人と妖と心と闇
A.T.G.C 第十一回
ジャンル:歴史。 字数は5,000文字以内。その他の縛りは特になし。毎回ですが、独自に5,000文字ちょうど、とする様にしました。
投稿、自分で設定した締切りから大幅に遅れてしまいました。申し訳ありません。
一応、名前は出してませんが、見る人が見れば丸分かりな感じな描写としています。物語の主軸には、安倍晴明は直接絡みませんが、源博雅を絡ませてみました。
それは、まだ闇がもっと身近にあったとき。
そして、その闇が、もっとずっと深かったとき。
闇の中には、何がいたのだろう。 そして、人は、その闇の中に何を見たのだろう。
鬼。 怪異。 妖異。
訳が分からなく、恐ろしく、災いを呼ぶ。 けど、哀しいもの。
獣から、人から、時には思わぬものから、様々なものが変じ、生まれるものたち。
そんなものたちが、人と一緒に暮らしていたときだった。
私が平安の京に行ったのは、気紛れからだった。
帝と、その周辺を囲むやんごとなき貴族たちを中心とした町。
その平安の京は、建設した人の恐れを手に取るように感じることができるほどに、病的なまでに、霊的な防御を固めた町だった。
東の八坂神社に青龍。
南の城南宮に朱雀。
西の松尾大社に白虎。
北の上加茂神社には玄武。
四神獣がそれぞれの方角に配され、鬼門である艮、北東の方角は比叡山の延暦寺、さらに裏鬼門の南西には石清水八幡宮が配された。そうして、怪異や妖異に対する防御のハードウェアが作られていた。そして、ソフトウェアとしては、闇を扱う技術、様々な法術。
そんなソフトウェア、技術を学び、闇のものとのやり取りを行い、時には戦う者たち、陰陽師がいた。
確かに、京の町は、ハードウェアとしては妖異の出入りが難しいものだった。
だが、人の出入りは活発であり、それで妖異が侵入できない、ということは、やはりありえなかった。そして、行ってみて実感したけど、やはり人が多い、ということは諍いも多い、ということだった。
加えて言うなら、時代の権力の中心地に近い者たちの繰り広げる闘争は、闇にうごめく陰謀を、諍いや恨みを、そして妖を生み出していた。
だから、考えてみれば当たり前だったのかもしれない。出入りがなくとも、中にいる人たちから生まれる妖異だけでも、この町の妖異はかなりの数に上っていたのだろう。
そう。外からの妖異を遮断しても無駄だった。
こうなると、構造的に妖異の出入りが難しい町、というのは、逆に危険だった。いつの間にか、町のあちこちに妖異がひしめいていただろう。
それでも、防御システムを壊す訳には行かなかったのだろう。危険は承知の上で、その微妙なバランスを、ソフトウェアを駆使して維持していくしかなかった。
だからこそ、陰陽師の役割は重要だった。
そう。陰陽師こそ平安京の守りの要だった。
星から微かな光が、そして、新月からは闇が降り注ぐ、霜月の夜。
その時私は、闇をぼんやりと漂っていた。
その晩の闇は黒くなかった。
一面に積もった雪が。ひらり、ひらり、と舞いながらゆっくりと降りてくる雪が。
まるで何かの命を秘めているかの様に、ぼんやりと白い闇を放っていた。
その白い闇の中、黒い僧衣をまとった人物が歩いていた。身の丈からは、女性に見えた。近付いて見れば、それが確かに女性で、年の頃は二十歳を過ぎたばかり、と見えただろう。
だが、その顔を覗き込めば、その瞳は静かで、どこまでも澄み、それでも底知れぬ黒さを湛えて、とても二十歳ばかりの娘の瞳とは信じがたいものだった。
表情はほとんど感じられなかったが、微かに感情が漏れ出ている部分もあった。
ほんの僅かだったが、何かの重圧から開放されたかの様に口元がほころんでいた。
だが、澄んだ瞳のその奥には、次の悲しみを怖れるかの様な黒い光が揺れていた。
その女は、廃墟とも思える、草が伸び放題の庭を持つ屋敷から歩み出たところだった。一度、立ち止まり、数瞬の間、何かを躊躇っていたが、とうとう振り返ることも無く、また歩き始め、今度こそ立ち止まることもなく、白い闇の中に消えていった。
その女が出てきた屋敷の中には、二人の男がいた。
一人は無骨で実直そうな顔付きの中、どこか愛敬を感じる男で、冬物の直衣を着て、指貫をはく、という一見して武士と分かるいでたちだった。
