キツネさん、ひきこもる
ソルさんの電化製品魔道具化計画が執り行われ、経過観察を置いてじわじわと家からコンセント穴に繋がるものが消えていった。十一月上旬、パソコンとモニターを繋ぐケーブル等々有線のものはまだ残っているが、とうとう全てが魔道具化し、かなり床がすっきりして心地よい。
そんなこんなでどこに持ち出しても自然の魔力で稼働できるテレビとファミコンというものもできあがり、今持っているのとは別のセットが魔道具化され、キツネさんが異世界へ帰る際に持っていかれていた。以前献上したものも含め、キツネさんの他にも貴き方々が遊ばれているとのことである。
さて、そんな話を週末休み明けの夕食時にしていると、溜め息ともなんとも言い難いものをついて、キツネさんが目線を虚空に泳がせながらぼそりと言う。
「儂、最近あちらに帰ると酒と食べ物と新しいゲームをねだられるんじゃが」
「はあ」
盆暮れ正月に顔を出す親戚のようである。俺も小さい頃は母方の実家に遊びに行くとゲームボーイでテトリスをやらせろと、従兄弟に出合いがしらに言われたものだ。
「まあ大したものでもないので、それはいいんじゃがの。帰っても結局世間話とゲームしかしとらん。母も暇つぶしにやって来て、酒を飲みながらドクターマリオで何戦したじゃろうか」
「はあ」
田舎に遊びに行っても、ガキの頃は日が暮れると夜遊びもできず結局は室内で遊ぶことになる。田舎の子供だって自然に囲まれていてもゲームが楽しいのだ。安全な娯楽とは貴重なものであったのだ。いわんやキツネさんやソルさんが生まれた世界で、聞く限り文化発展度合いが中世っぽい時代である。
ドクターマリオくらいならいいが、ゲームでのやりとりにまだ免疫のない人々のところに友情破壊ゲーを放り込んだらどうなることであろう。世界が危ないのではなかろうか。
「で、遊んでいて思ったのじゃがの。世界間を渡る際、時間が歪むというのは以前言ったじゃろ。異世界で好き放題遊んでからこちらでのんびりすればいいのではないかと」
「はあ」
「なにぶん、ゲームの数が多すぎる。このままではファミコンだけで何年かかるかわからん。タダシ殿と一緒に過ごす時間は有限じゃ。さくさくやっていかんとの」
「そうですか」
別にファミコンのソフトを網羅しろと言った記憶はないのだが、キツネさんはやれるだけやってみたいようだ。俺は売れたお勧めのゲームを時系列順に触ってみて欲しかっただけなのだが、本人が望むなら別にそれもいいだろう。
軽くスマホでファミコンについて調べてみる。
「ファミコンのソフト数は千を超えるようですしねぇ」
「千!?」
キツネさんが数を聞いて驚愕する。なんだか懐かしい流れだ。千を超えると言っても、実際にはゲームと言っていいのかよくわからないゲームもあったりする。
「まあでも全部が全部最後まで遊びたくなるようなものでもないですし」
「ふむ。そういうものなのか」
「俺がファミコンで遊んでいた小さい頃に持っていたソフトの数は、精々が二十本前後だったと思います。それでもハズレのソフトはいくつかありましたから。ハズレのものはやらなくなって、結局好きなソフトを周回することになって。ドラクエ3なんかは、意味もなく遊び人から賢者に転職させて呪文を全部覚えさせた後に武闘家に転職させたキャラを三人作りましたし」
「遊び人から賢者に転職できたのか!?」
俺の過去の体験談を聞いて別方向に驚くキツネさん。
ああ、そういえばできるだけネタバレしないように詰まったところしか教えてなかった。俺はこの知識をどこで知ったんだろうか。ベホマがゾーマに効くとかもいつ覚えたんだろう。
「ああいや、ともかく、ファミコンとゲームボーイのソフトを買い出しに行きたい。タダシ殿、付き合ってくれるかの」
「わかりました。名作と言われたものに絞って週末にアキバ巡りでもしますか」
「うむ。駄作にはわざわざさわらんでもよかろう。時間の無駄じゃ」
駄作は駄作で味があるんだけどな。それに時間の消費という意味では名作の方がやばい。
ポケモン廃人という言葉がある。努力値という言葉の説明を聞いた時には慄いたものだ。
週末の予定を立ててご機嫌に尻尾を揺らすキツネさんへわざわざ言わなくてもいいか。
「それでじゃな。儂が異世界から帰る際、何か間違って時間の歪みを上手くつかめないときのために、分身を置いて行こうと思っておる」
「なんのために?」
「最低限タダシ殿の通勤の助けができる力を残しておこうかとの。まあ念には念を入れて、というだけじゃ」
それって危険ってことなんじゃないかと聞いてみると、可能性としてはごくごくわずかで隕石が頭にぶつかって死ぬより低いと胸を張って言われた。ことばの意味はわからんが、とにかくすごい自信だ。
俺にはわからない次元の話なので、キツネさんのやりたいようにして頂くのみである。大丈夫というなら大丈夫なんだろう。
実際に大丈夫だったようで、週末にゲームをわんさか買い込んで異世界へ帰ったキツネさんが十分後には「タダシ殿、一月ぶりじゃの!」と言って抱き着いてきた。翌週の週末には「三か月ぶりじゃの!」になり、さらに翌週には「半年ぶりじゃ!」に変わる。どの時も分身さんは冷めた様子で寝っ転がってゲームボーイをしてこちらを見ていなかった。無事に帰って来るのは当たり前だという認識なのだろう。
「半年もゲームばかりやっていたんですか」
「おう、ずっと屋内にこもっておったのう」
引きニートか。ニートの定義から言えば年齢が大幅にずれているが。
「時間の歪みをどの程度乗り越えられるかの実験でもある。途中で持ち込んだ酒がなくなって難儀じゃったのう」
そう言って俺から離れるとキツネさんはビールを一気飲みして、コマーシャルの女優のように「コレ、コレ!」と笑った。
半年離れていたと言うわりに、あまり変わった様子はない。寂しいとか思わなかったのだろうか。俺が今キツネさんと半年も離れたら間違いなく寂しい。千年を超える時間を生きた経験者とのカルチャーギャップだろうか。一番に抱きつかれているから、まあいいか。




