キツネさん、髪型を変える
100話増量
キツネさんはスマホで参考になるような画像を開いて確認しながら、いくらか髪を後頭部にまとめて持ち上げ黒いゴムでささっと結った。おそらく、バイトで使うために用意したものなんだろう。
「こんなものかの。どうじゃ、タダシ殿」
「町中で見かけたら立ち止まって見蕩れますね」
「妙な褒め方をしよるのう……」
キツネさんは頭を傾げて苦笑いし、合わせて後ろ髪も揺れる。
キッチリ遊びの無いまとめかたをしている。輪郭が隠れないので、正真正銘見た目に自信がある人か人目を気にしない人じゃないとできない髪型だ。顔が小さく形も良いキツネさんの素材の良さがよくわかる。
「ふむ。首まわりがすっきりして、暑い時期には丁度良いか」
「短くしたほうが手っ取り早いと思いますけど。俺は長い髪型の女性の方が好きなんで、短くしないのは嬉しいですけどね」
「んー。服は着てみるか、食べ物は食べてみるか、酒は飲んでみるかと気軽に試せるが、髪に刃をあててみるかという考えが思い浮かばなかったのう。こちらでは髪を短くするのは珍しくないようじゃが、儂自身がそうするとは微塵もな。いろいろと価値観が覆されておるが、根底にあるものはまだまだひっくり返されていないものもあるようじゃ」
「それはそれで悪くないでしょう」
俺が肯定の意を示すと、キツネさんは短く「そうじゃの」と笑ってビールを呷り、ふうっと一つ溜め息をついた。
「今日はタダシ殿の嗜好を一つ知れてそれはそれで良い日じゃし、仕事をするのも楽しいのじゃが、ゲームや漫画を楽しむ時間が減って困る」
つれーわー、恋も仕事も順調だけど遊べなくてつれーわー、ってことでしょうか。同居人の言葉じゃなければ、心の中で舌打ちの一つもつきたくなるセリフだ。
どうしたものかのうと呟きながら、キツネさんは夕食までの間にいそしもうとファミコンの電源を入れた。ドラクエ3はクリアして4へと移行している。3では散々レアアイテムが出るまでモンスターを狩りまくった身としては、早々に移行してしまってちょっと悲しい。まあ俺がリアルタイムでやっていた時に比べると、資金力もあいまって遊べるゲームの選択肢が無数にあるのだから仕方がないっちゃ仕方がないんだが。
プレイして数十分。何かに気づいたようにキツネさんは呟いた。
「分身かあ……」
ゲーム画面ではプレイヤー操る姫様と、毛むくじゃらで分身する化物のベロリンマンが戦っている。
いつも思うのだが、ベロリンマンの武術大会への参加を承認したエンドールの王様はいったい何を考えているのだろうか。というかベロリンマン自身も武術大会の意義を理解しているのだろうか。ホイミンが普通にしゃべっているし、他のモンスターもしゃべる描写がそこかしこにあるから、人と意思疎通ができてもおかしくはないけども。実は姫様のペットとかか。
「分身という手があったかあ……」
「何がですか」
ゲーム画面の上に視線を飛ばして、小学校のころの出来事を懐かしい思いだすような顔をして呟くキツネさんへ問いかける。
「いや、分身をつかえばゲームも漫画も仕事も同時に楽しめるのではと思ってのう」
「魔術でってことですよね。分身できるんですか」
「分身というか身外身と言った方がいいかもしれんが、できる」
平然となんでもないことのように答えられた。
本当になんでもありだなキツネさん。分身に働かせて自分は遊ぶとか誰もが妄想していたことを実現できるとは。
キツネさんは画面に視線を戻してゲームを続けながら、何故今まで忘れていたかを語る。
「ただ、分身を完全なもう一人の儂として生み出してしまうと、分身と本体とでどちらが本物かと争いが起きる」
「分身というか分裂というか。それじゃ意味ないじゃないですか」
「うむ。だからと言って分身を本体の制御下にあるものとして創造すると、本体に制御するための負担がかかって面倒になる」
「体二つを問題なく一つの頭で動かすってことですか。普通の人には到底無理ですね」
キツネさんが分身のことをすっかり忘れていた理由が見えてきた。身外身と言えば、西遊記の孫悟空が自身の毛に息を吹きかけて分身を作るような話があったはずだ。ただ、キツネさんの言う身外身の術はかの術ほど手軽で便利ではなさそうだ。