もう一人は、座っていてもわかるほどの長身で、どこか異国風の風貌をしていた。この男は、陰陽師の様で、何かの法術を使っているのかもしれないが、とにかく寒さを感じないのか、雪の舞い落ちる中、白い狩衣を無造作に身に付けるのみだった。
そんな二人は、部屋の戸を開け放ち、武士は胡坐をかき、陰陽師は立てひざで背を柱に預け、それぞれ、思い思いの格好で、酒を飲んでいた。
その直前に為したことを、一匹の鬼を消したことの感慨にふけっているのか、そんな鬼が生まれることを嘆いているのか、それとも、そんな鬼を生む、人を哀れんでいるのか……。
二人とも何も話さず、舞い落ちる雪を眺めながら、ただ酒を飲んでいた。
そんな様を、新月の闇が照らしていた。
その頃の私は、生まれたばかりの頃に持っていた凶暴な殺意や、人に対する恨み、というのは薄れていた。様々な怪異、妖異の生まれる様を見、そしてそれらが消え行く様を見てきた。そのせいか、そんな妖たちにも、その元となった人にも、憐れみを感じることがあった。
けど、その晩は、その時に見た、陰陽師と武士の鬼退治の一幕か、それとも、そうまでしても人の心にしがみ付く女の姿を見てか、とにかく私の箍が外れていたのかもしれない。
久しぶりに、私は歪んだ瘴気を垂れ流し、寄り付く怪異を、ひとしきりなぎ倒した。
まだ、人を許せる、とは思えなかった。
その時はまだ、時として人が何を求めるのか、分かってはいなかった。
そして、年が明けて間もない頃。 その女に出会った。
その女は、深夜の四条通の東端近く、鴨川の川原で俯いて震えている様に見えた。そんな時間に人が妖の巣窟となる様な橋の袂の川原で何をしているのか、そう思い近付いてみた。
だが、あろうことか、その女は、川で捕ったのであろうか、魚を手に持ち、生きたまま鱗の上から食らい付いていた。ばりばりと、鱗も骨も噛み砕き、そのまま飲み込む様は、完全に妖異のものであり、人ではありえないものだった。
人であれば、私の姿は見えなかったはずだが、その女は私に気付いた様だった。生まれて間もない妖異であれば理性など無く、身の程も弁えずに襲い掛かってくる。かつての私がそうであった様に。
だが、その女は私の姿を認めると、手にしていた魚を投げ捨て、いきなり土下座した。
そして発した言葉は、俄かには信じられない内容だった。
「私を食い殺してください」
確かにその女はそう言った。
それが、その女との初めての出会いだった。
その数日後、日中に、その女と出会ったが、最初は分からなかった。
透き通るように白く潤った肌、大きな黒い瞳、艶やかで豊かな黒髪。顔立ちも端整で、非の打ち所の無い、絵に描いたような美人だった。それでも、お嬢様、という身分とは違うらしく、着ているものは質素なものだった。だが、みすぼらしいものでもなく、どこかの奉公人の様な清潔感の漂う単衣だった。
違和感と言えることは、その顔には表情といえるものがなかったことだった。
その美人は、私の姿を認めると、滑るように近付いてきて、そっと囁いた。
「私を食い殺すこと、考えてくれましたか」
その突然の言葉に、その女を見返すと、大きな黒い瞳が、深い闇を湛えて私を見ていた。
「何を馬鹿な……」
何百年と生きてきた私も、驚いてしまうと、反応はその辺の人と大して変わらないもの。そんなことを後になって苦笑したが、人として、女としての順調な未来を感じさせるその容貌と、その口から零れた言葉のギャップにまともに反応できなかった。
「今夜、羅城門で……」
そう言い残すと、その女は、また滑るように歩み去って行った
何者なのか、とりあえず、その正体を、その片鱗だけでも掴もう、そう考え、その後を付いて行くと、大層立派な屋敷へと、裏口から入って行った。
武家の屋敷らしく、あまり装飾はされてなかったが、風情のある屋敷だった。
その夜、女を放置する訳にも行かず、指定通り、羅城門へと行った。
そこで、また請われた。私を食い殺してください、と。
「なぜだ」
「あなたなら、私を食い殺せる、そう思うからです」
「そうではない。 なぜ、死にたがる」
「理由をお伝えすれば、願いを叶えていただけますか」
そう言い、その女が語った内容は、私の想像と少し違うものだった。
まず、その女の容貌は二十歳前後と見えたが、実際は二百歳を超える、ということだった。
