第二章 次へ
ミルファク星系、ナオミ・キャンベル星系代表は、リシテア星系からの要求を逆手に取り、自星系に優位に事を進めようとしていた。
その中でヘンダーソン中将率いる第一七艦隊は、未知の生命体との友好関係を結ぶべくADSM72星系へと出発する。
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(1)
多元スペクトルスコープ・ビジョンに映る色とりどりの星々が映し出されている。
司令官席の左後ろのオブザーバ席に座るナオミ・キャンベル、ミルファク星系評議会代表は、映し出される映像に引き込まれていた。
「もう、何年になるのだろう。航宙戦艦に乗らなくなってから」
自分の過去を思い出しながら静かに流れる時に身をゆだねていた。
第一九艦隊旗艦ヘルメルトに乗艦しているキャンベルは、リシテア星系に向いながら、ここまでの道のりを思い出していた。
一ヶ月前のWGC3046/09。
シェルスターの政治中枢区にある星系評議会ビルの一室。
ナオミ・キャンベルは、ラオ・イエン、ダン・セイレン他星系評議会全員とジェームズ・ウッドランド大将、チャールズ・ヘンダーソン中将、キム・ドンファン中将ら、ミルファク星系の政治・軍事の主だった面々を集めていた。
「皆さんもご存知の通りリシテア星系から突きつけられた不当な要求に私は断固とした態度で臨むつもりです」
一呼吸置いて列席者全員の顔を見ると
「リシテアに直接私が交渉代表として乗り込みます」
全員の顔がキャンベル代表に釘付けになった。
「但し、頭を下げるつもりはありません。リシテアに頭を下げさせます。今回、彼らが取った行動が過ちだった事を認めさせるのです」
列席している全員が、何を言っているのか分からないという顔でキャンベルの顔を見ると
「既に星系交渉部を通じてリシテアに資源供給しているアルファット星系とビルワーク星系に技術供与を条件にリシテアへの資源供給停止を提案しています。程なく了承の返事が来るでしょう」
少し間を置いて、全員の顔を再度見ると
「リシテアの要求を取り下げさせるには尋常な方法ではうまく行きません。経済的ストレスだけではだめです。私は、リシテアに行くに当たって一個艦隊を持って臨むつもりです」
代表の言葉に全員が息を呑んだ。
「戦争をするつもりですか。代表は」
突然セイレンが声を発した。
「そんなつもりはありません。戦争は両星系にとって何のメリットもありません」
「しかし、一個艦隊を持って訪問するというのは、そうと受け取られても仕方ないのではないですか」
「だからこそアルファット星系とビルワーク星系からの資源供給を止めさせるのです。餓える兵が勝ったためしがないのは、神々の時代からの真実です」
自分では想像もつかない考えに、セイレンは唖然とした顔でキャンベルを見ていた。
「アルファット星系とビルワーク星系は、自分たちの資源をどうするつもりですか。リシテアに供給しなければ、彼ら自身が困ってしまいます。代表の要求を呑むとはとても思えません」
セイレンは、キャンベルの見えない意図に疑問を呈した。
「我星系が両星系の資源を全て引き受けます。我星系は、ミールワッツ攻略で無視できない被害を受けました。それを修復するには相応の資源が必要です。しかし今、資源の安定的供給経路であったADSM24は、未知の生命体の脅威に民間開発企業が、自分たちの安全を確保できないならば安定的な資源確保が出来ないといってきています。故にアルファット星系とビルワーク星系は良い代替供給源となるでしょう。もちろんADSM24からの供給を安定させる為の手も打ちます」
一度言葉を切るとセイレン、イエン、ヘンダーソンの順に顔を見た。
“代表は我々を未知の生命体の対抗にさせるつもりか”そんな思いが頭をよぎったが、
「第一七艦隊には、再度“未知の生命体”との接触をして頂きます。そして彼らの高度な技術を手に入れると共に友好関係を結ぶよう努力してもらいます。第一九艦隊は、私と一緒リシテアに言って頂きます」
全員の顔を見ながら有無を言わせない雰囲気がキャンベルにはあった。
現状の窮地に何ら案を出せないでいる評議委員の目の前で、自分の意見を言い、既に根回しまで済んでいる代表の行動力に少し呆れながらイエンとセイレンの顔を見たヘンダーソンは、その視線をウッドランド大将に向けると、まるで予定通りだという顔を見せていた。
“軍事統括は、代表の動きを知っていたのか。それとも既に二人は予定の行動だったのか”心の疑問を抱えながらヘンダーソンは会議室を後にした。
評議会ビルの一階で待っていたシノダ中将付武官がエレベータから降りてきたヘンダーソンの姿を見つけると
「ご苦労様です。中将」
シノダは、いつも会議が終わると、待っていたシノダを思いやるように瞳の奥に漂う深い優しさを湛えている中将が、今日はいつもとは違った視線を自分に投げかけているように感じた。
「中尉、直ぐにアルテミス9に戻る。連絡艇の手配を急いでくれ」
今までに聞いた事のないはっきりした口調で言うと中将の視線の先にセキュリティと取巻きに囲まれながら歩いていく人の姿が有った。
シェルスターからアルテミス9に戻る連絡艇は、一度シェルスターやアルテミス9の衛星周回軌道上より少し高い位置(首都星メンケントより少し離れた)まで遷移すると半時計方向にミルファク恒星を回る首都星メンケントと逆方向(時計方向)に推進エンジンを吹かせながら進む。