「儂やソルくらいの魔術の使い手ともなれば、分身を半ば自我を持つような形にしつつ制御下に置いたり、自身と分身を完全に制御して同時に行動することもできなくはない。ただ、魔力的な負担が大きくて分身をつかう意味が見いだせなくての。異世界で戦うなり仕事するなりの場合であれば、分身をつかわずに全力でやってしまったほうが手っ取り早いというのもある」
「ああ。ゲームも漫画も仕事も、こちらじゃ魔術が必要じゃないからこそ、分身に意味がでてくると」
「そういうことじゃの。ということで」
何が「ということで」なのかと思ったら、魔力の風が吹き荒れて、俺はバランスを崩してベッドに倒れてしまった。いったい何が起こったのか、というかいったいキツネさんは何をしたのかと思いつつ起き上がると、キツネさんが三人に増えていた。
「儂はこのままドラクエを進める」
「では儂は漫画を読む」
「では儂はゲームボーイのやったことのないゲームを遊ぶ」
なにこれ。というか、わざわざ分身してやることがそれか。
本体らしきキツネさんはそのままにファミコンのコントローラーを握ったまま。分身らしき一人は「愛人」と書かれたシャツを着ていて、スマホを取り出して本体の膝を枕にして何やら操作しはじめる。もう一人は「妾」と書かれたシャツを着て、物入れにしまっていたゲームボーイとソフトを漁りはじめた。
シャツに書かれた言葉がチョイスされた意図はなんなんでしょうかね。
「キツネさん、何人くらいまで分身できるんですか?」
「さあ?試したことがないからのう」
「さあ?試したことがないからのう」
「さあ?試したことがないからのう」
三重音声で返ってきた。各人の発声が微妙に位相がズレて聞こえるのでなんか気持ち悪い。
「いや、返事は本体さんだけでいいですから」
「儂が本体じゃ」
「いや、儂が本家じゃ」
「いやいや、儂が元祖じゃ」
どこのラーメン屋だ。
三人のキツネさん達がいがみ合うこともなく微笑みながら自分が本体だと言う。すっとぼけてわざとやってるだろ。
さて、本体は明らかっぽいんだが、どう反応したものか。間を置こうと思って冷蔵庫から2リットルペットボトルのお茶を取り出すと、残り少ない。飲み切ってしまおうと直接口をつける。
二口ほど飲むと、三人のキツネさんが俺の手の中のペットボトルを見ているのに気付いた。
「飲みますか?」
なんだか視線が痛いので、どうしたらいいのか分からずになんとなく提案してみると、本体らしきキツネさんが受け取ろうとするのを残りの二人のキツネさんが両脇から押さえつけ、三人のキツネさんが争い始めた。
「邪魔をするな!」
「儂が貰う!」
「儂等がタダシ殿と居られるのは数時間、そちらは死ぬまで一緒じゃろうに!これくらい構わんじゃろうが!」
「初めての間接キスを分身に任せられるか!」
「ええい、儂等には明日より今なんじゃ!」
「お茶!飲まずにはいられないッ!」
漫画のパロディーを入れてボケるくらいには余裕を持った争いである。まあ何より本体は見つかったようだ。わざわざ分けるほど残ってもいないので飲みきってしまおう。
「喧嘩する人にはあげません」
理由なんか適当で、なんか面白いやりとりをしてるから乗っかって言ってみただけである。俺が飲みきると、三人のキツネさんは肩を落としてそれぞれのゲームやらに戻って行った。
「ファミコンをしているキツネさん。分身らしき二人は制御下にあるんじゃないんですか?」
「……魔術を解除して存在を消すことはできるし、儂とタダシ殿を傷つけない程度の縛りはあるが」
「今回の分身である儂等は、本体の欲求を満たすという行動原理も含む上で、ある程度の裁量も与えられた別個の生物でもあってな」
「さらには情報やある程度強い感情の同期もされており、儂が間接キスしたいという欲求と、儂の前で他の儂が間接キスするのを許せないという感情がそれぞれに生じたわけで」
一人を指定したのに三人から順番に返事が返ってきた。それぞれゲーム画面なりスマホなり見ながら話しているというのに、お互いの話す内容を引き継ぎ息があっている。
「ある程度強い感情ですか」
