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精霊王のお気に召すまま  作者: Sugar
蒼き山脈の住人
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蒼き山脈の住人2

 息を吸って、吐く。

 そうしないと今にも年頃の娘には相応しくない言葉が、口から飛び出してしまいそうだったからだ。


「……っ!」


 馬鹿にされたのだという事実が、執事の立ち去った今になって感じられる。

 そして腹の底から、ふつふつと怒りがこみ上げてきているのが自分でもわかった。


「……メグ様」


 心配をしているのだろうシルフィアが声をかけてくれるが、それにも答えずマーガレットは肩を震わせる。


 魔法が使えなくても困らないと言ったのは嘘ではない。実際、昨夜から手紙が送れなかったこと以外に不自由は感じなかった。だからレンにも、何かアドバイスを貰えたら、と訊ねてみただけ。そのつもりだった。

 けれど彼からもたらされた冷たい言葉に、胃の腑が冷えたような感覚を覚えて、マーガレットは気付いた。自分が慰められたかっただけだということに。


 今までマーガレットはさしたる不自由はしたことがない。衣食住は満ち足りて、おおらかな両親とやさしい兄にも恵まれている。国は豊かで、皇女として国民にも慕われている。

 勿論、次期皇帝としてかけられた期待は大きかったが、努力をすればそれを補って余りある成果がもたらされた。

 躓けば誰かがそっと手を引いてくれたし、壁にぶつかれば誰かがやさしく背中を押してくれた。それが当然だった。だからレンも当然そうしてくれるだろうと、無意識の内に期待していたのだ。


 それがたまらなく恥ずかしかった。

 今の自分は新参者の使用人で、やさしく教え諭し導く義理はレンにはないし、そうされるだけの身分は自分で隠している。なのに、恩恵だけ受けようとしたことが、マーガレットには遣る瀬無かった。

 そして、彼は恐らくその甘えも見抜いていたのだろう。振り返れない扉の向こうに、執事の気配が完全に消えたことを確認して、皇女は荒々しく足元の芝を踏みつけた。


「おぉ怖い怖い」


 震える拳を解き、なんとかショックを振り切ろうとしたときだ。マーガレットの耳元に、突如涼やかな男の声が響いた。慌てて振り返るが、傍らに人影はない。


「だ、誰……?」


 先程まで人の気配はなかったはずのところに声をかけられて、マーガレットは誰何の声を上げた。自分の弱さを初対面に近い相手に見抜かれて、更にそれを見られたとあっては、脆くはないはずの皇女の自尊心も砕ける寸前である。


「どこを見ておる。上だ」


 またしても同じ声がからかうような調子で囁いてきた。その声につられて目線を上に上げると、そこには深緑の髪も艶やかな男の姿があった。

 見た目は20代の半ばといったところ。豊かな髪は腰を覆うほど長く、銀色の虹彩の散る瞳は髪よりも幾分明るい緑色をしている。くちびるはにやりとしか形容の出来ない笑みを浮かべ、その隙間からは鋭い八重歯が見え隠れしていた。

 肌はこの国の人間にはまずいない小麦色で、服の隙間から覗くしなやかな体躯をより引き締めて見せる。

 ゆったりとしたワンピースのような形の服は無国籍風で、夏が近いとは言え山の中には不似合いなデザインだ。

 そして、その男は昼寝でもする様子で宙に寝そべっていた。


「風霊様っ!」


 シルフィアが驚きを含んだ声を上げる。

 精霊や妖精はその多くが、自身の司る要素の色をその身に宿している。火ならば赤、水ならば青、土ならば黄、そして風ならば緑だ。髪も目も緑色の青年は、確かに風を司る精霊、風霊であるようだった。

 声を上げた薄緑色の髪をしたちいさな妖精が、自身と同じ風の眷属であるとわかったのだろう。男は鷹揚な仕草で頷くと、「人の娘」とマーガレットを呼んだ。


「メグよ」

「そうか。ではメグ、バラの剪定をしてくれ。

 ほれ、このゲートのところ。互いが影になり合ってしもうて、上手く咲ききらんのだ」


 そう言って、風霊は大きくひとつあくびをする。長い爪が少し先にある青銅色のアーチに絡まって咲く、オレンジ色のバラを指していた。それを辿ってみてみると、確かにゲートの根元に近い部分のバラが五分咲きのまま、ひしめき合っている。

 けれどいきなり命じられても皇女はなかなか動けない。こんな風に精霊が人に何かを命じるというところを見るのは初めてだったし、何よりいきなり庭仕事をしろと言われても、何をしていいのか皆目見当もつかなかった。

 マーガレットが動けないでいると、男はふふっと楽しげに笑う。


「どうした、メグ。わしの言葉には従えんか?

 しかしの、お前は先程ここの世話をするようにと言われておっただろう」


 だから早速仕事を頼んでみるのだと言われると、すごすごと引き下がるわけにもいかず、言われるままアーチの根元にしゃがみ込む。遠くから見るときれいに見えたが、成程じっくりと見るとかなり窮屈に咲いていた。

 さて、これをどうしたものだろうと、しばし思案していると、不意に視界の端を上から下に黒い影が横切った。

 脇に飛び退くと、見計らったようにザクっと音がして、地面に何かが突き刺さる。よくよく見ると、見慣れない形ではあるがどうにもハサミらしかった。

 地面に刺さっていても鋭利な先端を持っているのがわかる。頭にでも当たっていれば大怪我では済まなかっただろう。


「メグ様っ!?