そして三分の一程進むと姿勢を反対にして推進エンジンをアルテミス9の方向に向けると推進エンジンを吹かせながら同期を取るように速度を落とす。そうする事によって首都星に引き付けられるように衛星軌道上に降りていく。
壁にややスモークのように映し出されるミルファク星系の惑星や軍事衛星、商用衛星の姿を見ながら“キャンベル代表の考えには一理あるが、もし失敗したら、アルファット星系とビルワーク星系が裏切らないという保障はどこにもない。
ご自信の乗る艦が万一のことがあったら、我艦隊が未知の生命体との接触に失敗したら・・・リスクがありすぎる。いつもの代表とは違う。どうしたんだ”
自身の疑問に答え切れないヘンダーソンは、物理的には遥かかなたにある第六惑星アルキメディアの本来肉眼では見えない姿を見ていた。
「キャンベル代表、列席者がみんな目を丸くして代表の顔を見ていましたね。すばらしい演説でした」
手をもみながら相好を崩し、媚を売っているのが丸見えのラオ・イエンの顔を疎ましく思いながらキャンベルは、
「イエン議員、今回の発案は十分に価値のある提案でした。これからも真摯にこの星系の為、尽力を尽くしてください」
まるで下等生物でも見る目でイエンの顔を見るとキャンベルは、迎えの自走エアカーに乗り込んだ。
“ふん、今のうちだ。そういう目で俺を見ていられるのは。いずれ俺の前にひれ伏す時が来る。その時をゆっくり待っていてやる”そう思いながら、それをおくびにも出さずにキャンベルのエアカーの後を追って見ていた。
第一九艦隊がミルファク星系首都星メンケントを出発する一ヶ月前。病気を理由に代表の座を降りたラオ・イエンは苦りきった顔で自宅に篭っていた。
イエンは焦っていた。自身の立場を強固なものにしようとする為、セイレンを巻き込んで第二次ミールワッツ攻略を仕掛けたが失敗し、第一〇艦隊こそ壊滅を逃れたものの第七艦隊、第九艦隊が壊滅的な打撃を受けた上、第九艦隊司令官アンディ・バルモアは重症、第七艦隊司令官モンティ・ゴンザレスも負傷という散々たる結果だった。
第一〇艦隊司令官カルビン・コーレッジからの報告で、相手を甘く見て、戦術的にも上のリギル星系軍と回転型メガ粒子砲というとんでもない武器まで装備したアンドリュー星系軍に叩かれ、撤退時も僚艦を守る為に取った行動が被害を大きくしたことがわかった。
アンドリュー星系軍の航宙戦艦の情報を得られなかった情報部の怠慢を言うにも既に権限を失っていたイエンはどうしようもなかった。
さらにセイレンからも見放されバックボーンを失った。病気を理由に代表の座を退いたまでは良かったが、権力と力を失った政治家の末路は哀れだ。
「何か、口にされたらいかがですか。お酒ばかりでは、体に良くありません」
唯一の味方である妻の言葉に仕方なく、グリーンアスパラに生ハムを巻いた料理をフォークで突き刺し、口に運ぶとまたバーボンを飲んだ。
「何か、何か手があるはずだ」
同じ事ばかり口走る夫に不安の思いを持ちながらテーブルの向かいに座る妻が、少し寂しげな目を向けると
「大丈夫だ。必ず何か手があるはずだ」
キャンベルから代表の座を奪い取り、我世の春を謳歌したのは、たった六ヶ月。今は見る影もない。
「人間には、“分”というものがあります。代表になる前、あなたは大変ながらも自分自身があったではないですか。今は下を向いて嘆いているだけです。昔の様に少し目を回りに向けたらいかがですか。直ぐにではないにせよ、何か遠くから見えてくるものがあるかもしれませんよ」
気休めでも良いから少しでも夫の気持ちを和らげようとした妻の言葉を聞き流していたが、
「遠いとこから見えてくるもの。今そう言ったのか」
「えっ、ええ」
何か目の前に見えたのか、先ほどまで何も口にしなかった夫が、バーボンのグラスをテーブルの右横に置くとフォークとナイフを持った。食べながら
「さすがだな」
妻の顔を見て笑う夫に訳が分からないが、とりあえず口に食べ物を運び始めた夫を見て、目元を緩ませた。
イエンは翌日、キャンベル代表に連絡を取った。
「キャンベル代表、お会いして話したいことがあるのですが」
イエンからの連絡に“何故、まだこんな輩と話をしなければならないのだ”と思いながら評議委員を辞職まではしていない以上、断ることも出来ないキャンベルは、スクリーンパネルの応答ボタンにタッチすると、不必要に顎の下に肉のついたイエンが現れた。
「何の用です。イエン議員は健康が思わしくないという事で、ご自宅で療養していると聞いていました。もう少し休まれたほうが良いのではないですか」
顔を見るのもおぞましいと露骨な表情で答えたキャンベルは、
「代表、リシテアを屈服させる事が出来る良い考えがあります。お会いして説明をさせて頂きたいのですが」
イエンの言葉に理解できない表情を見せたキャンベルは
「どういうことです。このテレコンタクトではだめなのですか」
露骨に嫌な表情を見せるキャンベルに愛想を振りながら
「代表、最近我星系の情報漏洩は深刻な問題となっております。この前もリシテアとの関係がアンドリューに漏れたという連絡が情報部から入っております。ここは直接お会いして説明したほうが良いかと愚考した次第です」
露骨な言い回しに空気がよどむのを感じを受けながらイエンの言っている事実も無視できないキャンベルは、
「解りました。明日、評議会ビルのオフィスにアポイントを入れてください。あなたの時間に合わせるほど、暇ではないので」
そう言いながら一方的にスクリーンパネルをオフにしたキャンベルは、セキュリティの解除を自身がしないまでも入ってくる人の姿を見ていた。
