9 しばらくして
口をきかなくなって2週間。限界を迎えた颯太が昼休みに献上品を持ってきた。
「……そろそろ許してくれないか?」
捨てられた子犬のような目で訴える颯太に、しぶしぶと頷いた俺は、賠償金として得たカツサンドとカレーパンを食いながら言った。
「一昨日からバイト復帰したらしいな? 大丈夫だったか?」
「ああ、インフルエンザはもう大丈夫だ」
大丈夫じゃない方のベッド下のことはあえて聞かない俺だった。なお大丈夫じゃない方の昭人は二度と颯太の家には行かないらしい。賢明な判断だが、真実の恐怖を知らないままその程度で済んで良かったとも思う。単に颯太にからかわれただけだと思っているようだが……。
「正月は美香さんと親父さんとどこかで集まるのか?」
颯太の実家は既に売ってあるし、美香さんは東京、親父さんは東北の方に単身赴任なため、集まるとしたら……。
「親父は俺のところに来るらしいが、姉さんは多分来ない」
「多分じゃなくて絶対こねーよ」
美香さんとは未だにメールが通じないらしい。願わくば、親父さんがその後颯太との連絡で音信不通にならないことを祈っておこう。
「むしろお前も挑戦者だな。親父さんをあの部屋に呼んで、どう説明するんだよ。俺の同棲相手ですってか?」
息子に紹介された同棲相手がベッド下に包丁を持って隠れていたら、何の刺客なのかと思う。あと息子を心配する。頭の中身と命のあたりを。
「……そういえばそうだな」
そう言わないと気づかないあたり、颯太はもう駄目だ。改めて確信する俺だった。
「……翔がベッド前で、ベッドの下を身体で隠すっていうのはどうだ?」
「よーし颯太、歯を食いしばれぶん殴るから」
「冗談だ」
絶対半分くらい普通に言いやがっただろうに、颯太はひょいっと立ち上がると俺の拳の射程範囲外で言う。
「まあ、正月までに何か考えておくよ」
「そうしろ、親父さんのためにもな」
昼休み終了のチャイムが鳴り、俺も颯太も次の授業の準備があるため、ベッド下の隠蔽工作は後日に持ち越されることとなった。
* * * * * * * * * *
「颯太!」
ところが学校からの帰り道。がっしりとしたおっさんが颯太のマンションの前で満面の笑みで待っているのを発見した。
颯太はくるりときびすを返した。
「そうたあああああ」
おっさんは両手を広げてどかどかと走ってくる。俺はおっさんと颯太を交互に見て、走って逃げる颯太を見送った。
「そーうたーーーー!」
そういえば颯太って、親父さんのことちょっと苦手だったんだよなぁ、と、すでに全力疾走の2人を見ながら思った。
「……なんでいるんだ?」
言外に帰れと言わんばかりに、颯太が眉根をよせている。その肩をがっしりと掴んで親父さんが豪快に笑う。
「はっはっは、急に来てびっくりさせてやろうかと思ってな」
俺もびっくりしたがな。
颯太も嫌な感じにびっくりしてたな。
「びっくりしたはしたけど、何をしに来たんだよ、父さん」
「びっくりさせに来ただけだ!」
ああこれはうざいな。うん。
颯太もそう思ったようであるが、あきらめたように首を振ると「上がったら?」とロビーに向かう。
その頭を俺はすぱーんと叩いた。
「いてっ」
「颯太お前普通に忘れてんじゃねーよ!」
ひそひそ声で注意すると、颯太ははっと思い出す。隠し忘れたものを。
「お、翔くん! 久しぶりだなあ!」
「おじさん、お久しぶりです」
息子を叩く存在にやっと注目したようで、親父さんは俺に笑顔を向けてきた。笑顔を返す俺は、颯太に後ろ手でしっしと追い払う。
スピード勝負だ、颯太。エロ本よりテスト結果より、なによりまず隠さねばならないものがあるだろう。
俺の意志を汲んだのか、そっと颯太はエレベーターへと向かった。
