店舗日誌 其の一
竜の卵は一月程度で孵化する。
そう聞いていたのにわたくしが預かることになった竜の卵……陽はもうすぐ二月が過ぎようとしてもいっこうに孵る気配がありませんでした。
すべすべ~~な卵の表面には罅ひとつなく初雪のように綺麗な白が広り、毎日お湯で表面を拭いてあげているので汚れもございません。
気に入らないことがあるときはどこまでも重くなるくせに普段はわたくしに持ち歩きしやすい重さをキープしています。食事は少々わたくしが気まずいですが「はやく孵ってご飯を一緒に食べましょうね~~」といいつつ共に同じテーブルに着き、昼間の本屋勤務の時は背中に背負い夜眠るときは同じベットに眠ります。
まさに朝から晩まで着かず離れず一緒にいるのですが陽は全然孵る気配がないのです!
陽の感情はなんとなく伝わってくるので元気なのは分かるのですが普通はもう孵化して子竜になっているはずなのにその前兆すらないのは何か悪いことの前触れではないのでしょうか!
「陽はどこか悪いのでしょうか……」
不安にかられて陽が眠っている間に店にある竜の子の病気について書かれた本で調べますが長く孵らない卵に関しての記述はあまりない上に書かれた症例が怖いものばかりでわたくしもう涙目です。
ううっ……力が少なすぎて体が作れないとか、病気で卵から出たら体が維持できないため死亡してしまう確率が高いとか怖い情報ばかりが本の上に踊っていました。
「違う……陽は違います」
言い聞かせるようにそうつぶやいていました。
だってあの子には本に書かれている病気の症状は出ていませんし何より陽自身はとても元気なのです。どういう理屈かはわかりませんが感じ取れる陽の感情は日々を元気に過ごしていてとても病気を患っているようには感じられません。
「でも、元気ならどうしてあの子は卵のままなのでしょうか……」
元の世界でわたくしは自分の世話すら満足にできていなかった人間です。もちろん子育て経験などありません。もっと言えば卵を育てるだなんて未体験過ぎます。
だけどどういうわけだかこの世界にやってきて職を見つけ、自分自身を養える状況下において飛び込んできた竜の卵との生活は大変なこともありましたが予想以上にわたくしは楽しかったですし、陽に愛着というか情がわいているのです。
だからこそ、あの子が全くといっていいほど孵化する傾向を見せないのが不安でならないのです。
もしかしたら……それはわたくしが……。
頭に浮かぶ懸念を首を横に振ることで振り払います。
「悩んでも答えが出ませんね……」
誰かに相談したほうがいいのでしょうがまずは自分の力で何とかしようと本を漁って見ましたが不安が増すだけで終わってしまいました。陽やノール爺さんに見つからないように夜にこっそりと読んでいた資料も先ほど見たので終わりですし成果もないことですし……。
「誰かに相談したほうがいいですよね」
夜の静寂にこぼれた言葉にあきれ返ったような言葉が返されてわたくしは思わず椅子から立ち上がってしまいます。
「ようやく相談する気になったか、小娘」
一体いつからそこにいたのか地下に篭って滅多に住居区にはやってこないノール爺さんがふよふよと浮いていました。
「ノール爺さん?どうされたんですか?こんな時間に……」
すぃーとノール爺さんはわたくしの方へ近寄ると机の上に開きっぱなしの本の上で停止します。
「あっ!」
あわてて閉じようとしますが時はすでに遅し。ノール爺さんはばっちり内容を把握してしまっているようで本の概要を口に出してしまいます。
「卵の状態での病気や異常に対する症例と治療法……やっぱりあの坊主が孵らないことで悩んでやがったな」
「……気づいていたんですか……」
「隠していたつもりだろうが、お前さんは一等分かりやすい。それにあの坊主が孵らないことは他の連中も気にしていたからお前の悩みもすぐに予想がつくってわけよ」
自分が感情を表に出しやすいことは知っていますが必死に誤魔化したのですけど……この分では無駄な足掻きだったようですね。
悩んでいたことがばれたことでどこか肩の力が抜けました。脱力感を感じつつ椅子に座るわたくしの前にノール爺さんが胡坐で浮かんでいました。
「ノール爺さん……」
「なんだ」
少し、言いよどんでしまいます。だけど聞かないことには始まりません。わたくしはずっとずっと感じていたことをはじめて人に聞きました。
「わたくしが……異世界の人間がそばにいて育てているから陽は孵化できない、という可能性はあるのでしょうか?」
そう、これこそ陽が孵らないと知ったわたくしが真っ先に思ったこと。
陽の症状について調べる傍らわたくしなりに異世界の人間について文献や本を調べたりしました。その結果は成果なし。
今までわたくしのように別世界からやってきた存在の記録はなかったのです。もちろんわたくしが探せる範囲の話ですからそれこそ国とかの機密文書などにはあるのかも知れませんがそこまでは調べ切れません。少なくとも一般に知られるような本などには異世界の存在がやってきたという記述は一切ないのだということはわかりました。
わかってそして怖くなりました。
前例がないということは何が起きるかわからないということです。
成人している竜や卵から孵化した子竜たちには影響はなくとも卵の中でまだ実態のない陽には悪影響があるのかもしれません。
わたくしは自分がなぜ、どうやってこの世界に来たのか知りません。
来るときに変な菌やら電波やら力やらが纏わりついている可能性もあります。
そしてそれらの影響をもし、陽が受けてしまっていたら……。
「ノール爺さん……わたくしは陽のそばにいて大丈夫なのでしょうか……!」
全ての不安と懸念を吐き出しうつむいてしまったわたくしはもう、断罪を待つ罪人の気分でした。
ノール爺さんはわたくしが話している間一切口を開かず目を閉じて聞いてくださっていましたがわたくしの弱音ともとれる先ほどの言葉でゆっくりと目を開かれます。
「小娘……」
そして、ノール爺さんは……。