「キャンベル代表、後一時間でリシテア星系方面跳躍点です」
第一九艦隊司令官キム・ドンファン中将の声に右舷二次方向にある跳躍点を見た。揺らぎと暗闇がなんとも言えない状況を映し出している。
「あの中に入るのか」
キャンベルは、航宙戦艦に乗ったといってもミルファク星系を出たことはない。軍人としてではなく、評議会議員として乗艦していただけだ。
右舷後方にミルファク星系第六惑星アルキメディアがミルファク恒星から受ける光に小さな光点を映し出していた。既にミルファク星系惑星軌道上範囲からは、一光時離れている。
「艦長、跳躍点まで後五分です」
航路管制官の声にドンファン中将は、コムを口元にすると
「第一九艦隊全艦に告ぐ。こちら司令官キム・ドンファン中将だ。これからリシテア星系方面跳躍点に入る。リシテア星系は、我ミルファク星系と友好関係にある星系だが、今回の訪問は少し趣が異なる。リシテアの理不尽な要求を突っぱねる為に訪問する。当然向こうも、両手を広げて迎えてくれるとは思えない。全艦、第二級戦闘隊形を取ったまま突入する。跳躍点から出たら直ぐにレーダーをアクティブモードで走査。戦闘管制システムをオンにしておけ。以上だ」
コムを口元から話すとドンファンは旗艦ヘルメルト艦長バーレン・クレメント大佐の顔を見た。
クレメントは司令官の頷きを見るとコムに向って
「航路管制官、航路確認」
「レーダー管制官、全レーダーシステムアクティブモード」
「攻撃管制官、攻撃管制システム、オールオン」
「全将兵は、跳躍点突入の衝撃に備え、シートをホールドモードにしろ」
「第二級戦闘隊形の位置に着け」
四分後、標準航宙隊形から第二級戦闘隊形になった時、航路管制官から
「跳躍点に入ります」
暗闇に揺らぐ跳躍点に総艦艇七一二隻が瞬時に消えた。
「跳躍点に突入しました」
「航路安定」
「磁場安定」
「航法確認。問題ありません」
レーダーも何も利かない跳躍中は、テキストレベルの通信しか出来ない。
既にスコープビジョンは、灰色の映像を映し出すだけだ。時に細長い光が前から後ろへと流れるだけだ。
ドンファンは、少しだけ体に重さを感じながら“いつもの感じだ。磁場の状態は安定しているようだな”と思い、声を掛けようと左後ろを振向くと
オブザーバシートで青い顔をして目が”とろん”としているキャンベルの姿が目に入った。
「代表。大丈夫ですか」
周りに気がつかないように指令官席を離れオブザーバ席に側に行くと小さな声で呼びかけた。
こちらの様子に気がついたのか主席参謀フォワン・ユイ大佐とクレメント艦長がこちらを見ている。
ドンファンは、主席参謀に目配せすると、ユイは、スクリーンパネルに何か打ち込んだ。
三分も経たずに医務室長が
「主席参謀、いかがしましたか」
助手の医務員を連れてドアを開けた。
何も言わずに目だけで指図されると医務室長は、オブザーバシートをリクライニングモードにした。
手首にリストを巻くとリストについているクリップをノートパッドに差し込んだ。映し出された何種類かのグラフを見ると
「大丈夫です。血圧、血中内酸素量、心拍共に正常です。久しぶりの航宙と始めての跳躍で緊張していたのでしょう。少しお休みになれば元通りになります。医務室に連れて行きます」
助手の医務員に目で合図をすると医務員は、携帯用のバッグを床に置きスイッチを入れた。いきなり膨らんだかと思うとほんの少し床から離れた。携帯用の移動ベッドだ。
ゆっくりとシートホールドを緩め、キャンベル代表の体を移動ベッドに移すと司令官フロアを出て行った。
ドンファンは、主席参謀と艦長を見て目元を緩ますと“仕方ない”という顔をした。
ミルファク星系とリシテア星系との距離は六〇〇光年。約六日間の跳躍だ。通常の軍事であれば、ごく普通の跳躍航宙であるが、民間人それも普段デスクワークの多い人にはきつかったのかも知れない。
(2)
第一九艦隊が、リシテア星系に向って跳躍している頃、首都星メンケントの衛星軌道上、軍事衛星アルテミス9から見てシェルスターの更に向こうに浮んでいるミルファク星系軍研究開発衛星の中にある研究施設では、第一七艦隊がADSM98星系から持ち帰った“手土産:破壊された艦の一部”の解析が行われていた。
「どうだ、分析の進捗状況は」
「艦の破壊は間違いなく我星系が開発中のDMG<デコンプマリキュラーグリッド:分子分解網>と同じものと思われるものによって破壊されたと想定されます」
「DMGと同じものと思われるもの」
回りくどい言い方に聞き返したヘンダーソンは、本件の分析主任である大尉の顔を見た。
「現在開発中のDMGとは少し異なっています。専門的な表現は差し控えさして頂きます」
少しだけ間をおくと
「我星系の技術より高度であるということです。我々の技術でここまで綺麗に物質を消滅させることはできません。切れ味のいいナイフと切れ味の悪いナイフの違いです。プロとアマの差です」
解ったような、解らないような気分になったヘンダーソンは中将付武官シノダ中尉の顔を見ると少し呆れた顔をした。
「研究主任、その技術は今の研究に利用できそうなのか」
「まだ解りません。但し、中将の持ち帰られたこの艦の他の部分は結構利用できます」
そう言って研究主任は説明を始めた。
それから一週間後、既に第一九艦隊がリシテア星系の外縁部に近づいた頃、第一七艦隊は軍事衛星アルテミス9の宙港で出航の準備に忙しかった。
「主席参謀、例のものの準備はどうだ」
「はっ、特設艦四〇隻に積み込んでいます」
