キツネさん、大納言
秀吉が出てきたら当然こっちも
談笑途中、秀吉さんが毛に覆われた顎をなでつつ、俺の顔をまじまじと見つめてきた。
首を傾げ、ううむ、と唸る。
「キツネの姉御が選ぶつがいという割には、珍しくもないただの人にしか見えんのじゃがなあ」
どうやら俺は見定められていたようだ。そしてその評価は正しい。俺はただの人である。そのはずである。
だが、キツネさんは異論があるようだ。
「タダシ殿は確かに魔術や権力や腕っぷしに秀でているということはない。じゃが儂の力を出会い頭に目にし、恐れることもなければ取り入ることもなく客として迎え入れた。胆力があってそうしたというわけではないらしいが、それでも儂の力を知りながら平然とそうしていられる者はそうはおらんぞ」
「おうおう。それは確かに珍しいな」
キツネさんが出会いのときのことを嬉しそうに語る。
聞いているだけだと、なんだかまるで俺がどこか凄い人のようだ。単なる小市民なのだが。
「儂や猿をただの人と同じように接するなぞ、儂らと同じほどに心得のある者ではないと、そうはできんことじゃ。何よりも魔術の歌をもって、ただ一緒に居たいと心を真っ直ぐに伝えられた。これが儂の心にも響いてなあ」
「おうおう。そうか、そうかぁ。キヒヒ」
カラオケで意図せず初めて魔術的な何かをしてしまった時の話だ。中身は単なる惚気である。キツネさんと二人で語る分には多少慣れてきたものだが、義理の弟分に語って聞かせているのを隣で見せられるのは、気恥ずかしくてしょうがない。
秀吉さんは義理の姉の惚気話などを聞かせられても、楽しそうに笑って相鎚を打つ。身内の惚気話を聞かされるのって正直しんどいと思うんですが、大丈夫なんでしょうか。俺の価値観が他人とずれているのか、世界間の価値観の違いか自信が持てない。
雑談が惚気話から離れて、キツネさんが土産の酒とお猪口をどこからともなく取り出し、人外二人で飲み始める。朝飯を食べに来たのに酒を飲んでいいのかと思っていると、使用人らしき人が食事の用意が整ったと伝えに来た。秀吉さんが持って来てくれと返事をし、そう待たずに膳が三つとお櫃が運ばれてきた。
秀吉さんが率先して膳の上にのった吸い物の椀の蓋をとり、お櫃から盛られた炊き立てであろう白米の茶碗を使用人から受け取る。キツネさんと俺も同様に茶碗を受け取り膳に置く。一つの膳の上には白米の茶碗、吸い物の椀、漬物の小皿、そして何かのお浸しのようなものが小鉢に入っている。
「この地で育った米と、豆から作った味噌汁、胡瓜と大根の糠漬け、それに朝方採れた山菜じゃ。口に合えばいいが」
「おう。ここの飯はいつも通り美味そうじゃ」
「そうですね。本当に美味しそうだ。頂きます」
白米は臭みもなく、噛むとほんのり甘い。元々俺が漬物の類を得意としないのもあって糠漬けはやや匂いがきつく感じるが、まあ食べられる。山菜のおひたしらしきものはわずかな苦みとほんのり醤油の香りがして口の中を洗ってくれる。味噌汁はやや赤みがかっていて具はワカメだった。
どれも俺がいた場所で食べるものと遜色ない。肉と炭水化物にまみれた貧乏食に慣れた舌には、久しぶりに自然を感じる贅沢な昼食だった。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「おうおう、それはよかった。姉御に貰ったこの酒に釣り合うものかはわからんが」
食事を終えて心から素直にお礼を言うと、秀吉さんは大きな口を剥き目じりに皺を作って笑った。
食前食後にキツネさんと秀吉さんが半々ずつ飲んでいる酒は、コンビニでも見受けられるメーカーの四合瓶の日本酒だ。俺とキツネさんの飯代を考えると、酒代の方が安いようにも思う。
両方の価値を比べられるキツネさんは気にとめる様子もなく、秀吉さんの懸念を笑い飛ばした。
「お互い満足であるならよかろう。しかし、ここの米は美味いのう。以前にイザナギイザナミ夫婦へ献上された米のうちいくらかを儂も貰ったが、やはり美味い」
「キヒヒ。殿上人さえ唸らせる米を作ると息巻く者がおるからのう」
今食べた米は貴き方々の口にも入るもののようだ。俺が食べていいものだったのだろうか。いやまあ、ここに住む人々はこの米を食べるのだろうし、別にいいのか?というか、米作りに熱心な人がいるのか。味噌汁にもワカメが入っていたし、ここからは海が見えないことを考えると、食にこだわりのある人もいるのだろうか。
「米もそうですが、味噌汁も美味しかったですね」
