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精霊王のお気に召すまま  作者: Sugar
蒼き山脈の住人
7/8

蒼き山脈の住人1

「魔法が使えない?」


 翌朝、マーガレットが厨房に向かうと、朝の挨拶を交わしたアンナはすぐさま何かあったのかと訊ねてきた。どうやら悩み事が顔に出ていたらしい。特段隠しだてする必要性も感じず打ち明けると、年上のメイドは頓狂な声で鸚鵡返しをした。


「大きな声出さないでよ」


 調子の外れた大声に思わず抗議の声を上げると、悪びれた様子もなく、失敬失敬とアンナは首をすくめる。その様子がどうにも憎めなく、マーガレットは肘で傍らの少女の脇をつついて、よしとした。


「ごめんごめん。

 でもあたしは魔法が使えないからよくわからないけど、それって結構大変なことじゃないの?」

「うーん、それが私も初めてのことだから、いまいち実感がわかなくて……。

 魔法って便利だけど、毎日の暮らしにそんなに使うものでもないしね」

「そういうものなの? あたしはてっきりベッドメイクも、着替えも、魔法でやってしまうのかと思ってたわ」

「まさか。人間の力で出来ることは自分でするわよ。シルフィアも手伝ってくれるし。

 第一、なんでもかんでも魔法でやってしまったら、貴族の屋敷に使用人なんて必要なくなっちゃうじゃない」

「それもそうね。言われてみれば、精霊王様のお屋敷でも人間のメイドがいるくらいだし」


 大げさに驚いてみせるアンナに苦笑を返しながら、マーガレットは食器棚から朝の一杯のためのティーセットを取り出した。

 朝の爽やかな雰囲気に相応しい青の小花柄が入った一客だ。昨日から感じていたことだが、この屋敷は青や緑の色の物が多い。今身につけている制服も緑色だし、屋根の色は濃い目の青だ。食器も例外ではなく、使われやすい暖色のものがほとんど見当たらなかった。

 これも主人の趣味なのだろうかと考えながら、使う前に一度流しておこうと流しに立つと、長い指が横からさっとそれを取り上げた。その指をつっと辿ると、ティーカップを持っていたのは屋敷の執事だ。

 マーガレットは慌てて一歩後ろに下がると、腰を折って挨拶をする。


「レン様。おはようございます」

「おはようございます」


 挨拶に返事はしてくれるものの、声は昨日と同じ不機嫌さを隠しもしない低音だ。ちらりと見上げれば、初夏の日差しの下で見るには似つかわしくない眉間の皺も、くっきりと刻まれている。


「メグ、こんなところで何をしているのですか?」

「えーっと、それは……マキシミリアン様に朝の紅茶を」


 余りにも低い声で問いかけられて、答える言葉も覚束無い。特に悪いことはしていないはずなのに、レンの前では叱られた子どものようになってしまうのだ。

 昨日レンに告げられた精霊王の起床時間には、十分に余裕を持っている。朝食の準備は料理人のスヴェンと、アンナたち下働きのメイドの仕事だ。赤毛の少女とは別に、厨房内を忙しそうに立ち働く栗毛のメイドの名は、そう言えばまだ聞いていない。

 彼女たちは主人の部屋には入れないし、この屋敷に蒸留室メイドはいないらしいので、ならば茶の支度は自分の仕事だろうとマーガレットは考えたのだ。


「こちらの仕事は結構です。マキシミリアン様の寝室には、私以外は出入り出来ませんので」

「え、あ、そうなんですか。では、お着替えのお手伝いは?」

「それも私が」

「うーん……では朝食の給仕を?」

「それはあちらのリリーと、従者のクリストフが行います」


 リリーと指し示したのは、アンナとは別に厨房で仕事をしていたもうひとりのメイドだ。肩にかかるくらいの長さの髪を、耳の下でふたつに結わえている。目が合うと琥珀色の瞳を、笑みの形に細めて会釈をされたので、マーガレットも慌ててそれに返した。


 上級メイドの仕事は主に主人の世話だ。とりあえず朝の仕事で思いつく二つを挙げてはみるが、どちらも執事は首を振る動作と共に否定するので、マーガレットはすっかり困ってしまった。


 主人と使用人の関係とは言え、マキシミリアンとマーガレットは年頃の男女であり、寝室に入られたくなかったり、着替えを手伝われたくなかったり、ということはあるだろう。結婚適齢期の少女としてその感覚自体はわからないことはない。