 お怪我はありませんか?」


 主人とは逆の方に慌てて後ずさった妖精が、すぐに飛んできて、顔や手などの周りを飛び回る。その声に我に返ると、風霊ののんびりとした声がハサミを追いかけてきた。


「このハサミを使うと良いの。

 よく切れるから、バラも痛みが少なくて済む」


 呵呵と笑う調子は、自分が今にも少女の命を奪いかけたことなど、まるで気にも止めない風だ。死なないまでも当たれば大怪我をしていたのを流すわけにはいかず、マーガレットは太陽を背にして浮かぶ男をじろりと睨み上げた。


「あなたね。さっきから黙って聞いていれば、どういうつもり?

 花の世話をしろと言ってきたり、ハサミを落としてきたり!

 昨日だって手紙を送るのに力を貸してくれなかったし、嫌がらせのつもりかしら?」


 言葉と同時に立ち上がる。自分の身の危険だけではなく、魔法が使えない不満もつるりと口から飛び出した。しかし憤懣に満ちた皇女の顔を見ても、精霊はおやと眉を上げるばかりだ。


「あなたではない。テオドアだ。

 テオドア様と呼んでくれても良いぞ」

「テオ、私はあなたのメイドじゃないのよ!」


 マーガレットとしては、かなりずばりと言ったつもりだった。

 世の中は何事も先手必勝。うっかり相手のペースに巻き込まれかけたが、ここで自分の立場を明確にしておけば彼もおいそれと命令をしてきたりはしないだろう。

 ところがテオドアはにやにやとした笑顔を引っ込めるばかりか、ますます笑みを深くした。


「これは異なことを言う。

 メグは精霊王様のメイドじゃろう」

「……そ、そうよ!」

「しかしの、精霊王様のお世話は、あの何と言ったか……従僕の坊主ひとりで事足りる。

 お主は食事の支度も、洗濯も、何もすることはないはず」


 朝一番から自分がありとあらゆる仕事を取り上げられたところを見ていたのかと、まじまじと緑の双眸を見返すと、精霊はわかったように頷いてみせる。


「そこでわしらの出番じゃ。

 のうメグ、主人の部下をメイドが労わるというのは、人の世でもあるだろう?」

「それは……そうだけど……」

「わしらは下界で人間と戯れとる連中とは違って、大事のときは精霊王様おひとりの為に働くと誓っておる。

 その代わりに、精霊王様は我々が力を蓄える場所を、特別にご自分の邸宅の中に用意してくださっておるのよ。

 そこを保つ努力は、ほれ屋敷の主人の使用人がするべきではないか?」


 テオドアの言うことにも一理ある。父皇帝を訪ねた貴族が居れば、それをもてなすのは使用人の役目だし、彼らが滞在する部屋や滞在中の世話をするのも同じくだ。

 それが今のテオドアとマーガレットの関係と違うのかと聞かれれば、否と答えることは難しかった。

 皇女が反論の言葉が継げずに押し黙っていると、風霊はふと優しい仕草で少女の肩に手を置く。まるでおさない子どもに言い聞かせているとでも言う風だ。


「お言葉ですが、メグ様はその辺の人間の娘とは違うのです。

 由緒正しいお血筋柄で本来ならば誰かに仕えることなどない方。それを精霊王様だからと、特別に……」

「シルフィア、よしなさい」

「でも、このような言われ方はあんまりです。わたしのお嬢様に、こうも言いたいことを言われていては、世話役として悔しいのです」


 言葉が出ない主人の代わりと思ってか、シルフィアはつま先までをぴんと力を張って、自分より格上のはずの風霊と少女の間に割って入った。口調は勇ましいが、やはり面と向かって精霊に対峙するのは恐ろしいのだろう。広げた両手が小刻みに震えている。

 マーガレットはその勇敢さと忠実さに感謝をすると、口惜しいと歯噛みする妖精を両手の中に包み込んだ。


「テオドアの言うことももっともだわ。

 どちらにせよ仕事をしないわけにはいかないもの」


 自身も悔しい気持ちは同じだと、ちいさな世話役の背を撫でながら、テオドアに言葉の続きを促す。ここまで来たら、相手の言い分を最後まで聞いてみようと思ったのだ。


「精霊は食事を取らぬのではない。人のように動物の命を奪うことはしないだけのこと。

 わしらは自然にあるものから力を分けてもらっておるのじゃ。

 そして、それがうつくしければうつくしいほど、たくましければたくましいほど、わしらの得られる力も増える。

 ならばメグがこの庭の世話をするのも道理よ、のう?」


 風霊の語る内容に説得力がないわけではない。言われてみれば人間と同じように食事をする妖精とは違って、精霊たちがどうやって力を得ているのか今まで知る機会もなかった。テオドアが言うことが本当ならば、メイドの仕事かどうかは別として、確かにこの庭園を保つのは重要な仕事らしい。

 少女が説得されかかっているのが見えたのか、後押しをするように精霊は続けた。


「それにの、この庭園には普通の人間は入れぬ。

 そこの花壇を超えてこちらにまで来れるというだけで、メグが優秀な魔法使いであるという証左じゃ」


 そう言ってテオドアはマーガレットの頭を、ぽんぽんとちいさく叩いた。その仕草が執事の言葉に傷ついた少女にはひどくやさしく思えた。


「仕方がないわね。

 やってあげるわよ」


 仕方がないと言いながら、何処か吹っ切れた表情でマーガレットは再びバラの前に座り込んだ。今度は投げつけずにハサミを手渡したテオドアは、シルフィアの隣でふわふわと浮かびながらこう告げた。


「それではバラの世話を始めるかの。

 なに今日はわしがお主に庭仕事の手ほどきをしてやろう。

 メグが良い庭を作ってくれれば、わしもメグの手紙を届ける力を、ちょいと貸してやろうという気になるかもしれんの」


 長い指先が楽しいおもちゃを見つけたと言わんばかりに、笑みを深めた己の顎をつるりと撫でた。

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