「おうおう、米作りに熱心な者が海と山の産物の交流を図ってのう。味噌汁もその者が色々と試して出来上がったものじゃ。酒造りも熱心でな。姉御のこの酒に及ぶものは造れてはおらんが」
「米に飯だけでなく、酒造りまでもか」
酒造りと聞いて、ゆっくりと舐めるように酒を味わっていたキツネさんの言葉が熱を帯びる。
どこまで行っても酒と聞くと大真面目になるのは、普段と変わらなくてなんだか安心さえできる。
「飯の礼を言うついでに詳しく聞きたいものじゃの」
「飯の礼の方がついでじゃろう、姉御」
その農業やら料理やら醸造やらなんだかやたら幅広く仕事をしている人を、秀吉さんはキツネさんに呆れ笑いしつつ控えていた人に呼ばせた。
控えの人と共に二人の人がやって来た。どちらも作務衣のようなものを着て髪を大雑把に後ろでひとまとめにしている。一人は小柄で線の細い男性で、もう一人は女性でこちらの方が背が高い。案内された二人は伏し目がちに入室し、流れるように座礼をして頭を下げ、そのままぴたりと止まる。
二人の様子に再び呆れるように笑いつつ、秀吉さんが声をかける。
「おうおう、右民部少輔、右民部小丞、そう硬くならんでよいぞ。儂の義姉が飯の礼を言いたいそうじゃ」
「うむ、美味い飯に感謝する。儂はキツネで名が通っている者じゃ。堅苦しくせず、楽にするとよい」
「はっ、恐れ多くも神祇大納言様のお言葉有り難く頂戴いたしまする。某は織田右民部少輔信長、この者は此度腕を振るった木下右民部小丞藤吉郎と申しまする」
キツネさんが軽く声をかけると、ガッチガチに堅苦しい言葉なのに音が高くて柔らかい女性の声が返ってきた。つうか聞きなれた言葉もあれば謎言語がそこらに飛び散ってて何が何だかよくわからん。
女性なのに信長らしい。官位には詳しくないのだが、女性ってこんな風に官位を持つものなのだろうか。宮中の女官とかならわかるが、どう考えてもここは農村である。
そして藤吉郎ときた。おそらく俺の知る秀吉と似た存在はこちらだと思うのだが、それはそれで呼び名が面倒なので藤吉郎でいいか。
俺とひれ伏す二人の間にいるキツネさんの横顔を見る。とてもめんどくさそう。
「あー、よいよい。神祇大納言なんて職を得てはいるが、もとは山野で気ままに生きていた獣が素性での。あまり堅苦しくされると儂が面倒なのじゃ。儂の連れの者も官位を得た者ではないしの。面を上げてくれんか」
キツネさんの職名を初めて知る。神祇って言葉は聞きなれないが、大納言ってのは相当偉い人じゃなかったっけか。え?そんな人が俺の嫁とか言ってるの?エピソード的にどえらいお方ってのは聞いていたが、なんかこう、酒飲んでゲームして気まぐれにハンバーガー屋で働いてたりする自由なお姉さんってイメージが強すぎて、ダイナゴンって言葉とうまく結びつかない。いや、身分が高いのは当たり前か、国産みの神と酒飲み友達のようにしていたのだから。目の前でキツネさんにひれ伏すかたっ苦しい言葉を遣う人を見て、ようやく俺が正しく身分というものを認識し始めたのだろう。
そのひれ伏して話していた信長さんが顔を上げた。
「はっ。では御無礼を……おおおおっ!?」
「おうおう、なんじゃ騒々しい」
信長さんは中々の美少女だった。畑仕事に慣れているせいか肌がやや焼けていて、健康的で活動的な印象を受ける。ただ、キツネさんと俺を見て何やら驚いたようで、大きな声を上げたのを秀吉さんが見咎めた。秀吉が信長を咎めるってなにそれ。
「儂の服を見て驚いているのじゃろうよ。肌をこうも晒す者は幼子でもなければ居らんからのう、この国では」
「ああ。服があちこちで違うのを初めて見るときは確かに驚くもんじゃのう」
キツネさんはひらひらと手を振って問題ないと言い、秀吉さんがなるほどと納得するが、信長さんの事情は違うらしい。キツネさんの服と、俺の服と、秀吉さんが持つ酒のガラス瓶との間を信長さんの目が行ったり来たりする。彼女は困惑しつつも、キツネさんに問いかけた。
「そ、その通りなのですが、お召しになられている服と、そちらの透き通った瓶はどちらで手に入れたのでしょうか!?」
「こちらとは異なる世界に渡って買ってきた」
異世界って言って、中世の人は理解できるのだろうか。六道輪廻などの宗教的な意味合いでの異なる世ではなく、SF的な意味での異世界。まあ信長の名を持つなら色々常識外れでもおかしくはないだろうし、もう少し詳しく説明すれば理解できるのかも知れない。
「異世界転移で物資持ち込み……商業チートかよぉ!」
信長さんが俺に馴染み深い言葉を吐いて肩を落とした。確かにこちらの世界の常識から外れた御方のようだ。




