キツネさん、ディスられる
用意された寝床とやらを確認してみると、畳の上に一組の布団が敷かれているものだった。しゃがんで触ってみると敷布団からは綿らしき弾力が感じられ、掛け布団も綿のような手触りがするが、夏用なのだろう厚みはそんなにない。枕はそば殻のような感触がするものが二つ。俺にとっては珍しいものでもないが、ふと、この環境がキツネさん達の社会にとって当たり前なのかと疑問を抱いた。
「これって綿布団ですよね。こちらではこれはありふれているものなんですか?」
「いや、高級品じゃな。御上に献上されたもののうち、儂と娘用に二組下賜されたものじゃ」
やっぱり綿製品はかなりの高級品のようだ。秀吉や家康といった名を以前聞いていたので、俺の世界でいえば安土桃山時代の頃合いと想定して考えてみると当たり前である。そば殻は食料の廃棄物を有効利用しただけなんだろうからあってもおかしくないが、綿なんてそんなに流通してない時代のはずだ。
「儂はそこらをふらふらさまよったり、眠たくなったら人を呼ばずにそのままタマに寝床になってもらったり、獣の姿をとって寝たりと、使う事はそう多くないがの」
なのにキツネさんは割とぞんざいに扱っているようだ。扱い方がぞんざいというより、存在をぞんざいにしているというか。下賜されたものだから大切にして滅多に使わないという方便かもしれないが。
しかし、身に慣れた綿布団が出てきたのはありがたいのだが、御上から下賜されたものを俺が使っていいものだろうかと布団を目の前にして悩んでしまう。お客の格としてはソルさんの方が遥かに上ではなかろうか、と思って周囲を見渡してみるとソルさんがいない。もうどこかへ行ってしまったのだろうか。
「タダシ殿はここで休んでいるといい。儂はちと土産を持って先にイザナギイザナミ夫婦に挨拶してくる」
俺が戸惑っている間にキツネさんは音も無く巫女服に着替えていた。そして軽く俺に声をかけると、五〇〇ミリリットル缶ビール二十四本入りダンボールを片手で持って、さっさとどこかに行ってしまった。タマが付いて行って、去り際に障子が閉められる。
「さて、どうしようかね」
俺の横でなんかじんわり発光しながら丸くなっているサキに手をやって少し思案するが、元々疲れているのもあって考えるのが面倒になってきて、思考を放棄してお言葉に甘えて布団で眠ることにした。気温は暑いといえば暑いものの、東京の都心部の熱帯夜に比べるとすごしやすい温度に思える。
久しぶりの布団だ。俺の部屋にあるのはベッドにマットレスである。下も脱いでシャツと下着一枚ずつの姿になって床に入ると、いつもと違ってこの畳と布団が硬く感じられる。それでも悪くはない。一つ欠伸をすると、眠気が元気になってきた。
「おやすみ、サキ……」
誰にも起こされることなく眠りから覚める。いつもと違って何か違和感がある。目を開けて異世界に来ていることを認識するまで数秒かかった。すでに明るい中で上半身を起こすと、サキに頭から襲いかかられて寝癖を直される。
「おはよう」
「おはようございます。開けてもよろしいでしょうか」
「あえ?あ、はい」
サキに朝の挨拶をしたつもりが、障子の向こうから声がかかって何も考えずに返事をすると、スッと障子がずらされて声の主が姿を現した。
「お初にお目にかかりまする。私は葛の葉と呼ばれております、キツネの娘にございます。此度ははるばる遠い地からおいで下さり、甚くお疲れの中、朝も早くから失礼いたしまする」
声の主はキツネさんの娘さんらしい。キツネさんや、横に侍らせている昨日も見た女性と同じ袴姿でかっちりきっちりとした動作で頭を下げられる。娘ということで髪の色も同じで狐耳をとがらせ姿形全体もよく似ているが、ややキツネさんより丸顔で目元も柔らかい。しかし威厳というか威圧されているのかわからないが、出合い頭の朝一発目からやたら丁寧に話されているのもあるだろう、持つ雰囲気はなんだかとっても固く感じる。
「そんなご丁寧に、ありがとうございます。えっと、なんと言えばいいか、あ、近衛忠です」
「タダシ殿。母の奔放な行いにお付き合い頂き、申し訳なくも有り難くも思うておりまする。今後も何卒あの考えなしではしゃぐじゃじゃ馬の手綱を出来うる限り握り続けて頂きたい」
起き抜けに男女の仲にある人の子供に挨拶の奇襲をくらって思考が追いつかないなかで、娘さんに壮絶にキツネさんがディスられておる。手綱なんぞとった記憶がない。近衛牧場では基本的に放牧しかしてない。調教技術なんか持っていませんよ俺は。
どうすればいいの。ちょっと経験がないことが立て続けに起きてどうしようもないんですが。助けてキツネさん。
「あ、いえ、こちらこそお世話になっております。で、その、当のキツネさんはどこへ?」
「あれならば、恐れ多くも我らが奉る二柱にお付き合い頂きながら、昨晩から酒宴に更けておりまする」
先触れに挨拶しに行くんじゃなかったのキツネさん。娘さん怒ってるっぽいんですけど。
これ、俺にキツネさんをなんとかしろってことでしょうか。
「えっと、その二柱へご挨拶するのが目的だったはずなんで、とりあえず着替えて案内して頂けばいいんでしょうか」
「我らは控えておりますゆえ、ご用意が済み次第、再びお声がけをお願いいたしまする」
静かに障子が閉まった……親子そろって威圧感半端ねーな。
さっさと服を着るか。あれ、ジーパンにシャツ一枚でいいのか……?