「四〇隻。少ないな」
「開発が間に合わず、用意できたのが特設艦四〇隻分です」
「そうか。仕方ないな。ミルファク星系を出る前、星系外縁部付近でテストをしよう。機密保持は徹底してくれ。なぜか最近、レベルAの機密まで漏れているようだ」
「中将、その件について少しお話があるのですが」
主席参謀の言葉にヘンダーソンの奥に深みを湛えた目が、鋭く光った。
「今回の航宙の目的は、表向きあくまで訓練航宙だ。最近情報統制が緩んでいる。艦隊全体に本当の目的を説明するのは、ミルファク星系を離れる時にしよう」
「はっ」
そう言ってアッテンボローは、ヘンダーソンに敬礼をした。
ミルファク星系は、近隣星系から比べると経済力、軍事力共に大規模の星系と言っていい。航宙軍の戦力は、全二〇艦隊だ。
しかし、これらが全て戦闘や航路開発に使用されるわけではない。半分の艦隊は、輸送艦の護衛や開発した星系の防衛そしてミルファク星系宙域の治安維持に使われる。
ミルファク星系は、軍事力を強化することによって、資源開拓とその航路の安全確保を行ってきた。資源豊富な星系が見つかってもその星系の開拓の安全と資源輸送の安全を確保しなければ意味がない。故にそれを行う為、軍事力が必要になったのだ。
ADSM98星系の鉱床は発見されたものの、“未知の生命体”との遭遇という“おまけ”が付き、その方面の航路の安全が揺らいだ。
特にADSM98につながるADSM72はおろか、比較的安全と思われていたADSM24の資源開拓を行っている民間企業から“安全確保”のためのADSM98星系跳躍点方面の監視強化を星系評議会に要請してきた。
星系評議会は、ADSM24の資源供給は規定路線となっている為、その要求に応じざるを得なかった。
その為、また“未知の生命体”を発見した第一七艦隊は、その矛先を向けられ(大した勘違いだが)。
本来、ADSM98の航路確保と重要な資源の発見と言う功績で十分な休養と整備のための時間をもらえる筈だった第一七艦隊は、リシテア星系の問題が持ち上がった事もあり通常三週間の休養と二ヶ月の整備が二週間の休養と二ヶ月の整備となった。
整備期間も一ヶ月という議員もいたが、キャンベル代表が発言者に
「整備期間の短縮による副次的な故障と事故の誘因リスクに責任が取れるか」
という問いに答えられず整備だけは通常の期間となった。
「ユーイチ、また航宙ね」
「ああ、仕方ない。それが我々の役割だ」
「もう少し、ユーイチと二人だけで居たかったな」
ソファに座りユーイチの側に寄り添いながらワイングラスを手に持つマイ・カワイ(旧姓オカダ)は、残念そうに目を下に向けた。
「今回のミッションは訓練航宙と言う事になっているけど、少し変だと思わない」
既に軍歴も五年が過ぎ、有る程度、航宙軍の年間のスケジュールも頭に入って来ているマイは、“不思議だよね”という顔でユーイチの顔の側に自分の顔を持っていった。
可愛い瞳に映る自分の顔を見ながらユーイチは、ほんの少しだけ唇を合わせると両手をマイの背中に回し軽く抱きしめた。
夢のような結婚披露パーティをシェルスターのホテルホワイトフィッシュで行ってからまだ、五日しかたっていない。
ユール准将からは、二人に対して結婚特別休暇を取るように勧められたが、無人戦闘機アトラスのジュンとサリーの事も気になっていたカワイは、マイに状況を話し今回のミッションが終了してから取得すると准将に言った。
“ユール准将は、仕方ない”という顔で納得すると今回のミッションの説明をした。
カワイは少し躊躇したが、今回のミッションの為に無人戦闘機アトラスがあるのだと考えると自分なりにミッションの意味を消化させた。
立場柄妻とはいえ、同じ艦隊に所属するマイに言うわけには行かなかった。
二日後、二人はアルテミス9の宙港センターの第一層、アガメムノン級航宙戦艦とは反対側にあるアルテミス級航宙母艦の宙港にいた。
アルテミス級航宙母艦は、その巨体を宙港に並べていた。全幅一五〇メートルの航宙母艦三二隻が並んでいる風景は、まさに壮観だ。
第一七艦隊A3Gに属するラインは、A1Gの一番艦を基点に半時計方向一七番目のドックに係留されている。
ユーイチ・カワイ大佐とマイ・オカダ中尉(新姓カワイだが、混乱を避ける為旧姓を使用している)は自走エアカーでラインの後部側ゲートのエアカーの発着所に着くとそれぞれの荷物を持ってエアカーを降りた。
ここまで来ると夫婦ではなく大佐と中尉である。二人はエアカーの走路を覆うようにある歩道橋を歩くと最頂点で止まってラインの後部を見た。三分の一は、ドック両脇にある通路の下側にあるため、アトラスの発着艦口は見えない。
カワイは妻であるオカダ中尉に
「さっ、マイ行こうか」
と言って舞の顔を見た。ユーイチの顔を見ながら頷くと二人は真直ぐラインの方に向って歩き出した。
周りはラインに乗艦するクルーたちでいっぱいである。名目上”訓練”となっている為、クルーたちを見送る家族で通路の周りは人の群れでいっぱいである。実際八〇〇人近いクルーが乗艦するのだから、その倍以上の家族が送りに着ている計算だ。
二人は、強化セラミックの柵の側に居る人々を見ながら、柵の中に入った。柵を通り過ぎ三〇メートルほど歩くとラインの両側の自走路に別れた。
オカダ中尉は、右側の道路に、そしてカワイ大佐は、一五〇メートル離れた左から乗る道路に歩いた。
カワイは、オカダ中尉が自走路に乗りながらラインの影に隠れるのを見届けると自分も自走路に乗った。
