店舗外日誌 ピクニック三
むかしむかし、この地に竜達がやってきて里を作るよりもずっと昔。今よりも沢山の種族がこの大地に暮らしていた頃。
この滝は森の中の小さな野原と小川に過ぎなかった。そんなこの場所には一匹の獣が住んでいました。
獣は父親も母親も兄弟も同胞と呼べるような存在を知りませんでした。
気付いたら一人ぼっちで生きていました。
その獣は人よりも大きな体、鋭い牙と爪、泥のような色の毛皮を持ち茜色の瞳を持つとても恐ろしげな姿をしていました。
そのため獣を一目見た者は皆一様に怯え、逃げ出し酷い時には獣を殺そうと武器を向けてくるのでした。
獣はそのたびに自分は怖くない敵意はないのだと伝えたのですがその言葉を聞き届けてくれる人はいませんでした。
やがて獣は誰の目にも触れないように身を隠して暮らすようになりました。
森の奥深くで誰とも会えない生活を送る一方で獣はとても目がよく遠くを見る目を持っていたので時々他の種族の様子をこっそり見ていました。
そこには仲間達と集落を作り、苦しいことがあっても力をあわせて、家族と楽しそうに暮らしている姿がいくつもありました。
それは獣の知らないもの。
獣が持たないもの。
欲しくて欲しくてたまらないもの。
手に入れたら大切に大切にしていつでも笑ってもらえるように頑張るのに。
羨ましくて羨ましくて。
自分には決して手に入れられないことを知って絶望して。
やがて獣は外の世界を見ることを止めてしまいました。
それから長い長い月日が流れました。
獣はうとうとしたまどろみからの中で何かの泣き声を聞きました。
それは猫の子が餌を求めるようなそんな声。
それがどうしても頭に引っかかって獣は目をゆっくりと開けました。
久しぶりにみた世界は相変らず鬱葱とした森の光景。だけど遠くから力強い泣き声が静かなはずの森に響き渡っていました。
泣き声を辿って森を歩いた獣が見つけたのは汚れてはいるが綺麗な服を着た人間の女性の倒れている姿。どうやらここで力尽きてしまったらしく残念ながら女性からは生命の火が失われてしまっていました。
その女性が守るように腕に抱きしめているのは布に包まれた人間の赤ん坊です。
火がついたように泣いている赤ん坊は何かを求めるように小さな手を必死になって母親と思しき女性に伸ばしています。
獣は困ってしまいました。
こんな小さな生き物と出逢ったことがありません。
泣いている赤ん坊をどうすればいいのかわからずうろうろと周辺を歩き回ります。
そして意を決してその鼻先を赤ん坊に寄せます。
ふわりと柔らかな匂いが獣の鼻を擽ったと思った時、赤ん坊がぴたりと泣くのを止めて獣を真ん丸の可愛い目で見詰めました。
獣は怖がられた過去からびくりと緊張してしまいます。
だけど、赤ん坊は獣のお髭に小さな手を伸ばすとそのままきゃきゃと可愛らしい笑い声を上げました。
それから獣は最期まで赤ん坊を守り続けた女性を丁寧に弔いました。
最初は赤ん坊を人の里に戻そうと考えていましたが母親らしき女性が誰かから逃げていたように感じたので赤ん坊が自分の力で生きていけるまでは自分で育てようと決めました。
人の赤ん坊を育てるのは獣には大変でした。お腹が空いたと泣けばオロオロしつつ森に住んでいた野ヤギや鹿などの母親に乳を分けてもらったりオネショをして泣けば綺麗にしたり、夜中にぐずって泣けば面白い顔をどうにかして笑わせてみたりと試行錯誤の子育てでした。
獣が子育てを始めるとそれまで遠巻きに見ていた森の動物達が少しずつ近寄ってくるようになり赤ん坊の遊び相手になってくれるようになりやがて獣は森の一員として認められるようになりました。
そうして獣と森の動物達に育てられた赤ん坊は女の子になり少女にまで成長しました。
獣を父親と慕い、森の動物達と共に森中を駆け巡る少女との生活は獣が味わったことのない幸せな時間でした。
少女と動物達の憩いの場となるように獣は野原に滝を作り時間をかけてそこを意心地の良い場所へと変えていき、娘にプレゼントしました。
少女は野原に咲いた花で花飾りをつくり獣の大きな耳に飾ります。
そんな他愛のない日常はある日、突然断ち切られてしまったのです。
少女がとある国のお姫様であることがわかったのです。
王妃様とともに生まれたばかりの少女は悪者に攫われてしまい、そのまま行方がわからなくなっていたのです。
たまたま森の奥に迷い込んでしまった騎士が少女を見つけてしまったのです。
少女は王妃さまに瓜二つだったため騎士には少女が誰なのかわかってしまったのでした。
恐ろしい獣が王女さまを捕まえております。
そんな言葉に少女の父親である王さまは娘を取り戻す決意をしました。
沢山の兵士が森に進軍してきました。
森の動物達はみな怯え、逃げ惑います。
そんな動物たちを逃がしながら獣は考えます。
何が少女にとって幸せなのか。
そして少女も考えていました。
どうしたら獣たちを守れるのか。
王様の軍はついに獣と少女を見つけ出してしまいました。
少女は言います。
この人はずっと自分を育ててくれたとてもとても優しい人なのだと。
少女の心からの言葉に帰ってきたのは人間達の否定の言葉でした。
あんな恐ろしい獣が優しいだなんて有り得ない。
王女は騙されている。
獣を殺して王女さまを助け出せ!
