6 夏のアルバイト
夏休み、颯太は小さめの喫茶店でアルバイトを決めたという。俺も一緒にバイトをすることにした。
「翔もバイトをするのか?」
「小遣いが厳しいんだ」
万が一の時のための逃亡資金を貯めておいてやろうという思いだが、颯太にばれると確実に頭をくしゃくしゃやられるため黙っていた。
「安くて申し訳ないのに、2人も来てくれるなんて助かるよ。よろしく頼むね」
喫茶店のマスターであるお爺さんはにこにこと歓迎してくれた。確かに給料は比較的安いのだが、まかないつきというところが颯太には最大の魅力らしい。
「姉さんが主に料理してたから、毎日作るのはやっぱり厳しい」
まったくあのベッド下の女は何のために包丁を持っているんだ。
うん、やっぱり別の目的でだよな。
喫茶店の名前は「Merry」といい、出勤前のサラリーマンや主婦のランチに人気があるようで朝昼は混雑するようだ。
夜は逆に人は少なめのため、いつでも半額で夕食が食べられる。当然シフトの入っている日はまかないが出る。
俺は夕飯だけは、食って帰ると逆に母ちゃんがうるさいので遠慮しているが、昼は時々食べている。これがまた美味い。
「颯太いい店みつけたな」
昼の混雑が終わり、休憩時に颯太に言うと、頷いた。
「バイト雑誌を見ながら寝ちまってさ。目が覚めたときにこのページが開いていたから、なんとなく」
「……」
それはベッド下の陰謀を感じなくもないんだが……。
「颯太さん、翔さんお仕事お疲れ様です」
笑顔でまかないを持ってきてくれる女の子は桜ちゃん。ここのマスターのお孫さんだが、主にキッチンを手伝ってくれている。
「桜さんもお疲れ様」
颯太が笑いかけると桜ちゃんはいつも少し赤い頬をもっと赤くして、照れたように笑う。
「いえいえ! お二人が来てくれたおかげで大分楽になりました! 前は厨房と接客とレジ全部やってましたから」
時給が安すぎてバイトさんが来てくれなかったんですよ、と言って頬を赤くしたまま、まかないを俺らの前に置いてくれた。
「にしても、いうほど安くないっしょ? まかないもついてるし」
俺が言うと桜ちゃんは全開の笑顔を俺にも向けてくれる。良い子だ。颯太がいると、やつ以外に振る愛想はないとばかりに視線がこっちを向かない女もたくさんいるからなぁ。
ああ、ベッド下の視線だけは全くいらない。
「近くに大きめのファミレスがあって、そこの時給がうちよりちょっと高いくらいだから、みんなそこに行っちゃうみたいなんです。おじいちゃんには時給あげたほうがいいよって言ってたんですけどなかなか難しくて……」
黙々と食べている颯太と、食べながらうんうん頷いている俺をちらっと見ると、頬を染めたまま、小さく声を潜めるようにして言う。
「ただ、最近になってアルバイトしたいって言う人が増えてきたんですよ」
「へー、それは良かったんじゃないの?」
「でもうちはこれ以上アルバイトさんを雇う余裕はちょっとなくて、そう言うと大体時給をちょっと安くてもいいから、って言うか、あるいは」
時給を安くって……代わりに首でも切られないかちょっと俺は心配になって、桜ちゃんの話に耳を傾ける。颯太は黙ってまかないを食ってる。まあ確かにお前はアルバイトの首を切られる以前に、実際の首を切られる心配をしろ。
「アルバイトさんの連絡先を教えてくれって言うんですよ」
そう言って桜ちゃんは悪戯っぽく笑う。あー、なるほど。颯太狙いか。
さもありなん、とばかりに颯太を見ると食事を終えごちそうさまでした、と両手を合わせていた。
「こいつはもてるからなぁ」
多分人外にも。桜ちゃんはそうですね、と笑って言う。
「やっぱり彼女もいらっしゃいますよね」
またしても最初に射られる馬の気分で俺は首を振った。足下だけゲシッと颯太の足を蹴る。理不尽な、とばかりに颯太が顔をしかめる。
「彼女はいないよなー。帰りを待つ女はいるけど」
「いや、別に待ってないだろ。勝手に一人で好きなことをしているんじゃないのか? 多分」
目を丸くして桜ちゃんはぽつりと呟く。
「け、結婚してらっしゃるんですか……!」
さすがに颯太も首を振った。
「結婚はしていない」
その言い方は同棲してるかのようだが、多分詳しく説明するのがめんどくさいんだろう。
俺も詳しく説明した結果、バイトを首になってしまっては困るため、話をそらした。
「桜ちゃんこそ可愛いから、彼氏いるんじゃないの?」
「えっ……えぇぇ、ま、まさか!!」
俺が話を振ると、急に真っ赤になって桜ちゃんはぶんぶんと首とお盆を振った。目の前の不幸な男にバンバンと当たってる、当たってるよ桜ちゃん。
しかし颯太は無言で叩かれるがままである。多分腹が膨れて満足してるためあまり気にしていない。
「あ、あの、翔さんは……」
なんどか言いかけたが、その後の言葉が続かないようで、桜ちゃんはもじもじバンバンやっている。そろそろ颯太が可哀想になってきたため止めてやろうかと思ったところで、桜ちゃんを呼ぶマスターの声が聞こえた。
「桜ー、お客様だよー」
「あっ……もう、おじいちゃんたら」
照れ笑いを浮かべながら、俺たちに笑いかけると桜ちゃんは
「休憩をお話でつぶしちゃってすみません、また良かったらお話ししてくださいっ」
そう言って去っていった。
「……」
「……翔」
いや、だまされない。俺はだまされないぞ!
「翔、頬が緩んでるぞ」
こういう経緯で「実は颯太くんに手紙を渡してほしいの」って過去十数回言われた俺が、だまされるわけないからな!
そうは言いながらもなんだか幸せな予感に心躍る俺だった。
当然そんな甘い話になるわけがないのは知ってたんだがな!