二〇〇メートル乗ったところでエスカレータに乗ると一五メートルほど昇ったところで降り、ラインの側面にある入り口を通り、左に折れると一番奥から二番目にある右側のドアが自分も部屋だ。IDカードを左の壁にあるパネルにかざすとドアが右にスライドした。
手に持ったバッグをドレスボックスを開けて中に入れると部屋を見回した。ベッドのシーツは新しく、小さいがシャワールームの綺麗だ。デスクも綺麗になっている。二ヶ月前まで自分がここに居たとは解らないくらい綺麗になっている。
大佐クラスになると小さいながらも一人に一つ整った部屋を与えられるが、尉官クラスになると二人で一部屋、下士官以下になると四人から八人部屋になる。デスクなどあるはずもない。
“ふっ”とマイのことを思い出す“マイは確か旗艦アルテミッツのミサイル管制官ミネギシ少尉の友人と一緒のはず。名前は確か・・・”必要のない心配をしていることに気がついて苦笑いすると壁に着いている時計を見た。
“七時四〇分”。”八時〇〇分“からパイロットブリーフィングルームで今回の航宙について少尉以上の士官に航宙プランを話さなければならない。”八時三〇分“には発進だ。
カワイは少し伸びをして軽くストレッチをするとパイロットブリーフィングルームに行った。
カワイがブリーフィングルームに到着するとまだ一〇分前だというのに既に全員が席についていた。
カワイは、今ラインに搭載されている九六機のアトラスを含むA3G(第一七艦隊は全七一二隻を四つの分艦隊に分けている。旗艦アルテミッツが指揮するA1G、分艦隊旗艦プロメテウスが指揮するA2G、分艦隊旗艦シューベルトが指揮するA3Gそして分艦隊旗艦アドラステアが指揮するA4Gに分かれている)に所属する八隻の航宙母艦のうちの半分四隻分のアトラス三八四機を指揮する宙戦隊長である。更に無人機アトラス戦隊四八機の隊長でもある。
三八四機は、三機を一小隊とし、二四機で中隊、そして四八機で大隊としている。そしてこの四八機を一編隊として2編隊が一つの航宙母艦に搭載されている。
その航宙母艦四隻分がカワイ大佐の配下にある。ユール准将は、一分艦隊八隻の航宙母艦が彼の指揮下にある。今回のブリーフィングでは、ラインと他の航宙母艦からのテレコネクトで中隊長以上が参加している。
カワイが現れると先任のマイケル・ヤング少佐が
「起立、敬礼」
と掛け声を上げた。
カワイは、答礼をして全員の顔を見回すと手を下ろした。「着席」の元に全員が椅子に腰を下ろすと静かになるのを待って
「全員、聞いてくれ。今回の航宙はミルファク星系外縁部における新型機材の試験とADSM72星系における無人機アトラス編隊の訓練、そしてADSM72星系の監視だ。第一七艦隊は通常航路にてADSM72星系跳躍点方面に向った後、惑星軌道を越えた宙域にて一度試験を行う。その時、A3Gの航宙機隊は、周辺宙域の警戒に当たる。その後、ADSM72星系に跳躍後、無人機アトラス編隊と有人機アトラス編隊の合同演習を行う予定だ。その後、ADSM72星系宙域の哨戒を行った後に帰還する。約2ヶ月の行程だ」
一通り話すと全員の顔を一度見た。そして一呼吸置いて
「質問は」
と言うと少しの時間を置いて
「例の敵が現れた場合、戦闘になるのですか」
テレコネクトで参加している大尉の質問に
「今回は、極力戦闘は避けるようにとの命令だ。未知の生命体とは友好的な対応をすることが目的の一つだ」
一瞬、ブリーフィングルームがざわついた。
「友好的な対応とはどういう意味だ。いきなり攻撃を仕掛けてきたのは連中の方だ。そんな事出来るのか」
誰からともなしに聞こえてきた言葉に
「その辺の対応については、民間の専門家が同行する。彼らに頼むしかない」
少し呆れた顔になったというか、しらけた雰囲気になったが、カワイはそれを見越した様に
「これ以上質問はあるか」
と言って全員の顔をもう一度見ると
「では、解散」
と言った。ヤング少佐が
「起立」
と言うと全員が立ち上がって敬礼をしたのを見計らって答礼してブリーフィングルームを出た。
一度自室に戻った後、パイロット待機室に行くと第一七艦隊がアルテミス9より出航すると連絡が入った。
WGC3046、10/30 AM8:30
出航シーケンスを完了したラインは、ゆっくりと第一七番ドックを外側に向って進み始めた。宇宙側のゲートが開かれ、アルテミス9側のゲートが既に閉じられた状態だ。
やがてドックを離れると宙港センターの指定航路に従って第一七艦隊が集結する宙域に向った。カワイは、パイロット待機室の壁に擬似的に映し出されるアルテミス9の映像を見ながら少しだけマイのことを思い出していた。
(3)
第一七艦隊旗艦アルテミッツを中心とした七一二隻と特設艦四〇隻は、アルテミス9を離れ、首都星メンケントの軌道から離れるとミルファク恒星を右舷に見て惑星軌道を上方にする方向に遷移して行った。
ADSM72星系方面跳躍点まで星系外縁部から二光時、メンケントからは六光時の位置にある。同じ方向の惑星軌道の上方にはADSM24星系方面跳躍点がある。もちろんアルテミッツからは見えない。
右舷上方にミルファク星系と惑星が映し出されている。マルチスペクトル・スコープビジョン(通称スコープビジョン)に映し出される宇宙空間はまさにパノラマを見ているようだ。
スコープビジョンの中央やや左舷に映る星雲や星々は、人間の目では到底見えない。アガメムノン級改航宙戦艦の高精度な光学レーダーと一四光時という走査範囲を誇るレーダーがなければ映し出すことの出来ない映像だ。