少女の声は誰にも届かず兵士達の怒号に掻き消されてしまいました。
獣は何一つ抵抗せずにいくつもの弓矢をいくつもの刃をその身に受けました。
こんなに恐ろしい姿をした獣の自分と少女が一緒にいればいずれ彼女まで人々から疎まれてしまうでしょう。
ならばここで彼女を人間に返し自分は悪者として死にましょう。
お父さん!
少女がそう呼んでくれるだけで自分は幸せなのだから。
獣は人に討ち取られてしまい、少女はその亡骸の側で泣き続けました。
お父さんお父さんお父さん!
何日も何日もポロポロと泣き続ける少女に沢山の人が声をかけ慰めます。だけどそのどれも少女を泣き止ませることができません。
泣き続ける少女を哀れに思われた神さまが優しい獣の魂をそっと二人の想い出の滝に宿らせ、少女にその滝へと誘いました。
夕暮れの光を受けた滝は優しい茜色に染まっていきます。
それは優しい優しい獣の瞳そのものでもう泣かなくていいんだよとここに来ればいつだって会えるのだよと少女に語りかけてくれていたようでした。
それから少女は一生懸命生きて幸せになり、そして天寿を全うして一生を終えました。
それからその滝は昼は少女の瞳のような空をうつした蒼に染まり、夕方には獣の瞳のように優しい茜色に染まるようになったとのことです。
それ以来この滝は少女の名前をとってソーレルの滝と呼ばれるようになったのです。
長い長いお話が終ってほぅとわたくしは息を吐きました。
「こんな綺麗な場所にそんなお話があったんですね」
通訳をして下さったシルバーさんに喉が渇いたでしょうからお茶をご用意してお渡しします。
「まぁ、御伽噺のようなものです。あそこで喋っているものは逸話や伝承が好きなんです」
本の虫さん達は本全般が好きですがやはり個々に得意分野や特に好きな分野というのがあります。
因みにシルバーさんは言語学に関するものが特に興味深いとか。
わたくしたちの言語が喋れるのもその好みの一環なのですね。きっと。
「あ、でもあの子まだ喋っているみたいですけど」
視線の先には絶好調で語りを続ける本の虫さん。
捕まったノール爺さんがもはや屍みたいになっていますね。大丈夫でしょうか。
「ああ、あれはですね……どうやら自分の見解や推察、集めた資料の信憑性の有無などを延々と言っているようです」
どうやらあの子は研究肌みたいでとにかく興味のあることを喋り出したら止まらなくなるみたいでした。
「あ、そうだ!皆さんお腹が空いたでしょ?サンドウィッチ作ってきたので皆で食べましょう。
いそいそとシートを広げてバスケットを開けます。
きゅいきゅいと集まってきた本の虫さんたちがバスケットの中を覗き込んだり飲み物を出してくれたりしてくれています。
「ふぅ~~助かった~~」
よろよろしながらノール爺さんもシートに座ります。どうやらお話好きな子も食欲には勝てなかったようで嬉しそうにサンドウィッチを覗き込んでいました。
さて、本日の昼食であるサンドウィッチの具はゆで卵とマヨネーズを和えたものとトマト(に似たもの)とレタス(に似たもの)にハム。それらを耳を落とした食パンに挟みました。食パンはそのままと焼いたものの二種類。
サンドウィッチは本の虫さんやノール爺さんが食べやすいように通常の大きさのさらに半分に切ってあります。
あとは副菜としてポテトサラダ、デザートには沢山の果物を用意しました。
「ほぉ~~小娘が作ったにしちゃ旨そうじゃないか」
「きゅいきゅい~~」
「本当に美味しそうですね」
まぁ、味付けさえ間違えなければそう失敗するような料理ではありませんからね。
「さぁ、召し上がれ」
わたくしがそう言うのを待っていたかのようにわっと沢山の手がバスケットに伸ばされました。
「ふん。まぁまぁだな」
そんな憎まれ口を叩くノール爺さんの口元にパンくずがついていることは言わないほうがいいですね。
「きゅいきゅい」
「きゅい!」
あ、あちらは違う具のサンドウィッチを食べあいっこしています。
仲が良いですね。
「(にぱ~~~!)」
うぁあ!
シルバーさんが卵サンドを食べて満面の笑みを浮かべています。
満面で無邪気です。
いつもの(可愛い顔に浮かべている)クールさが消えてしまっています。
よほど気に入ったのか笑顔のまま猛烈な勢いで食べていらっしゃいますよ。びっくりです。
そんな顔をされていると外見とあいまって本当に可愛らしいです。
「陽も早くみんなと一緒にご飯が食べられるといいですね」
そう言ってつるんとした卵を撫でました。
『……ふん』
拗ねている陽。
「陽が卵から出てきたらまた皆で来ようね~~」
『……ふんっ!』
そっぽを向く陽でしたが楽しみだ~~という感情を必死に隠そうとしているのが伝わってきていますよ~~?