 勿論、マーガレット自身、身の回りの世話はシルフィアをはじめとして、基本的に女性だけに任せている。だが旅先や、侍女の急病などで、男性に着替えを任せたことも一度や二度ではなかった。何しろ女性用のドレスは、ひとりでは着ることも脱ぐことも出来ないのだ。

 けれど、元々メイドとして働いたことも、働く予定もなかったマーガレットには、それ以外の仕事が思いつかなかった。おとがいに人差し指を当てて、うーんと首を捻ってみても、どうにも妙案は出てこない。


「では、新聞にアイロンでも?」

「何十年前の習慣ですか。それに、もしその習慣が続いていたとしても、それは執事の仕事です」


 苦し紛れに、ふと思い出した仕事を上げてみれば、執事からは真冬の空気にも似た冷たいまなざしと共に、あっさりと否定されるばかりだ。

 勿論、マーガレットもそれが王城ですら見られなくなってしまった古い習慣なことは知っている。手紙と同じように魔法使いが魔法で届けるようになったためだ。水にさらされ、風で運ばれた新聞を触っても、インクで汚れる心配がないのだ。

 しかし、そう言われては、マーガレットにはやるべき仕事が見当たらない。

 下級メイドたちに混じって、玄関先の掃き掃除や窓磨きをやれと言われたら応じるつもりはあった。城のメイドたちに泣かれてしまったが、階段の手すりを磨くのは意外と楽しかったし、箒を操るのもコツを掴めば苦ではない。

 けれども、声に出して聞くまでもなく、それが正解とは外れていることはわかっていたので、皇女は大人しく傍らの青年に答えを促した。


「では、私は一体何を?」

「貴方にはこの山の、『蒼き山脈の住人』たちの世話をしていただきます。

 勿論、人間の客人があるときは、そう言った主人付きのメイドの仕事もしていただきますが、基本的には貴方の仕事はこちらが主だと考えていただいて構いません」

「蒼き山脈の住人、ですか?」


 せっかく言い渡された仕事だが、何を言われているのかマーガレットには見当がつかなかった。そもそも世話をしろと言われた『蒼き山脈の住人』とやらが、誰のことを言っているのかわからない。

 少なくとも、この屋敷にはマキシミリアンの他に世話をするべき貴人がいないことは、昨日のレン自身の案内で知っている。言葉の説明を求めて執事を見返すと、感情の見えない紺色の瞳がゆらりと揺らめいた気がした。


「ええ。つまり、この地に住まう精霊たちの世話をしていただきます。

 彼らはプライドが高く、気まぐれで、魔力を持たない人間からの施しは受けません」

「せ、精霊の世話ですか……?」


 まさか人ではないものの世話をしろと言われるとは想像もしておらず、またしてもマーガレットは相手の言葉を鸚鵡返しにした。驚きすぎて、何も言うべき言葉が思い当たらないのだ。

 皇女にとって精霊とは世話をする相手ではない。彼らは人間の良き友であり、正しい手段で相応な対価を払って求めれば助けてくれる頼れる存在でもある。彼らは人と対等な関係を望み、ただ施されることを良しとするとは思えなかった。


「貴方が何を想像しているかはわかりますが、この地に住まう精霊は全て精霊王の配下なのです。貴方が知る人の世の近くで住む精霊とは、全く違う存在だと思いなさい。

 主君が臣下の面倒を見るのは当たり前のことでしょう」


 きっぱりと言い切るレンの姿は、何処か誇らしげにも思える。マーガレットとは違い、『蒼き山脈の住人』を心から認めているのだろう。そう思うと皇女の胸の奥が、つきりと痛んだ。


「この地で精霊王の力を分け与えられ、そしていざというときは王の剣とも盾ともなる。

 それが『蒼き山脈の住人』なのです」


 執事に促され厨房から続く裏口に周る。

 かちゃりと軽い音を立てて開いた扉の前で、マーガレットはちいさく息を飲んだ。


 朝日の降り注ぐそこは、大きな庭園になっていた。

 夏を前に盛りとなった花々は、色とりどりの面を誇らしげに咲かせ、葉は深い緑も鮮やかだ。一面に敷かれた芝は雑草のひとつもない。屋敷の壁沿いには花壇があり、そこでは昨日アンナに出されたものだろう、様々なハーブが育てられていた。