「おう。今は悔しいのと、阻止できたという感情が8対2くらいじゃの」
「本体の権限が強いので、阻止できたというのに共有される感情のせいで悔しくて仕方ない」
「儂等は分身じゃからのう。仕方ない」
別個の生物でもあると言うだけあって、分身二人にもなんだか個性があるように思えてくる。彼女達の個性も、一時の感情ということで消え去ってしまうのか。二人の存在意義の定義は本体があるからこそ揺らいではいないが、自分が分身で本体がいたらと想像すると、ぞっと背筋が冷えてくる。恐ろしい。そして、二人が少し可哀想に思う。
「キツネさん。これからは分身をちょくちょく出したり引っ込めたりしていくんですか?」
「む?まあ、そうじゃのう。異世界に帰るときなどは分身を維持したままじゃと、ちと厳しいじゃろうからのう」
「その、引っ込められて再び出された分身の記憶が、別個に個性を維持して前回出された時と連続するようにはできますか?」
「できるはできるが、何故じゃ?」
本体さんも分身二人も訝しげに俺を見る。三人同じ顔が一斉にこちらを向くと変な圧力があるな。
「分身であっても別個の生物であるなら、今日限りの出会いというのは、何か悲しい気がしまして」
「ふうむ」
俺の言葉を受けて、ファミコンを続けながらもキツネさんは考え込む。分身らしき二人は本体に向けて何やらニコニコ笑顔を向けている。
ファミコンのプレイ音だけが部屋に響く数分の間の後、溜め息をついてキツネさんは応えた。
「まあ、構わんがのう」
「いやっほーう!」
「酒!飲まずにはいられないッ!」
キツネさんが苦笑いしながら俺を見て頷くと、分身二人がいつの間にか缶ビールで乾杯して喜んだ。
この状況、どっかで見たことあるような感じがする。サキに名前を付けたときだ。名付けによる存在の承認。サキ達とは違って仮想人格みたいなものだろうけども、それでも他人より存在を肯定されること。同じようなことだろうか。
本体のキツネさんもビールを持って乾杯に加わる。
「タダシ殿に分かりやすいよう、それぞれキャラ付けせんとのう」
「そうじゃのう。じゃあ、ビールは本体へ譲って、儂は日本酒派にでもなるかのう」
「そうすると、儂は焼酎派かのう。あ、安い合成焼酎は嫌じゃぞ」
「ビールより高そうなものを選びおってからに……いやそれよりも、酒を飲んでいる時にしか分別がつかんではないか」
「酒の金については、儂等も明日は分散して稼ぐし問題あるまい!」
「酒以外の分別の付け方のう。呼び名と見た目かのう」
「呼び名か。本体の儂はキツネで固定として。見た目は、そうじゃな、髪型を変えでもするか」
「では本体の髪が一つ結びなら、儂は二つ結びにでもするか。呼び名はキツネブラックRXで」
「ならば儂は三つ編みにでもするかのう。呼び名はダブルゼータキツネで」
なんだか分身の方が強そうな名前だ。両方とも全シリーズ見たのだろうか、相当時間がかかるはずだが。
冗談を言いつつ、妾シャツを着た分身が髪をささっと二つ結びにして前に垂らし、愛人シャツを着た分身の後ろに回って三つ編みにまとめるのを手伝ってあげた。
しかしまあ、女三人寄ると姦しいとはこのことだろうか。会話が途切れる暇もなく、俺が口を挟むこともなく、三人で喋り続ける。
「髪はいいとして、その呼び名は言いづらいじゃろう。せめて儂を一番目とし、お主等を二番目三番目として分かりやすい名前にせんか。それに明日は三人増やして計六人で競馬に行くからの」
「えー。競馬はいいんじゃが。そうじゃなあ、キツネの二番目、二番目のキツネ……二番二番……」
「ものの数え方からとるとかかのう。ひーふーみーよー。イーアルサンスー。ヒイロデュオトロワカトル……」
これが六人になるという。六人。この狭い部屋に俺を含めて七人。動くのが面倒になりそうな人口密度だ。いやまさか七人になったとして全員が全員この部屋にこもりっきりってわけじゃないんだろうし、大丈夫なんだろうけど。キツネさんと一緒にいるとよくよくわけのわからん事態になるが、今回もかなり混沌としている。
三つ編みのキツネさんもいいなあ、なんて俺が現実逃避している中でも、三人のやりとりは止まらなかった。
キツネさんごと