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精霊王のお気に召すまま  作者: Sugar
精霊王の屋敷
3/8

精霊王の屋敷2

「メグ・フローリアスと申します」


 年代を経た木材だけが持つ艶々とした光沢の扉が、少しのきしみもなく開かれる。

 その先には黒のジャケットを身に付けた青年が立っていた。体にぴたりとあった衣服から察するに痩身だが、頼りない印象はない。それは彼のすっきりと伸びた背筋や、睥睨するようにも感じられる眼差しのせいだろうと思われた。

 一筋の乱れもなく、きれいに撫で付けられた黒髪。型遅れだが仕立ての良い服装は清潔に整えられており、青年が館の主人に近しい人間であることが伺える。瞳こそ怜悧だが口元に浮かべられた微笑は完璧な形を保っており、立ち姿も貴族の子弟にも劣らない優雅そのもの。

 城の舞踏会にでも放り込めば、その整えられた相貌と立ち居振る舞いで、令嬢から引っ張りだこだろう。

 マーガレットより頭一つ分は背の高い彼は、切れ長の目を更に細めると、ふんと鼻を鳴らした。


「金褐色の巻き毛。ぶどう色の瞳。薄緑色の髪をした妖精をひとり連れている。

 なるほど、間違いがないようです」


 上から下までじろじろと眺め回す視線には遠慮はなく、マーガレットは自分が値踏みされているような気がした。

 屋敷の傍に広がる湖よりも更に蒼い、殆ど黒に近い双眸は冴えて、冷たい印象だ。

 次期皇帝として生まれ育った皇女には覚えのない視線だが、そこに浮かんでいる色の名前には検討がついた。少なくとも彼は自分を歓迎してはいないらしい。

 だが、ここで怯むわけにはいかない。そう思うとマーガレットは、負けじと背筋を伸ばした。


「皇室よりご紹介いただき、本日よりこちらで勤めさせていただきます。

 よろしくお願いします」


 背後で閉じた扉に青年が鍵を掛けたのを確かめると、努めて優雅を気にしながら礼を取る。

 何事も最初の印象が肝心だ。顔を上げたマーガレットは瞳に力を込めると、にっこりと目の前の青年に笑いかけた。


「私はこの屋敷で執事を務めております、レン・バウフィールドです。

 使用人の数が少ないので侍従長も兼ねております。

 屋敷の中で分からないことがあれば、私に訊ねてください」


 けれど、レンはそれにちいさなまばたきをひとつ返すと、くるりと踵を返す。どうやらただのメイドに愛想を振りまくつもりはないらしい。

 見目が良い分、冷たい対応をされると余計に腹立たしい。マーガレットはすたすたと屋敷の奥に向かって歩き始めた彼の第一印象に、しっかりとマイナス評価をつけることにした。


 玄関ホールには見たこともない模様の入った絨毯が、突っ切るように敷かれている。落ち着いた緑を基調としたそれは、生成り色をした床に完璧に調和していた。

 二階分の高さがある玄関ホールは、同じ高さで取られている窓のおかげで暗くはなく、壁際に飾られた花々の匂いも芳しい。天井を見上げると、今は灯りの点いていないシャンデリアが、きらきらと陽光に輝いているのが見えた。

 気難しく偏屈で人嫌い。そんなマキシミリアンの噂ばかりを聞いていたから、どれほど陰気な屋敷だろうと身構えていたマーガレットには気が抜けるほど整えられている。

 寧ろ古めかしい調度品は控えめながらも趣味の良さを感じさせるものばかりで、瀟洒とも言えるほどだ。


「何をしているんです。早く来なさい」


 思わずしげしげとホールを見回していたマーガレットに、冷たい叱責の声が飛ぶ。見ればレンは、既に上階へと続く正面階段に足をかけていた。

 一目見たときから察せられていたが、彼は恐ろしく脚が長い。それが早足で歩くものだから、例え屋敷の観察をしていなくとも置いていかれるのは仕方がない。

 しかし自身に何故か悪印象を持っているらしいレンは、そんなことを慮るつもりはないらしい。少し立ち止まってくれたのも束の間、マーガレットが追いつくのを待たずに、執事は階段を登り始めた。