ヘンダーソンは見慣れているとはいえ、スコープビジョンに映る映像に感心していた。
“艦隊は標準航宙隊形を取り、惑星軌道を下方向に離れてから〇.五光速で進んでいる。ADSM72星系跳躍点方面まであと五光時。人間の感覚では信じられない速度だが、宇宙空間においては何とゆっくりなことか。・・・惑星軌道最外縁部まで航宙したところで全員に今回の航宙の目的を言わなければならな”
ヘンダーソンは、映像を見ながらそんな事を考えていると急に自分を呼ぶ声がしてそちらを向いた。
「ヘンダーソン総司令官」
アッテンボロー主席参謀が、含みのある目で見つめていた。ヘンダーソンも“何だ”と
いう目で答えると主席参謀が近づいてきて
「重力カーテンをお願いします」
と言った。
今回は士官として乗艦しているシノダ中尉に目配りすると、ヘンダーソンは自分のスクリーンパネルをタッチした。
重力カーテン・・音は空気の伝播によって伝わるが、その伝播を目には見えない部分的な空気の厚み(シールド)で遮断する方法だ。伝播物質が重いほど音は伝わらない。
スクリーンパネルのタッチしたところがブルーからグリーンに変わるとアッテンボローは、
「総司令官、今回の航宙目的に関わる事ですが」
それだけ言ってヘンダーソンを見ると目の奥に湛える深みのある光が見返した。
「まだ検討不足のところがあったか。出航前に十分に検討したはずだが」
「はっ、ADSM72星系における我艦体の行動についてですが」
一呼吸おくと
「未知の生命体とのコンタクト方法ですが、再考したほうが良いかと考えます」
「それについては既に十分に検討したではないか。主席参謀も賛成しただろう」
「接触する事には賛成ですが、その方法には疑問を持ちます」
何を言いたいのか分からない主席参謀の言葉に疑問の目を投げかけると
「未知の生命体が現れた時、特設艦だけを前面に出すというのはあまりにも危険ではないですか。彼らとは既に一度交戦しています。もし何もしないうちに攻撃を仕掛けてきたら対応のしようがありません」
「しかし、アルテミス9での検討の時、一度交戦した相手だからこそ無防備な姿を見せることで相手に交渉の余地があることを示さなければいけない。艦隊を率いて真っ向から向ったらそれこそ前と同じ状態になるという意見が大勢を占めた」
「しかし、・・」
「大丈夫だ。その為に例のものを特設艦に持ってきてある」
「しかし、たった四〇隻では」
「今回開発されたDMGは自己修復可能型だ。おいそれとはやられないだろう」
そう言うとヘンダーソンは“もう良いだろう”という顔をした。納得できない顔で自席に戻るアッテンボローの後姿を見ながら
“私も今回の案には賛成できない。しかし決定された以上最善を尽くすしかないだろう”そう頭の中に浮かべると右上後方になったミルファク恒星の姿を見た。
今回はオブザーバーでは無く、中将付武官として乗艦しているルイ・シノダ中尉はヘンダーソン中将が休憩に入ると自分も席を立った。
指令フロアのドアを開け左に折れると三〇メートルほど先にあるエレベータパネルに行き自分のIDを壁のパネルに掲げた。
今回も居住区はオブザーバールームを使用している。乗艦前に尉官クラスの居住区を申請したが、中将付武官という仕事柄、常にヘンダーソンの側に居る必要がある以上、航宙母艦としては最上階にあるオブザーバールームになった訳だ。
この階は、ヘンダーソン中将とシノダ中尉、そしてラウル・ハウゼー艦長だけだ。ハウゼー艦長は、大佐だが、役目柄指令フロアに近いところ(艦長席は指令フロアの一段下がったところだが、出入りは指令フロアのドアになっている)に居なければならず、ほかの大佐とは違う艦長室を与えられている。
シノダはエレベータの中に入り、一度上級士官食堂のある三階下に一度下りると右に折れて一〇メートルほど行くと更にエレベータに乗って二階下まで降りた。この階にはリラクゼーションルームがある。
エレベータを降り、左に曲がり突当りを左に少し行くと、ここが航宙母艦の中かと思うようなところがある。
入り口に三段ほどの階段があるが、下りる前にシノダは、リラクゼーションルームの中を見た。右手奥の方にこちらを向いてソファに座っている女性と視線が合った。ほんの少し目元を緩ませ微笑む女性に、シノダは自然と出る笑顔を見せると階段を下りて歩き始めた。
ショートカットで大きな目に黒い瞳が輝いている。“すっ”と通った鼻筋に唇の自然色に近いリップクリームを付けた唇が緩み笑顔が少しずつ大きく広がった。
「ルイ」
一言だけ呼ぶと立ち上がってシノダを見た。
「マリコ」
そう呼ぶと二人ともゆっくりとソファに座った。周りには誰も居ない。
「マリコ待った」
「ううん、今来たばかり」
「そうか」
あいも変わらない女性に対する抗体が、そうしているのか言葉少なに答えると、ワタナベ少尉の顔を見た。
「ルイ、何か飲む」
と聞いたワタナベに
「マリコは」
と答えると
「私が先に聞いたのだからルイが先に答えて」
そう言ってシノダの瞳を覗き込むとその瞳が突然右と左に動いたと思った瞬間、シノダの唇にワタナベの唇が触れた。
一瞬だけ戸惑ったが、シノダは体をそのままにしているとほんの三秒だけ触れていた唇が離れた。甘い香に頭の中が“ふわっ”としていると
「ルイ、何にする」
「えっ、ああ、じゃあミルクティ」
そう言って立とうとするとワタナベが、
「私が取ってくる」
少しだけ離れた場所にあるカウンター(と言っても人は居ないが)に飲み物を取りに行った。
