えて一桁台。キツネさん、滅茶苦茶偉い人のようだ。この日本においてはキツネさんは外国人だと思うのだが、そんな身分を与えていいのだろうか。
「力は持っているが、身分をひけらかすことはないのう。そもそもがイザナギ達と話をするために与えられているような身分じゃしの。堅苦しい振る舞いをするのは面倒じゃ。そういうのは葛の葉に任せておる」
まあ、そこらの人々よりこの日本で過ごしている時間はよっぽど長いのだろうし、いいのか。当人はどっかから缶ビールを持ち出してプシュウと炭酸を抜き、ガラスのコップに注いで秀吉さんと乾杯している。本当にどうでもよさそうである。
次は信長さん本人について聞きたいことがある。織田信長の官職としての名乗りは上総介とか弾正忠だったと思うのだが。
「じゃあ右民部少輔、右民部小丞とはどういったものなんでしょうか。ああ、俺にも畏まった態度は必要ないですよ」
俺の言葉を受けて、少しの時間を置いて信長さんが答えてくれた。
「……はい。民部とは、土地や租税に関した役職です。租税に関する作物の改良を行い上奏したところ、位を賜りました。作物の改良は国を富ますために重要なものであるとお褒めに預かり、もとあった民部の職とは別個に設けられたものになります」
農作物の改良で官位ってもらえるもんなんだろうか。それだけ結果を残したってことかもしれない。
そこで今までどうでもよさげだったキツネさんが嬉々として言葉をはさんだ。
「そうじゃそうじゃ、作った米が美味いと礼が言いたくて呼んでもらったのじゃ。ありがとうな。それで酒造りにも力を割いているとのことじゃが、そちらはどうなんじゃ」
「は。酒は宮内省酒造司の役になりますが、そちらと力を合わせて造っております。ようやく今までのものより透き通って美味い酒ができたところに先ほどの瓶に入った酒を目に入れまして、取り乱してしまいました」
「よいよい。こちらでも美味い酒が味わえるようになるのはいいことじゃ。励んでほしい」
「は」
前世っぽい異世界からの物資が流入、と信長さんは言っていた。商業チートとも言った。それらの発言からして、どうも俺と同程度の文化文明は知っていそうである。
「キツネさん。どうやら信長さんは、キツネさんの亀のお兄さんと同じく、異世界から記憶を持ったまま転生してきた人じゃないでしょうか」
「ふむ……なるほどの。人と違った視点に知識、確かに亀の兄と通じるものがあるのう。前世がどうのと言っていたのも、服に驚いたのもそれか」
俺の言葉を受けてキツネさんは納得したように軽く頷くいて信長さんを見る。
ただ見られた信長さんは、またなんでか愕然とした表情をしていた。
「俺以外に転生者がいてもおかしくないとは思っていたけど、こうやって知ることになるとはなあ。そっかあ、そっかあ……転移者がこうして目の前にいるんだしなあ……そうだよなあ」
板張りの床に恨みでもあるかのように、うなだれて呟きながら床についた信長さんの手に力が込められていた。と思ったら、そのまま突っ伏して倒れた。
その異常な様子に、即座に秀吉さんとキツネさんが近寄って容体を確かめる。
「昂ぶりすぎて気を失ったようじゃ。寝かしておいてやろう」
「ふむ。兄は穏やかなものじゃったが、この者は気性が激しいのかのう」
「生を繰り返してきたというのならば、儂らとは違った苦労もあろう。兄は兄、この娘はこの娘でそれもまた違う苦労もあるはずじゃ」
「そうか。そうさの」
仰向けにされた信長さんのひたいにキツネさんの手が触れる。
ふと、涼しげに風が部屋に柔らかく流れた。