人魚の肉を食べてしまい、一時は拒絶反応で死ぬかと思ったが、それを乗り越えてしまうと、普通のことでは死ねなくなってしまった。単なる不老不死ではなく、強制的で異常なまでの回復力があり、生半なことでは死ぬ前に蘇生してしまう。そして、そんな時は、人としての理性はなくなっているので、その周囲にいる人、生き物、全てをなぎ倒し食い散らかしてしまう。
望んでそうなった訳ではないが、ただ生きるしかないのなら、それも運命。
そう諦め、ひっそりと暮らしてきた。
だが、ほんの一年ほど前、町でとある武士を見かけてびっくりした。
もう、忘れていたと思っていたが、初めて好きになった男にそっくりだった。もう、そんな気持ちが自分の中に再び芽生えるなんて考えたこともなかったが、たまらず、その男の後を追い、その男の屋敷に奉公することになった。
二百年生きるうちに身に付けたことが、奉公では役に立った。
その男の役に立てることが嬉しかった。けど、それより何より、その男の身近にいることができる、それが嬉しかった。
最初は、ただ嬉しかった。
その男に目に留めてもらうことも、その男を目で追うことも。
ただ、ただ嬉しかった。
だが、すぐに、自分は既に人ではない、そのことを思い知った。
去年の暮れ、雪の中、太刀を持ってでかける男の後を追った。
そこで、自分と同様の存在が、人の心を持ち続ける為にしていることを見た。それは希望なのかもしれなかったが、同時に深い絶望を感じた。
たかが三十年の間、人の心を持ち続ける為に、あの様なことを……。
しかも、あれは生半な力の陰陽師ではできない。
となれば、あの陰陽師に、そして、自分の想い人に自分に巣食う鬼の始末を依頼する、ということ。つまり、想い人に、自分の正体を、あさましい姿をさらす、ということ。
できる訳が無かった。
それだけは受け入れられなかった。
あの武士なら、自分を受け入れてくれるかもしれない。その度量はある。
けど、それでも、所詮、自分が人に戻れる訳ではない。
子を為すこともできず、あの人と一緒に老いることも、一緒に死ぬこともできない。
ただ、あの人に苦痛を背負わせるだけ。
それでも、三十年ほどあれば、あの人の傍で、そっと陰からあの人を見つめることだけならできるかもしれない。それだけでもいい。
そう思い、別の陰陽師を頼った。
だが、自分の自制が足りなかったのか、その陰陽師の力が弱かったのか。
人の意識が戻った時、陰陽師は自分に食い殺され、足元に倒れていた。
寄り添うこともできない。
忘れること、それができれば……。
だが、いつまた同じ想いを思い出すか分からない。
もう、これ以上は耐えられない。
ならば、自分が消えるしかない。
自分を消せる誰か、そんな誰かをずっと探していた。
あの陰陽師ならば……。
それは分かっていた。けど、あの人の友人。ばれるかもしれない。それは絶対に嫌だった。
そんな時、私を見つけた。
新月の夜に垣間見た、妖異の本性。箍の外れた私が持つ狂気の力。
その狂気に希望を見出した。
「私には、お前を救うことはできない」
「結構です」
「救われたい、そうは思わないのか」
「何が救いなのか、思いつきません」
「あるだろう。 何か夢が」
「いえ。 ……。 夢は、夢です。 叶うとすると、その後が余計に辛いですから」
「なぜだ」
「想った人の前で、その目の前で、少しずつ化け物の正体が明かされていく。 そんなことには、到底耐えられません」
結局、私は、その女を救うことはできなかった。
できたことは、その女の願いを聞き入れることだけだった。
それから時折、宮中から帝が秘蔵する琵琶を盗み出し、羅城門の上で爪弾いた。
あの女の願いを聞き入れた場所で。
人の心を持った妖異を食らった場所で。
ある晩、琵琶を弾き終えると、一人の武士が門の下から訊ねてきた。
「どうして、そんなにも美しく悲しい曲があるのですか」
あの男だからこそ、あの女の悲しさが伝わったのだろうか?
ならば、ほんの少しだけ報われる。 そう感じた。
時代は移ろい、夜の闇は次第に遠ざけられていった。
けど、無くなった訳ではない。 無くなる訳もなかった。
闇は、人の内にこそあるのだから。
うーん。なんだか、物語、というより、物語の説明みたいな感じになってしまって、ちょっとイマイチ感が漂ってしまいました……。