「まずはあなたの部屋に案内します」


 小走りでなんとか追いついた青年に告げられた言葉に、マーガレットは首を傾げた。

 この後は当然、屋敷の主人である精霊王と対面だろうと勢い込んでいた出鼻を挫く発言だ。


「え、マキシミリアン様へのご挨拶は良いんですか?」


 思わず訊ねると、レンはもう一度不愉快そうに鼻を鳴らした。どうやらこれが自分に対する発言の予備動作になりそうで、少女は心の中で更に青年への印象を下方修正する。執事はちらりとも振り返ることなく、規則正しいリズムで階段を登りながら告げた。


「自分の服装を知っていて、その発言をしているのならば大した度胸です。

 幸い、あなたの部屋にはよく見える姿見があります。

 それを見て同じことを言うようであれば、お引き取り願うことになりますね。

 身なりも整えられないようなメイドを雇う余裕は、当屋敷にはございませんから」


 そう言われてはっとする。崖を這うように歩き通してきた自分の服装は、鏡で見るまでもなくドロドロでよれよれだ。手も土で汚れているし、髪もほつれている。とてもではないが主人に見せられるものではないし、婚約者の第一印象としては間違いなく最悪の部類だろう。


「それでもマキシミリアン様に、先にお会いになられますか?」

「いいえ。お部屋に案内してください……」


 思わず縮こまったマーガレットに応ずるように、お腹がきゅうと切ない音を鳴らす。淑女にあるまじき音に頬を赤らめながら益々ちいさくなる少女に、執事は呆れた声音で付け加えた。


「それと、食事も必要なようですね」



 通された部屋はここまで見てきた屋敷の印象に違わず、手入れの行き届いた清潔なものだった。

 使用人部屋の中には、ベッドだけの屋根裏部屋のようなところもあると聞いて覚悟していたが、部屋には鏡台やチェストなども備えられている。家具はどっしりとした重厚なもので、簡素ではあるが物は悪くない。

 しかも一人部屋だ。この日のために、王城の集団部屋にも泊めてもらったマーガレットは拍子抜けしたように、ぽすんとベッドに腰を下ろした。

 山の頂上に近い屋敷の、更に塔に続く三階部分に設えられた部屋の窓からは城下町が見える。昼過ぎまで歩き通してきたはずなのに、それは驚くほど近く、確かに「女の足でも二時間」と言われれば納得できた。


「メグ様、大丈夫ですか?

 全くあのレンとか言う男は失礼でしたね。

 あんな無礼なふるまい、許しておけません!」


 マーガレットがぼんやりと部屋を見渡していると、レンの扱いにショックを受けたと思ったのか、シルフィアが怒り出した。背中の翅が淡い燐光を放っているのは、彼女が相当頭に来ている証拠だった。放っておくと閉じた扉に殴りかからん勢いだ。

 勿論シルフィアの言うとおり、皇女として下にも置かない扱いを受けてきた少女にとって、レンの言動はかなりショックなものだった。言葉遣いこそ丁寧だったが彼の不機嫌はあからさまで、しかも思い当たる原因もないから尚更だ。

 確かに服装こそ汚れきってはいたが、腹も空かせていたが……それが原因なのだろうか。「三十分後に玄関ホールにお出でなさい」と告げた執事の冷たい口調が耳に返ると、それ以外には考えられないように思われて、マーガレットは慌てて立ち上がった。


「メグ様……?」

「大丈夫よ、シルフィア。

 もしかしたら私が余りにも汚れていたから驚いただけかもしれないし、早く着替えてしまいたいわ」

「そうですね。お嬢様の整えられたお姿の美しさで、あの男の度肝を抜いてやりましょう!」


 怒りながらも忠実な妖精は、マーガレットを「メグ」と呼ぶのを忘れない。ここでのマーガレットは皇女ではなく、下級貴族の娘「メグ・フローリアス」だ。相手は政治にも発言権のある精霊王、更に皇室からの紹介ということもあり、地方の余り有名ではない貴族から名前を借りた。フローリアスというのが、その貴族の家名だった。