「相変わらず小さいなぁ翔くん、変わらず颯太と仲良くしてくれてありがとな」
「い……いえいえ」
多少顔が引きつったが愛想笑いをする俺である。この親父をベッド下に突っ込んでやろうかと一瞬だけ頭に過ぎったことは内緒である。
颯太は既にエレベーターで上がっていった。
「それよりおじさん、急ですね。もう正月休みなんですか?」
「いや、今年は正月が出張が入ってしまってなぁ。多分これなくなったから今日だけ泊まりに来たんだよ」
エマージェンシーは今日だけか。つまり今日を乗り越えれば、何とかなるな。
俺としても美香さんに続きおじさんまでも、あの恐怖の部屋でトラウマになったら、その後の颯太家で禁断の会話になってしまいそうで心配である。
来年の更新をせずに、穏便に引っ越しをすればこれ以上の傷はつくまい、と思うのだ。
「それにしても、いいマンションだなぁ。こんな部屋が2万で借りれたのか」
目を丸くして左右を見回すおじさんだが、良いマンションかも知れないが良い部屋ではないことを伝えてやりたい。
「おっと、そんなことを言ってる間に颯太が行っちまったな。行こうか翔くん」
ああやっぱり俺も行くんですね、うん。
愛想笑いを顔に貼り付けたまま、俺は出来るだけゆっくりとエレベーターへと向かう。
「美香も誘ったんだがなぁ。何かあいつ颯太のその字も聞きたくないとか言って、いい歳して姉弟喧嘩かなぁ」
ベッド下解決ならず、と先日メールを送ったが、美香さんのトラウマは癒えてないどころか増したようである。
「お邪魔しまーす!」
「……どうぞ」
元気に言う親父さんに、部屋の扉をあけると、颯太は入りやすいように入り口から下がる。その颯太に俺はパチパチと目配せした。颯太は分かってる、とばかりに頷くと
「チョコレートケーキは買ってあるぞ、翔」
黙れお前、アイコンタクトの意味からして学んでこい!
げっそりした気分で部屋の奥へ行く。いやもう、行きたくはない。出来れば帰りたい。
部屋の奥にはいつものようにベッドがあった。いつもと違うところは一つ。
あからさまに毛布が手前に下がって隠してあった。俺は颯太を見ると、もう一発すぱーんと頭を叩いた。
「……あからさますぎだろう!」
「……あの空間な、何か入れて隠そうとすると押し出して来るんだ」
外からカバーするしかなかった、と淡々と言う颯太だが、そんなあからさまな空間をこの親父さんは見逃すわけもなく、笑って言う。
「颯太は慌てて隠したのか。別に父さんはエロ本くらい怒らないぞ。美香と違って」
姉弟喧嘩の原因をベッド下だと一部聞いて、エロ本だと想像したらしい。
「エロ本じゃなかったら、まさかの人形か! まっさかなー」
エロ本でも人形でもないが、人型であることはある。
喜々としてベッドに向かうとその毛布に手をかけた。
「……父さん!」
一応止める颯太。すでに避難経路を確保して、玄関を半開きにしている俺。
「だーいじょうぶだって、っと」
ばさっという音と数秒の沈黙。悲鳴に備えて俺は両手を耳に近づけたが……。
「なんだ、颯太何にもないじゃないか」
……へ?
脳天気な親父さんの声に、俺は目を丸くする。颯太も俺と親父さんを交互に見て、首を傾げた。
「父さんは、何も見えない?」
「何もって……なんかあるのか?」
その言葉におそるおそる俺が見に行くと……。
「……」
俺は回れ右をした。親父さんがあげたベッドの毛布の下から、長い髪の毛の女ときらりと光る物が見えた。
「まったく、ここはダミーかぁ。よーし父さん本気出して探しちゃうぞー」
そこは完全なる本命である。とりあえず突っ込みたかったが、俺には既に気力がなかった。
「……颯太」
「……」
「親父さんあとで俺の分、一発殴っとけ」
「分かった」
すぐさま響く鈍い音が二発だったのは誰の分か言うまでもなかった。