女性にしては、ほんの少し大きいワタナベ少尉の後姿を見ながら“もう半年か”と思った。“ここで初めて会った時から”
「ルイ、はいミルクティ」
と言ってカップをシノダに渡すと自分もソファに座り、少しだけ熱いミルクティに口をつけた。
カップに口を付けながら目で“ふっ”と笑うワタナベをとても愛おしく見えたシノダは、ますます無口になり、ただワタナベの瞳を見つめるばかりだ。
やがて、二人で飲み終えると人気もあまりないリラクゼーションルームの中でほんの少しワタナベがシノダに寄り添い、シノダの肩に頭を傾けると自分の手のひらをシノダの手に乗せた。
何もない時間だけが過ぎていく空間の中でシノダは、宇宙空間に漂う感じを味わっていた。
何も聞こえない静かな時間の中で二人と二人を座らせているソファだけが、宇宙空間に浮いている。漂ってくる甘い香に体を任せながらいると“ふい”に
「ルイ」
という声に意識が少しだけ戻り目を左に傾けるとワタナベが静かに瞳を閉じていた。壁に映る少しスモークの掛かった映像が、ミルファク星系とは反対の外宇宙の姿を映し出していた。
“ふっ”と我に返り左手首にしている航宙軍支給の腕時計を見ると司令官フロアの自席を立ってからもう一時間半が過ぎていた。
「マイ、そろそろ時間だよ」
優しく声を掛けるとワタナベはその大きな瞳を開けてシノダの腕時計を見た。
「えーっ」
と言うと
「私、寝てしまっていたの。ルイともう少しこうしていたかったのに」
そう言って体を寄せてくるワタナベをそっと両腕で小鳥を優しく包むようにすると、シノダは唇を合わせた。少しの時間そうした後、ワタナベから唇を話すと
「もう少しこのままで」
と言って自分の右の頬をシノダの左の頬に触れさせるとほんの少しだけ自分の体をシノダに傾けた。
シノダは、自分の体に当たるワタナベのやわらかい胸に一瞬“はっ”としたが、自分の体に寄りかかるワタナベの心地よい重さに自分の心を浸らせた。
少しの時間そうしていた二人は、どちらからともなく体を離すと顔を近づけた。
甘い香に体を任せていると、自分の手に触れたシノダの腕時計をワタナベは自分の目の前に持ってきて
「わっ、もうこんな時間。ルイ、二時間過ぎている」
「えーっ」
まずいと思い仕方なく二人で体を離すと急いで入り口に向った。するとワタナベが
「ちょっと待って」
と言ってポーチの中からスプレーを出すといきなりシノダに向ってかけた。
“何だ”と思って驚くシノダに
「ルイ、私のにおいが付いているとアッテンボロー大佐にからかわれるでしょう」
そう言って微笑むとまた“シュー“とシノダにかけた。
急いで指令フロアに戻ると既にヘンダーソン中将は、自席にいてスクリーンパネルを見ていた。中将の側に行き
「遅れて申し訳ありませんでした。中将」
と深々と頭を下げると、スクリーンパネルから目をシノダに移し、シノダの顔をいぶかしげな表情で見たが、直ぐにいつもの顔に戻り、瞳の奥に湛える深い光でシノダを見ると“ふっ”と目元を緩ませ
「自席に戻りなさい」
と言った。
自席に戻る為、体を右に向ける一瞬、管制フロアに目を向けるとワタナベ少尉は、既に席に座ってレーダー管制の任務についていた。
自席に戻り、体をスコープビジョンに向けるとアッテンボロー主席参謀とヘンダーソン中将そしてハウゼー艦長が目を合わせて微笑んでいた。
“おかしい。今回はマリコのスプレーのおかげで匂いは消えているはずだ。別のことだろう”そう思っていたシノダだが、自分の右頬に光るワタナベのファンデーションには気付くはずもなかった。
シノダとワタナベが甘い時間を過ごしてから二日後、第一七艦隊はミルファク星系外縁部へ達していた。
「敵艦発砲しました」
「対艦防御。応戦しろ」
「撃て。なぜ撃たない」
・・・
「艦長。早く退避を」
その声に振向いた瞬間、スコープビジョンに敵艦からのエネルギーが迫っていた。
「うわーっ」
敵からの陽電子エネルギーが自分の体に迫る瞬間、ヘンダーソンは、いきなり、今自分がいた戦闘艦を見るように艦の上の方から自分の戦闘艦を見ていた。
「大尉、ヘンダーソン大尉」
“何だ”とても深い海の底にいるような感覚で遠い水面がかなたに見えながら底にいる自分を感じ浮き上がり始める体を感じたとたん、“ふっ”と我に返った。
ベッドの上の自分の体が汗でびしょ濡れになっていた。
顔をハンドタオルで拭くと“夢か”。ブルマク戦役の時、圧倒的な敵艦に囲まれ、戦況の不利を悟ったミルファク星系航宙軍は、停戦を要請しながら攻撃をされた。
あの時、ヘンダーソンは、重巡航艦艦長として任務に当っていた。
ミルファクがまだ、小星系だった頃、輸送艦の護衛をしていた。宙賊の対応に腐心していた頃に星系レベルの布陣を組んだ敵艦に遭遇し、輸送艦を拿捕された挙句、護衛艦を一方的に叩かれたミルファク星系護衛軍は、輸送艦の譲渡を条件に乗組員の保全を要求したが、圧倒的な敵艦隊に条件も無く、一方的に叩かれた。
ヘンダーソンは、艦中央に大穴を開けられながら、何とかミルファク星系軍の防衛ラインまで戻れたが、ほとんどの僚艦は、敵艦の攻撃を受け壊滅した。
あの時を思い出しながらヘンダーソンはベッドの中で考えていた。
“死ねと言うのか。私は。何も知らない民間人に。有効だと。それは政治家の自分の保身の言葉に過ぎない。私は・・ミルファクの政治家の保身に私は手を貸そうとしているのか”
ヘンダーソンは、ミルファク星系の星系全体を右上に見ながら、これから言わなければならない言葉に心を詰まらせていた。