 庭園の片隅には白い蔦の細工が施されたガラスで出来た東屋があり、バラのアーチも鮮やかな散歩道が設えられている。その東屋の中は、サンルーム代わりに使われているのか、同じく蔦の模様が入ったテーブルセットが据えられていた。

 そして何より、その庭園の中にはたくさんの精霊たちが、思い思いの格好で寛いでいるのだ。

 まるで童話の世界に入り込んでしまったようだ。


「ちゃんと見えているようですね」


 マーガレットが感動で目を輝かせていると、レンは納得したようにひとつ頷いた。こんなにも美しく輝かしい景色の中でも、彼は奇妙に黒く、ひどく浮いて見えた。


「精霊たちは基本的に食事はしません。

 この庭園の中の植物から、精霊王の力を貰いにやってきます。だから貴方は、ここの世話をしてください。

 それと特に弱っている者、力が足りない者には、貴方の魔力を分け与えてやってください」

「えぇ!? 魔力をですか!」

「そうです。魔法を使うときはいつもやっているでしょう。

 あれと同じことをすれば良いのです」


 少女が頓狂な声を出したのが気に障ったのか、執事の眉がぴくりと動く。けれど彼はそれについて言及することもなく、当然のことだという調子で言葉を続けた。


「それが、あの……レン様。私、魔法を使えなくなってしまったんです」


 しかしマーガレットはレンの言葉を遮って、昨日相談しようと思っていたことを、思いつめた表情で告げた。しかし皇女にとっての一大事はレンにとっては大した関心事ではなかったらしく、表情のひとつも変えないまま、さもありなんと頷くだけだ。


「魔法が使えないのは、貴方がこの土地の精霊たちに認められていないからです。

 蒼い山脈に住まう精霊は、精霊王のみに付き従う存在。

 ちっぽけな人間には、おいそれと力を貸しません。

 ですが力を分け与えるだけなら、まぁ問題はないでしょう」

「ではレン様は人間ではないのですか?」


 放っておけば、ではお願いしますと今にも踵を返して屋敷に戻りそうな青年の背中に、マーガレットは慌てて追いすがった。先程はアンナに魔法など日常的に使うものではないと言ったが、それでもいつまでも使えないのは困る。

 何よりそんなことが宰相の耳にでも入ったら、城に戻れと矢のような催促がやってくるだろう。

 この屋敷に住む人間の内で魔法が使えるものがどれだけいるかはわからないが、少なくともひとりは魔法具であるランプを使える魔法使いのはずだ。それが誰かと言われれば、レンの他にはいないように思われた。


「おいそれとと言ったでしょう。

 人間であっても、精霊王と同じく信頼に足る存在だと認めさせれば、精霊たちも喜んで手を貸してくれますよ」


 振り返った青年は、気休めにもならない台詞を皇女に寄越す。マーガレットの焦りに気づいていないのか、気づかないふりをしているのかはわからないが、どちらにせよ余り性格の良い答えではない。

 昨日は初対面だから余所余所しく見えるだけかと思ったが、どうやらそういったナイーブさは彼には備わっていないようだ。レンが自分を本気で疎んでいるらしいと、今更ながら気づかされマーガレットは戸惑った。

 屋敷の使用人の人事は、基本的に執事か上級メイドが担当する。しかし、ここには自分以外の上級メイドはいないようだから、レンが皇女を迎え入れるのを承知していなかったとは思えない。幾ら皇帝からの紹介だと言っても、本当に気に入らなければ精霊王の名前さえあれば断ることも出来たはずだ。


「まぁ気長に世話を続けていれば、精霊たちの中には心を開く者もいるでしょう。

 何日かかるか……いいえ、何ヶ月かかるかも、私にはわかりかねますが」


 だから何故と、マーガレットが困惑から伸ばしかけた手を、するりとくぐり抜けると、ふんと執事は高い鼻先で笑った。昨日から今に至るまで、まだ丸一日も立っていないのに、彼のこの冷笑を何度聞いたか、マーガレットはもう覚えていない。

 戸惑いは自然と嘲笑された羞恥に代わり、みるみると頬に血が集まっていくのを感じた。


「そんないい加減なこと……っ!」

「貴方の人徳の見せ所ですよ。

 精々頑張りなさい」


 けれどレンの方では少女の感情を受け止める義理は無論なく、鼻を括ったような言葉を付け加えると、先程くぐったばかりの裏口を開く。打ち震える皇女の背中に、「昼食が終われば精霊の様子をマキシミリアン様に報告するように」と投げかけると、執事はぱたんと扉を閉じた。

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