 下級貴族の中には、上級貴族の家へ娘を使用人として出す家も多い。使用人といっても本当に下働きをするのではなく、行儀見習いを兼ねてのもので、良い縁談の口でも見つかれば儲けものというものである。そういった娘たちは自分の世話役を連れているものもおり、シルフィアを伴いたいというマーガレットの願いも、あっさりと聞き届けられたのだった。


 もっともその願いが聞き届けられなかった場合、例え皇帝陛下が許可を与えたところで、第一皇位継承者を外に住まわせることを城の人間が許すわけはない。近衛兵の部隊を警護に連れていけ、それが無理ならば山の中に交代で潜ませるとまで言われたのだ。

 そんなことをすればマキシミリアンを信用していないことになると、なんとか説得出来たのも一週間ほど前のことだ。

 それにマーガレットは自分の腕に自信があった。幼い頃から己の身を守る程度の訓練は受けているし、剣も使える。純血の皇族であるため魔力も強い。近衛兵の一部隊を相手にとっても、負けはしないつもりだ。

 ここでメイドとして勤め上げられれば、その自信の裏付けにもなるはずだ。彼女には、密かにそんな算段もあった。


「ふぅん、これが制服ね」


 なんとしてもここでの生活を上手く立ち行かせなくては、そう思うとタンスの扉を開く手にも力が入る。

 冬用のコートを五着もかければいっぱいになってしまいそうなその中には、深い紺色と、緑の花柄のワンピースが吊るされていた。着替え用なのだろう同じ型が三着ずつある。

 緑の方は袖の膨らみが小さく、胸元とスカートの裾に花柄のプリントが施されている。紺色の方は幅の広いショールカラーと、袖口に真っ白のレースがあしらわれたもので、少しだけ袖の膨らみが大きい。

 どちらも質素なデザインではあったが、レンが着ていたもの同様、仕立てはよく、さらりとした生地の感触は初夏の気候に気持ちの良いものだった。

 午後の時間に合わせて紺色のワンピースに袖を通すと、サイズも誂えたようにぴったりで、嬉しくなったマーガレットは「よく見える姿見」で早速自分の姿を写してみた。


「これはひどいわね」


 検めてみると、自分でも笑いがこみ上げてくるほど全身が薄汚れていた。頬や鼻の頭は黒ずんでいるし、汗をかいたせいだろう髪は所々もつれている。マーガレットも、こんな姿の少女をメイドと紹介されても困っただろう。こればかりは主人の元に行かせなかったレンに感謝しなくてはならなかった。

 慌てて執事に教えられた水場で顔と手を洗うと、待っていましたとばかりにシルフィアが髪に櫛をあて、あっと言う間に複雑な形に編み上げてくれる。このちいさな妖精は細かな作業が得意で、特に髪をいじるのが大の得意なのだ。

 綺麗なシニヨンに整えられた上にキャップを被り、ぱりっと糊の効いたエプロンドレスを身につければ、今度こそ姿見の中には立派なメイドが映し出されていた。

 ふわふわと波打っていた髪の毛は後れ毛ひとつなくまとめられ、泥に汚れていた頬は健康的なりんご色につやめいている。ぶどう色の瞳にも光が取り戻されたようで、それを縁取る金色のまつ毛も先程より元気そうだ。


「どうかしら、シルフィア?

 これで何処に出しても恥ずかしくないメイドでしょ」

「お綺麗です、お嬢様」


 自分が編み上げた髪の出来を確かめるようにマーガレットの頭の周りをぐるりと回ると、シルフィアもはしゃいだような声でメイド姿に太鼓判を押してくれる。初めて着る服は、それが例え使用人の服装であったとしても、少女としては心が弾むもので鏡の中の少女もにっこりと笑ったのだった。

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