一時間後、ヘンダーソンは、シャワーを浴び、汗を流すと少し椅子に座って心を落ち着け、司令フロアに戻った。既にミルファク星系外縁部に到達している。
ADSM72星系方面跳躍点まであと二光時。既に艦隊と跳躍点の間には何もない。第一七艦隊が、ミルファク星系を右上後方に見ながら進宙している。前方のスクリーンビジョンには、外宇宙の映像が映し出されていた。
「総司令官。時間です」
ヘンダーソンは艦長の言葉にコムを口元に置くとハウゼー艦長に顎を引いて視線をハウゼー艦長と合わせると口を開いた。
「第17艦隊全艦に告ぐ。こちら総司令官ヘンダーソン中将だ。諸君はアルテミス9を出航前、各上官から“今回の航宙は訓練が目的だ”と聞いていると思う。それは正しいが、今回の航宙の目的はもう一つあることを話さなければならない」
一呼吸置いた。管制フロアは静まり返っている。
「それは、ADSM72星系の於いて”アンノーン”と呼ばれている未知の生命体と接触を持ち彼らと友好関係を結ぶ事である」
管制フロアがざわついている。
「うそだろう」
「あんな好戦的な種族と友好関係なんか結べるのか」
「だいたい、なんで友好関係を結ばなければいけないんだ」
ヘンダーソンは管制フロアが静まるのを待った。たぶん他の艦でも同じだろう。
「もちろん、既に一度戦っている相手だ。最初からうまく行くとは思っていない。しかし彼らの持っている技術力、ADSM98星系における豊富な資源を考えれば、彼らと友好的関係を結ぶ事は、我ミルファク星系にとって大変有意義なことであり利点も多い。今回の航宙が成功すれば、諸君たちだけでなく、諸君たちの子供たちもその子供たちまでにも大きな利益をもたらす事が出来ると信じている」
間をおくと
「ミルファク星系は強いフロンティア・スピリットとたゆまぬ努力によって反映してきた。今回の航宙を成功させる事で諸君たちはその栄誉に預かれる事が出来る事を約束する。今回の航宙が成功するか否かはひとえに諸君たち全員の力を必要とする。諸君たちの将来とミルファク星系の将来の発展の為に力を貸してほしい」
言葉を切ると少し時間をおいた。
管制フロアの方から始め小さく聞こえなかった拍手が、徐々に大きくなってきた。最後には、割れんばかりの拍手と共にミルファク星系歌が歌われている。
ハウゼー艦長もアッテンボロー主席参謀も副参謀も満面の笑みを浮かべて拍手している。
ヘンダーソンは、艦隊の反応に満足した。他の間でも同様の風景が繰り広げられている事を期待して拍手が鳴り止むのを待った。
そして最後に
「諸君の奮闘に期待する。以上だ」
と言ってコムを口元から離した。
ヘンダーソンの言葉に司令フロアの面々もエネルギーがみなぎった顔をしている。
二時間後、ADSM72星系方面跳躍点まで後一光時の位置に達すると第一七艦隊は進宙の足を止めた。
「アッテンボロー主席参謀、準備は良いか」
「はっ、整っています」
「では、始めてくれ」
「特設艦前へ」
アッテンボロー主席参謀はコムを口元にして言うと前方に布陣している航宙駆逐艦の後ろにあらかじめ位置していた特設艦四〇隻が左右上下に大きく広がるように移動し、艦隊から外れた位置まで来ると前進した。
五万キロ程前進すると四〇隻全艦が更に左右上下に大きく広がった。まるで格子状のような布陣である。幅二〇万キロ、縦五万キロまで広がると一隻一隻はスコープビジョンを通して見ても豆粒ほどになる。
少し間を置くと各特設艦が一瞬光ったと思うと艦同士の間に光の帯が広がった。管制フロアの担当官は、全員が固唾を飲んで見守っている。
そして何も無かったように・・少なくとも人間の目にはそう見える・・また、艦同士の間は静かになった。
アッテンボロー主席参謀が右後ろの司令席に座るヘンダーソン中将に
「総司令官、展開は成功したようです。次の手順に映ります」
ヘンダーソンは顎を引いて“分かった”という仕草を見せるとアッテンボローは前を向き直してスクリーンパネルにタッチした。
スコープビジョンに目を投げると前方に布陣している航宙駆逐艦の半数九六隻から一隻当り六本、五七六本のミサイルが発射された。五七六本の筋が縦横に少し展開しながら進んでいく。
やがて、特設艦のいる辺りに到達したかと思った瞬間、それまで真直ぐに進んでいたミサイルが音も発てずに一斉に消えた。
「おうっ」
管制フロアから驚きの声が上がっている。
「第二射発射」
アッテンボローは、今度は声を出しながらスクリーンパネルにタッチした。
今度は先に発射した航宙駆逐艦とは別の艦から同数のミサイルが発射された。先程と同様に五七六本の筋が縦横に広がり長い航跡を残しながら進んでいく。
そしてこれも特設艦付近まで達した途端、音も無く消えた。
「やった。成功だ」
思わず声を上げたアッテンボローは、ヘンダーソン総司令官の方を向いて
「おめでとうございます。やりました。DMG成功です。総司令官」
満面の笑みを湛えて言うアッテンボローに、ヘンダーソンは満面の笑みで答えた。ハウゼー艦長も満面の笑みをこぼしていた。
二時間後、標準戦闘隊形に戻し、特設艦を後ろに下がらせた第一七艦隊はADSM72星系方面跳躍点を目指し、再び進宙を始めた。
第一七艦隊は、ADSM72星系に行く途中、ミルファク星系外縁部でDMGのテストを行い、成功を納める。そしていよいよ再度、ADSM72星系へと進宙し始めました。
そして、シノダとワタナベの間もうまく続いているようです。
さて次回、「第三章 新たな遭遇」をお楽しみに。