キツネさん、解釈する
まずはのどを広げて最低音域をじんわりと出し続けてのどのストレッチをする。のち、少しずつ高音域へとのどを絞っていく。いつもの俺ではあり得ない高さと広い音域が出る。まあ体が作り替えられること自体が通常ありえないんだが、調子は悪くなさそうだ。
「キツネさん、どんな歌がいいですか?」
「好きなものを歌えばよいじゃろう。色々な曲を聞いてみたいものじゃの」
すでにピッチャーの七割ほどを飲んでしまったキツネさんに尋ねると、ご機嫌に返答された。なんでもいいなら、さきほど思い浮かんでいた翼をくださいを入力する。宴会の初っ端にこれっていうのもどうかと思うが、頭に浮かんでしまってから試しに歌いたくてしょうがない。
伸びやかに歌えた。歌うのが気持ちいい。裏声をつかわずに滑らかに歌えるのはこんなに気持ちのいいものだったか。
キツネさん達からやんややんやと拍手をもらいながら席に再び座る。
「これは、また空を飛んでみたいということかの」
「違います。昔から好きな歌なだけです」
「そうじゃのう。空を飛びたいという思いはあまりこもっていなかったからの。歌っていて楽しそうではあったが」
キツネさんがとんでもないことを言うので即座に否定した。首を振る俺の背を苦笑いするキツネさんの手がなだめるように優しく叩く。生身のジェットコースターはもう勘弁してください。相変わらず高いビルは苦手だし、一人で空を飛ぼうなんて思いもしない。根本的にそこまで魔術を遣えるようになれるのか自信もない。
「地上から空に飛べば七難八苦から逃げられるとでも言いたいかのような歌じゃのう」
「空は空で弱肉強食なんじゃがな。飛びっぱなしというわけでもないしのう」
「まあ、あくまで絶対に手に入れられないものが手に入ったらどれほど素晴らしいことだろうか、という程度の意味かと思いますが」
ニコさんとミコさんは歌詞について思い思いに放言しているので、そちらにも口を挟む。
「あー。努力すれば飛べるようになる異世界の常識で考えてはいけないのか」
「魔術で飛んだり鳥に変化するのと、飛行機に乗って飛ぶというのとはまた違うのじゃろうしのう」
言葉とは受け取り手によって意味が変わる。当然のことだ。キツネさんのこの歌詞の受け取り方は俺の常識の枠外にあった。なんか翼が欲しいという言葉が、バタフライで泳げるようになりたいって程度にしか受け止められていなさそうだ。
「しかし、タダシ殿による歌詞の考察を聞くというのも面白い。儂等は音を聞いて楽しむだけならば大抵の音楽を楽しめるが、歌詞の意味を考えてもよくわからんものも多いからの。よければ、一曲ごとに解説してもらいたい」
「俺より才能あふれた人達が書いた詞を解説するってのはなかなかハードル高いんですが、まあいいですよ。逆に、次の曲は俺にとって詞の意味がよくわからないものを歌ってみましょう」
歌詞の考察自体は好きだ。どういう情景を念頭に書かれたのか考え、その情景を思い描き、自分の中で曲の盛り上がりとカチリと嵌った時は最高に楽しいし、そんな歌は当然よく歌う。キーが合わなくてのどが酷いことになることが多いが。
ただ、曲は好きなのに歌詞から情景を上手く思い描けない歌も多い。その一つを歌ってみる。
「……なんじゃこれは」
「わかんないでしょう、コレ」
歌ったのはGet Wild。知名度的にはTM NETWORKの代表曲と言えるだろう。
曲は好きなんだが、俺には歌詞の意味がいまいちわからないのである。
「男が女に惚れててなんか頑張るって話のようではあるんですが、どうにもところどころ意味が繋がらないんですよねぇ」
「ふうむ。そう言われるとわかるような……いや、うーん。まあよい。置いておいて、以前歌ってくれた曲を歌ってみてくれるかの」
「ええ、いいですよ」
以前歌った曲と言うと、小さな恋の歌と太陽の真ん中へか。どちらも短い時間で歌い終えられる。微妙に女声で歌うと荒々しさ足りなく思える。
「タダシ殿の魔術化した歌の効果に流されてよくよく歌詞を吟味しておらんかったが、こうして確認してみると、言葉の純粋な意味とタダシ殿が歌に込めて儂に伝わった思いに違いがあるように思うのう」
「多少強引に自分の経験なんかをもとに解釈して落とし込んで、それを歌に感情を込めますからね」
あいまいな表現が多い歌ほど、人によって解釈は異なる。法律という恐ろしく堅苦しい文言にだって解釈が分かれて論争があるのだ。歌など千差万別だろう。恋愛の歌を聞いた人々が思い出すのは、それぞれが持つ恋愛についての思い出なのだから。
キツネさんは納得するように一つ頷いた。
「歌の解釈のう。タダシ殿は以前に千曲は歌えると言っておった気がするが、千曲もの数を細かく解釈しておるのかの?」
「さすがに全部が全部を細かくはしてませんよ」
「それなりにはしてると。ふうむ。それは普通なのじゃろうかの?」
「人それぞれですが……まあ日本に住んでるなら、誰でも思い入れのある曲の一つや二つは持ってるでしょうね。俺の場合は楽器を多少は触ってたんで、その分は多いかもしれません」
音楽というものが消費されるコンテンツになって、どの世代でも通じる音楽ってものがだんだん薄くなっていっている中、わずかではあるが真面目に音楽に向き合った時間があった分だ。
キツネさんは再び一つ頷いて言った。
「ああ、部屋の物置に置いてあったギターのことかの」
「知ってましたか」
年単位で触れていない、貰い物の白いボディに黒のネックヘッドのエレキギターがある。メーカーも不詳で弦は錆びついているはずだ。
「大人向けのビデオメディアを家探ししているときに見つけたんじゃがの。あの時見つけたAVのタイトルはなんじゃったか、えーっと」
「それは言わなくてもいいです」
ビールのお代わりも来たし。
ディスってません。好きですよ。でもわからないんです。




